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 焼却炉の炎が揺れていた。この中にはきっと、リサの手によって捨てられた僕の軍手も混ざっている。昼と夜とを繋ぐ鎖。脆く、強固な絆が。

 舞っていたはずの粉雪は日陰にのみその姿を残し、今はもう、消えていた。掌に載せる迄もなく、自然に。まるで、初めから存在していなかったかのように。

「……雪、か」

 見上げると、空は青く澄んでいた。所々に残った雲は真白く、吐き出し霧散した息が集まり雲を形成しているのかもしれないと、ありもしない幻想を抱かせる。もしもそれが正しいのなら。あの雲には僕の息だけでなく、リサのものも含まれているのだろうか。くだらない、感傷的な物思いに過ぎないが。

 たとえばあの日、僕がリサに気付かなければ。こんな風に囚われることはなかったのかもしれない。手を染めることもなく、平穏な現実に浸り続け。夜の空気を知ることもなく、偽りの天国に酔い痴れることもなかったのだ。きっと。

「大沢、大丈夫かな?」

「大沢? ああ、大沢リサのこと?」

 ぼんやりと佇んでいると、後方から人の気配が近付いてきた。会話の内容からして、クラスメイトのものだろう。女子のみで、二人ほど。

「呼び出しならさ、ま、いつものことでしょ。ったく、迷惑なんだから」

「ホントだよね。で、さ。その大沢なんだけど」

 聞き耳を立てつつ、そそくさと退散する。見られて困ることは何一つなかったが、リサの話題に乗る気にはなれない。僕たちは、他人なのだから。

「ちょっと気になることがあってさ」

 あの日より前の関係がどうだったのか。それすら、僕には思い出せないのだけれども。

「気になる? ……あ、ちょっと待って」

 教室内での僕とリサは、水と油のようなもの。他のクラスメイトと同様に、混ざり合うことのない遠く離れた存在。おそらくは、他人という表現ですら近過ぎるような関係で。

「ちょっと、優くん! 丁度良い所にいた! 手伝ったりしたくない?」

 唐突に名を呼ばれ、戸惑った。幻の中を漂う感覚から現実に引き戻され、それに伴い恐怖が芽生える。

「……したく、ないけど」

 僕は抗う。酔い続けることを望み、リサを護ることを願う。

「えー? か弱い女子がお願いしてるんだよ? 手伝えば良いじゃん」

「ヤだよ。僕、帰るとこだし」

 どうかしている。朝も昼も夜もずっと、リサの掌で踊り続けたい。僕はそう、願っているのだから。この手を染めたあの日から、ずっと。

「ケチ! せっかくお手伝いさせたげるって言ってんのに」

「そうだよ優くん、女の子には優しくしなきゃ駄目なんだぞ? ほら、ゴミ箱持って」

 知らない。うるさい。僕にとってリサ以外の女子など必要ない。必要、ないのに。

「……判ったよ」

 口をいて出た言葉に従い、押しつけられたゴミ箱を手にとる。夜の匂いを打ち消す行為。昼間の僕を取り戻す行動。持続を望み、払拭を願い。僕は何を求めているのだろうか。

「手伝えば、良いんだろ?」

 偽りの恋心に蝕まれ、僕は全てを見失う。昼間の僕がどういう人間だったのかさえ。

「そうそう。優くんも最初っから素直になってれば良かったんだよ?」

 たぶん、きっと。有り触れた普通の男子生徒だった。女子に手伝いを頼まれれば、嫌々ながらも引き受けるような。

「てかさ、何で手伝わなきゃいけないワケ?」

 軽口を叩きながらも、手だけは動かし続けるような。

「良いじゃん、もう。とにかく、優くんがいたのが悪いってことで」

 月明かりに映える鮮やかな色を知らない、普通の。

「何だよそれ」

 適当な言葉を口にしながら、ゴミ箱の中身を焼却炉に投げ捨てた。炎が少し強くなる。立ち上る熱気が、頬に触れた。

「良いじゃん、お互い助け合いってこと。今日の掃除だってホントは大沢と三人で当番だったんだよ? なのにアイツ、サボるし」

 大沢、の一言に、僕の身体が反応する。唾の奥からはっきりと、唾を飲み込む音が聞こえた。リサの話はしたくない。距離感が掴めない。けれども。

「呼び出し食らったから掃除サボるとか、マジあり得ないんですけど。ね? 優くんもそう思うっしょ?」

 肯定とも否定ともつかない曖昧な反応しか出来ない自分が情けない。教室でのリサの立ち位置を考えれば、自ずと答えは出るというのに。

「あ、そだ。大沢で思い出した。さっきの話」

 リサを否定することが出来ないまま、耳をそばだて会話に聞き入る自分がいた。

「ああ、気になるって言ってたヤツ? 何?」

「うん。あのね、昨日の夜なんだけど……」

 夜という言葉に戦慄を覚える。夜は、僕たちの世界。脆弱な繋がりを強固なものに変えられる、唯一の。

「大沢がさ」

 罪色の絆。

「……知らない男と歩いてたんだよね」

 どこからか、何かが崩れる音が聞こえた。

 それは、焼却炉の中から聞こえて来たのかもしれない。偽りの感情のはずなのに、何かを失ったような。

「知らない男? うっわ、何それ。すっごい興味あるかも」

「でもあたしもそんなしっかり見たわけじゃないんだ。たださ、オヤジっぽかったから、エンコウでもやってんじゃないかと思って」

 何かが零れ落ちるような、喪失感。

「それで今日呼び出しってこと?」

 焼却炉から立ち昇る熱気が、僕の頬を撫で上げる。

「いやだからワカンナイんだけどね。そうなんじゃないかって」

「うっわサイッテー! でも大沢ならやりかねないって感じするわ」

 今の僕はきっと、昼とも夜とも違う顔をしているだろう。焼却炉の中で燃え盛るゴミだけが、僕の表情を捉えることが出来ている。この中に混ざっているはずの、あの軍手とともに。

「じゃ、これ」

 顔を見られないように不自然な動作でゴミ箱を返し、適当な別れの挨拶を口にする。感情的になっているのは判っていた。けれども、どうでも良い。どう思われても構わない。僕には関係ないのだから。

「ちょ、優くん。バイバイ、ありがと! 今度お礼ってことでクッキーでも焼いてきたげるからね!」

 誰よりもリサのことを知っていると自惚うぬぼれていた。本当は誰よりも、知らないというのに。

 連絡先も。何を考えているのかも。いつからあんなことをしていたのかも。僕のことをどう思っているのかも。僕は何も、知らない。

 知っているのは、リサの指先は冷たいということ。ただ、それだけだ。

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