ヤクザの子育て
新興住宅地には、隣近所にどんな人が住むのかが選べないという怖さがある。
私(男)が大学生になるまで住んでいた新興住宅地では、いつ頃からか裏の家にヤクザの家族が入っていた。
主人は中年の冴えない禿げ男だったが、背中に倶利迦羅モンモンの入れ墨をしていて怖かった。夏になってランニング姿になっていると、どうしてもいかついホリモンが見えてしまうのだ。
表向きは、水道工事の業者だと名乗ってた。けど、一向に仕事をしている気配がない。
たまに電話でがなっているのが聞こえてくる。
誰かを殺す、といったことまでは話していないが、ドラマの中でしか聞いたことのないようなヤバい発言をしていた。
そして、それを隠す気もなさそうだった。
小学生の頃には、このヤクザの家に爆竹を投げ込むいたずらが流行った。爆竹の音はピストルの発射音に似ているので、ヤクザが怒って飛び出してくるのだ。何年か下の世代が始めた危険な遊びだった。
我が家は父が大学教授、母が専業主婦の、親子三人の核家族だった。
ふだん家にいるのは母一人、土日や休みの期間は私がいて、父は全国を駆け巡っている、という感じだった。
家柄としては、父が士族、母が商家の出で、父はともかく母のおびえようが半端なかった。
自然と、家の守りは私が引き受けることとなる。
そこで、中学では剣道部に入ろうとした。士族の出だから丁度いいと思ったのだ。
すると父にこっぴどく叱られた。「竹刀競技なんぞしたら変な癖がつく」と言われた。
そして、木刀を一本渡されて「これでも振っとれ」と言われた。
士族の剣術は、いわゆる剣道とは全く違う。基本が袈裟懸けで、切ったら突く、突いたらねじる、ねじったら抜いてまた切る、という本当に人を殺す武術なのだ。初太刀の袈裟懸けは続けて逆袈裟に切り上げたりする。そのあとは突きへと続く。この型は進みながら行う。
稽古するには場所がいる。そこで、近所の公園に行って、毎夕木剣(と父は言っていた)をふるっていた。
公園には古タイヤが一つ捨ててあったので、それを立木に掛けて木剣で叩いたりもした。声は出さない。そんなことをしたら近所迷惑だし、うちの流儀では「弱い犬ほどよく吠える」と言って大声を出すことを嫌う。剣道とは真逆なのだ。
まあ、そうやって私は一家の抑止力として育った。
おそらくご近所の人には「あの家の子はヤバい」と思われていただろう。私には士族の末裔として当然の習いだったので、逢魔が刻に木剣を振るうのには何の疑問も抱かなかったのだが。
とまあ、それもあってか裏の家がうちに迷惑をかけてくることはめったになかった。
ヤクザは地元には迷惑をかけない、という話があるが、それは迷信だ。現に、ご近所の人がハンマーで殴られるという事件が起きている。ゴミの出し方を注意したとか、二階からいつも監視しているとか、犬がうるさいとか、そういうたわいもない事が理由だった。ハンマー事件ではさすがにヤクザも収監されたが、傷害事件止まりで大したおとがめもなかった。
さて、問題はヤクザの妻である。
これがまたご近所の鼻つまみ者だった。
中学のPTA(父兄会と称していた)では決まった仕事の分担を無視したり会議の席でけんかをしたりと、結構暴れたらしい。
その娘のSちゃんは、学校ではお嬢様気取りだった。ジャガイモのような親父と、痩せた鷹のような女房から、どうしてこんな美少女が生れるのかと首をひねるほどの美貌だったのだ。私の二年上の学年で、文化祭の演劇では主役を務めたりもした。
が、やはり蛙の子は蛙で、キレると怖いという噂はあった。誰かに因縁をつけられた時に、その鼻にカッターを突っ込んで切り裂こうとしたというのだ。もっとも、この時は被害者側の過剰防衛という理由でおとがめなしになった。が、呼び出された母親がぶち切れて逆に教師の襟元をひねりあげたという逸話も聞こえてきた。
このSちゃんは、低学年の頃はよく家から放り出されて泣いていた。母親が「この落とし前、どうつけるんじゃー」と怒鳴っていたりして、一般の母親が娘に向かって言うセリフではない、とは我が母の評である。
ある日、ヤクザの親父が電話に「これで運が開けた!」と叫んでいるのが耳に入った。母はのんきに「株でもあてたのかしら」と言っていた。
新興住宅地に一軒家が買えるということは、そこそこの資産家ということである。母の感覚では、「資産家」イコール「株長者」だった。けど、町内の噂は違った。誰かから家を脅し取ったというのだ。どちらが真相かはわからない。
閑話休題。
その数日後、夜中に庭を掘るザクッザクッという音がした。
時計を見ると三時である。庭仕事をする時間ではない。
父と私は、二階の階段の上にある小窓(そこから唯一、裏の家の庭が見わたせるのだ)から、息をひそめながらその様子をうかがった。
穴を掘る音は明け方まで続いた。私は学校があるからと父にうながされて寝床についたのだが、さすがに眠れないのだった。
数日後、ヤクザの家の庭を見ると、穴を掘った跡は陰も形もなかった。
ただ、あれだけの時間穴を掘っていたということは、人一人くらいは埋められるだろう。
