060:乙女は時空間の改変を望まない
この辺りの遺跡地帯を管理する基地は、湖の対岸にある。
五分後、保安部隊が基地指令官と共にやって来た。
プリンスが基地指令官と話している間に、アイミアと晶斗は、保安部隊を、武器商人が閉じ込められている氷の壁へ案内した。
ユニスは離れた場所から、保安部隊が延々と続く氷壁を破壊するのを眺めていた。武器商人が逃亡すると困るので、氷を形成したシェインは解いていない。今もユニスのシェインの影響下にある氷は、まったく溶けていなかった。
サイメスの武器商人は、氷点下の牢獄から凍える寸前で救出された。
ユニスは、保安部隊が武器商人達を連れて氷壁から離れたのを見届けてから、氷を凍結させていたシェインを解除した。
それから数分後、武器商人達が飛空艇に乗り込んだ時には、森の中にあった巨大な氷壁は、跡形無く溶けていた。
保安部隊の作業を待つ間、アイミアは森の中に隠してある一人用のヴィグを取りに行き、戻ってきた。
「もう一時間もすれば、守護聖都から迎えの飛空艇が参りますわ。ここにいるより、あちらの研究所に戻って待たれてはいかがでしょうか」
アイミアはユニス達がここにいる本当の事情を知らない。プリンスがここにいるのは、あの研究所の視察に来たからだと思っているらしい。
プリンスはうなずき、ユニス達へ「戻りましょう」と短く告げた。
研究所の外観からは、これとわかるような変化は何も見て取れなかった。
表の広場に、ずんぐりしたボディの飛空艇が着陸していた。守護聖都フェルゴモールからの輸送専用機だ。食料や日用品など、必需品の搬入作業をしていた作業員は、プリンスの姿が視界に入るや、慌てて敬礼した。
研究施設内にもプリンスの到着は伝わった。
正面入口が開いて、白い研究衣の人物が出て来た。小柄で、まだ少女のように見える金髪の女性が、まっすぐプリンスの方へやって来た。
「お久しぶりです、宰相閣下。今日も遺跡地帯の視察にいらしたのですか?」
「ええ、ある遺跡の探索にね。彼らが今回の踏破隊メンバーです」
プリンスはユニス達を紹介した。
「ロミ・ルイセです、ここで理紋研究室の主任を勤めています」
ロミは愛想良く微笑んだ。溌剌とした女性だ。その表情は明るく、賢そうな目は知性と自信に輝いている。これがプリンスの前で泣いてばかりいたロミ博士と同一人物なんて信じられなかった。
「ロミ博士、何か困ったことはありませんでしたか」
プリンスは何気ない挨拶の振りをして探りを入れている。たしかに、時空間の改変がありましたか、なんて、訊けるわけがない。
「ええ、ここでの共同研究はすこぶる順調ですわ。どうぞ、こちらへ」
ロミは一行を研究所内に招き入れた。
ユニスは、歩きながら、建物の内装をじっくり眺めた。
この建物のどこかに、ユニス達がタイムスリップする前とは異なった処があるのだろうか。
――――わからない。
ここにあるのは平穏な日常だ。
正面玄関を入ってすぐのホールは、研究員の人々が行き交っている。
ユニスの記憶では、昨日までは誰もいなかった場所だ。
ここが昨日まで無人の廃墟だったなんて、誰も信じないだろう。
ここにいる人々は、時空の改変が行われたことなど知らない。
この研究所では謎の失踪事件など起こらなかった。
ロミの記憶は新しい歴史に塗り変えられている。
この現代に、一万年以上の過去に飛ばされて嘆き悲しんだ者は、いない。
プリンスが姿を見せたことで、ホールには緊張が走った。が、空気が張り詰めたのは一瞬で、すぐ歓迎の雰囲気に変わった。プリンスが時々視察に訪れていたと言った通り、突然の訪問には慣れているようだ。
「ちょっと人が増えましたね」
プリンスが記憶している研究所の風景と違うらしい。ユニスは何か異なっているのか訊きたくなったが、我慢した。
「ええ、先月もサイメスから新たに四十人が来ましたし、学術院から派遣されてくる研究者とも、良好な関係を築いていますわ。宰相閣下が予算を通してくださった御陰で、サイメスから新しい機器が購入できましたし、新しい実験施設の増設も、計画通りに進んでおります」
ロミはスラスラと説明した。時空間が変化する前の過去で、ユニスがプリンスから聞かされた研究者の人数よりかなり多い。この分だと半年前からの大陸間条約は遵守され、二つの文明は平和な外交を進展させているようだ。
ロミは貴賓室に案内しようとしたが、プリンスは公的な訪問ではないからと辞退した。ロミはホールの一角にある自動販売機の前のベンチコーナーへ、一行を案内した。
ユニスは紙コップの紅茶をもらい、ベンチに腰掛けた。
ホールは、プリンスに挨拶しようと出てきた人で賑やかになった。
晶斗は自動販売機の前でアイミアと立ち話をしている。
