「フハハ!我は魔王!」と名乗る前に勇者に瞬殺されたので、走馬灯で必死に尺を稼ぐ
「フハハ! 我は魔……ぐはぁっ!!」
魔王グランヴェルドの視界が、白く弾けた。
胸の奥で、魔力の核が砕ける音がした。
玉座の左右で、黒炎が一瞬だけ大きく揺れる。
(なっ……!)
斬られた。
いま、斬られた。
しかも、最初の一文字で。
しかも、致命傷で。
(待て!)
勇者は、魔王が名乗り終えるのを待たなかった。
(待て待て待て待て!)
違う!
これは違う!
我はまだ、魔までしか言っておらぬ!
魔王ではない!
魔、である!
いや、最後に「ぐはぁっ!!」が混ざったせいで、もはや魔ですらない!
(ふ、ふざけるな……!)
百年だぞ!
この一声のために、玉座の高さを変えた。
黒炎の燃え方を調整した。
マントが広がる角度まで、三度も直させた。
それを。
「魔」で。
斬った。
しかも、魔力の核まで!
(勇者よ……! そこは待つところであろうが……!)
魔王城の玉座の間。
百年に一度の決戦。
万魔を統べる王が、人類最強の勇者を迎え撃つはずの瞬間。
そのすべてが、最初の「魔」と「ぐはぁっ!!」で終わった。
(早い! あまりにも早い!)
魔王の体が、後ろへ倒れていく。
黒いマントが、遅れて揺れた。
砕けた魔力の核から、黒い光が霧のように漏れている。
玉座の両脇では、せっかく調整した黒炎がまだ威厳たっぷりに燃えている。
遅い。
炎だけが、遅い。
(我はまだ、何者であるかを言っておらぬ!)
このまま死ねば、勇者の記憶に残るのは「魔」と言いかけて「ぐはぁっ!!」と叫んだ黒い人影だけだ。
違う!
そうではない!
我は魔王グランヴェルド。
万魔を統べし黒焔深淵暗黒不滅大魔王グランヴェルド二世。
夜を裂き、星を沈め、古き盟約を破りし者。
その予定だった。
(せめて名乗らせよ!)
魔王は、白く飛びかけた意識の中で叫んだ。
(せめて、我が何者であったかを語らせよ!)
玉座の間の音が、遠のいた。
勇者の足音も、部下たちの叫びも、黒炎の燃える音も、白い膜の向こうへ沈んでいく。
代わりに、石を削る音が聞こえた。
*:.。..。.:+・゜・
白い光の奥に、まだ完成していない魔王城が浮かぶ。
最初の記憶だった。
玉座の間ではない。
まだ城壁も低く、塔も半分しかない、建設途中の魔王城だった。
若き日のグランヴェルドが、城門の前で腕を組んでいる。
その前には、巨大な黒い玉座。
玉座は、扉の前で止まっていた。
大工長が図面を見た。
経理係が青ざめた。
若き魔王は、玉座と扉を見比べていた。
「陛下。扉より、玉座の方が大きいです」
「見れば分かる」
(違う!)
死にかけの魔王は、白い意識の中で叫んだ。
(そこではない! もっとあるであろう! 我が魔王として初めて玉座に座り、万魔がひれ伏した場面を出せ!)
しかし走馬灯は止まらない。
大工長が恐る恐る聞く。
「どういたしますか」
若き魔王は、腕を組んだまましばらく黙った。
「壁を一部壊す」
経理係が泣きそうな顔になった。
「陛下、予算が」
「我の採寸ミスだ。我の私室の装飾費を削れ」
「よろしいのですか」
「よい。玉座のない魔王城など、鍋のない厨房だ」
「例えが庶民的でございます」
「うるさい」
周りの魔族たちは、笑いをこらえながら頭を下げた。
(違う! そこもいらぬ!)
魔王の意識は、白い光の中で暴れた。
(我の走馬灯であるぞ! もっと威厳を出せ! もっと恐怖を出せ!)
