満、絶望してみる。
篠崎満です。身体とか、心とか、色々痛いです。
誠司君に殴られ、麻耶ちゃんにお金を取られました。
お腹の辺りがじんじんしますが、なんとか起き上がります。
僕は不細工です。人と会話することが苦手です。なんの特技も、取柄もありません。
それでも高校に入れば、解放されると夢想していました。
幸せになろうなんて大それたことを思っていたわけではありません。
ただ誰かに虐められることなく、平和な日常が欲しい。できれば、友達と呼べる存在が欲しい。もし、もしも叶うことながら、無理だとはわかっているけど、高校に入ったらさくらちゃんとまた話したり……いえ、あまりにも非現実的だから、そこから先は想像するのもやめとこう。……そう、頭の中でさえ、リミッターを掛けておいたんです。
チラリと、頭の中を掠めただけでも、罪だったのでしょうか。
僕と、誠司君、麻耶ちゃん、そしてさくらちゃん。僕ら四人は幼稚園からの幼馴染です。
僕はさくらちゃんを追い掛けてこの高校に入学しました。
さくらちゃんは僕の、女神です。ふんわりとした美少女で、性格は無邪気で誰にも分け隔てなく明るい子です。
男子と女子なので、小さい頃とは違って今はあまり会話はありません。それでもたまに、例えば駅のエスカレーターで偶然僕を追い抜くとき、そして空がからっと晴れてさくらちゃんのふわふわとした天然パーマが落ち着いておりお天気気質なさくらちゃんがたまたまご機嫌なとき、顔も向けずに「おはよ」と言ってくれることがあります。悪意なく。虐げることなく。何も奪うことなく。僕におはようと言ってくれるのです。
遠くから、後ろ姿でも見ていたい。付き合いたいとか、大それたことを思っているわけじゃありません。ストーカーになろうとか、迷惑を掛けるつもりももちろんありません。
ただ中学の知り合いのいない遠くの学校に行きたくて、それだけの条件で僕の学力で入れそうな幾つかの高校から今の高校を選んでしまったのは、さくらちゃんが行きたいと友達と喋っていたのを、ふと聞いてしまったからでした。
さくらちゃんの存在そのものが、僕の新生活が壊れるきっかけになるかもしれない。そんな予感も、少しはありました。それでも、さくらちゃんとの接点をあえて失いたくないという誘惑には抗えませんでした。
結果的にさくらちゃんとは関係なく、僕の高校生活は最初から破綻していました。いえ、さくらちゃんの存在そのものは関係なくても、僕の認識の甘さが招いた結果ではあるのかもしれない。もしも高校受験前に戻れるなら、僕は今度はもっと命がけでもがくと思います。
誠司君と麻耶ちゃん、二人の悪魔が僕を追いかけて同じ高校に入ってきました。
勉強もスポーツもできてバンドのギター兼ボーカルをやっている、少しチャラい感じがするから先生受けはいまいちだけど女子受けは抜群の誠司君。ただ、僕を暴力のはけ口にするために追い掛けてきました。
品行方正でクラスの女子のリーダー的ポジション、先生受けもいいが顔もスタイルも兼ね備えているため密かに男子にも憧れられている麻耶ちゃん。ただ、僕を金づるにするためについてきました。
高校に入って一週間、中学と同じ日々です。
昨日ついに、さくらちゃんにも見られました。誠司君に殴られ、麻耶ちゃんに搾取される場面を。
さくらちゃんは友達が休みだったのか、珍しく一人で、日当たりの良い屋上の給水タンクの上でお弁当を食べていたみたいです。誠司君と麻耶ちゃんが行ったあと、空から声が降ってきました。
「満って、のびた君みたいね。のびた君より不細工だけど。ジャイアンばっかりののびた君。しずかちゃんも、ドラえもんもいないまま、高校生になっちゃったのびた君。どれだけ神様に嫌われちゃったんだろうね」
柔らかそうな髪がこの日も落ち着いていました、機嫌が良かったのだと思います。だからくすくす笑いながら紡がれた言葉にも、特別悪意はなかったのだと思います。いつものように無邪気に、思ったことを口にしただけなのです。小匙一杯ほどの哀れみと、ほんの一つまみの嘲りの毒を散らして。
さくらちゃんの言葉に、誠司君に殴られるよりも、麻耶ちゃんに金を巻き上げられるよりも、僕は絶望したのです。
立ち上がり、給水タンクを見上げます。今日はさくらちゃんはいません。
昼休みが終わって中天を過ぎた太陽が、少し東に……グラウンドは東側だったはずだけど、不思議なことにグラウンド側に傾いているように見えました。
「あべこべだったら、満は無敵なわけだ」
昨日さくらちゃんが最後に呟いた言葉が、不意に頭をよぎります。