038:乙女は古代世界を歩む
遠くに山並みがかすむ。
まさに大自然のただなかだ。
左の方にはゆるやかな川が流れ、翡翠色の湖に流れ込んでいる。
湖の向こうには緑の森が地平線まで広がっていた。
ユニスは、胸の奥が冷たくなった。
時空間の移動現象は、シェインの道具絡みでも起こると聞く。強力な力を持つ理紋などを扱い損ね、その場の空間に歪みを引き起こすのだ。時空間の彼方に遭難する事故は珍しいが、前例はある。
ユニスは、異空間から連れ帰ったロミ・ルイセ博士の言葉を思い出した。
――私たちは、一万二千年以上前、計測できないくらい昔にタイムスリップしていたのです。帰還はあきらめていました――。
ロミを連れ帰った時には、建物の中で接点が特定されていた。プリンスとアイミアは優れたシェイナーだ。晶斗も協力して、空間に干渉できる装置を使い、すぐにユニスを本来あるべき時間に引き戻してくれた。
しかし、それも時空間の歪みの接点が確定されていたからだ。
「どうしょう。あの古代理紋があった遺跡の場所さえわからないなんて……」
戻れない。
シェイナーには自分の居る空間の歪みを矯正する能力が備わっている。自覚無く、歪みや時空間の混乱に巻き込まれることはないと云われていた。
それなのに。
プリンスと晶斗も一緒だったのに。
ユニスは独り、ここへ飛ばされてしまった!
頭の中が真っ白になる。
時空間の果てで独り。何故かシェインも使えない。
動けば良くない事が起こりそうな気がして怖くなる。
この場でじっとして、プリンスや晶斗が捜しに来てくれるのを待つか。
それとも勇気を振り絞って移動するか。
……でも、どこへ行けば良いのだろう。
丘の麓から、細い煙が何本も立ち上っていた。煙一本ずつの間隔は適度に開いている。たぶん、家家の竈の煙だ。人が生活している印。
古代理紋のあった森の近くに、こんな丘や人の住まう村は無かった。
「村があるのなら……シェイナーもいるかしら?」
時空間がずれていても、ここはシャールーン帝国のはずだ。
シャールーン帝国では、古代より各村に必ず一人、村の相談役や賢者や医師としてシェイナーが駐在していた。そういった賢いシェイナーになら、時空間の歪みやユニスのシェインについても相談できる。
――とにかく、あっちへ行ってみよう。
ユニスは丘を降った。
中腹まで降りた時、木木の密生する手前で、銀色が閃いた。
ユニスは目を凝らした。
次の瞬間、ユニスの前に、銀の髪の男が立っていた。
「空間移送してきたのッ!? シェイナー」
ものすごく背が高い人だ。彼の顔を見るのに、ユニスはうんと顔を仰向けた。身長は二メートル以上、いや、三メートル近くあるだろう。均整の取れた体格だ。白い服は動きやすそうな簡素なデザインの上着とズボン、足には動物の革製らしいブーツを履いている。肌色は色素が薄く、青白いほど。銀色の長い髪は首の後ろで一つに束ねられている。ユニスを見下ろす目は、黒い……いや、深い藍色だ。細面の整った顔立ちは、どこかがプリンスを連想させた。その顔の造作はあきらかにシャールーン帝国の民の、民族的特徴を備えている。それも貴族階級に属する人種との類似点が大きく感じられた。
男が口を開いた。
「君は人間だね」
「うそ、しゃべったッ!?」
プリンスを連想させる藍色の瞳を見上げながら、ユニスはへたりこんだ。
白い巨人は少し困ったような優しい表情で、ユニスを見下ろしていた。
「わたしは*****だ」
と、巨人は、名前らしい響きの語を発音した。その名前だろうと思われる単語は、ちゃんと聞き取れたはずなのに、ユニスには記憶の中でさえ再現できなかった。
「あの、わたしは、ユニスです」
「ユニス? それが君の呼び名か」
巨人の唇が、名前を呼ぶところでゆっくりと動いた。
会話するときの唇の動きと音声がずれている。
シェインによる心話だ。ただ、完全には通じていない。
複雑な意味を含む名称や単語は、お互いに共通する知識や認識があってこそ解るもの。発音さえ掴めない巨人特有の単語は、ユニスのシェインを含む能力と理解力の範疇外にある。
ユニスは首を傾げた。今のユニスはシェインを使えない。つまり心話もできない状態だ。彼と意思が通じるのは、彼がシェインで一方的にユニスへ心話を送信しているからだ。
――この人は、すごく強いシェイナーなんだわ。
「わたしの村へ行こう。人間の住む集落は、ここから遠く離れている。君の足では今日中には行けないよ」
白い巨人は、ユニスをひょいと抱き上げ、自分の左肩に座らせた。
「ここは我々*****が住んでいる。我々は****から来た。君は非常に変わった人間だな。どこから来たんだい?」
「ええと、その……時空間の歪みから、ってわかるかしら」
「ああ、歪みに巻き込まれたのかね。それは可哀想に……」
ユニスと話をしながら、白い巨人は丘を降った。
歩幅が大きいから、あっと言う間に丘の麓まで来た。
森に入った。森の中には細い道があった。
ユニスが通過する森の景色を眺めていたら、村の入り口に着いていた。




