024:乙女は元の時間軸を好む
プリンスは、立とうとしたロミに右手を差し出した。
ロミは顔をまっ赤にした。次いで急激に青ざめ、気分が悪いと泣き出した。
空間の歪みを移動すると、人体には負荷がかかる。
時空の異なる場所への急な移動や、その度ごとの気圧の微妙な変化に、慣れない人間は乗り物酔いのような症状が出るのだ。
ユニスはアイミアと協力して、ロミをサバイバルブランケットでくるんだ。
サロンルームの中央付近は時空間の狭間をこじ開けた場所だったので、片隅に移動する。そこへ野営用マットを運んでロミを座らせた。
「それで、ユニスはうまく連れ戻せたが、この娘の方は、この時間へ連れてきても良かったのかい?」
晶斗が、ロミの方を一瞥した。眉間にやや縦じわを寄せている。
「彼女はロミ・ルイセ博士。サイメスからの亡命者で、ここの研究者でした。失踪した行方不明者の一人です」
プリンスの説明は簡潔だった。
「アンタが言うなら、ロミ博士本人に間違いないな。彼女は気分が悪いって言ってるが、俺もまだ遺跡に居るような奇妙な雰囲気を感じるんだが……。さっき使った接点はシェインで閉じたんじゃないのか」
「そのはずですが、私も奇妙な空間の『揺らぎ』を感じます。ここには我々の感知できない時空間の歪みがあるのでしょう」
プリンスにしては珍しく曖昧な言い方をする。
「プリンスにできないなら、シャールーン帝国に解析できるシェイナーはいないわ。どうやってわたしの居場所がわかったの?」
ユニスの方からはシェインによるアプローチも何もしていない。それは、目印の無い小石を、砂漠の砂の中から探すようなものだ。
「俺がユニスが消えた瞬間を見ていたからさ」
晶斗は、寝返りを打った瞬間に、ユニスが時空間の隙間に滑り込むところを目撃した。もしかしたら、ユニスが起き出した音で目が覚めたのかもしれない。
晶斗はすぐにアイミアを起こし、見回りをしていたプリンスを呼び戻した。
プリンスは、時間を無駄にしなかった。プリンスとアイミアはシェインで、晶斗はシェイン系のセンサー装置をすべて稼働させて、全方位と施設内のあらゆる空間を探索した。
そして、サロンルーム中央付近で、かなり特殊な、時空間が歪んだ接点を見つけた。それはユニスが消えたまさにその立ち位置だった。
プリンスはその接点に残されたわずかな情報から、ユニスの痕跡をたどった。
接点の向こう側にユニスがいる、という推測はたった。
だが、接点は不安定だ。半分以上閉じかけてもいた。人間が行き来できる程度の出入口をこじ開ければ、時空間の歪みが予測を越えた拡大をする危険もあった。
「けっきょくは、強引にこじ開けたんだけどな。さらに、アイミアの持っていたサイメス製の空間干渉機も使って一時的に留めたんだ。そして、二人のシェイナーの力で、俺を『釣り針』として接点に潜り込ませたのさ」
晶斗を時空間の接点に置くには、プリンスが晶斗を庇護しつつユニスの探査を行い、アイミアが晶斗の釣り針と釣り糸を制御しながら、タイミングを待たなければならなかった。
晶斗の声をユニスが聞いた時点では、晶斗にもユニスの姿は見えていなかった。接点に残るわずかなユニスの気配とプリンスのシェイナーとしての勘だけを頼りに、晶斗は何も見えない空間へ呼びかけたのだ。
運が良かった、と、ユニスはしみじみ思った。
あのとき、風が吹かなければ、晶斗が見える場所には移動しなかった。玄関は閉まっていたのに、風は外の匂いがした。もしかしたら、時空間を超えて過去か未来からきた風だったのかもしれない。
「ロミ・ルイセ博士は予定外でしたね。彼女まで引っ張るエネルギーは計算していなかったのですが、時空間の歪みに引っかからず無事にこちらへ渡れたのは、ユニスが本能的に自分の周りに張っている結界内に、ロミ博士が入っていたからでしょう。ロミ博士、だいじょうぶですか?」
プリンスはロミの前に右膝を付き、俯いていたロミの顔を覗き込んだ。
うつむいていたロミは我に返った。白かった頬がたちまち朱色に染まる。
プリンスは、調査に来た状況をおおまかに説明した。
ロミは、目を輝かせた。プリンスのそのおかげで救助されたと思ったのだろう。ところが、一緒に居るユニスが、シャールーン帝国で有名な冷凍少女だと知らされると、また青ざめた。
「それじゃあ、私たちが研究所ごとあんな所へ飛ばされたのは、あの冷凍少女のせいだったんですかッ!?」
ロミは、ワッと泣き伏した。
「なんでそうなるのよ」
気の毒だとは思うが、巷に流布しているろくでもない噂と結び付けられて、何でもユニスのせいにされてはたまらない。
ユニスは、ここへは昨日初めて来たのだと、最初から説明した。
ロミは、聞きたくない、と頭を横に振り、ヒステリックにしゃくりあげた。
「そういえば、ロミ、あなたは古代理紋の論文を書いていましたね。あれはすばらしかった。早く完成をみたいものです」
いきなり、プリンスが優しい声で話しかけた。
ロミはピタリと泣き止んだ。顔を上げたその目に映ったのは、太陽の輝きにも勝るプリンスの微笑みだ。ロミの涙はたちまち乾き、顔色も良くなった。
これぞシャールーン帝国女子ならば常識の、プリンスの美貌の効能、話題の切り替え方の唐突さなど問題ではない。
ユニスとアイミアは黙って成り行きを見守った。
「え、ええ、頑張りますわ。その、あっちにいても、じつは、わたくし、ずっと書き続けていたのですわ。だって、あれはもともと宰相閣下にお見せするために書き始めた物ですもの……。ああ、どうして持って来なかったのかしら……」
ロミは恥ずかしそうに俯いた。両手で胸元に合わせたサバイバルブランケットを掴んだり離したりしている。
プリンスは言葉巧みにロミをなだめた。休むように指示されたロミは、素直にマットに横たわって、目を閉じた。




