018:裏を見て表を知るべし
「ガードグローブの手の平にちょこっと薬品を塗布しておいたの。はい、これが中和剤ね」
アイミアはガードベストの胸ポケットから、指一本くらいの大きさのスプレー缶を出し、ユニスに投げて寄越した。
「見事な演出だった。何を使ったんですか」
プリンスが剣帯の左腰に太刀をつり下げながら訊ねた。
「唐辛子の成分だけ抽出した無臭の刺激剤ですわ。ちょっと腫れたけど、中和剤ですぐに引きますから痕は残りません。紅いのは空気に触れて色づく食用色素です。ヤツらを信用させるインパクトは十分でしたわね」
ユニスはハンカチにスプレーを吹き付け、左顔面にクスリを塗りつけた。紅い色がハンカチに移っている。薬液が触れたところから熱が引いて腫れが治まっていく。やっと左目が少し開けられた。
黒い護衛戦闘士姿のアイミアが白い服装のプリンスと並んでいる。その白と黒の対称性もあいまって、鑑賞だけならじつにさまになる一対だ。この二人は性格の悪さにも類似点がある。過去の数数の所業でユニスは何度も思い知らされてきた。
もっとも、その思い出のおかげで、いきなりアイミアが仕掛けてきた三文芝居にも調子を合わせられたのだから、良しとするしかない。
アイミアに頬をぶたれて吹っ飛んだものの、派手な打撃音は見せかけで、痛みはほとんどなかった。ただし、頬が腫れた唐辛子剤の刺激だけは、本物の涙がボロボロこぼれたが。
「はい、神の骨のナイフは惜しいけれど、お返しするわ」
アイミアは、憮然としている晶斗にガードナイフを返した。
晶斗のガードナイフは鋼にあらず、刃も柄も白っぽい『神の骨』と呼ばれる特殊金属製だ。この白い金属には変わった特性があり、シェインの鍛冶師が鍛えればこの世でもっとも堅く切れ味の鋭い刃になる。国宝級の希少価値ゆえに、一般市場にはめったに出回らない幻の一品だ。
晶斗の目がすっと細められた。
「俺達のこと、どこまで知ってるんだい?」
「必要な基本情報だけよ。ここからは仲間だから、改めてよろしくね」
アイミアは愛想よく笑いかけたが、晶斗は納得いかない顔つきでガードベストの胸にナイフを装着した。
「アンタも宰相閣下と同じ穴のムジナだな。で、どこからが芝居だったんだ?」
「もちろん、初めの対面からよ。まさかあなた達が居るとは思わなかったわ。ここは強盗団が一度入った場所なのよ。盗聴されている可能性があるから、仕方なく一芝居打ったというわけ。宰相閣下はすぐわかってくださったし、ユニスにも通じたから、助かったわ」
「しかし、この建物は、俺達もセンサーチェックしたんだぜ?」
晶斗が左手を胸の前に上げる。左手の甲から手首を覆うガードグローブのセンサーは常時稼働中だ。
「建物に仕掛けられていなくても、捕らえた男達が盗聴できる通信機を持っている可能性がありました。最近のサイメス製の盗聴機は、シェイン系のセンサーで探知できない物も開発されていましてね。ここでアイミアと遭遇したのは予想外です。私達の調査計画とコルセニーの使徒の件は、まったく別の案件でした」
プリンスは、アイミアの説明を補う形で付けたしたあと、形良い眉をひそめた。ユニスと晶斗がまったく信じていない目付きなのに気付いたからだ。
「本当ですよ?」
プリンスが念押しするのも珍しい。ユニスは初めて聞いた気がする。
「アンタはいつも胡散臭いが、そう言われるとよけいに嘘臭く聞こえるぞ。アイミア、理律省からの依頼を受けたって、元締めはここにいる宰相閣下のことだろう?」
晶斗は鼻でせせら笑った。
アイミアは斜交いにかまえた。
「理率省からの依頼じゃないわ。私が先にあいつらに接触してから、閣下にその情報を流したのよ。魔物狩人のバシルを、セルレイの店であいつらに紹介する段取りをつけたのも、私よ」
魔物狩人バシルは、プリンスの偽名だ。銀の髪を黒く染め、顔を黒いヴァイザーで隠した簡単な変装で、真夜中の暗黒街や危険な遺跡地帯にお忍びで赴くための職業である。魔物狩人としての腕前は一流で、シャールーン帝国の闇社会でも有名らしい。
「それで、ここへ君が来たのは何のためだ。宰相閣下に会うためじゃないだろう?」
晶斗に訊かれて、アイミアは目をしばたかせた。
「それはそうなんだけど。じつは、それも奇妙でね。指定場所からヴィグごと大型車で運ばれたの。飛空艇じゃなかったわ。普通の道路を移動したのよ」
初めて、アイミアは顔を曇らせると、困惑を露わにした。
「あいつらの隠れ家の近所に怪しい建物があるから調べて欲しいと依頼されたの。あいつらのシェイナーでは手に余るから、より強いシェイナーの私を雇ったのね。仲間になるフリをしたら冷凍少女誘拐計画とかは聞けたけど、あなたたちがここに来るのは私を含め、誰も知らなかったはずよ」