第九話 真面目クンの決意
夕食を食べ終えて、リビングで見たいテレビ番組も観終わり、部屋に戻ってきた。とりあえず、宿題と英語の予習を片さなければ。義務感に駆られて、机に向かう。
夜中はユウは自分のやるべきことに夢中。だから、俺もこうして好きなことができる。まるで勉強が好き、みたいな言い方だが、嫌いじゃない。目に見えて、成果がわかりやすいから。
さっそく鞄から筆箱とワーク、それにノートを取り出して机に広げる。しかし、次の行動に移る気分にはなれなかった。
一つ気掛かりなことがあって、すぐに机を離れる。そのまま押し入れの方に近づいた。引っ越しの時の段ボールが少しは残ったまま。普段使わないものは面倒だから、入れっぱなしにしてあった。
さて目当てのものはどの箱だったっけ。きっと使用頻度ランキング最下位クラスだから、かなり奥にあるに違いない。
……はあ。大きくため息をついて肩を落とし首を振る。うんざりしながらも、まずは手前最上段にある段ボールをどかしにかかる。
四つほど、運び出した時にようやく探し物を掘り当てた。しっかりと上面に、小学校の思い出なんていう恥ずかしい言葉が記してある。何を考えてそんなことをしたのか、少し前のことだが全く覚えていない。自分に酔っていた、ということにします。ええ。
早速、中を開いてみた。しっかりと整頓されているため、すぐにそれは見つかった。薄い緑いろの背表紙――卒業アルバムだ。それを持って、俺はベッドにダイブした。
表面には上部にでかでかと校名、中央には学年の集合写真が載っている。少し、胸をどきどきさせながら、まず一枚捲ってみる……こうして、開くのは初めてだった。
もう二度と同級生に会うことはないと思っていた。思い出しても辛くなるだけ、そう思っていたんだけど。
きっちりとの再会を果たしたからか、昔を振り返りたくなってしまったのだ。見ていたテレビ番組が、芸能人の同級生を探す内容だったので、それに触発されたともいえる。
とりあえず、クラスページを開けてみる。一人一人小さな枠が与えられていて、思い思いのプロフィールが書かれている。
自分のものは見ないようにして、きっちりのやつをざっと探し出した。出席番号――つまりは五十音順だから、容易く見つかった。
『将来の夢:お医者さん』
他にもいろいろ書いてあったけど、一際目を惹いたのはその文言だった。あいつ、こんなこと書いていたんだな……。
真面目なあいつは確かにいたんだ。俺の記憶間違いなんかなじゃなく。ここに確かにその証がある。色々なところにその名残があった。
写真のページには、黒髪で活気あふれる彼女の姿があった。脳裏に浮かべるのは、今のあいつの姿。ギャップがありすぎて、とても同一人物に思えない。
複雑な思いを胸に、俺はページを捲っていく。やがて裏表紙にまで達した。本来、何もない余白だったそこには、まあまあの寄せ書きで埋められている。
卒業式後の帰りの会が終わってから、盛り上がったんだっけ。クラスメイトや他クラスの友人に書いてもらったし、俺自身書いた記憶がある。
ぼんやりと、それを眺めていたら――
『三年間一緒に学級委員やってくれてありがとう。とっても頼もしかったよ。中学校に行っても仲良くしようね』
女の子らしい可愛い字。文末にはハートマークと……智里という名前。そして、彼女のメールアドレスっぽい文字列。
そこに、彼女からのメッセージがあることは知らなかった。お互いに書き合ったことは覚えているが、俺の方は、そのまましまい込んだまま。
しばらく愕然としていた。まばたきすらも忘れるくらいに動けずにいた。自分の軽率さをひどく呪う。
ふと思い浮かべる。俺があいつと一緒だったら、どうなっていたんだろう、と。あの頃と同じく真面目でしっかり者の彼女のままでいただろうか?
あるいはこれにもっと早く気が付いていたら……もしかしたら、転校のことを彼女に伝えたかもしれない。今までも、連絡を取り続けていたかもしれない。そしたら、何かが変わっていたかもしれない。
『もうびっくりしたよ~。中学行ったら、大翔くんいないんだもん。みんな、何も知らないっていうしさ。君の家に行ったら、誰もいないし』
今日のファミレスでの一幕。明るい口調だったが、その目は全く笑っていなかったのを思い出す。どことなく批難しているように感じたのは、俺自身が後ろめたさを覚えているからと思ったが。
これを見た後なら、彼女のその時の気持ちが少しはわかる気がした。楽しみにしていてくれたのだろう、心の底から。俺と同じクラスになれることとか、中学生活を過ごせることとかを。
それを俺は……
しかし、それはどうしようもならない後悔だ。どんなに悔いたところで、過去は決して変わらない。今も決して変わらない。
それに、彼女に何かしてあげたなんて、思い上がりも甚だしい。他人の事情に口を出すなんて、ろくなことにならないのを俺は知っている。
それでも――
『ダメだよ、遅刻しちゃ! だらしない大人になっちゃうよ!』
遅刻がちなクラスメイトにあいつはそんな風に怒っていた。今思えば、まあとんだお節介だけど。でも、彼女は親切心から言っていて、その彼も心なしか遅刻は減った気がする。
……いいはずがない。今の彼女を放っておけない。憧れだった少女が、暗黒面に与したことを黙って見過ごすことは、俺にはできない。
「大翔~、お風呂湧いたから入っちゃいなさい!」
扉越しに、母さんの声が聞こえてきた。俺は、とんでもない覚悟を胸に、浴室へと向かった。
*
翌日。二時間目の後の休み時間。退屈な時間から解き放たれたクラスメイトたちはいつも通り賑やかで。
「ああ、そういうことか。ありがとう、真柴。助かったぜ」
「どういたしまして」
今終わったのは、化学基礎の授業だった。その中身について話してたら、河崎がわからない所を訊いてきた。
今までも度々そういうことはあったので、人に説明するのは少し慣れていた。今回も、無事に彼の質問を解消することができたらしい。
その流れで、昨日のテレビの話をしていたところ――
「おはよう~」
前の扉から堂々とやってきたのは、きっちり改め不破智里。軽やかに同級生とあいさつを交わしながら、こちらに歩いてくる。
「おはよー、大翔くん」
「ああ、おはよう、不破」
「おい、俺は!?」
「あら、いたのね? 気がつかなかった~、オホホホ」
中学からの同級生をぞんざいに扱いながら、彼女は自分の席に座った。
「ちゃんと来はしたんだな。今日も、立派に遅刻だけど」
「これでも頑張ったほーよ。ふぁああ~」
寝不足なのか、気の抜けた欠伸がその口から漏れた。ぎゅっと目を閉じると、小刻みに頭を振った。なにかの花みたいな甘い香りが辺りに広がった。そのまま気怠そうに授業道具を机の中に詰めていく。
その姿を見て、改めて覚悟が決まった。ちゃんと言わなくちゃ、そう思ってしっかり彼女のことを見据える。
「どうかしたの、大翔くん?」
俺の様子が違うのに気付いたのか、彼女もまたこちらの方に顔を向けた。
「不破、余計なお世話だってのは、わかってる。でも、俺にはこのまま見ていることはできないよ!」
「え、なにいきなり? どうしたの?」
「俺はお前を真人間に引き戻す!」
ばんと机に手をついて、少しだけ身を乗り出した。それは昨日の夜、部屋で決意した心からの想い。
しかし、彼女は事態が呑み込めないのか。まばたきを繰り返して、不思議そうな顔で首を左右交互に傾けるのだった―




