074:乙女はすみやかに帰還する
ポンッと、軽い音がした。
気圧が変化した、空気の壁を破った音だ。
と、ユニスが思った次の瞬間、真正面から、凄まじい風圧がきた。
どこかで甲高い悲鳴があがった。
風圧に押されたユニスは襟首を引っ張られ、背中から誰かにぶつかった。そのクッションになってくれた恩人もろとも後ろ向きに倒れ、柔らかな感触の床を一緒に転がってから、止まった。
「よかった、無事ね。もう、どこにいったのかと、冷や汗を流したわよ。すぐ捕まえられて良かったわ」
横にアイミアが座り込んでいた。
さすがは守護聖都でも屈指の高級ホテルの特別室だ、床に敷き詰められた毛足の長い絨毯のおかげで、ユニスは打ち身もしていない。
ユニスは、アイミアに礼を言いながら起き上がった。異空間に飛ばされる前と同じ場所、同じ空気だ。
綺麗だった室内は、嵐が吹き抜けた後のようにメチャクチャになっていた。
「なにこれ、アイミアさん、なにが起こったの?」
ユニスは絨毯に足を崩して横座りになった。
「あなたを異空間からむりやり引っ張り出した衝撃がこちら側で暴走したのよ。シェインホールがいきなり開いてあなたを吸い込んだから、こっちだって必死で閉じようとして、シェインをぶつけた影響もあるけどね。元凶のキラ・ターナスは少将が拘束したわ、ほら」
アイミアが指す方を見れば、少将と呼ばれた幹部の女性が、絨毯に突っ伏したキラ・ターナス嬢の両腕を背中に回して黒色の鎖の輪で両手首を拘束したところだった。一見、細い腕飾りに見える拘束具は、特殊合金に黒い貴石を嵌め込んだ金属製の細い鎖で、シェイナーの能力を封じる理紋が練り込まれている。
少将に引き起こされたキラ・ターナスが、パッと顔を上げた。
「なによ、どうして、あんな子を守らなくてはいけないの。あんなのがあの御方に近付くなんて、許せないッ。あの方の妻になるのはわたくしよッ!」
キラ・ターナスは、長い髪を振り乱した。ほどけた頭髪はグシャグシャだ。月光石のティアラと銀のヘアネットは、そばの絨毯の上に落ちている。
あの二つを組み合わせて古代理紋を形成するなんて、アイミアでさえ気付かず見逃した。見事な仕掛けだ。稚拙な悪態をわめきちらすキラ・ターナスに作り出せたとは、とても思えない。
ユニスは背筋がゾッとした。
これもサイメス人が仕組んだテロ計画の一端。
サイメスの科学者の悪巧みから生まれた細い糸、それは長く延びて、シャールーン帝国の守護聖都フェルゴモールの奥深くにまで複雑に絡み付き、キラ・ターナスのような深窓の御令嬢にまで繋がっていた。
プリンス直参の七星華乙女会でさえ信頼できないなんて……!?
ユニスは、プリンスが国家権力を濫用してまで対応しなければならない理由が、初めて解った気がした。
「まったくもう、馬鹿なことを言って、どうしょうもないわね。少将、連れて行って」
アイミアは立って指示した。少将はキラ・ターナスを連行してドアを出ていった。すると他の令嬢方も、古参幹部に誘導されて、ぞろぞろ退出していく。
「アイミアさん、あれからどのくらい経ったの?」
そう尋ねた瞬間、ユニスは、目の奥にズキリと痛みが走り、両手で目を覆った。
急に明るい場所へ出たからかしら。
しかし、痛みを感じるのは、眼球ではなく、もっと頭の奥の方だ。痛みは、まるで脳の中心から湧きあがってきたような気がする。
「あなたが消えてからなら、3分と経っていないわよ。何を言って……!?」
言葉を切ったアイミアは、怪訝そうにユニスの顔を見つめた。
「どうしたの、これ……傷、なのかしら? ちょっと動かないで、じっとしていなさい」
アイミアは右手を伸ばし、ユニスの頭頂部へ軽く置いた。
ユニスはホッとして、おとなしく待った。野育ちのシェイナー・ユニスと違い、一流のシェイナーとして学んだアイミアは、治療のシェインにも長けている。
――ズキン。
さっきよりも鋭い痛みが脳点を突き抜け、ユニスは身体を強張らせた。
あきらかに、何かに反応した痛みだ。アイミアがシェインを掛けてきただろうタイミングと一致する。痛くするなんて、酷い。……しかし、治療しているのでなければ、アイミアは何をしているのだ?
「そんな……なんてことなの」
力無い呟きが聞こえ、アイミアの手が頭から離れた。
ユニスは目を覆っていた手をはずした。アイミアがこんな声を出すなんて、さすがに不安が膨らんでくる。
「わたし、どこか変なのかしら。さっきから透視や空間移送のシェインが使えないんだけど、関係あるの?」
ユニスはこわごわ問いかけた。
アイミアは悲痛とも言える面持ちで応えた。
「シェインが部分的に封じられているよ。それも、頑丈な二重のロックが掛けられているわ。強い呪縛のようなものだから、私にはとても解けない。……こんな真似ができるのは……。掛けた本人に解いてもらいなさい。あの方の処へ送ることは出来るから……」




