第十一話 早起きキャンペーン そのいち
「おはよ~」
「ああ、おはよう」
一つ大きく欠伸をしながら、リビングに入った。母さんがキッチンで忙しなく動いている。まだ、親父の姿はない。そして、テーブルの上にはぽつりと弁当袋。
とりあえず、俺はいつもの場所に座った。ぼんやりとテレビに目を向ける。全国ネットの朝の情報番組をやっていた。
「もうちょーっと待っててね」
「悪いな、母さん。普段より早くて」
「いいのよ。どうせ、あんたとお父さんの弁当作るのに早起きしてるから変わんないわよ」
今日からまた新しい一週間が始まる。一般的には日曜日が週の初めらしいが、学生にとっちゃ月曜日を基準に考えた方が楽なので俺は考えてる。普通の会社員も同じだと思うけど。
いよいよ、不破更生作戦が幕を開ける。記念すべき初日、ここで躓くわけにはいかない。それでいつもより三十分早く家を出ることに。
やがて、リビングにいい匂いが充満してきた。反射的に、より強く空腹感を覚える。うちは和食党なので、基本的な朝食の形としては、ごはん、味噌汁、魚の切り身を焼いたもの、漬物……母が料理上手で料理好きなのが身に染みる今日この頃。幼い頃は、これが当たり前だと思ってしまっていた。
「あんたも真面目ね~。わざわざ学校に早く行こうだなんて。私には信じられないわ」
母さんがおどけながら、朝飯を机に並べてくれた。
それを黙殺して、代わりにいただきますのあいさつをしてから手を付け始める。
家を早く出る本当の理由を、母さんに教えなかったのはなんとなく気恥ずかしかったから。クラスに小学校の同級生がいて、朝迎えに行くことになった……別に両親との仲は悪くはないが、そんなことを説明して突っ込まれるのがちょっと嫌だった。
学校はどう、友達出来た、ちゃんと勉強してんの――珍しく、母は俺を質問攻めしてくる。話し相手がいないから、というのが主な理由だろ。早く起きてきてくれないかな、親父……。
ユウはまだ夢の中だろう。執筆活動がはかどっている時期はあいつ、昼夜逆転しがちだ。身体に悪いと思うけど、本人も自覚はあるみたいだし難しいところだ。
「ごちそうさまでした。じゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃ~い」
普段より、急いで食べた気がするが、食事も終了。弁当を持って、そのままリビングを出た。玄関口に、鞄は用意してある。
「にぃ、今日は早いんだね……」
靴を履いていると、後ろから妹の眠そうな声がした。振り向くと、半目で欠伸を繰り返すぼんやりとした雰囲気の彼女がいた。自らのは部屋の扉から、顔だけ突き出している。
「起きてたのか?」
言いながら、愚問だなと思った。
「起きたところ」
そうだろうとも。パジャマ姿だし、見るからにうとうとしているし。
「にっちょく?」
「今日から早めに行こうかな、と思ってな」
「へ~、がんばるね~」
ふぁああ、ユウは一際大きな欠伸をした。
「お帰りは何時?」
「さあ、どうだろうな。友達次第だ」
吐き捨てるように行って、俺は前を向く。しっかりと靴紐は締まってる。
そして勢いよく立ち上がり――
「行ってきます!」
誰からも返事はなかった。リビングには届かなかったろうし、きっとユウはすぐに部屋に引っ込んだに違いない。とても眠そうだったしな。
ブレザーのポケットに入れた自転車の鍵の感触を確かめながら、俺は玄関を開けた。
*
問題の人物の家は、自転車で十分くらいのところにあった。そこから、学校までだと少しは短くなるか。
二階建ての築年数がちょっといってそうなアパート。上の階の一番奥が、彼女の部屋だった。
扉の前に立ち、呼び鈴を押す……俺は少し躊躇っていた。ちゃんと、あいつは家の人に話を通してるんだろうか。出てきたお母さんとかに、あなただれ? とか言われたら結構しんどいんだけど……
