猫獣人のコスプレをしました
猫々専科の社長甜瓜が手配してくれた猫獣人のニオとの待ち合わせは、広場の噴水の前だった。甜瓜による女子ウケする演出である。定番を通り越してダサすぎる気がするし、そもそももてなされるのは佑真なのだから女子ウケも何もないと思うのだが、歓ぶ女の子の顔を見て「よしっ!」とガッツポーズをするのが男子の本懐というものだそうだ。
噴水は何段もの平べったい石のオブジェのような物が積み重なったてっぺんから水が流れ落ちる形の、日本の公園にあってもおかしくないデザインだ。
(噴水ってモーターで水を汲み上げるんじゃなかったっけ?)
電気関係は被召喚者が持ち込んでいるらしいが、噴水に回せるほど電力に余裕があるとも思えない。だがよく考えれば地球でも古代から噴水はあったはずだし、それは水圧の差を利用したものだったはずだ。よく知らないが。いや、召喚魔法があるのだから、噴水魔法なんてのもあるのかもしれない。
朝食の時間はとうに過ぎたが、昼食にはまだ早い午前中。のんびりした空気が漂っている時間帯だ。広場を行き交う人々は、仕事に向かう早足ではなく、散策を愉しむ足取りだ。
そのゆったりした動きの中から、二つの影が佑真に向かって駆け出してきた。
「おっちゃーん!」
「痛てて、ネウちゃん、止めてくれ! お願いだから!」
走ってきた勢いで背中に登ろうとするネウの爪が膝に腕に突き刺さる。佑真は身をよじってネウを支えながら、もうひとりの影に笑いかけた。
「えっとニオちゃん……だよね?」
「そうだよ。おはよう」
「へぇ、見違えたよ。可愛いな」
昨日と違ってニオは人間型で、猫の特徴は頬の辺りで切り揃えたミルクティー色の髪の間から飛び出した三角猫耳と尻尾に表れているだけだ。昨日着ていたサーモンピンクのキャミソールに明るいデニムのショートパンツと些か季節外れの感もあるが、元がもふもふ毛皮だから寒くないのかもしれない。いや、もふもふでも猫は陽の当たる縁側やコタツで丸くなるものだが。
ショートパンツの後ろの穴から出された猫尻尾は髪や耳と同系の薄茶と白の縞々で、左の膝にくるんとしがみつくように巻き付いている。剥き出しの素肌は元が茶トラだからか薄っすらと小麦色だ。
出窓で見たような深窓のお嬢様感は薄れたが、睫毛の長い切れ長の目を眠そうに細めた顔貌は綺麗系の美形だ。整いすぎて逆に中性的に見えなくもない。
「にぃちゃん、これ脱ぎたい」
肩に跨がろうとするネウの腕と腰を捕まえて地面へと下ろす。こちらも人間型、幼女の姿形をしている。色合いはニオと似ているが、やや濃い目。尻尾はニオと比べるとやや短め。昨日と同じく、黄色のワンピースの裾の下で勢い良く揺れている。が、今日はちゃんとかぼちゃパンツを履いているので、大事な所が見えてしまいそうという事態には陥っていない。
「駄目だよ、ネウちゃん」
そういえば猫の尻尾振りは、犬と違って不機嫌の徴候だった。ご機嫌猫の尻尾はピンと立っているものだ。そう思って見ると、膝に巻き付けられたニオの尻尾も、緊張の塊にしか見えなくなってくる。
ニオの動作は、ひょこり、ひょこりと、どこかぎごちない。ネウは、ばりばりと襟ぐりや袖口を掻きまくっている。
(そうか、服を着せられた猫とおんなじなんだ……)
動画や写真を撮るために季節のイベント毎に着飾らされた猫たちの、不機嫌かつ不自然で哀れな顔つきを佑真は思い出した。
「そんなに着心地が悪いなら、無理して人間型にならなくてもいいよ」
「ほんと?!」