しばらくして、ユニスの横にプリンスが腰掛けた。その手の紙コップからコーヒーの香りが流れてくる。
ユニスが顔を上げると、プリンスの正面にロミが座っていた。
「どうですか、ここでの生活は? サイメスとの講和条約が締結されて半年になりましたね。あなたがたもそろそろフェルゴモールの街へ出てみても良い頃ですよ」
プリンスが穏やかにロミに話しかけている。
ユニスは静聴することにした。
プリンスとの会話にユニスが参加するのを、プリンスファンのロミは望まないだろう。ユニスはそれを、タイムスリップする前から知っている。
たとえ時空間が改変されようとも、熱狂的なプリンスファンの心を変えるのは、月の欠片を手に入れるよりも難しいだろう。……と、ユニスは考えている。
「そうですわね。私達、サイメスで異端とされていた理紋の研究者も、もう隠れることはありませんものね。でも、もう少し様子を見ますわ。つい先日、空円大使からも同じ内容のお手紙をいただきましたの」
「ほう、あの空円大使から、ですか」
ルーンゴーストに駐在する空円大使は、サイメス政府の代表者だ。任期は三年で新任ながら、ルーンゴースト大陸連合との交渉における全権を委任されている。
「これまでサイメスでは、ルーンゴーストへの亡命者は戸籍を抹消されていましたが、法が改正されたので、帰国するのも此方へ正式に移住届を出すのも自由だそうですわ。ただし、帰還したい科学者は、こちらで学んだ新しい知識と引き替えだそうですけど」
「理律と理紋の研究は、サイメスにとってまったく未知の領域でしょうから。そういえば、理紋の転写の研究はどうです? 科学的な処理方法では、進展はありましたか」
プリンスは、さりげなく話題の方向を切り替えたようだ。
「ええ、サイメスの科学技術による理紋の複製ですわね。ルーンゴーストでは金と銀を使ったシェインによる転写版が一般的だとか。サイメスの技術で理紋を解析するには、画像解析に少し時間がかかりますけど、レーザーを使った最新の彫刻技術で、立体の複製品を作れますから。ここに金属の特殊加工ができる装置が一台ありますわ」
「それは、条約締結前の闇市場のルートで、サイメスから輸入した機械ですね」
闇市場というところをやや強調したプリンスの言葉に、ロミはかなり驚いたようだ。明るい緑の目を大きく瞠り、プリンスを見つめている。
「ええ、一年くらい前に購入を検討して、条約締結会議の直前に届きましたわ」
ロミは、いくつかの数字とユニスにはわからない機械の略称を口にした。ユニスにはさっぱりわからなかったが、プリンスには通じたようだ。
「そうでした、あの頃は、たいへん忙しく過ごしていましたので……」
そこでプリンスは、黙って聞いていたユニスへちょっと笑いかけた。余計なことは言わないように、とプリンスの目が語っている。
――それくらいわかっていますって。わたし達がタイムスリップしていた間の出来事がよくわからない、なんて、どうせ誰も信じてくれないわよ。
ユニスはツンとそっぽを向いた。
ロミの話から、改変した時空間でのおおよその出来事が推測できる。
失踪事件がおこらなかったこの研究所では、ロミ達は穏やかな研究生活に没頭していた。
プリンスが追跡していた古代理紋の複製品は、この研究所に在る特殊な機械で作成された。その機械はプリンスの指示で購入されたものだ。少なくともこの時間軸ではそうなっている。
しかし、そうなると、矛盾が生じる。古代理紋を複製できるような特殊な機械がここにあったなら、プリンスが知らないわけがないのだ。
だが、ユニスの覚えているタイムスリップ前のプリンスは知らなかった。
そのエピソードをともなう時空間が改変されている。
ここは確かに改変後の時空間なのだ。
ユニスはさっきの武器商人が持っていた護符のことを思い出した。
この時空間でも、古代理紋の精巧な複製品は作られた。この研究所の機械を使って複製品を作った者は、この研究所の人間だ。
強盗団『コルセニーの使徒』のメンバーあるいはその犯罪の協力者は、この研究所にいる。
ユニスはホールをぐるりと眺め回した。入口の右横で目を止める。
入った時には気付かなかった内装の一部が、以前とは違う。
博物館で見るような四角いガラスケースが三つ、並んでいた。
展示品があるらしい。
ユニスは妙に気を引かれた。紅茶の紙コップを持ったまま、ガラスケースに歩み寄る。ガラスに手を当てて覗き込んだ。
展示品は、細かい石粒だった。赤や青や緑、綺麗な色石だ。一つ一つは直径が1センチくらいで、中心に丸い穴が開いている。石のビーズだ。
ユニスは、ゾクッと戦慄が走った。
昨日、巨人の村で見た同じ物に間違いない!!