とまあ、あれやこれやと考えるのも不審すぎ。先ほど、二軒隣から中学生らしき女の子が出てきて、訝しむような視線をぶつけられたばかりだ。
ピンポーン――
意を決して、俺はボタンを押した。途端、中からバタバタと騒がしい音が聞こえてくる。
ガチャリ――
「あのどちら様でしょうか?」
現れたのは、これまた怪訝そうな顔をしたお母さまらしきショートカットの女性。扉をちょっとだけ開けて、顔だけこちらに覗かせている。
うちの母親よりも少し若く見えた。彼女のあのタレ目はこの人由来なのだろう。目元はとてもそっくりで。その声は不信感でいっぱいだ。
「ええと、不破……じゃなかった、智里さんと同じクラスの真柴大翔って言います。彼女に頼まれて迎えに――」
「ああ! 大翔くん! 大きくなったわね~」
彼女の顔がパーっと明るくなった。途端、ドアが大きく開いて、その全身が露になる。
びしっとしたスーツ姿。これまた、主婦然とした、うちの母親とは大違い。
その親しげな口調で、俺も思い出した。何度か会ったことがある。授業参観とかで。二言、三言、会話をした覚えもあった。内容はすっからからんだけも。
「ともちゃんから話は聞いてるわ。あの娘の遅刻癖を直してくれるとか。あのいい加減さには、わたしも参っててね~」
「まあ、はい……」
テンション高いな。捲し立てるように話すところも、不破そっくり……いや、あいつが母親に似てるのか。
ちょっと俺はその勢いに圧されていた。つい、どぎまぎしてしまう。
「まあとにかく上がってちょうだい。狭いところですけれど」
「失礼します」
とりあえず、無事に部屋に入ることは成功。今度は靴脱ぎのところで佇むことに。当たり前だが、よその家の臭いがする。
「さあ、ほら入って、入って」
「いや、智里さんを呼んでもらえれば……」
「わたしじゃダメなのよ。ほら、いいから!」
グイっと腕を引っ張られたので、観念して上がり込むことにした。靴を脱いで、フローリングに足を突く。
そして、お母様はすぐ近くの右のところにあった扉を叩いた。そこがあいつの部屋らしい。
「ともりっ! ほら、大翔くん!」
少し大きな声で叫ぶ。しかし、返事はない。
「ね?」
「は、はあ……」
「ほら、大翔くんも」
未だに気が退けながらも、彼女のマネをする。
「不破! 迎えに来たぞ。起きろ!」
………………瞬間訪れる静寂。中からは物音一つしない。
これは相当手ごわそうだ。腕時計を確認したところ、今は七時五十分。あと十分以内に何とかできなければ、遅刻は必至。
「もうっ、あの娘ったら! 中、入るわよー」
するとしびれを切らしたのか、お母様はその扉を開いた。鍵なんてついていないらしく、すぐに彼女の部屋の様子が明らかになる。
俺はいきなりのことで唖然とした。いいのだろうか、今横に俺がいるのに。
そのままずんずんと中に入っていく。
「ほら、大翔くんも」
「……いいんですか?」
「あの娘が悪い。ちょっと……いえ、かなり散らかってるけど」
彼女は不機嫌そうな顔をして首を左右に振った。
確かに、床には脱ぎ散らかした洋服や、漫画、小説が散らばっている。後は謎の小物類。そんなに広くない部屋には一般的な家具の数々。窓際の机の上は、その役割を果たせそうに無さそうである。
慎重に進みながら、ベッドに近づく。不破は気持ちよさそうな顔で眠っている。全く目覚めそうな気配はない。
「ほら、ともり。おきなさ~い」
「ううん、あとさんじかん……」
身体を揺するお母様。さすがにちょっと反応があった。
「長すぎだろ! 不破、学校!」
「あれ……どうして、ひろとくんの…………!?」
俺が声をかけると、彼女は飛び起きた。目を大きく見開いて、とてもびっくりしているご様子。やがて、目の焦点があって、俺の姿をはっきりと捉えたらしい。まばたきを数度繰り返すと――
「は、は、早く出て行ってよ~!」
ぼふっ。枕が飛んできた。突然のこと過ぎて、俺には避けることなどできないのであった……。




