021:白い花が語るもの
ユニスが目を開けると、辺りは薄暗かった。
サバイバルブランケットを両手で押し上げて、上半身を起こす。
しばし、自分がどこにいるのかわからなかった。
朝から守護聖都フェルゴモールの中央駅で大立ち回りをして。
それからプリンスの飛空艇で遺跡地帯まで移動したっけ。
ここは閉鎖された施設。
一緒に居るのは、晶斗とプリンスと、アイミアさん。
右側を見れば晶斗の背中があった。左側にはアイミアが、床に敷かれた野営用マットの上でサバイバルブランケットにくるまって眠っている。
この部屋は玄関フロアより一回り狭かった。
プリンスによるば、ここはかつては小さなサロンスペースと使われていたという。消失事件の際にも、家具調度が残されていた。つまり、歪みの影響を受けない場所だった、ということらしい。
――それでここに泊まることになったんだっけ。
ユニスは目をこすった。やけに見えづらい。天井の照明はすべて点灯しているのに、視界に黒い紗のベールが掛かっているようだ。
寝惚けているのかしら。トイレにでもいこう。
ユニスは静かにサロンルームから出た。
一階はどこも、真昼のように明るかった。照明は全部、点けっぱなしてある。用心のためだと言って、晶斗が警備室の自動消灯スイッチをオフにしたからだ。
室内にいても激しい雨音が聞こえる。遠くで雷鳴が轟いた。
玄関フロアでは、プリンスが左手に太刀を持ち、窓の側で外を眺めていた。ユニスが背後を通り過ぎても知らぬ風だ。
ユニスが眠ったのは午後十時頃だった。始めは晶斗が起きていた。時間が経って、プリンスと見張りを交替したのだろう。
ユニスが通路へ出て行ったのに、プリンスは振り向きもしない。
そのことに、ユニスは少し後で思い当たった。
ユニスがトイレに入ると、急に視界がクリアになった。洗面台の明かりは廊下より強い。昼間と同じトイレなのに、昼間よりもきれいで清潔そうに見える。
「え?」
正面を向いていたユニスは、立ち竦んだ。
突き当たりの小窓からは、夜空に輝く満月が浮かんでいる。
窓辺に置かれたガラスコップは、一輪の白い花が挿してあった。
それは月光に照らされて、ほのかに光っているように見えた。
たとえ時空間が異常でも、生理的欲求は止められない。
ユニスは大急ぎで個室に入って用を済ませた。
水道で手を洗って廊下に出る。
空間の雰囲気は変わっていなかった。
ここは、何かがおかしい。
「もしかして、わたしが……わたしひとりが、この施設の内部で、異なる時空間に入ってしまったってことかしら」
ルーンゴーストでは、ときおり人や物が消える事件が起こる。その原因や行方不明者の消息は、まるで解明されていない。
歪みはルーンゴーストでは自然現象だ。空間の歪みは、次元をも歪ませる。それらはユニスの暮らすこの世界とは異質なる別の世界、目に見えぬ彼方へと通ずる空間の亀裂らしい。不運にもそれに遭遇し、呑み込まれてしまえば、人だろうと物であろうと、まともな世界からは失われてしまう。それが、ルーンゴースト大陸各地で起こる、謎の消失事件の原因だと云われていた。
稀に消えた人や物が戻る事もある。
だが、帰還できる時と場所が、元居た場所と同一とは限らないのだ。
ユニスはゾッと身震いした。かつて晶斗が遺跡で遭難しとき、帰還できたのは、十年も経った後だった。
ここは人間の作ったまだ新しい建物なのに、すごく危険な性質の遺跡の中と同じだってことなの?
まさか、ずっと遠い未来?
わたしはシェイナーなのに、ひとりぼっちで異常な時空間を長い間、彷徨わなければならないの……?
ユニスは急いで玄関フロアに戻った。
盗賊達の氷塊は痕跡すら無く、もちろん、ユニスのシェインの痕跡も視えない。
サロンルームには誰もいなかった。ユニスが寝ていた野営用マットも、くるまっていたサバイバルブランケットも、どこにも無い。
ユニスは玄関フロアに戻った。
プリンスが立っていた窓辺から外を覗いてみる。
遠くの山並み、碧い湖のある風景。昨日と同じだ。
どこが違うのだろう……。と、ユニスは違いに気付いた。
空は青く、真昼の太陽の下で、湖までの道が鮮やかに見えている。
道の両側には白い花が咲き乱れていた。
「トイレの窓辺に飾ってあった花よね。わたしたちが来た本当の時間には咲いてなかったから、ここは季節が違うんだわ。今は、春か、夏の初めくらい?」
真夜中のトイレから出てきて五分で、初夏の真昼になるわけがない。時間をも移動した。いや、同じ建物に居るから、ユニスが時間を移動した。そう考えて間違いないだろう。
ユニスは玄関ドアの前でためらった。空間の歪みが及ぼす影響は建物の中だけか、外だけか、それとも両方なのか?
その範囲は一部か、あるいは一部を除いた全世界なのか?
歪んだ時空間を、元の時空間に繋ぐ接点は、どこにあるのか?
もしも、建物と外でも時空間のズレが生じているなら、外へ出るのは危険かも知れない。
どうすれば、いい?
じっとして、ひたすら救助を待つ?
晶斗達がユニスがいないことに気付いたら、きっと探してくれている。ユニスが消えた原因を懸命に調査しているはずだ。
あるいは自力で帰還方法を探るか。
ユニスは窓から外を覗いた。太陽の明るさも、白い花が咲く風景も、確実に元いた場所とは異なる。時間はどれだけズレているのだろう。
ユニスは窓から離れかけ、慌ててまた窓に張り付いた。
昨日とは湖の色合いが少し違うみたいだ。光の加減じゃない、今日の方が碧い。昨日はもう少し灰色がかった薄い緑色だった。
「今日の方がきれいだわ。一日で湖の色って、変わるものなのかしら?」
やはり、建物を出て、湖の近くまで行ってみよう。ユニスは決心した。昨日、湖の水に触れてシェインで分析した感覚は、まだ記憶に新しい。あの湖の水に触れられたら、元の時空間との違いがもっとはっきりわかるかもしれない。
「ひぃッ!? あ、あなた、誰なのッ」
鋭い声にユニスはギクリと身体を震わせた。
振り返ると、白い服の少女が、恐怖に引きつった表情で立っていた。