石を削る音が、鍋の底をこする音に変わった。
*:.。..。.:+・゜・
厨房だった。
巨大な鍋から、黒い煙が上がっている。
若き魔王は、手のひらに小さな黒炎を浮かべていた。
料理長が横で固まっている。
「陛下、火力が」
「弱火と言われたので、黒炎を小さくした」
「黒炎は、小さくしても黒炎でございます」
鍋の中のシチューは、黒く焦げていた。
若き魔王は鍋をのぞき込んだ。
「……すまぬ」
料理長が目を丸くした。
「陛下が謝られるのですか」
「我が焦がした。ならば我が謝る」
「しかし、魔王様が厨房で頭を下げるなど」
「焦げた鍋に王も兵もあるか。貸せ。洗う」
若き魔王は袖をまくり、鍋を洗い始めた。
厨房の魔族たちが、あわてて止めようとする。
だが若き魔王は真剣だった。
「焦げは早いうちに落とさねばならぬ。これは戦と同じだ」
「陛下、戦と鍋を同列にしないでください」
(やめよ!)
魔王は叫んだ。
(黒炎魔法の記憶で、なぜ鍋を洗っておる!)
白い光の向こうで、現実の玉座の間がにじんだ。
勇者の剣は、もう振り抜かれている。
魔王の体は、ゆっくり倒れていく。
胸の奥では、砕けた魔力の核が音もなく崩れている。
部下たちは叫んでいる。
だが走馬灯は、まだ終わらない。
焦げた匂いが薄れ、夜の廊下の静けさが流れ込んでくる。
*:.。..。.:+・゜・
深夜の廊下だった。
新人の魔族兵が、槍を抱えたまま壁にもたれて眠っている。
見回り中の魔王が足を止めた。
「規律違反だな」
新人兵は眠ったまま、びくりと肩を揺らした。
魔王はその顔を見た。
まだ若い。
角も短い。
目の下には濃いくまがある。
魔王は近くの控室から毛布を持ってきた。
そっと、新人兵の肩にかける。
「明日は交代を早めよ。初任務で夜勤三連続は無理がある」
背後で、宰相バルドが記録板に何かを書いている。
「陛下、警備割の変更でございますか」
「うむ。新人を潰して何になる」
バルドは黙って記録板に書き込んだ。
眠ったままの新人兵は、毛布の端を握った。
(違う!)
魔王は、白い意識の中で頭を抱えた。
(恐怖だ! 我は恐怖の王だったはずだ! なぜ毛布をかけておる!)
廊下の灯りがにじみ、食堂のざわめきが近づいてくる。
*:.。..。.:+・゜・
魔王城の食堂だった。
長い机に、魔族たちが並んで座っている。
皿の上には、黒焦げ肉、赤黒いスープ、地獄唐辛子の山。
新人兵たちが涙目でそれを見ている。
料理長が胸を張った。
「これぞ魔王城名物、地獄の業火煮込みでございます」
「辛い」
食堂が静まり返った。
魔王は水を飲んだ。
もう一杯飲んだ。
さらにもう一杯飲んだ。
「辛すぎる!」
料理長が青ざめた。
「申し訳ございません。魔王城にふさわしい恐ろしき味を目指したのですが」
「恐ろしい味と、食べられぬ味は違う」
魔王は新人兵たちを見た。
小さな魔族が、スプーンを持ったまま震えている。
魔王は料理長へ言った。
「週に二日は普通の煮込みにせよ。辛さも選べるようにする」
「普通の、煮込みでございますか」
「うむ。野菜を入れろ。根菜がよい」
「魔王城で根菜」
「強い兵は、よく食べ、よく眠る兵だ。泣きながら食うものではない」
食堂のあちこちで、小さな歓声が上がった。
(違う! これは慈悲ではない!)
魔王は、死に際の意識で必死に言い訳をした。
(士気管理だ!)
だが、走馬灯の中の魔族たちは笑っていた。
怖がってはいない。
ありがたそうに、普通の煮込みを食べている。
(なぜだ!)
魔王は、白い光の中で目を細めた。
(我は、恐怖の王だったはずだ!)
