第二十六話 成績向上作戦 そのはち?
俺は机にやや前のめりな姿勢のまま、おずおずと少しだけ顔を上げた。とりあえず周りの状況を確認する。
その言葉に、一緒にいた男子連中もぴたりと動きを止めていた。ただ頭は上げず、あくまでも勉強しているオーラを放っている。聞き耳を立てていることは丸わかり。
綾川だけが好奇心に目を輝かせて、俺のことを見ていた。瞳は大きく見開いている。不破とは違う釣り目で、顔立ちは所謂猫顔。
俺は思わず言葉を失ってしまった。それがあまりにも唐突過ぎて。どうしていきなりこんなことを言ってくるのだろう。
彼女に躊躇った様子はない。ニコニコして、俺の返答をただひたすらに待っている。俺とは全く親しくないのに、その大胆さにただ舌を巻くばかり。
「ねー、ましばっち。聞いてるの?」
綾川はちょっと怪訝そうに俺の顔を覗き込んでいた。かなり距離感が近い人なんだな。俺のことを、いきなりましばっちって謎のあだ名で呼んできたし。
不破以外の女子がこんなに近くまで迫ったことが久しぶりで、俺は慌てふためきながら身を起こした。緊張に顔を強張らせながら居ずまいを正す。その時に、近くの扉が開いているのが見えた。
「い、いや、聞こえてるけど……なに、いきなり?」
「だってさー、不破ちゃんが教えてくれないから。こうなったら、もう一人の当事者に訊くしかないかなーって。で、二人付き合ってるの?」
彼女は臆することなく再び質問を繰り返した。その目は俺の顔を捉えて離さない。口角が少し上がって、俺が紡ぐ言葉を楽しみにしている。
……またこれか。今日はいったい何なんだろう。朝、不破のお母さんに同じことを訊かれた。どうして誰もかれもすぐに恋愛と結び付けたがるのか。俺にはよくわからない、
「友達だよ」
不破母に向けたのと同様の答えをぶっきらぼうに返す。
「そもそも、どうしてそんなことを言いだしたのさ」
「だって二人、とても仲良しじゃん。一緒に登校してるでしょ。二人が自転車漕いでるの見たって子、いるし。それに放課後もいっつもこうして勉強してるしさー」
周りにそこまで気づかれていたとは……。転校生だが、すでに地味キャラとして定着した俺のことなんて誰も気にしてないと思ってた。
いや、この場合は不破が興味を惹いているのか。明るい茶髪という見た目、やや素行不良……悪目立ちはするだろうけど。
だからと言って、そんな噂になるだろうか、普通。……いや、高校生を舐めちゃいけない。誰と誰が付き合ってるなんて、格好の話のネタだ。俺は気にしたことはまるでないけど。
「朝は起こしに行ってるだけだよ、彼女遅刻が多いから。それと、放課後こうして勉強してるのは成績が心配だから」
その返答に、ずっと微動だにしていなかった男たち二人も顔を上げた。片や、それはまずいといった表情で首を横に振って。もう一方は驚きに目を丸くし唖然としている。
「あ、なるほど。だから最近不破ちゃん、遅刻しないんだ!」
綾川は納得がいったように何度も頷いている。
「でもさ、どうしてそこまでするの? 第一、ましばっち、転校してきたばかりじゃん。いつの間に、そんんなに仲良くなったの?」
「そうだぞ、真柴! それは俺も気になっていた」
なぜかここぞとばかりに顔を突っ込んでくる戸田。ううん、面倒くさくなってきた。
俺は手短に、不破との関係について説明した。昔この街に住んでいたこと。そして、転校してきたら偶然再会したこと。
「えーそれってすごくない? 運命ってやつじゃん」
「運命って、そんな、大げさな……」
「それで二人の愛が盛り上がったわけか。なっとく、なっとく」
「だから、愛なんかじゃ……そもそも、あの頃から友達でしかないってば」
勝手な結論に至る綾川に慌てて反論する。この人、どうしても俺と不破がそういう関係だと思いたいらしい。はた迷惑な話だ。
「ほんと? ただの友達にどうしてそこまでできるの? 勉強はまだしも、朝起こしに行くのって完全に手間じゃん。ましばっちの家、この近所でしょ」
「……なぜそれを」
「へ? キミが教えてくれたんじゃない。転校初日に。覚えてないの?」
彼女は少し驚いた顔をして首を傾げた。
うっすらと誰かにどこに住んでるのか、聞かれた記憶はあるけれど。そっか、その時に綾川がその場にいたのか。納得がいった。
「ほんとは好きなんでしょ、不破ちゃんのこと」
「いや、好きとかそんなんじゃ……。ただ昔のよしみで気にかけてるだけだよ」
「昔のよしみ、ねえ。それじゃ、小学校の頃からなんとも思ってなかったんだ?」
……うーん、ぐいぐいくるなぁ。そんなに俺と不破の関係が気になるかね。正直、だいぶ困惑していた。
本音を言えば、気になってなかったといえば嘘になる。俺はいつからか、きっちりのことを意識していた。そして、不破となってからもそれはあんまり変わっていない。
でもそんなことを言えるはずもなくて――
「そうだよ、俺は別に不破のことなんて、昔っから特別な感情を持ったことはない。こうして面倒を見るのは、昔の友達が放っておけなかっただけさ」
強めに告げる。それはこの場限りの誤魔化しだった。そうすれば、さすがの綾川も引くだろうって、そう思ってた。彼女にしつこさに少しうんざりしていた。
もし彼女がこの場にいたら違う答えを返していただろう。あるいは、なんとかはぐらかしにかかった。しかし、見栄とか、プライドとかそんなくだらないものが、俺の中で幅を利かせてしまった。
でも、それは間違いだったとすぐに気が付いた。
「あれー? 不破ちゃん、どうしたのこんなところで?」
廊下から、女子の声がした。すぐ近くの教室後方扉の方から。そんなに大きくない声だったけど、ドアが開いているからか、はっきりと聞こえてきた。
――ほどなくして、不破は現れた。その顔は恐ろしいまでに無表情。そのまま静かにこちらに近づいてくる。
俺たち四人は誰もが言葉を呑んでいた。みんな、気まずそうな顔をしている。彼女の発する雰囲気に、そのタイミングの悪さに、ただただ閉口することしかできなかったのだ。
「あたし、帰るね」
ぞっとするような冷たい一言。彼女がそんな風に言葉を発することがあるということを、今俺は初めて知った。
そのまま鞄を掴んで、教室を出て行く。そのどこまでも落ち着き払った仕草には有無を言わさない迫力があった。
俺はただただその姿を見送ることしかできないでいた――
ちょっと短いですが、どうしてもここで切りたかったので。
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