父にきいてみたが、自分の家の庭に穴を掘ることは犯罪ではないし警察にも捜査のしようがない、とのことだった。誰かの死体が埋められたとしても、事件が明るみに出た時か家の持ち主がかわって庭を堀り返したときだ、それまでこのことは他言してはならない、ときびしく言われた。組織暴力には勝てない、無駄な正義感から一家全員が殺されることもありうるのだ、とも言われた。
確かに相手はまともな人間ではない。組の人間を集めて押し入られたら、私と父では応戦しきれないだろう。私は唇を噛みしめると父の指示に従うことを誓った。
さて、うちの斜め裏には子供のいないIさんご夫婦が住んでいた。
ハンマー事件の被害者ではないが、この家でもまた犬を飼っていた。私は小学生の頃からよくフェンスの隙間からこの犬をなでていた。可愛いむく犬だった。
この犬がアホで、よく家の外に飛び出したり野良猫に吠えたりしていた。
ある時、裏でキャイーンという悲痛な叫び声が聞こえた。
二階の窓からのぞいてみたが、何が起きたのかはわからない。
ただ、数日後に迷い犬を探すIさんのチラシが投函されたことから、犬が失踪したことがわかった。
私に出来たのは、犬が裏の庭に埋められた死体を掘り出そうとしてヤクザに殺されたのかもしれない、という推理だけだった。
その頃私は受験に失敗し、京都に下宿して予備校に通う事に決まった。母方の祖父の家である。高齢の祖父の介護が必要になり、しばらく前から母が泊まり込んでいたのだ。
実はその少し前に、母がヤクザの女房とトラブルを起こしてえらいことになった。母が、デパートでヤクザの女房と鉢合わせて顔をにゅっと突き出されたため思わず叩いてしまったのだ。
原因は、私がSちゃんの着替えをのぞいている、という話だった。いわゆる「因縁をつける」というヤツだ。母も、ついかっとなったらしい。もちろんそれが相手の狙いだ。示談金をむしりとろうと思ったのだろうが、父が京都の有名弁護士を引っ張り出したため、警察がなだめてこの件は立件されずにおわった。
大学生になったSちゃんは、とにかくきれいで可愛かった。
天は二物を与えず、というがまさにその典型例で、彼女は頭は悪かった、と聞く。
ただ、頭が悪いことと異性への魅力とは別物だ。そんな娘がシュミーズ姿ででうろうろしていたら、見るなという方が無理だろう。
ただ、大学受験を控えた家の跡取りがヤクザの娘に入れあげでもしたら大変なことになる。父は、母に続いて私も京都へと逃がしたのだった。
翌年、私は京都大学に合格し、晴れて京大生となった。
祖父の家では剣術の稽古をすることもなく、平穏無事な日々がすぎていった。
祖父が亡くなると、家を売って相続税に充てる必要が出て来た。
私は久しぶりに実家に帰った。
驚いたことに、Sちゃんは京大の理科系の研究者と結婚して、その人がヤクザの家に入り婿として入っていた。ひょろがりメガネの気の弱そうな人だった。
どういう経緯があったのかは私は知らない。ヤクザの親父は癌で入院して家にはいないという話だった。ひょっとしたら「別荘」に入ったのかもしれない。ヤクザの女房も、世間体をおもんぱかったのか極めておとなしくなり、トラブルを起こすこともなくなった。
ほどなくしてSちゃんは女の子を産んだ。いい奥様っぶりが板について、物事はいい方向に向かっているように思えた。
数年後、私は大阪の企業に就職して実家から通う日々を送っていた。
父は呆けてほほ寝たきり、母はその介護で疲れ、私は朝の七時に出勤して夜の十一時に帰宅するという過酷な日々を送っていた。
本来なら会社の近くにワンルームでも借りれば良かったのだが、母の苦労を思うと実家に居続けざるを得なかったのだ。
その頃にはSちゃんの娘のKちゃんが成長してわんぱく盛りになっていた。
Sちゃんの子供時代と同じ事が起きいてた。
よく家から放り出されて泣いていた。さすがに「この落とし前、どうつけるんじゃー」はなかったが、よく壁に投げつけられてドスンドスンという音が響いていた。
そして、気がつくと気の弱そうな旦那さんは姿を消していた。ご近所の情報では「泊まり込みの実験がある」と称して家に寄りつかなくなったというのだ。かわいそうなのはKちゃんである。母親のストレス解消のために虐待を受け続けていた。
ちょうどその頃、政府の方針がかわって家庭内の虐待に公務員が介入するようになった。家庭内暴力を見聞きした公務員には報告する義務も出来た。
父の介護関係で福祉課の人が来たとき、ちょうど裏の家での暴力行為が始まった。バシッ、ベシッ、ドンという音と、小さな女の子の「ママ、ごめんなさい」という悲痛な叫びと泣き声が響いてきた。
「あれは何なんです」
福祉課の人が怪訝そうに眉をひそめた。
母は積極的ではなかったが、私はご近所の噂も含めて知りうる限りの情報を福祉課の人に伝えた。
時をへずしてパトカーが裏の家の前に来て、激しい物音はしなくなった。
その後のことは私もよく知らない。
ただ、ほどなくして裏の家は無人になった。庭は草ぼうぼうになり、誰も掘り返すことはなかった。
母も亡くなり、私は実家を売り払って通勤に便利な大阪市内に引っ越した。
ただ、今でもあのヤクザが夜中に庭を掘り起こしていた光景の夢はよく見る。そして、裏の家から響いてきた様々な物音が夢の中に再現されて、汗だくになって目覚めるのだった。




