第二話 初日からの躓き
「真柴大翔です。よろしくお願いします」
俺は教卓に立って、緊張しながら一言発した。頭を下げると、パチパチパチと疎らな拍手が教室内に響く。
どことなくみんなが落胆したように思えるのは、果たして気のせいだろうか……。
まあいいや。気にしても仕方ない。頭を上げて、じっと前方の壁の辺りに視線を固定する。
思えば、こういう形は初めてなんだよな。
心臓がまだバクバクしているのを感じながら、ぼんやりと前のことを思い起こす。
一度目の引っ越しの時、あれは中学に切り替わるタイミングだったから形式的には転校ではない。
しかし、実質的には転校だった。
俺が通うことになった中学は、ほぼ二つの小学校の持ち上がりだったから。
すでにコミュニティは、ほとんど形成されていたわけである。
新参者は俺一人。何の準備もせず、荒波に飛び込んでいったわけ。
よそ者として、露骨に疎外されていたわけではないけれど。
それでもなかなかみんなの輪には溶け込みにくかった。
なんだ、あのおっさ――じゃなくて、あいつ!? みたいな、自分に対する違和感はしばらく感じていた。
これが小学生の時は、新しい奴が来るとみんな好奇心を抑えられなかった。
恐れることなく、ガンガン話しかけられていた。俺もそうしたし。
中学生は難しい時期なのよ――母さんは初日の俺の様子を聞くと、そんな風にのほほんと答えた。
まあ何はともあれ、無事に卒業はしたわけで。
そのころには、さすがに地域に慣れていた。
同じ高校に進む奴もいて、友達も少ないながらはいた。
なにはともあれ、こうしたアウェー感は一度経験済み。
……でも、緊張はするんだよなぁ。みんなの視線が痛い。
隣で担任の先生――ホームベースみたいな角ばった顔の始終くらいの男性――が何か話しているみたいだったが、内容は一向に入ってこない。
「よし、真柴の席はあそこな」
担任は俺の緊張など全く意に介さないように、すくっと窓際一番後ろの席を指さした。
そこには空っぽの座席がある。
俺はどぎまぎしながら、鞄だらけの通路を慎重に進んだ。
一挙手一投足がしっかり見守られている。
裁判の被告の気分だ。ドラマでしか知らないけれど。
「えー、では朝のホームルームを始めよう」
俺が着席すると、彼は凛とした声を出した。そのままルーチンワークを始めようとする。
「俺、河崎耕太って言うんだ。よろしく」
前にいた生徒が軽くこちらを振り向いた。
髪型がばっちり決まった、細めのさわやかイケメンだ。
俺は咄嗟に会釈することしかできないのだった――
*
金曜日は六時間授業の日らしい――学校から解放されたのは十五時四十分近く。
これなら妹との約束も果たせそうだ。
謎の安堵をしながら、騒がしい教室の中、一人帰り支度を進める。
休み時間になる度に、俺はクラスメイトに囲まれることになった。
「ねえどこから来たの?」
「部活はなんかやってた?」
「どこに住んでんの?」
「兄妹いる?」
などなど。気分は囲み取材を受ける芸能人。
だが、もちろん俺にユニークな返答ができるはずもなく。
当たり障りのない対応をしていたら、いつの間にか誰も寄ってこなくなった。
みんな、早くもニューカマーには興味を失ったらしい。
真柴大翔がそのやぼったい見た目と同じ様に、中身もつまらないことがよく知れ渡ったということだろう。
そんな自分を残念に思う一方、ちょっと安堵する。
「ホント、キミは堅物すぎて面白みのない人間ね」――これは、昔ある女の子に言われた言葉。
中学の時、俺を気にかけてくれた子だ。
当時の俺は(今もか)どうも女子との距離の取り方がわからず、色々話しかけてもらったものの、ありていな返事しかできなかった。
小学校の時はそうじゃなかったんだが。学年が進むにつれて、どうにも上手くいかないというか……。
かといって、男子とも馴染めたかと言えば違う。
結局、いいようにいじられるポジションに落ち着いた。
後は勉強の面で便利屋か。いったいどれだけの人間にノートを貸したことか。
小学校六年生の後半くらいから、ちょっと周りから一歩引く様になっていた。とある女子の影響もあって。
吉津智里――通称『きっちり』 。あいつはかなり大人びていた。
真面目で明るくてリーダーシップがあって、みんなの中心にいた女の子。
他人の痛みに敏感なとても優しい少女だった。
彼女と仲良くなって、自分がいかに子供っぽいかを自覚することになった。
とはいっても、当時は本当に子ども。
それが恥ずかしいわけでなく、ある意味での憧れみたいなもの。
今にして思えば、それがよくなかった。
中学の出だしから、大人しくし過ぎた。それが今も尾を引いている。
変に彼女の真面目さを参考にしてしまったんだろうな。
結果として完成したのは、コツコツと勉学に励む真面目少年。ちょっと周りから浮いた。
三年かけて染みついた雰囲気は簡単に拭えないもので、新しいクラスメイト達も察知してしまったのかもしれない。
やっぱり、アドバイス通り、ガツンとかますべきだったか……まあいい。一人には慣れている。
しかし、あいつは今頃どうしているのやら。彼女のことだからきっと元気にやっていることだろう。
持ち前の優等生ぶりを存分に発揮しているに違いない。
一番の進学校に通っているんじゃないか。
不思議と、きっちりのことを思うと、胸の底が熱くなる。
今も彼女がこの市に住んでいれば、いつか会うこともあるかもしれない。
それは他力本願な期待でしかないけれど。
――っと、少し感傷に浸りながら、ようやく帰る準備が終わった。
俺はひっそりと周りに気付かれないように教室を出た。
部活をやる気もないので、さっさと家に帰ることにした。
明日が土曜日だと思うと、ちょっとだけ気持ちが軽くなるところがあった――