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第二十七話 成績向上作戦 そのはち×

「おい、何ぼさっとしてんだ、真柴! 早く、追いかけろよ!」


 そう叫んだのは河崎だった。その声で我に返る。彼は立ち上がって血相を変えていた。そうだ、呆気に取られてる場合じゃない。


「悪い、俺ちょっと行ってくるよ」


 俺は教室を飛び出した。返事も待たずに。誰の顔も見ずに。教室がいくらかざわついていた気がするけれど、今は構っている暇はない。


 ……彼女は聞いてしまったのだ。俺の心ない一言を。実際、そんなこと欠片も思っていないのに。

 しかし、そんなこと関係ない。言葉の意味というのは受け手によって決定される。そこに発言者本人の意思が介入することは殆どない。


 無我夢中で人気のほとんどない廊下を駆けた。階段を一つ飛ばしで急いで下った。俺はひたすらに彼女の姿を求めた。 ちゃんと言わないと。まず謝らないと。


 一階の廊下にも彼女の姿は見当たらない。時間にして、そんなに呆けていたわけではないはずなのに。かすかな焦りを覚える。もしここで追いつけなければ、一生不破に会えなくなるような――


 だが、それは杞憂というものだった。玄関口、ガラス戸の向こう側に彼女の姿が見えた。そのシルエットが素早く左から右に向かって動いている。

 俺も急いで靴を履き替えた。行く手を阻む全ての物事が鬱陶しい。引き戸を力任せに開いて、俺は勢い良く外に飛び出した。


「不破っ!」


 遠ざかっていくその小さな背中に向けて、思いっきり叫んだ。曇り空が広がり、分厚い雲が太陽の光が遮って、外は少し薄暗い。


 自転車置き場へ向かっている何人かの生徒がびっくりしてこちらを向いた。中途半端な時間帯だから、その人影はまばら。


 しかし、彼女は振り返らない。足を止めもしない。叫んでいるのが俺だとわからないはずないと思うから、意図的に無視しているのだろう。心なしか、歩くスピードが少し上がった気もする。


 はぁ、はぁ。何度か浅い呼吸を繰り返し、俺は走り出す。周りの視線など、全く意に欠けず。いきなり全速力で。


「不破、待ってくれ!」


 叫びながら近づいたせいか、向こうも俺が走っていることに気が付いたらしい。やがて、彼女も走り出す。ちょっと短めなスカートの裾がはためくのも気にしないで、肩よりちょっと長い茶髪を揺らしながら。


 傍から見たら、とんでもない光景なんだろうな。人を追い抜くたびに、怪訝そうな顔をしているのが目に入った。


 それでも俺は足を緩めない。ぐんぐんとその距離は詰まっていく。そこは男女の違い……いや、俺の方が身軽だからか。鞄を持っている彼女はどうにも走りにくそうだ。


 ようやく、その背中に追いついた。手を伸ばせば、彼女のその細い手首をつかめるはず――


 パシッ――!


「離して!」


 たちまちに足を止める不破と俺。しかし、彼女は何とか俺の腕を振りほどこうともがいている。背中を俺に向けたまま、振り返ろうとする気配はない。

 だからといって、はいそうですか、というわけにはいかない。ちゃんと彼女に話すために、俺はここまで来たんだから。


「聞いてくれ、不破。あれはただの――」

「照れ隠し、とでも言うつもり? 嘘よ、嘘! わたしのこと、あの時から気になってるんだったら、どうして何も言わずどっか行っちゃうのよ!」

「それは……」


 教室を出て行った時とは打って変わって、彼女はとても興奮していた。振り返って俺に見せたのは、あの能面のような無表情ではなくて、その顔は怒りに歪んでいる。思わずたじろいでしまうほどの迫力があった。


 俺はなんと答えればいいかわからなかった。別れを告げなかったのは、紛れもない事実で、そういう風に取られても文句は言えない。

 照れくさかった。別れを言うのが辛かった。理由はいろいろあるけれど、きっとそのどれもが彼女の求める答えではないんだろう。不破が問題視しているのは、俺の意図ではなくて、俺のした()()なのだろうから。


「ほら、答えられない。それが全てでしょ。もういいから離してよ。痛いんだけど!」

「ご、ごめん。でも、やっぱり誤解を解いておきたくて。引っ越しのことは誰にも言わなかった。それは不破にだけじゃない」

「だから、他意はないって? 違うでしょ、それがイコールでわたしのことなんてどうでもよかったってことでしょ? あんなに仲良くしてたのに、わたしたち。本当に楽しみにしてたんだよ、中学校でも一緒に勉強できるの。……受験だって――」


 そこまで言って、彼女ははっとした顔になった。そして、慌てて口を噤む。一瞬きつく目を閉じると、開いた時には冷たい表情に変わっていた。


「なあ、不破、受験って……」

「いい、うるさい。もう何も聞きたくない。早く手を離してくれない? 声、上げるわよ」

「不破はそんな聞き分けのない奴じゃないだろ」

「どうかしら? 君はわたしの何を知ってるというの? わたしは()()()()じゃない、不破智里。素行不良で、クラスメイトの男子に面倒を見てもらわないと何もできないだらしない存在」


 冷めた表情で、やや自嘲気味に鼻を鳴らす不破。他人を寄せ付けない冷淡な表情と態度。昔も今も、とっつきやすい人柄の良さは変わらなかったのに。今目の前にいる彼女には、そんなところ一つもない。


「幻滅したでしょう? あの頃とは何もかも違うもの。でもこれが今の()()()だもん。別に変りたいとも思わないし、()()()()の手助けなんていらないよ~」


 俺にだってその笑顔がわざとだということはわかった。いつもと遜色ない子どもみたいな無邪気な笑い方。でも今目の前にあるのは、完全な作りものだ。微かに歪んでいる。


「幻滅なんてしてない。そしたら、不破と仲良くなんてしないだろ?」

「どうだろ。内心、あたしに元に戻って欲しかったんじゃない? それもないか、あたしのことなんか昔から興味ないんだもんね」

「だから、あれは言葉の綾とというか……とにかく、そんなこと思ってない!」

「もうどっちだっていいよ。自分自身の愚かさに本当に嫌気が差した。わたしって、本当にバカだったんだなって……」

「そんなこと――」


 ない、という単語は後には続かなかった。彼女の表情に圧倒されてしまった。その二つの瞳からは、ボロボロと()()()()()()()

 呆気に取られて、つい彼女の手首を離してしまう。これ以上、彼女をここに留めておくことはできないと悟ってしまった。彼女の絶望とか怒りとか哀しみとか、そういう負の感情が一緒くたに、まぜこぜに、真直ぐに伝わってきたから。


「もうついてこないで。これ以上話すことはなにもない、惨めになりたくない。明日からも迎えに来なくていいから。さよなら」


 すげなく早口でまくし立てると、彼女はそのまま走り去ってしまった。最後まで涙を流したまま。爆発した感情を取り繕うこともしないで。


 言われるまでもなく、俺に彼女を追う気力は無くなっていた。仮にそうしたところで、何を言っていいかはわからない。俺には、初恋のあの子にどうしてやることにもできない――

本日もジャンル別日間ランキング入りありがとうございます!


そんな中、シリアス真っ盛りになってしまいましたが、お付き合いして頂けると嬉しいです。

あと三話の内にはまとめる予定です。

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