046:乙女は時の彼方で思い出を抱く
ユニスは両手で耳を塞いだ。
耳の奥で子供の頃の自分が泣いている。
声がかすれて疲れ果てるまで、さほど時間はかからなかったはずだ。
洞の中で小さなマユリカが泣いている。だいじょうぶ、マユリカはかすり傷だ。
二人は助かる。それをユニスは知っている。
ユニスは耳から手を外した。もう鳴き声は聞こえない。一晩にも感じられた時間は、まだ一時間も経っていないのだ。
かたわらの太い木の幹に背中を預ける。全身が気怠かった。手足のエネルギーを抜き取られたようだ。
――目が醒めたら、夢だったらいいのに。
時空間の狂いに翻弄されていることも、自分の人生を決定的に変えてしまった子供時代の思い出も。
目を閉じると、洞の中の様子が視える。
思い出と寸分違わぬその景色。小さな自分の姿まで、鮮明に。
透視しない方がいいと何度も自分に言い聞かせた。でも視えてしまう。集中しなくても聞こえてしまう。
山に入ってから、ユニスのシェインの力は急速に回復していた。
大きな樹の下にあった穴。その入り口は明るく光っていた。五歳の子供は立って入れた。その奥は黒い岩を堀り抜いたような洞が奥へ続いていた。長い年月の間に埃が降り積もった地面は黒く柔らかで、歩くと足跡がくっきり残った。
子供の足で、十数歩は平らだった。
そこから先が急に傾斜しているなんて、足を滑らせるまで、わからなかった。
一歩先でマユリカがつまづいた。
小さなユニスはマユリカを助けようとした。小さい手は同い年の友達の体を支え切れず、身代わりになって傾斜を転がり落ちた。悲鳴を上げて転がった先で、肉眼では見えない門をくぐり抜けた。
止まった直後は、全身を打った痛みとショックで動けなかった。
幸い、大きなケガは無かった。全身の打ち身と数カ所の切り傷だけだ。
小さなユニスは両腕で体を支え起こした。
暗い洞の奥で、何かが淡く光っている。
ユニスは、涙で雲った目を光の方へ凝らす。
「なに、あれ?」
ユニスがあげた小さな声を、門の外にいるマユリカが聞きつけた。
「ユーニス、どこにいるの?」
マユリカが小さなユニスを捜して奥に来ようとしている。ズズッと、坂道をずり下がる音がする。
二人とも、まだ遺跡の知識のない子供だった。危険な遺跡地帯とは縁のない静かな村に、歪んだ空間に通じる入り口があるなどとは、知りもしない。
小さなユニスがくぐった後も、見えない門は開いていた。空中を四角く切り抜いた窓のような門だ。そこからマユリカの顔が覗いた。
「マユはこっち来ちゃだめッ! もどって!」
小さなユニスは怒った。古代理紋の危険は知らなかった。ただ純粋に本能で、危険を察知しただけだった。
マユリカの顔は、すぐに空間の窓から見えなくなった。
ずっと後でユニスは、この時は、ユニスの声に驚いて尻もちをついたと、マユリカ本人から聞かされた。マユリカは斜面を上り、月光の差し込む入り口に戻って座り込んでいたという。小さなユニスの側には行けず、一人で遠くへ離れるのも怖くて、じっとしていたのだと。
セビリスの理紋は強く輝き始めていた。
光が強まるとともに、気温が低下していく。
――急に寒くなった!?
小さなユニスは震えた。
大人のユニスなら、寒くなった理由を知っている。
サンソスの氷狼のような魔物が現れる予兆だ。古代理紋の保管庫を荒らす侵入者を駆逐するために、古代理紋の防御機能が発動した。
小さなユニスは、輝く理紋を見て、必死で考えた。
――なんとかしてこの光を止めなくちゃ。
普通の理紋は、生活の中で常に目にしていた。この光はシェインだとわかっている。小さなユニスの脳の奥で、名状しがたい思考の光が何度もスパークした。
――でも、どうやるの……?
シェインをコントロールする知識はまだ無い頃だ。何もわからないから、小さなユニスは頭の中が真っ白になった。
それは、子供だからこそできた、無邪気な一心の集中だった。目は理紋に固定され、理紋しか見えなかった。幼い脳の真っ白な奥に理紋の光が浸透していく。
何本もの輝く銀の曲線が、複雑に絡み合ったその紋様が、そっくり意識の奥底に焼きつけられ――――。




