満、照れ隠ししてみる。
続けて満です。僕なんかですみません。
十五分くらい遅れて、午後の授業に出ます。
麻耶ちゃんに、同じ時間に教室に入るなときつく命令されています。時間ぎりぎりで、僕が遅刻になろうとも、当たり前ですがお構いなしです。
さくらちゃんの言うとおり、僕は神様に嫌われているのでしょう。誠司君とも麻耶ちゃんとも運命的に同じクラスです。目立つ二人の影響で、開始一週間で僕は早くもクラス内で中学と同様のポジションになっています。顔や名前も覚えていないようなクラスメートから、無視され、苛められ、軽蔑されるポジションです。唯一心のオアシスと思っていたさくらちゃんの存在も、昨日の今日となっては拷問です。
入学早々、毎日昼休みを超過しているため、昨日は先生も生ごみでも見るように顔をしかめただけで、もう注意もされなくなりました。
後ろの引き戸を動かし、隙間からこっそり忍び込みます。
「篠崎満君!」
凛とした声でフルネームを呼ばれました。名前を覚えられているようです。知らない綺麗な女の先生です。黒板を見ると苦手な数学の授業。フレーム無しの眼鏡の向こうから、まっすぐに僕を睨んでいるみたいです。
「も、申し訳ありません」
「いいえ、それよりどうしたの、その、服装が……」
先生は口ごもると目線を逸らして、微かに顔を赤らめたように見えました。
僕を殴り慣れている誠司君は、外からそれとわかるような怪我は残しません。身体中青痣だらけですが、脱がされでもしない限りわからないはず。
単純に服装の乱れで怒られるんでしょうか。制服に掛かったゲロはきれいに拭き取りました。倒れたときにスラックスの膝と上着の腕の辺りが少し擦れて汚れているかもしれない。シャツは第二ボタン程度まで開いていてネクタイも緩んでますが、それくらいで目くじらを立てる校風でもないはずなのに。
「私、保健室に連れて行きましょうか。貴志君、篠崎君に肩貸してくれる」
「は? あー。わかった」
勘のいい麻耶ちゃんがすっくと立ち、誠司君に声を掛けます。麻耶ちゃんはクラスでは誠司君を名前で呼びなせん、僕のこともうじ虫とは呼びません。そしてすっくと背筋を伸ばして他人に指示する姿が、やけに堂に入っています。
誠司君もはっきり嫌そうな表情をしながら、それでも麻耶ちゃんに従います。自分が殴ってできた僕の痣を、他の人間には診せられないということです。
「そうねえ」
先生は目を逸らしたまま、困ったように呟いてます。何か変です。直視できないほど、僕が醜いということでしょうか。
保健室でまた、拷問が続くことになります。そう覚悟を決めたとき、
「そんなゴリラのつがいに連れてかれたら、満君犯されちゃうよ。てか満君エロスー、かわいい胸が見えそうだよ、眼福だわー」
天真爛漫な少女の声のよくわからない暴言が、麻耶ちゃんの支配していた教室の空気を切り裂きました。そしてクラスの爆笑が続きます。
「さくら、なに言って……」
「ウッホー」
呆然と漏れた麻耶ちゃんの言葉に、ゴリラの物まねで威嚇したのは、やはりどう見てもさくらちゃんでした。ウホウホいって勝手に教室を徘徊しながら、胸を叩いています。教室は爆笑で溢れます。満は慌てて目を逸らし、顔を熱くするくらいしかできません。
さくらちゃんの小ぶりの胸が、薄いシャツを透かして見えてしまったのです。具体的には乳首が見えました。ブラジャーをしていませんでした!
「男の子は恥じらいを持つこと、じゃないとゴリラのさくら様に襲われちゃうぞ」
冗談めかしてそういうと、さくらちゃんは薄手のウィンドブレーカーをふわりと満の肩に掛けてくれました。
「前、チャック閉めとくように。そしたら見えないからね」
さくらちゃんはにかっと笑ってそう言うと、慌てて目を逸らしました。頬がなぜか恥ずかしそうに少し染まって、よくわかりませんが可愛すぎます。
「はーい、水上さくらさん着席。日野麻耶さんも貴志誠司君も座りなさい、授業再開します」
フルネーム呼びが癖らしい先生の一声で、うやむやに収束し、各々が着席していきます。
僕も自分の席に着くと、目も合わせたことのない隣の席の男子が、突然こそっと「十二頁」と教えてくれました。
「あ、ありがとう」
「いーえ、水上さんておもしろいね」
「うん……!」
「えへへ、びっくりしたけど、篠崎君と話してみたかったんだ、水上さんに感謝かも。ねえ、満君って呼んでもいい?」
「え、あ、うん」
「良かったー、うれしい! あたし、草野青葉。名前でアオバって呼んで欲しいな」
「アオバ、くん」
「よろしく、満君」
入学して、幼馴染の誠司たち三人を除いたクラスメートと会話したのは初めてでした。
僕に負けない不細工で、しかもオネエの入った冴えない男子でしたが、すごく嬉しい。夢ではないかと思うほどに嬉しかった。
「ちょ、満君何で泣いてんの?」
「泣いてない、目に、ゴミが入っただけ」
「もう、満君変なの。満君電車通学だよね、今日一緒に帰ろうよ!」
「……うん、うん!」
生まれてはじめての、嬉し泣きと、照れ隠しと、友達でした。