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田舎、トマト、泡だて器

作者: ユヤ

 私のクラス担任のあだ名は”泡立て器”だった。

 由来は女子の教室着替えを覗いた時に泡を吹いて卒倒したこと。覗きの件は当初女子の内々で騒がれたけど、結局学校からの処分はほとんどなかったらしい。原因は男子の一人に騙されたからだったという話だし、第一、本当に覗き目的で来たのならあんな風にはならなかったと思う。

 とはいえ、やっぱり今も嫌がってる子もいる。まぁ例え嫌らしい目的がなかったとしても、体を見られたくもない相手の前に晒しかねなかったわけだから、当たり前といえば当たり前のことだ。

 私は少し意外に思ったぐらいであまりそのことを気にしていないけど、先生の性格には苦手な所があった。お節介すぎてありがた迷惑というか何というか。


 ある時クラスに”トマト”嫌いな子が多いことがわかると、先生は自分の”田舎”からトマトを苗ごと貰ってきて、校舎の脇にある果樹園で育て始めた。そうしてどうするのかと思っていたら、食べ頃になったそれを皆に振舞い出したんだ。

 五時間目の授業終わりの、ちょうど皆の小腹が空き始める時間を狙っておやつみたいに配るの。


 ボウルが机の前に置かれると、私は中の細切れトマトをちょっとだけ見てすぐに後ろの席に回そうとした。

 すると、右隣から「うわぁ。おまえ、トマト食べられないのかよ。だっせえ」なんて声がした。私は反射的にトマト嫌いでも立派に生きていけるみたいな反論を考えたけど、それをするのも何だかみじめになる気がしてやめておいた。

 食べ物の味に思えないんだから、しょうがないじゃん。そんな風な言い訳で私が適当ににごそうとしていたら、後ろの席の優しくて仲が良い友達が割って入ってきてくれた。持つべきものは友達だね、うん。この子と私は一生の親友でいられる、そう思った。

 「泡だて器の作ったトマト、おいしいよ」。ソッコーで食べてた。感動を返せ。


 結局私はその場を、食べたい人だけ食べれば良いという話だったと言い逃れた。

 幸いこのことで友達と仲違いすることはなかったけど、そのうちにトマト嫌いの子も食べてる子を見て興味を持ったり、はやし立てられたりして食べるようになっていった。


 一週間も経つと、何だかんだで私以外の全員が一度トマトを口にしていたみたい。

 中には何故かそれでトマトを克服できたクラスメイトもいたし、嫌いなままの子もいた。私はトマトを食べないまま、トマトを食べようとして食べられなかった子となぐさめ合っていた。トマトなんか全部おんなじだよ。みんな枯れちゃえばいいのにね、酸性雨でも降って。あ、でもそしたらもっと酸っぱくなっちゃうかな。


 しばらくそういう感じの日々が続いた後、トマト反対派の人らで昼休みに集まるようにって伝達が来た。

 確かちょうど、先生が結婚するらしいよってうわさを聞いてたときだったな。給食が終わってすぐに教室の隅で話が始まった。要約すると、抗議をしようって話。そろそろ梅雨入りの境目だったから、みんなの反感が積り積もっていたんだろうね。もう果樹園のトマトは残り少なくなっていたけども、不満をちゃんと形にしないとまた送ってこないとも限らないとか何とか。

 そして、代表として私が直談判に行くことになった。と言っても望んでなったわけじゃなくて、まだ一度もトマトを食べていない私が体よく一番のトマト嫌いにされてしまって、引け目から断りきれなかっただけなんだけど。


 さて、嫌々ながら引き受けはしたものの、私は尻込みしてしまっていた。さんざん小づかれたけど、昼休みの間には言わずじまい。そもそもこういうのって言いだしっぺが行くものじゃないのかな、普通。言いたい人が言ったらいいんだよね。

 で、休み時間にできなかったことが授業時間にできるわけもなく、五時間目の授業が無事に終わった。本日のトマト。目の前においしそうに食べてる子がいるのに、まさかそこで言えるわけがない。もう今日の分はなくなって、遅くても放課後までに言えばよくなった。引き伸ばし、先延ばし。


 放課後、例の果樹園へ向かった。いつもならこの時間はトマトの水やりをしているはず。私はもうあきらめたような、追い詰められて苦しいような心地だった。

 先生は案の定そこにいた。私に気づくと備品の青いじょうろを少し上向きに傾け、空いている方の手を上げて呼び掛けて笑った。人の気も知らないで。何か言われる前に切り出してしまおう。言い込められてもいいんだ、義理を果たしさえすれば。


――お話があります。あの、先生はよく休み時間にトマトを出しますよね。あれ、迷惑なんです。トマトが嫌いで食べられない子は嫌味を言われているみたいに感じるし、見るのも嫌だって子もいます。だいたい他の食べ物が苦手な子だっているのに、どうしてトマトだけやり玉にあげるんですか。……言った。最後には語気荒く。ギリギリまで言えなかった意気地なしのくせに、いっぱしの代表気取りになったらしかった。


 空いばりの私をよそに、先生の返事は拍子抜けするくらいあっ気なかった。

 「うん、それは確かにその通りだ。悪かった。もうこのトマトはクラスで配らないよ。ちょうど残りが少なくなって来ていたし、持って帰ろうかと思っていた所なんだ」、とだいたいこんな感じ。きっと、先生にとってはちょうどいい引き際だったんだろう。

 でも、その時の私にはそんな事はわからなくて、中止の判断が早いことにただただびっくりした。ばっさり。冷静だし、やっぱ、さすがは大人だななんて。おかげで気持ちが固まった。

 どうかこの気持ちも終わらせてください。


 最初は勘違いだと思っていた。いや、それだって今もはっきりしない。この人がお父さんだったら、ってずっと考えてたし。

 でも、どうしても忘れられなかった。先生に届かなかったとしても、初めからなかったことのようにウヤムヤにするのは嫌だった。たとえ受け取ってもらえなくても、「私は先生のことが好きです」。


 勢いが良いのは最初だけ。続きの言葉は後から後からせき立てられて、ノドから出たのはただの変な音に聞こえた。心臓が暴れる。どうせ断られるだろうと、平気そうに目を見て伝えようとしたのがいけなかった。とうとう目線を下げるけど、同じ。一応話を終えてやっとまた顔を見れた。


 先生は顔を赤くして固まっていた。熟れたトマトみたいに。告白の前はひょっとして先生、泡吹いて倒れてくれるかもって期待もしはしたけど、思った以上に身近な反応だった。また視線を外した。私はどうしたらいいんだろう。先生が丁寧にありがとうと言って、じょうろを花壇のわきに置いた。それから噂に聞いた結婚話をしようとした気がする。でも、聞いてられなかった。そこは想像してた通りだったのに。


 「これを食べたら、全部済んだことにしてくれますか」。私は訳のわからないことを言って花壇に屈み込み、一番小さくて真っ赤なトマトをもぎ取った。終わっていないことなんてないのに。その場から消えてしまいたい、そんなことを考える自分にいら立つ。ちゃんと向き合ってくれた先生に申し訳ない。ない交ぜになったものがそれで対等になると思い込んだ。


 先生がうなずくのを見て、校舎へ走った。洗い場で一人、蛇口を勢い良く開いて、噴き出す水をトマトに当てて三十秒。目をつぶってかじり付いた。口に入れるやいなや込み上げてくる、青臭い匂い。気持ち悪い。

 ムリヤリに押しとどめて味わう。トマトなのに、甘い味がした。だけど、苦しくなった。トマトはまだダメだった。


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