002:その名は
「ひとまず、私の秘密の隠れ家に行きましょう。そこなら安全です」
プリンスは駅の地下通路から移動した。
案内されたのは、駅からそれほど離れていない街の某所だった。
その建物には地下通路に面した入口があった。
白いエレベーターホールから、透明な硝子の箱のようなエレベーターに乗り込む。コントロールパネルには、階を表す数字の表示が無かった。プリンスはパネルの下部に掌を押し当て、ボタンを一つ押した。
エレベーターが上昇する。
突然、まばゆい陽光に包まれた。
硝子の向こうには、中世の面影を留めた美しい街並み。
シャールーン帝国の首都、守護聖都フェルゴモールの中央区が、ユニスの眼下に広がっていた。
ユニスは懸命に頭を働かせた。
守護聖都フェルゴモールでは、街の景観を護るための規制が厳しい。
景色を一望できるほどの高層建築物は数えるほどしかない。
ルーンゴースト大陸で最古の駅と名高い中央駅ビルの管制塔、シャールーン帝国中の大企業が集中するオフィス街の巨大ビル、そして、数百年以上の老舗の伝統を誇る有名ホテルが数軒。中央駅からの距離と風景の角度から推測すれば、ここはシャールーン帝国でも五指に入る超高級ホテルだ!
こんなに有名な目立つ場所に、秘密の隠れ家を持つなんてどうかしてる。
エレベーターが止まった。最上層の三十階だ。別名は『最高級スイート階』。利用するのは、貴族や大富豪に限定される。
ユニスのような一般庶民は、宿泊はおろか、廊下にも足を踏み入れられない。
そういった意味では、セキュリティは万全の建物だ。確かに安全だろう。
「遠慮せずにくつろいでください。出発まで少し時間があります」
プリンスは左手に持っていた剣を傍らに立てかけた。ヴァイザーをはずし、右手で髪をひと梳きする、と、黒髪の色がたちまち薄れ、薄い蒼みがかった銀色に変じた。シャールーン帝国最高のアイドル、国民の支持率ナンバーワンの宰相閣下にして名高き皇子様ことセプティリオン大公がそこにいた。
「普通、秘密の隠れ家ってのは、もう少し地味なものだがね」
晶斗はソファに座り、ゆうゆうと身体を伸ばした。砂漠の遺跡だろうと豪華な部屋だろうと、晶斗の態度は変わらない。護衛戦闘士で一流を名乗るだけあって肝の据わった男だ。
「さっき、アンタは出発と言ったな。また俺達をどこかの遺跡へ連れて行く気なのか。言っておくが、俺もユニスも、あんたに雇われる契約はしていないぞ。まだ連中が襲ってきた理由も教えてもらってないんだぜ?」
口調は穏やかだが、晶斗の目は冷たく真剣だ。
椅子に座ったプリンスは、長い足を組んだ。リラックスしているふうに見えても、椅子の背にはもたれていない。
「彼らはこの二年ばかり、守護聖都を拠点に帝国中を荒らし回っていた凶悪な強盗団です。警察が潜入捜査を進めていたんですが、なかなか尻尾が掴めなくてね。お二人のご協力を感謝します。お礼はのちほど、いつもの銀行口座に振り込みます」
プリンスはユニスに微笑みかけた。
ユニスは、慌てて目を逸らせた。にわかに動機が激しくなり、プリンスの対面に座ったことを激しく後悔した。プリンスは幼い頃からの憧れ、こうしている今も、ユニスにとっては、至上のアイドルだ。
だが、関わったら、とんでもない目に合わされる。
そんな危険人物であることも知ってしまった。
今から半年前のこと。
プリンスは、ユニスと晶斗に仕事を依頼するとみせかけて、その実、ルーンゴースト大陸の命運を賭けた政治絡みの事件に無理矢理巻き込んでくださったのだ。
今回は駅での顔合わせから、いきなり大乱闘へのご招待だ。
――でも、プリンスのやることだから、仕方ないか。
あ、胸の動悸が治まった。ユニスはひとつ賢くなった。今度からプリンスの顔を見てドキドキしたら、プリンスにされた嫌なことを思い出せば良い。動揺を見せて失礼な態度に取られないよう、気を付けないと……。
「そ、そうなの、それだけ? 過去形なのがわかりやすいわね。その強盗団があれで全滅したなら、わたしたちはもう帰ってもいいのかしら?」
ユニスの顔を、プリンスはまだ見ている。黒と見紛おう藍色の目に、再び視線を捉えられた。ユニスは一気に頬が熱くなった。
――ダメだ、やっぱり、プリンスの顔を見て冷静でいるのは無理だ。
だって、初恋の人だもの。
もっとも、シャールーン帝国の女の子はみんなそうだけど。
「おい、それじゃ、話が飛びすぎて見えないから、初めから話してくれよ」
晶斗がストレートに訊いてくれたので、ユニスはこっそり感謝した。晶斗がいてくれたら、この後もプリンスと二人きりにはならなくてすむ。
「先日のことです。いつものように裏の情報屋の集まる店へ行くと、強盗団の一味に出くわしました。そこで彼らに剣の腕を見込まれ、強盗団の仲間にならないかとの誘いを受けました。それで急遽、あなたがたに連絡して、危険を承知でユニスにも駅に来てもらったのです」
いつものようにって、帝国宰相閣下のくせにどんな趣味だよ?