食堂の湯気が白く広がった。
皿の音が消え、代わりに机を叩く音が響いた。
*:.。..。.:+・゜・
会議室だった。
四天王が机を挟んで睨み合っている。
東方将軍ゴルドは、巨大な腕を組んでいた。
西方魔術師リゼリアは、扇で口元を隠している。
南方獣将ガルムは椅子に座らず、床で尻尾を振っている。
北方氷将ネーヴェは、冷たい目で資料を見ていた。
会議の空気は最悪だった。
「だから東門から打って出るべきだと言っている!」
ゴルドが机を叩いた。
リゼリアが扇を閉じる。
「力任せの突撃で何度備品を壊せば気が済むのです」
ガルムが笑った。
「じゃあ俺が南門から行く。速いぞ」
ネーヴェが冷たく言う。
「速いだけでは罠にかかります」
四天王が一斉に言い合いを始めた。
そこへ魔王が入ってきた。
会議室が静まる。
魔王は全員を見回した。
「まず座れ。立って怒鳴るな。声が大きい者が勝つ会議は弱い」
ゴルドが唇を曲げた。
「陛下、しかし」
「ゴルド。お前は東門から出たいのだな」
「はっ!」
「リゼリア。お前は魔法陣で誘導したい」
「その通りでございます」
「ガルム。お前はとにかく走りたい」
「はい!」
「ネーヴェ。お前は罠の確認が終わるまで動きたくない」
「はい」
魔王はうなずいた。
「ならば、次回から議題を前日に出せ。全員、相手の案を読んでから来い。会議で初めて聞くから怒鳴り合いになる」
四天王は黙った。
魔王はさらに言う。
「それと、机を叩くな。修理費が出る」
ゴルドが手を引っ込めた。
「……申し訳ありません」
「謝る相手は我ではない。机と経理係のミミルだ」
ゴルドは机に向かって頭を下げた。
「すまん」
ミミルにも頭を下げた。
「すまん」
ミミルは泣きそうな顔でうなずいた。
(おかしい!)
魔王は、白い光の中で歯を食いしばった。
(我の覇業はどこへ行った! なぜ走馬灯が会議改善を流しておる!)
記憶の中のバルドが、淡々と言った。
「陛下が一番よくされていたことだからでは」
(黙れ、バルド!)
「世界征服のための会議を整えておられました」
(地味だ!)
会議室の魔族たちは、誰も笑っていなかった。
ゴルドは机に触れないよう、手を膝の上に置いている。
リゼリアは、相手の資料に目を通してから扇を開いた。
ガルムは、ネーヴェの罠確認が終わるまで立ち上がらなかった。
ミミルだけが、修理費の欄に小さく丸をつけていた。
机を叩く音が、羽根ペンの音に変わった。
*:.。..。.:+・゜・
経理室だった。
決算前の深夜。
経理係ミミルと部下たちが、帳簿の山に囲まれている。
机の上には、羽根ペン、インク壺、計算板。
誰も顔を上げない。
扉が開いた。
「まだ終わらぬのか」
ミミルが飛び上がった。
「へ、陛下! 申し訳ございません! 勇者対策費と城壁補修費と黒炎演出費が重なりまして」
「黒炎演出費は必要経費だ」
「はい。ですが、黒炎を左右対称に燃やすための追加魔石が」
「必要経費だ」
「陛下……!」
「……少し削る」
魔王は机の上に包みを置いた。
中には、甘い焼き菓子が入っていた。
「食え。経理が倒れると城が止まる」
ミミルは包みを見た。
それから、魔王を見た。
「陛下が、これを」
「勘違いするな。これは慈悲ではない。業務継続のための補給だ」
「ありがとうございます」
「礼は帳簿が締まってから言え」
ミミルは焼き菓子を一つ持った。
泣きそうな顔で、それをかじった。
(違う!)
魔王は、白い光の中で顔をそむけた。
(なぜ差し入れを流す! もっとあるだろう! 勇者を迎え撃つ準備だ! 黒炎! 玉座! 名乗り! そこを出せ!)
