034:乙女は古代理紋に召喚される
その瞬間、ユニスは首筋の産毛が、ぞわっと逆立った。
次の部屋への境界線らしき辺り。未知の場所へ一番に足を踏み入れたことをさっそく後悔だ。
「ここって、空気が変だわ。何かがおかしい……。これも空間の歪みなのかしら」
始めに通過した部屋の二倍は広い空間だ。サッカーフィールドくらいは入りそう。黒い土の地面は均され、ゴミひとつ落ちていない。だが、ユニスも晶斗もプリンスも、それぞれの探知方法で、この場所に人間が居た痕跡を読み取った。
「嫌な空気だわ。ここで誰か死んだのかしら。ネガティブなエネルギーね」
「三人……いや、少なくとも五人以上の血液反応があるぞ」
「かすかですが、シェインを使った痕跡もあります。古代理紋に負けたというシェイナーのものかも知れません」
プリンスが右手の人差し指を唇の前に当てた。空気の匂いを味わうかのように、唇が細く開けられている。
「血の匂いはそんなに古くありませんね。せいぜい一週間前後でしょう。ここで魔物にでも襲われたか、仲間割れでもしたのか……」
「あ、見て、あの壁!」
真正面の壁の中央に、銀色の淡い光が浮かび上がっている。横に長い菱型だ。
「あれだな。明かりを点けてもいいか、肉眼で確認したい」
晶斗はゴーグルを額に押し上げた。
「シェイン系以外のライトにしてください」
プリンスは注意した。古代理紋は眠っている。うかつにシェインで刺激すれば、覚醒するかもしれない。晶斗は、ガードベストの胸ポケットから銀色の軍用ライターを出した。
晶斗がライターの火を近付けると、中央部分に嵌め込まれた九つの白い貴石が金色に煌めいた。
銀の菱型は縦横五十センチ程度、大人が持ち運べる絵画くらいの大きさだ。表面に細い銀線で、唐草模様に似た複雑な紋様が描かれている。中央部分には、円形にバランス良く、九つの白い貴石がはめ込んである。
「これは岩に刻んであるのかしら。それとも、別に作られた物が貼り付けてあるのかしら」
ユニスは古代理紋の真ん前に立った。
晶斗は左手を壁とボードの縁ギリギリに左手を付いた。ガードグローブの甲の部分が暗く点滅する。ディスプレイに触診結果が表示されたらしい。
「ボードと壁の岩は結晶構造が違う。理紋は三センチほどの厚みがある。別に作られた物が、ここの壁に埋め込んであるんだ。掘り出せばいい」
晶斗が腰の後ろからガードナイフを引き抜いた。それを壁とボードの狭間に突き立てる寸前、プリンスが晶斗の手首を掴んだ。
「念のためですが、古代理紋には極力触らないでください。物理的な衝撃でも、どんな発動をするかわかりません。三人のシェイナーがどうイカレたのかを聞きそびれてしまったので、事前の対応策が無いんですよ」
「ああ、わかった。でも、理紋に触らない縁ならいいだろ。ユニス、これが入る袋みたいなもの、持ってないか?」
「カバンは持ってない。でも、手で触らずに、私のシェインのポケットに落とし込むのは、どうかしら。空間操作は自分の回りだけで済むし、その理紋が落ちてくる位置で、口を開けて待っているわ」
「いいね、それ、いこう」
ガツッ、と、晶斗は、ガードナイフの刃先を壁に食い込ませた。
ぴちょん。
どこかで水滴の落ちる音がした。
晶斗が手を止めた。
ユニスは、息を呑んだ。
プリンスは太刀の柄を握り、抜刀の構えになる。
時間が凍りついた数瞬。
湿気が急速に強くなった。
金属臭混じりの冷たい水の匂いがした。
「何かが発動したようです」
プリンスの言葉が終わらないうちに、白い靄が漂ってきた。
ユニスは右の頬に手で触った。
指先が濡れた。触った瞬間は温かかった水滴が、すっと冷えていく。
空気中の水分が凍りついて地面に落ち、黒い土を白く化粧する。
ユニス達の呼気は純白に曇った。




