037:魔物の紅玉は乙女に惹かれる
氷狼が、晶斗の前に降り立った。たちまち、雪の結晶となって砕け散った。
ユニスの真上から、雪の塊がドサッと降ってきた。
「ぎゃあ、なに!?」
ユニスは頭の上まで積もったサラサラの雪から這い出した。頭数から察するに、ユニスを狙いに来た氷狼だろう。晶斗を襲ってから飛び回っていたヤツだ。
プリンスに斬られた一番大きな一頭が、氷狼の要だったらしい。ボスが滅ぼされた時、部下もボスの運命に従ったのだ。
「アンタ、すごいな。最後のは、太刀がぜんぜん見えなかったぞ」
晶斗の声には悔しさが滲んでいた。神の(ディバイン)骨の剣をガードナイフの大きさに戻し、胸の前の鞘に収めた。視線はプリンスの太刀に注がれていた。
最後の大物に止どめを刺したのは、プリンスの剣技の冴え。
「護衛戦闘士に見ぬかれるようでは、魔物狩人の看板は背負えませんよ。一頭も甦ってこないところを見ると、氷狼のトラップは終わりのようですね」
晶斗とプリンスは、ようやく、背中合わせの位置から離れた。
地面は砕けた氷狼の雪の粉で一面白く染まっている。
その上に、ポツンと黒っぽい小石。
プリンスが拾い上げた。
「魔物の紅玉か……。雪の結晶が氷狼に結束するとき、混じった石が圧力で変化する宝石。昔、狩人はこの貴重な宝石を手に入れるため、わざと危険な狩りに出たそうですが……あげます」
紅い粒がユニスの手に置かれた。小指の爪ほどの紅玉だ。
「狩人の若者は、恋人へ求愛する時の贈り物にしたそうですよ」
「こっちにもあった」
晶斗は足下に落ちてた紅い粒を拾い、ユニスの手に落とした。
「俺のもやるよ」
二つの紅玉を、ユニスは右手の平で転がした。
魔物の宝石は珍しい。血のように鮮やかな紅い石だ。
白い地面にはもう落ちていない。宝石としても上質だ。市場に出せば、同じ大きさの紅玉よりはるかに高値が付く。ありがたく頂戴しておくことにした。
「嬉しいわ、二つあるからイヤリングにする」
ユニスは、右肩上に手を上げた。空中に隠してあるシェインのポケットから、ピンクの巾着袋を掴み出す。ハンカチに紅玉を包んで巾着袋に仕舞い込み、シェインのポケットに投げ戻した。
「それで、コルセニーの紋章はどうなった?」
ふいに、晶斗に聞かれ、ユニスは、即答できなかった。この状況下でシェインが使えなくなったとは、非常に言いにくい。
「それなんだけど、ディバインボーンズで壁を斬ってもらおうと思って……」
ユニスが言葉を濁すと、
「だから、どこだよ?」
晶斗は左右を見回した。
「え?」
ユニスは壁に向き直った。
古代理紋は消えていた。残っているのは、菱形の黒い跡だけだ。
「ユニス、どこへ片付けたんですか?」
プリンスがやんわりと訊く。
「知らないッ。わたしじゃないわ」
ユニスは首を横に振った。ブンブンと音がしそうな勢いだ。
「何かシェインを使いましたか?」
「ホントに何もしてないから! 絶対に、シェインも使っていないわ。古代理紋には触ったけど、ビクともしなくて、どうにもできないから、あとで剣かナイフで斬ってもらおうと考えていたのよ」
ユニスは必死で首を横に振った。二人が驚いたのと同じくらい、ユニスも驚いた。
「これもトラップかな。俺達が氷狼の相手をしている間に、古代理紋が勝手に避難するなんてあるか? どこかその辺に落ちていないかな」
三人で辺りをゆっくりと眺め回した。
地面が白くなっている他は、特に変わったものは見出せない。
プリンスが古代理紋のあった壁に近付いた。
「二人とも、ここを見てください」
壁は一面、暗い土色だ。古代理紋があった菱形の跡すら無く。
晶斗は壁に手を当てた。
「固いな。この辺にあったはずだが、俺がナイフで抉りかけた穴の跡も無いぜ?」
「古代理紋の存在そのものが失われたのね。まるで、ロミさんのいたあの研究所の中身みたいに、きれいさっぱり消えちゃった、ってことかしら」
三人で顔を見合わせた。
晶斗とプリンスは、いつもは何が起ころうと感情の変化を悟られはしない。だが、今日ばかりはともに表情が張り詰めている。ユニスにもわかるほどにだ。現実ではあり得ない異常事態。シェインや剣の技では対応できない、異常な事態。それでも、夢ではなく、現実。
「外へ出ましょう。ここには我我の知らない時空間の歪みがあるようです」
通路を戻ると、外への門は開いていた。どうやら、先刻、鍵を開けた状態のままらしい。
ユニスが先頭に立った。肉眼では見えない空間の位相を通り抜けた。小走りに入り口を昇りきる。
陽の差し込む『表』に出た。
これで安心だ。
ユニスは振り向いた。
そこには、森の木々は無く……。
三百六十度に開けた自然の風景が広がるばかり。
見たこともない丘の頂上だった。
「晶斗? プリンス?……どこ?」
ユニスは独りになっていた。