その願いだけは、走馬灯に届いた。
帳簿の紙が、玉座の黒い床に変わる。
羽根ペンの音が消え、誰もいない広間に魔王の声だけが響き始めた。
*:.。..。.:+・゜・
深夜の玉座の間だった。
誰もいないはずの広い部屋で、魔王が一人、玉座から立ち上がっていた。
「フハハ! 我は魔王グランヴェルド。万魔を統べし黒焔深淵暗黒不滅大魔王にして、夜を裂き、星を沈め、古き盟約を」
噛んだ。
魔王は咳払いした。
「今のはなしだ」
誰もいないのに、そう言った。
もう一度、玉座に座る。
少し間を置く。
立ち上がる。
マントが肘掛けに引っかかった。
「ぬおっ」
魔王はマントを外した。
「今のもなしだ」
(やめろ!)
死にかけの魔王は、白い意識の中で叫んだ。
(完成形を出せ! 練習を出すな!)
だが柱の陰には、四天王がいた。
ゴルドが小声で言う。
「陛下、緊張しておられるな」
リゼリアが扇で口元を隠す。
「緊張ではありません。入念な準備ですわ」
ガルムが尻尾を床に叩きつけそうになり、ネーヴェに止められている。
バルドは記録板を持って立っていた。
魔王が三度目に立ち上がる。
今度はマントも綺麗に広がった。
声も響いた。
「フハハ! 我は魔王グランヴェルド。万魔を統べし黒焔深淵暗黒不滅大魔王にして、夜を裂き、星を沈め、古き盟約を破りし者。勇者よ、よくぞここまで来た」
玉座の間に、短い沈黙が落ちた。
柱の陰から、拍手が起きた。
魔王が固まった。
「……誰だ」
バルドが姿を見せた。
「失礼いたしました、陛下。今のフハハは大変よろしゅうございました」
四天王も出てくる。
ゴルドがうなずいた。
「腹に響きました」
リゼリアも続ける。
「ただ、肩書きは半分に削ってもよろしいかと。勇者殿が途中で斬る可能性が」
「削るな!」
魔王は真っ赤になって怒った。
「そこに百年分の威厳がある!」
ガルムが手を上げる。
「じゃあ、最初に名前だけ言えばいいんじゃないですか」
「名乗りには順序がある!」
ネーヴェが淡々と言う。
「勇者が待たない場合を想定すべきです」
「勇者が魔王の名乗りを待たぬなど、礼を知らぬにもほどがある!」
バルドが記録板に書き込む。
「では、勇者が待たない可能性も、当日の確認事項に」
「入れるな! 縁起でもない!」
記憶の中の部下たちは笑っていた。
魔王は、走馬灯の中の部下たちを見た。
彼らは、本気で応援していた。
明日、魔王が玉座の前で勇者を迎えることを。
魔王が魔王として、最後まで立つことを。
その名乗りが、少しでもうまくいくことを。
玉座の間が白くほどけていく。
拍手の音が、遠くの叫び声に混ざり始めた。
だが、まだ完全には戻らない。
白い光の中で、魔王はバルドを見た。
「バルド。我は、恐ろしい王だったか」
バルドはすぐには答えなかった。
その沈黙が、答えだった。
「そこは否定せずに、少し考えるところではない」
バルドは、深く頭を下げた。
「陛下は、面倒な王でございました」
「おい」
「肩書きは長く、会議は細かく、備品の扱いに厳しく、健康診断の受診率まで気にされる王でございました」
「それ以上言うと処すぞ」
「ですが」
バルドの声が、少しだけやわらかくなった。
「我らの王でございました」
白い光の中に、これまでの記憶が重なっていく。
扉を通らなかった玉座。
焦げた鍋。
新人兵の毛布。
普通の煮込み。
机を叩かなくなったゴルド。
経理室の焼き菓子。
柱の陰で聞いていた名乗り練習。
恐怖の記録は、どこにもなかった。
「……我は、思ったほど恐怖の王ではなかったのかもしれぬ」
バルドは言った。
「はい」
「そこは否定せよ」
「申し訳ございません」
