016:神神は魅惑する
ルーンゴースト大陸には理紋がある。
それは世界の理を操る理律によって造られた、シェインの力を秘めた形のことだ。ほとんどは紋章のような二次元に描かれた図形だが、立体的な物体もある。シェインの護符がその一種で、ルーンゴーストでは生活に欠かせない必需品だ。
昔の人が使っていたシェインの紋章や護符は、とても強力だったらしい。現代に残るシェインは、人間が使いやすいように紋様を一部変えたり、省略したりして、理紋そのものの力を弱めてある。
また、きわめて稀だが、古代から変わらずに伝わる理紋が存在する。
それもオリジナルのままに伝わった物は、強大な威力を持つという。
古い神殿に奉納されている古代神の神紋などがそうだ。ご神体として厳重な管理下におかれ、皇族や政府の高官、高位の神官など、ごく一部の者しか目にすることは許されない。
ユニスは男が手にしている理紋を、右目だけを凝らして見つめた。
理紋の護符は、石か金属か木製の素地が多い。
その護符は、男の掌に収まる銀の菱形メダルだ。複雑な銀の線模様で構成された紋章は、ルーンゴーストではありふれたお守りに見える。
「それが? それからはシェインを感じないわ」
ポロッと口走ったユニスは、プリンスにジロリと睨まれ、慌てて口を噤んだ。
「さすがは冷凍少女だ。こいつは見本だよ。写真から印刷した複製品だ。人間が持っても影響がないように、わざと幾つかの象徴を省いて力は抜いてある」
男は護符を空中に放り上げて、パシリと手で受け止めた。
単なる『絵』なら、ユニスには何も感じられなくて当たり前だ。元となるオリジナルがいかに強力な理紋だろうと、半端なコピーでは護符の性質までそっくり写し取ることはできない。
だが、プリンスは本物だと言った。
「こいつは、オリジナルのままで扱うには強力すぎてね。初めは普通のシェイナーに改良を依頼したんだが、利用できる複製は作れなかったのさ。シェイナーが理紋の解析作業の過程に耐えられず、偽造屋のシェイナーが三人やられちまった。腕はいいやつらだったんだが……」
首領は残念そうに首を横に振った。
非常に強力な理紋は、非能力者でもシェインの波動が感じられる。それは肌で感じ取れる空気の雰囲気みたいなものだ。シェイナーの職人が理紋の雰囲気を作るとなれば、自分の手の中でその雰囲気の濃厚な塊を練るような行為となる。力の大きさに負ければ、とうぜん影響を被る。扱う理紋の性質にもよるが、攻撃的・破壊的なものなら、シェイナーとしての能力ばかりか生命にも関わる危険な作業だ。
「それを冷凍少女に作らせようと考えての誘拐計画か。えらく安直だな」
晶斗が呆れている。ユニスが理紋の複製なんて器用なことが出来ないのを知っているからだ。首領はシェインが強いシェイナーなら出来る作業だと誤解している。
「冷凍少女のシェインは古代理紋に発しているんだってな。だったら、耐えられるかもしれないだろ。なに、オリジナルのパワーを引き出す過程で多少は人格が壊れるかも知れないが、必要なのは媒体として器に出来るシェイナーなんだ、後のコントロールはこっちでやるから安心しろ」
首領の言い草に、ユニスは支えてくれているプリンスの腕をぎゅっと掴んだ。
ユニスの能力の基が、古代理紋にあるというのは秘密にされている――はずだった。知っているのは故郷にいるシェイナーの師匠、守護聖都にいる親友のマユリカとプリンスなど、限定される。晶斗も、ここで聞くまでは知らなかっただろう。
「それをどこで知った?」
プリンスが問う。皆がギョッとして注目するほど、冷たい声だった。
ニヤけていた首領がギョッと顔を引きつらせた。だが、そこは強盗団のボス、まがいもの威厳を瞬時に取り繕った。
「おっといけねえ、ちょいと喋りすぎたか。なんなら、理紋を作るのはあんたでもいいんだぜ、宰相閣下。古代理紋に負けないシェイナーなら誰でもいいんだ」
首領は理紋をポケットに仕舞い、仲間に合図を送る。
ガチャ、と何丁かの銃が改めてプリンスに狙いを定めた。
プリンスはゆっくりした動作で、ユニスを晶斗へ渡した。晶斗は左側にユニスを庇いながら、さらに後方へと退がった。
「なんだ? あんたは有名な強い剣士だが、今は剣がない。空間干渉機が作動しているからご自慢のシェインも使えないぜ?」
首領の銃の照準は、プリンスの左胸に定められていた。
「あきらめて俺達と一緒に、コルセニーの遺跡へ来てもらうぞ。ここから南へ五キロほど行った山の奥の、洞窟だ。入り口は大きな岩の下にあるから、普通に捜索したんじゃわからねえ。おとなしくすれば命までは……」
首領の言葉が途切れた。
プリンスは目を伏せ、微笑んでいた。
夜空の暗雲が突然晴れ、輝く明星が出現すれば、人は自然と天を仰ぐだろう。
目に見えぬ光がプリンスの銀の髪から、その完璧な白い美貌から、煌煌と放たれているようだった。
男達の目がプリンスに引き付けられた。強盗団へ相対していたアイミアさえ、何かの力に強制されたかのように、プリンスの方へ顔を向けた。
斜め後ろにいたユニスには、プリンスの右横顔しか見えなかった。それでも視線が否応なく吸い寄せられる。
どのくらいそうしていたのだろう。
ユニスは、晶斗に二の腕をきつく掴まれた痛みで我に返った。晶斗もまた、息を詰めてプリンスを見つめている。
この光景を後に思い出すと、ユニスは、この瞬間の映像記憶は、純白のイメージに近い、とすら考える。記憶野は、プリンスの美貌というまばゆい太陽に炙りつくされ、白く焦げた焼け跡に成り果てているのだ。
これが魅惑されるということなのか!
ユニスが我に返った時、プリンスは完璧なシンメトリーをした唇に三日月さながらの尖った微笑みを浮かべ、伏せていた藍色の目を開いていた。
そうして、強制停止させられていた時間が、ゆっくりと動き出す。
ユニスは、いやこの場の誰もが、プリンスから目を離せない。美しすぎるがゆえに、恐怖すら感じさせるその貌から。
「知りたかったのはそれだ。感謝する」
プリンスの声音は美しかった。まるで心からの感謝の気持ちが込められていたように聞こえたのは、間違いなくユニスの錯覚だ。