012:乙女の決意
小降りだった雨が、再び大粒になった。氷山に当たってポツポツと音を立てる。温かい雨水に洗われた氷の表面からは、かすかに白い靄が立ちのぼった。
「情報をありがとう。おやすみなさい、いい夢をね」
ユニスが声を掛けた途端、酒場の名を喋った男の顔面は氷でたちまち覆い尽くされた。同時にほかの四人も頭のてっぺんまですっかり氷で固められた。
「あなた、こいつらを……?」
抑揚のないアイミアの声に、ユニスは振り向いた。
「よく見てよ、シェイナーならわかるでしょ。深く眠ってるだけよ、この氷は半分だけ本物。人間を包んでいる部分は遺跡や迷宮なんかに多い、空間の歪みを加工した幻覚に近いモノなの。一種の冬眠状態ね」
アイミアは氷に目を凝らした。彼女もシェイナーだ。その目には肉眼では見えない空間の歪みも感知できる。
「なるほど、それでこれまで誰も死んでなかったのね。意外に器用なのね、噂とは大違いだわ」
心底感心したふうなアイミアに、ユニスはグッと唇を噛んだ。
「その噂っていうの、後でゆっくり聞かせてもらうわよ。気になってしょうがないから」
ユニスはプリンスへ顔を向けた。
「わたしは守護聖都に帰って自分で片をつけてくるわ」
「セルレイはもうありません。一昨日の乱闘騒ぎで関係者は全員逮捕されました。もっとも、アジトは複数ありますが、彼らには見覚えがありませんね。今回のために雇われた使い捨ての兵隊でしょう」
「じゃあ、こいつらは例のコルセニーの使徒ではないってこと?」
「コルセニーの使徒から依頼されたんでしょう。しかし、守護聖都からここまで来るには、通常の飛空艇ルートで最短五時間、それ以外の移動方法だと、丸一日は必要です。我々の事情とは関係なく、彼らの都合ですでに昨日からこちらへ移動していた、ということになりますが……」
プリンスが、ここの調査に来るのは以前からの計画だったとしても、ユニスと晶斗の同行を決めたのは今朝だ。守護聖都からここに到着するまでの時間と距離を計算したら、コルセニーの使徒が守護聖都を出発したのも、ユニス達と等しいタイミングということになる。
「わたしがここに滞在しているとは限らないのに、同じように朝から出発するのもおかしいわよね」
「情報が漏れたんだろ」
晶斗は氷山に走査をかけながらこちらをチラリと見た。
「妙だぜ、こいつら。思ったより携帯している武器が少ない。俺達との戦闘は想定していなかったんじゃないか。中の連中もそうだ。そのセルレイって店のヤツら、駅で逮捕した連中との繋がりはとれたのか?」
晶斗はセンサーを操作し、かすかに眉をひそめた。
氷山を睨んでいたプリンスは、晶斗へ顔を向けた。
「そちらの報告はまだですが、おそらく大半は金で雇われた連中でしょう。彼らは誰もコルセニーを名のる印を持っていません」
雨は小降りになった。
遠くで雷鳴が轟く。
稲妻の閃きに光る湖の面は暗黒を流し込んだようだ。
湖の方角に目を向けたユニスは、いち早く新しい気配を察知した。
「大型船がこっちに来るわ。動力はシェインじゃない。変わった機械よ」
プリンスはコートのポケットから小型通信機を出し、難しい顔つきで睨むと、ポケットに入れ直した。
「通信できません。天候も悪いが明らかに妨害されています」
「おい、こっちもヤバイぜ」
晶斗が左手首をプリンスとユニスへ見えるように掲げた。黒いガードグローブと一体型のセンサーだ。手の甲の小型ディスプレイは装着者だけに見える角度でデータを表示する。捕捉した敵の装備する武器の種類も、ある程度は解析できる。
「今度の団体さんは、けっこうな数の大型武器を装備しているぞ。戦闘意欲に溢れたお客様だ」
「ここで応戦するしかありません。遺跡地帯の道路を哨戒する保安小隊が気付いてくれるといいが、期待はできません。アイミア、ここまで乗ってきたヴィグは?」
プリンスが尋ねると、アイミアは森の中に隠してきたと応えた。ヴィグは一人用のタイヤレスカーだ。シェイン系の乗り物で、陸も水上もお構いなしに走れる。
「これから取りに行くには遠いですね。やはり朝まで一緒にいましょう」