「やったにゃ!!」
間髪を入れずに歓喜するニオとネウ。「本当にいいの?」と遠慮してみせることすらしないところが流石は猫というか猫獣人だと苦笑させられた佑真。
この後佑真は、その場で服を脱ぎ捨てようとするのを懸命に止めながら、どうにかこうにか着衣のままで猫獣人コンビを猫々専科へと連れ帰ったのだった。
☆★☆★☆★
「本当にニオでよろしいんですか?」
猫々専科の甜瓜は、佑真に対して平謝りに謝ってくれた。曰く、顧客=被召喚者の希望に沿った姿をさせるのは当然のこと。できないなら他の猫獣人に変えるのは問題ない。もっとランクが上、すなわち美形度が高く性格の良い猫獣人をつける。この際、お詫びに何人でもつける。なんなら、定期召喚で来るたびに、好きな猫獣人を何人でも選ばせる――だそうだ。
「定期召喚って……?」
「うちは猫獣人専門店ですから、是非とも猫グッズを定期的に入手したいな、と」
商人の矜恃として詫びていたのかと思えば、それだけではなかったようである。定期的に召喚されるというのは少々引っかかるが、日本円で支払いがされるのであれば考えてもいいか、などと佑真も腹の中では思っている。
だが佑真にとって、目下の問題はそれではない。
「……これは何?」
「……猫の擬態?」
「猫獣人っぽい?」
「にゃんこ!」
甜瓜と、二足歩行猫の姿に戻ったニオとネウの首が、シンクロしてくるんと傾げられる。その視線の先は佑真の頭の上だ。甜瓜に売り払った中のひとつである猫耳カチューシャを佑真は無理矢理被らされたのだ。服も着替えさせられて、上は雉猫色の薄手のセーター、下は猫っぽい手触りの起毛素材のズボンだ。電動で動く尻尾は全力で拒否したが、代わりにゴム製の肉球型滑り止めのついたソックスを履かされ、手袋も強制的に持たされている。
ニオが気に入ったのでチェンジはしない、服を着るのが嫌なら猫の姿のままでいい、そう告げた途端にこの有り様である。ありったけの恨めしさを込めて、佑真は甜瓜たちを睨む。
「せっかくですから、盛谷さん、猫獣人として一日を過ごしてみるのはいかがですか?」
相変わらず眠そうな目をしたニオの口元は、むにっと柔らかな笑みを浮かべていた。ネウはといえば、服を脱ぎ捨て元気が増したのか、大きく見開いた丸い瞳がきらっきらに光っている。
「うーん、どうしようかなあ……」
迷うような口振りをしながらも、猫の扮装をさせられた佑真には、既に断るという選択肢は存在しなかった。
☆★☆★☆★
「あらニオちゃん、今日はちっちゃいお友達と……おっきいお友達も一緒なのね」
「うん。ネウとユウマだよ」
三人して猫々専科を出ると、ニオはすぐに三軒ほど先にあるパン屋へと向かった。いったい何をしに、と疑問に思った佑真だが、取り敢えずニオに従うように甜瓜に言い含められたこともあり、黙ってネウに続いて店へと入る。
親しげにニオに話しかける店主は、愛想のいいおばちゃんだった。現地人らしく髪の色は目にも鮮やかなスカイブルー、若い頃はさぞかし美人だった――かどうかは、わからない。
おばちゃんは、にこにことしながら店の奥から持ってきた紙袋をニオとネウに差し出す。
初めこそ佑真に不審そうな目を向けた店主だったが、ニオが友人だというと一転、にこやかな笑顔を向けてきた。当然のように佑真にも手渡された紙袋の中身は、サンドイッチ用の食パンだった。
「……これは?」
「朝ごはんよ、ニオちゃんたちは毎朝うちで朝ごはんを食べるのさ。あ、ククさん、卵、おまけしてあげて」
