挿話:とある少女の独白
本編の続き、ではないです。
第三十二話はいつも通り本日の二十時ごろに上げますので、よろしければ。
真っ暗な部屋の中。わたしは一人、ベッドでうつ伏せになっていた。布団に顔を埋めて、きつく強く目を閉じる。胸の中には、どうしようもない後悔だけがグルグルと渦巻いていた。
どうしてこうなってしまったんだろう。脳裏を過ったのは、ある日の記憶だった――
卒業式。最後の帰りの会が終わって、卒業アルバムに寄せ書きをする時間になった。厳密にいえば、そんなお題目はどこにもなかったんだけど、みんなそうしていた。すぐに家に帰るのが惜しい。誰もがそう思ってたのかも。
わたしもそうだった。女の子を中心に求められるままに、メッセージを書いた。その時に、わたしも書いてもらった。でもすべてが相手からというそんな受動的なものだった。
でも――
「あ、あのっ! わたしのにも、書いてもらえないかな」
タイミングよく近くを通った時に、勇気を出して話しかけた。彼は、素敵な笑顔で「もちろん!」と言ってくれた。嬉しかった。思わずその場で飛び跳ねそうになった。
「い、家に帰ってから見てね」
そう言って、思いっきりはにかんで笑ったのを覚えてる。自分の顔が真っ赤になるのを感じて、その場を去った。他のクラスの友達に会いに行くと、自分の心に言い訳して。結果的には、あそこが分岐点だったように思う。
今にして思えば、あんなもののどこに恥ずかしがるところがあったのか。回りくどすぎる、と呆れる。なんてことはないメッセージとメールアドレスを書いただけでしょ、ばか智里!
でも、わたしにとってはあれが自分のできる最大限だった。好きだった。あの人のことが。初恋だった。なのに、それを言葉にできなかった。
いじらしいなんてもんじゃない。思い出しただけで、自己嫌悪に襲われる。吉津智里はそんな奥手な少女だった。
きっかけなんてなかったように思う。いつの間にか、好きだなぁ、と思ってた。一緒にいると心が安らぐ。あの人といるだけで幸せだった。他の男子みたく、やかましく揶揄ってきたりしないし。
ただ一つ不満を上げれば、もっと名前で呼んで欲しかった。きっちりというあだ名は嫌いではなかったけれど――それは彼も呼んでくれるからで――智里ってはっきり呼ばれる方が嬉しかった。優佳ちゃんの前とか、そんなに機会はなかったけど。
あの頃は本当に幸せだったなぁ。まだ両親の仲も良好で、わたしは自分の進むべき道に何一つ迷うところはなかった。
――ピンポーン! さっきから何度も何度もインターホンが鳴っている。時には、わたしの苗字を呼ぶ声まで。相手はわかってる。例のその人だ。
でもわたしにはとても出る気にはならなかった。いったいどんな顔で、彼に会えばいいんだろう。震えるスマホが鬱陶しくて、ブロックもしてしまったし。
『そうだよ、俺は別に不破のことなんて、昔っから特別な感情を持ったことはない。こうして面倒を見るのは、昔の友達が放っておけなかっただけさ』
一言一句はっきりと、彼の言葉を覚えている。記憶力には自信があった。
改めて思い出すと、胸の奥がぞわぞわした。それがどういった類の感情なのかは、わたしにもわからない。
その言葉がつい口から出てしまったことは、もうわかっていた。彼の行動を見ていればわかるし、初恋の人がそんな酷い人だとは思いたくない。
じゃあ、わたしが何に対して失望しているかと言えば、それはわたし自身になのだ。不破智里という人間のどうしようもなさが頭にくる。こんな自分なんて大嫌い。そんな自分を、あの人の前に晒したくない。
鳴りやまない無機質なチャイムの音が鬱陶しくて、わたしは耳を塞いだ。もういい、わたしのことなんて放っておいて――
*
どれくらい眠っていただろうか。もう十七時を回っているじゃない。これでは、学校にはとてもいけないわね。自嘲気味な笑みを浮かべて立ち上がる。
今朝もあの人は来た。よくめげないものだなぁ、と感心する一方で呆れてしまう。でも、嬉しかった。本当は会いたかった。謝りたかった。でも、起き上がる気力はなかった。
お母さんはわたしの言いつけを守らなかった。いけしゃあしゃあと、リビングに通したりして、うちの事情を話したりして、デリカシーというものはないんだろうか。……今の母のことは大好きだけれど。
とにかく、わたしは目覚めることはしなかった。その後、何度も何度もつい惰眠を繰り返してしまった。夜あんまり眠れなかったのと、最近、今までよりも睡眠時間を減らしたツケが回ってきたのかも。
姿見に映っているのは、ぼさぼさ頭の目つきの悪い少女。顔色が悪くて、明らかに寝起きなのが見て取れる。どちらにせよ、あの人に会うには相応しくない。散々、こんな姿を見られているけれど。
「勉強しなくちゃ……」
そんな風に思うのは、四年ぶり……かな? 最後に一生懸命勉強していたのは、中二に上がる前なのだけは、はっきりと思う。あそこが二度目の分岐点。
いい子のままでいたら、こんなことにはならなかったかな。彼は、再会したわたしをすんなり好きになってくれたかもしれない。――なんて、そんなこと考えても無駄ね。
鏡の中の少女が醜い笑いを浮かべるのを見て、わたしは机に座った。数学をしよう。少しはましになったけど、まだ苦手意識は拭えていない。
少ししたところで集中力は切れた……はあ、まだまだリハビリが必要みたい。昔の自分が心底羨ましい。とりあえず、床に転がしていたスマホを手に取った。
「わぁっ――」
驚いて、思わず声を上げた。河崎と咲からえげつないほどにメッセージが来ている。どれも、あの人が話したがってるからちゃんと学校に来い、という内容。どうやって返事をしたものか、悩んでいたらとある通知に目を惹かれた。
……それは、使われていないメールアドレスからの知らせだった。新着メールが来ている。送信元は知らないアドレスだったけれど、文面を見てすぐにその相手を察した。
それはわたしが長らく求めていた相手だった。辛い時はいつもこの画面を見ていた。いつか彼から連絡が来るんじゃないかって。悩みを聞いてくれるんじゃないかって。
無視することもできた。むしろそうしたかった。しかしできなかった。そのアドレスに届いたという事実は、それだけ重要な意味を持っていた。
「――行かなきゃ」
気が付けば、わたしの身体は勝手に動いていた。これ以上、逃げ続けるわけにはいかない。あの人と、過去と決着を付けに行くんだ――
鋭意、ブラッシュアップ中ですので、お待ちください!