口に出さなくても、晶斗もユニスと同じように思っていたのだろう、晶斗は辛抱強い表情でプリンスへ話しかけた。
「いったいどういうシチュエーションで剣の腕を見込まれたのか、その辺から詳しく頼む」
晶斗の頼みで、プリンスは当時の様子を説明した。
「ルーンゴースト大陸では、半年ほど前から守護聖都フェルゴモールを中心に、変わった手口の強盗団が街を荒らしていました。一味にはシェイナーがいて予知を含めた指示を出しているらしく、ほとんど証拠を残しません。警察も困っていたので、私が様子を見に行ったのです。私なら単独で動けますし、腕に覚えはありますから」
その店でプリンスは、いつものように店内の様子を観察する傍らお酒を飲みつつ、隣席にやって来る女性達とさりげない談笑をしていた。
彼女達は情報屋ではない。プリンスが店に居る間は交替でつきっきりになり、我先にいろいろな情報を喋ってくれる。
そうしていると、突然、プリンスの背後で数人の酔っぱらいがケンカを始めた。プリンスにも言い掛かりを付けてきた。プリンスは無視した。だが、騒ぎが大きくなり、両隣に居た親切な女性達までとばっちりを受けそうになった。
プリンスは仕方無く、直接絡んできた五人を、抜き撃ちの一撃で眠らせた。もちろん峰打ちだ。命に別状はない。すると、店の支配人が飛んできて、店のオーナーである強盗団のボスに紹介されたという。
ユニスと晶斗は黙って拝聴した。
店でケンカが始まった原因は想像がつく。髪を黒く染めようと大きなヴァイザーで顔を半分覆おうと、プリンスの美貌は隠しきれるものではない。店の女性達は花に群がる蝶のようにプリンスの魅力を察知して寄って来たのだろう。酔っぱらい達は、趣味と実益と政治家稼業のストレス解消を兼ねていたプリンスの逆鱗に触れただけだ。プリンスの裏の顔を知る者ならば、愚の骨頂の一言で斬り捨てている。
「なあ、話はわかったが、たかが強盗団ごときで、理律省の大ボスが、直々に暗黒街へ出張るかね。アンタが指示して、警察のシェイナーを使えばいいんじゃないか」
晶斗の隣で、ユニスも、そうそう、とうなずいた。
プリンスの変装は、もともとは遺跡研究家としてお忍びで遺跡に入るために作られたもの。それならまだ許せる。だが、どうしてシャールーン帝国の次代皇帝と目される直系皇族の宰相閣下が、個人的に強盗団へスカウトされ、嬉々として潜入捜査までする必要があるのだろうか。
シャールーン帝国のシェイナーは理律省の管理下にある。
警察勤務のシェイナーとて例外ではない。
その頂点に立つのが理律省長官のプリンスなのだから、命令一つで国内のシェイナーを総動員するなり、潜入捜査に人員を送り込むなりすれば良い。
ユニスと晶斗を巻き込まないで欲しいものだ……。
「彼らは大陸中を荒稼ぎできたのは、古代の女神『コルセニー』の恩恵を受けているからだと言っていましてね。その力の源は秘密の場所に隠してあると。私が欲しいのは、本物のコルセニーの情報です」
プリンスの口から思いがけない名称が出た。
『コルセニーの使徒』というのが、強盗団の名称だ。その名称の元となった名の女神は、シャールーン帝国の民ならば誰もが知っている古代の女神の一柱だ。
「まさか、強盗団は、本物の女神のシェインを見つけたというの!?」
ユニスはせっかく目を逸らすのに成功していたプリンスの顔を、またもや凝視してしまった。