おばちゃんに促されて、店の奥から赤い鶏冠を生やした店員がボウルを持って出てくる。ニオとネウがサンドイッチ用のパンをひと切れ差し出すと、その上にたっぷりの卵サラダを乗せる。
「ほれ、あんたも、パンを出しな」
鶏の獣人(鳥人?)は、男か女かよくわからない甲高い声をしていた。佑真も慌てて同じようにパンを出して、卵サンドを仕上げてもらう。
その間に、店主のおばちゃんはニオとネウを交互にモフっていた。ニオはいつもの半眼よりもさらに細くうっとりと目を閉じ、ネウは喉を地響きのようにゴロゴロと鳴らしている。
一頻り撫で終わると、おばちゃんの視線がちらりと佑真のほうへと向いた。思わず後退りしそうになるのが、佑真は必死に踏み止まる。
「あんたは勘弁だよ。さ、行った行った」
おばちゃんに撫でられるのは願い下げだったが、タダで食べ物を貰うわけにもいかない。佑真は慌てて甜瓜に両替してもらった現地通貨の入った財布を取り出したが、おばちゃんは知らん顔をすると「しっしっ!」と野良猫でも追い払うような手付きをした。
ニオとネウは幸せそうに紙袋を抱えて店を出て行く。店主のおばちゃんと店員のククさんとやらに向かって一礼をし、佑真も慌てて後を追った。
次に寄ったのは、産地直送を謳った肉屋だった。自家製とは違うが、各地の農場や牧場の名産品を販売しているらしい。
「ほれよ、うちの農場でイチオシのポークハムだ」
「こっちはうちの牧場からできたてを持ってきたばかりのローストビーフだよ」
ほんのりピンク色に染まった頬の豚獣人と角を生やした牛獣人が、競うようにして佑真たちの持つパンに肉系の具材を挟んでくれる。
鶏人に卵料理を出されたときには気づかないフリをしていたが、豚獣人や牛獣人の出す肉料理となると戸惑いを覚える。獣人である彼らと、家畜である牛や豚とは別の種類の生き物なのだろうか、と。
猫獣人の場合は、人間型や二足歩行型猫の形態の他に、出窓で見たニオ・ネウのような地球人の考える普通の猫の姿がある。牛・豚獣人も同じならば、まさか食用の家畜は、彼らの別の姿なのか? 冷たい汗が一筋、背中を伝い落ちる。
「この肉って、まさか……?」
「本当のこと、言うと思う?」
牛獣人と豚獣人からは「ムッフッフ」とも「ブッフッフ」とも聞こえる含み笑いが返ってきた。
その答に佑真が笑みを引き攣らせている間に、ニオとネウは店の奥から出てきた人間たち――黒髪黒瞳の日本人らしき姿も含む――に、腹や耳を盛大にモフりまくられ、完全降参の腹見せポーズとなっていた。
「あら、タンパク質ばっかりじゃないの。ビタミンも取らなくっちゃ駄目よ」
三軒目の民家では、明らかに被召喚者とわかる女性が三人を出迎えた。当然、佑真が日本人だというのも承知のようで、ビタミン云々もそこから出てきた言葉のようだ。女性は冷蔵庫からいちごのパックを取り出すと、三人に巨大なそれをひと粒ずつくれた。ちなみに冷蔵庫は電気製品ではなく、魔法で動く仕様だそうだ。
ネウはこの女性が大好きなようで、大きさは人間の幼児サイズのまま、四つん這いになって女性の膝の間をぐるぐると歩き回った。ニオも女性の肩口に何度か頭突きをするような仕草をしては、撫で撫でをねだる。
あろうことか、女性は器用な指先を佑真の偽物の猫耳にまで伸ばしてきた。
「どうせ猫の真似するなら、本気でやらなくっちゃ」
優しい笑顔に似合わぬ真摯な声音で女性にそう言われ、佑真は黙って頭を女性の前に出した。女性の指は佑真の偽耳を擽り、そして顎をひと撫でした。