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第十九話 成績向上作戦 そのに

 俺たち三人は教室の適当なところにそれぞれ座った。教えやすいように、俺が前の席。二人は一つ後ろに並んで座ってもらう。

 他に生徒の姿はない。教室内はすごく静か。グラウンドも反対の向きだから、ここまで外の部活動の賑やかさは届かない。強いてあげるとすれば、楽器の音くらいだろうか。


「それで今日はどの科目をやる?」

 俺は交互に友人たちの顔を見やった。

「俺は、英語いいか? 表現の方な。不定詞がいまいちわからんくて」

「オッケー。不破は?」

「何でもいいですよ~、あたしは――った! 頭、はたかないでよ。馬鹿になる!」


 彼女はわざとらしい感じに、頭のてっぺん辺りを押さえた。そして、唇を尖らせて、隣の友人のことを睨む。まあ、彼の方は薄く笑って、全く取り合っていないけど。


「もう馬鹿だから安心しろ。ったく、何でもいいって……少しは自分の立場を弁えろっての。そろそろ、真柴もキレるぞ」

「まあまあ河崎。俺はそんなことじゃ怒んないから大丈夫だよ。――じゃあ、不破。数学をやろう。前回、一番悪かっただろ?」

「はいはーい。教科書を出せばよろしいかしら?」

「数1の方な」


 すると、彼女はなぜか得意げな顔をして自分の鞄を漁り始める。


 数学1のテスト範囲は、昨日見せてもらった中間テストの問題から察するに、二次不等式以降から三角比までだろう。今日は後者をやろうと思っていた。授業でも現在進行中だし。それに前者に比べれば、対策はしやすいと思った。主要角の三角比の値と公式を暗記できれば、基礎問題はなんとかなるだろう。そういう算段である。

 もちろん、数学Aの方もあるので、あまり時間はかけてられない。今日の目標はそれなりに目途をつけること。俺もしっかり頑張らないと……改めて気合を入れ直す。


 ――ということで、河崎の前には『英語表現』のワーク。そして、不破の前には『数学Ⅰ』の教科書がそれぞれ召喚された。俺の傍らにはルーズリーフの束と筆記用具。


「じゃあ、各自進めていってくれ。何かわからないことがあったら、遠慮なく聞いて欲しい」

「おう」

「りょーかーい」


 意気揚々とシャーペンを走らせていく河崎。見た目はあんまり勉強しない感じなのに、案外そうでもないのかもしれない。

 対照的に、不破はただ教科書を眺めているだけ。まったく手を動かそうとしない。読み込んでいるだけならば、なにも口出しはしないんだが――


「ねえ大翔くん。そもそも三角比って何?」


 それは最も初歩だが、最も本質をついていると言ってもよかった。そのため、俺はつい答えに窮してしまう。……いったいどう説明したらいいものか。

 悩みながらも、俺は一枚紙を取り出して、そこに大きく一つの直角三角形を描いた。そして、直角じゃない二つのうちの一つにαと記号を振ってやる。


「不破、斜辺ってわかるか?」

 ぶんぶんと、勢いよく首を横に振られた。前途多難だ。

「直角はわかる?」

 こくりこくりと、二回首を縦に振ってくれた。少し光明が見えてきた。


 俺は、自作の直角三角形に直角を表す記号を入れる。一応補足として、90°とその近くに書いておいた。そして、その角を成していない辺をコツコツとペン先で叩く。


「これが斜辺。直角に向かい合う辺のことをいう」

「ほうほう、斜辺……」

「中学でも習うぞ? ていうか、一緒に習った」

 いつの間にか、河崎も俺の説明を聞いていた。

「で、斜辺の両端に角があるよね。今そのうちの一つをαとしてるわけだけど……」

()()じゃないんだ、これ!」

 

 不破はとても驚いているようだった。あまりの衝撃に目を丸くしている。


 こいつどうやって二次関数を乗り切ったんだ……? いや、乗り切ってないのか。俺は呆気に取られて、つい手を止めてしまう。これは、二次不等式は地獄かもしれない。先のことを考えると、少しだけ気が重たくなった。