魔王は笑いそうになった。
白い光が、さらに強くなる。
胸の奥では、砕けた魔力の核が崩れきろうとしている。
もう走馬灯も終わる。
魔王は最後に、バルドを見た。
「名乗りたい」
「はい」
「せめて、名だけでも」
バルドはまっすぐ魔王を見た。
「陛下。九十七年と八か月と十二日、練習なさいました」
「百年と言え」
「では、百年分でございます。陛下なら、できます」
「勇者が待つと思うか」
「待たせるのです」
「無茶を言う」
「いつも陛下が、我らにおっしゃっていたことです」
魔王は、鼻で笑った。
「そうか」
*:.。..。.:+・゜・
白い光が消えた。
現実に戻る。
魔王の体は、玉座の前で膝をついていた。
斬撃は深い。
魔力の核は、もう砕けている。
指先から黒い光が散っていく。
勇者は剣を下ろしかけていた。
勝敗は決まっていた。
魔王は、動かないはずの唇を動かした。
「我は」
玉座の間にいた全員が、魔王を見た。
勇者の目が、わずかに細くなる。
魔王は、息を押し出した。
「魔王」
バルドの杖が、床を叩く寸前で止まった。
ゴルドは叫びかけた口を閉じる。
リゼリアの扇は開きかけたまま動かない。
全員が、魔王の唇だけを見た。
魔王は、さらに声を出す。
「グランヴェルド」
言えた。
魔王グランヴェルド。
その名が、玉座の間に落ちた。
バルドが片膝をついた。
四天王も、料理長も、経理係も、新人兵も、次々と膝をついた。
最初に拍手したのは、経理係ミミルだった。
帳簿を抱えたまま、震える手で二度、三度と手を打つ。
ゴルドが続いた。
リゼリアが扇を閉じて頭を下げた。
ガルムが泣きながら尻尾を振り、ネーヴェは目元を袖で隠していた。
料理長は、あの日の焦げ鍋のふたを胸に抱えて泣いていた。
拍手は一つ増え、二つ増え、やがて玉座の間の端まで広がった。
勇者は聖剣を上げなかった。
拍手が終わるまで、刃先を床へ向けていた。
魔王は勇者を見た。
勇者は聖剣を握ったまま、短く言った。
「名は覚えた」
魔王の指先から、黒い光がまた一つほどけた。
勇者に勝てなかった。
世界征服も果たせなかった。
肩書きの三分の二は残ったままだ。
だが、勇者は今、魔王の名を知っている。
魔王は満足して、目を閉じようとした。
その時だった。
魔王の魂が、ほんの少しだけ残っていることに気づいた。
「待て」
勇者が眉を寄せた。
魔王は最後の力を振り絞った。
「正式な肩書きが、まだ残っておる」
玉座の間が静まり返った。
バルドが顔を上げた。
「陛下」
「止めるな、バルド。ここからが一番かっこいいところだ」
勇者は黙っている。
魔王は言った。
「万魔を統べし黒焔深淵暗黒不滅大魔王グランヴェルド二世にして、夜を裂き、星を沈め、古き盟約を破りし者。闇の王冠を戴き、深き」
「長い」
魔王の魂は、二度目の致命傷を受けた。
「……長くないもん」
声はもう、ほとんど消えかけていた。
「百年分だぞ」
バルドが、静かに頭を下げた。
「陛下。続きは、我らが覚えております」
魔王は、部下たちを見た。
ゴルドが拳を胸に当てた。
リゼリアは扇を閉じた。
ミミルは帳簿を抱きしめ、料理長は焦げ鍋のふたを胸に当てていた。
魔王は小さく息を吐いた。
「ならば、よい」
黒い光がほどけた。
魔王グランヴェルドの体は、玉座の前で消えていく。
最後に残った声だけが、玉座の間に小さく響いた。
「ただし、肩書きは削るな」
「承知いたしましたぁ!!」
勇者は、誰もいない玉座の前で、ほんの少しだけ頭を下げた。
そして、魔王が消えた玉座へ向けて言った。
「……名前だけでよかったと思う」
玉座の間のどこかで、魔王の魂がもう一度傷ついた気がした。