「どーかした?」

 俺が黙っていたのが気になったらしい。不破はちょこんと首を傾げた。

「い、いや……続けるよ。三角形の辺の数は当然三本だよな?」

「もしかしたら四本のもあるかもよ、大翔くん。常識は疑ってかかるべし、だよ!」


 ――もはや、俺は言葉を失くした。ひたすらに、目を白黒させて、目の前の少女の顔を見つめるばかり。しかし、そこにあるのは至極真剣そうな表情だけ。


「四本あったら、四角形だろうが、バカ」

「バカっていう方がバカよ、バカ!」

「結局、お前もバカって言ってんじゃねえか……」

「やめてくれ、二人とも。バカってのが、ゲシュタルト崩壊するから」


 よくわからない議論に発展しそうだから、慌てて止めた。俺は少しも気を抜くことは許されないらしい。難儀なものだ。

 しかし、まあ素直なもので、二人はちゃんと黙ってくれた。そして俺の方を見る。しかし、不破は何かが腑に落ちないらしく――


「シュークリーム崩壊?」

「さて、どこに伸ばし棒が入ってたかな……」


 と、こんな感じに話は一向に進まないわけで。これは相当骨が折れるぞ。俺は改めて、不破の面倒を見るのに強い覚悟がいることを思い知らされるのだった。





    *





「サイン、コサイン、タンジェント……サイン、コサイン、タンジェント……」


 呪文のような、不破の低い呟きが断続的に教室に響き渡っていた。彼女は必死に手元の教科書の文字を目で追っている。

 その横では、河崎が黙々と英語の問題を解いていた。俺もまた物理の演習問題に取り組んでいたんだが――


 ばしん! 河崎がちょっと乱暴にシャーペンを置いた。


「だーもー、うっせーな、お前!」

「サイン、コサイン、タイン……もう、河崎のせいでわけわかんなくなったじゃない!」


 不破もまたやるべきことを進める手を止めて、応戦する。穏やかな学習の時間はあっという間に崩れ去った。二人はまさに一触即発の雰囲気である。

 俺もまたワークを閉じて、ため息をついた。二人の顔を順番に見ていく。両者ともにむすっとした表情をしていた。


 あれから二時間ほど経った。そろそろ、下校時間――十八時が近づいている。窓から差し込む光の色もさすがに変わっている。


 河崎の方はすこぶる順調。不定詞の内容は大体頭に入ったといってもいい。もともと、わかってなかった部分も少なかったのもあったし。

 問題は、不破の方だ。とりあえず概念は少しは理解できたものの、未だにどれがどれだかごっちゃになっているらしい。もちろん主要角の暗記など、夢のまた夢。


「落ち着いてくれよ、二人とも。ほら、もう時間もあんまりないし」

「だが、真柴よ。そんなお経のように繰り返されたら、誰だって集中力が削がれるって」

「確かに。もうちょっと、何とかならないかな、不破?」

「しょうがないでしょ、こうでもしないと覚えらんないんだから~。河崎が耳栓でもすればいいのよ」

「……ええと、もちろん河崎は我慢の――」

「限界だから、怒ってんだろ! ったく、真柴はどっちの味方なんだよ」

「そうよ、そうよ! この優柔不断のダメ男!」


 えぇ……そこまで言われるのか……。呆れて言葉が出なかった。俺はそのまま腕組みをして黙り込む。


 静寂が訪れた。窓の外から聞こえてくるのは、車が通る音や、カラスの間の抜けた鳴き声。廊下から聞こえてくるのは、吹奏楽部の楽器の練習の音。人の話し声だけがない。俺たちはただ互いに互いを睨みあっていた。

 やがて―― 


「……ぷっ、あはは、もうだめ! 河崎の真面目な顔見てたら耐えられなくなっちゃった」

「なんで俺なんだよ! 真柴だって、同じ様な顔してるじゃねえか」

「いや、大翔くんはいつもそんな顔してるからねー」

「どんな顔だよ、まったく……」


 突然笑い出した不破につられて、俺たちもしょうがないなという風に口の端を緩める。あの険悪な雰囲気はすっかりどこかに行っていた。元々、そんな本気だったわけでもないし。


「あーあ、集中力切れちゃった~」

「ここまで持ってたのが不思議でしょうがないけどな」

「一言多いよ!」

「じゃあ終わろうか、今日のところは」


 反対する者は誰もいなかった。それで、のろのろと片づけを始める。どうせ、残り時間は少ないし、初日から根詰めても仕方ないから、タイミングが良かった。


「とりあえず、家でも頑張ってくれよ、不破。これじゃ、また赤点が待っている」

「はいはい、頑張りますよー。ま、正直なところ、以前よりは少しはわかったかな。ちょっとはやる気出てきたかも!」

「なあ、真柴。こうこいつが張り切っていると……」

「うん、ものすごく不安だ」

 

 昨日の一件を思い出す。あれで、俺の中の不破への信頼度は急転直下。株価大暴落。この土日のことがとても気掛かりである。


「なによ、二人して~」

「いや、心配なんだって、不破のことが……。明日から休みだしさ」

「じゃあ、勉強会する? あたしん家で」


 それは全く思いもよらない提案だった。しかし、確かに名案に思えるのでもあった――


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