第二章:起動
第二章:起動
SIDE:MISORA
「ミソラさん、今日空いてますか?」
「ごめんね、帰るの」
いつものように夕食の誘いを断って、帰宅。ついて行ったら結構いい店だったりするのは知ってるけど、話が伝わらなくて時間を持て余すことも多いし行きたいとは思わない。いいお酒を用意されても飲めないし、夕食が終われば帰るだけだし。夕食終わりでもう一件なんて言われたら、酔っ払いならついて行くのだろうけど完全にシラフだからここで終わり。ウチの男性社員はこんなに羽振りがよくて生活できるのかなあ、と給与額と照らし合わせると計算が合わなくて、無理してるんじゃないかと思ってからは基本的に行かないともう自分で言っている。
せめて普段から話す相手なら少しは気を遣ってたまには付き合うけど、職場では仕事の話が多くて、仕事の話は伝わらないことが多い。だから気を遣って伝わるように話すけどやっぱり伝わらなくて、最近いつもやきもきしている。制御系をブーストしましょうか、思い切って二倍くらい、なんて言っても「足りないでしょ!」って言ってくれる人は職場にいなくなった。一度そんな感じのことを言って、真に受けられたら困るのに三日ほど経って問い合わせが飛んできた。こっちの落ち度になったら困るからその手のことも言えないし、ストレスがたまっている。まるで責め苦だ、とこぼすとみんな「会社だからそんなもんでしょ?」って聞き流して、やっぱり伝わらない。話がちゃんと伝わる同僚は、何かしでかして責任を取るとか取らないとか、その話があったのを最後に話題にも上らない。工場の向こうにあるファントムシステムの専用素体は、同僚がいなくなった後は話が進まずプロジェクトが凍結、このまま博物館にでも展示しないと仕方ないんじゃないかと上役から現場までみんなに言われている。動いていたはずなのに、耐久試験で壊れたのだろうか。それが直せないなら、そもそも世に出せない。
ビニールシートをかけられた専用素体を目の端に映して、自分の作業に打ち込む。サイクロンのハード機構はほとんど完成していて、ソフトと連携しながら最終チェック。これが終われば一度先方が受け取って実地でテストする。先方からしたら大きな取引で、これが成功すれば一躍上場するかもしれない、と気合いが入っている。いくらなんでもそこまで跳ね上がるだろうかと疑問に思い、大した作業ではないので資料整理のついでに取引の流れを調べた。先方はまたどこか別の依頼を受けていて、さらにもう一つ向こうに大元の依頼元がある。最初の依頼元のクレイグさんという責任者には聞き覚えがあった。レイと同じとこだ。レイもいろいろ困っていたようなので、聞きたいことがたくさんある。下手に関わると大変だし。でもそんな同僚とは連絡が取れない。レイはもう会社にいなくて、社内で携帯は使用禁止で連絡先の交換なんてしたことないし、何回か食事に誘ったけど来たことがない。そんなファンシーなコンセプトカフェで食べるなんてできないといつも断られた。なんでだろう、かわいいのに。
SIDE:MAX
はい、情報戦略室マックス・ステイモス、と名乗る前に電話の相手に怒鳴られた。何か主張しているが熱くなっている間は信憑性が皆無、一応聞くが聞いた端からいらない情報は聞き流す。息を荒げてようやく止まったので、落ち着け、と仕切り直してクレイグ側の事情をもう一度聞き出した。
先日の大失態により組織内のクレイグの立場は劇的に悪化、せめて情報は隠匿しなければいけないとこちらをせかしているのだが、こちらはサイバー空間が主戦場だ。強化骨格の持ち主が逃げ出して見つからないとなれば完全に情報戦略室の管轄外、何かあったら随時対応しているが根本的に収まらない。逃げた者をまず捕まえるなら実働部隊の仕事で、こっちに電話をする暇があったら指揮管理に努めるべきだ。そんなことを言っても理解する相手ではないのでせめて自分の仕事をするように誘導する。通報や目撃証言は時折舞い込んで、こちらで分析、不都合なものは揉み消すように上役から命令されている。おかげで片っ端から揉み消す羽目になり、さすがに辟易している。集まった情報を元に政府部隊が追いかけているが捕まらない。こちらから見るなら、相手は元関係者で政府部隊の行動パターンを知っており、そこにはかからないように動くことが予想されるので、現行のマニュアルでいくら追いかけてもまず捕まらないだろう、と断定できる。伝えはしたがクレイグは怒りに任せて聞き流した。情報戦略の一番の基礎である「話を聞く」という段階は、できない者が意外なほど多く、その典型だ。私はそれには当てはまらないと自負しているので、手元にある情報から別の行動パターンを割り出していた。
目撃情報は政府部隊の関係者よりも一般人の撮影した写真に写り込んだものが多い。施設を逃げるときに奪ったとおぼしき黒いコートで隠しているが、大まかな特徴が一致している。居場所こそ特定できないが、撮影者は学生や帰り道の会社員が多い。ここから類推して、おそらく一般人が夕方以降に使うような場所を頻繁に訪れ、政府関係者は警戒するが一般人の行動パターンを予測できずに映り込んでいる。さらには一度目撃された場所を使いづらいらしく、都市周辺を転々としていて次に立ち寄るとすれば出没地点は限られる。前の場所に絶対に来ないとは言い切れないが、まだ現れていないであろう場所がいくつかあり、おそらく無意識にここを優先する。複数班に分かれて張っておく手もある、と繁華街を中心とした候補地を伝えると、クレイグに聞き返された。
「なぜそんなリスクを犯してまで、繁華街を使うんだ?」
「補給に決まってるだろう」
強化骨格の持ち主は完全に機械というわけではなく、中枢神経をはじめとした関連組織は生身のときのままだ。ならば代謝が必要なのは自明、液状のエネルギー媒体以外にわずかだが水と栄養素を必要とする。郊外やビル街にいれば財布を持っていたって食事の場所に困る。いくらか手に入れやすいとなれば飲食街に足を運び、いざとなればゴミ箱をあされば必要な分くらいは手に入る。自分の状態が状態なので目立ちやすく長居できないが、体を維持するには理にかなっている。それくらいわかっていろ、と最後に付け加える前に電話が切れた。情報戦略の基礎である「話を聞く」という行程は、できる者が少ない上に片方だけできても機能しない。たまにはまともな仕事をしたいものだ、とコンピュータに向かい直した。電話中に入っていたとおぼしき新しい情報は、私が候補地の一つに挙げていた繁華街。何か小競り合いがあり、通報された。その場を立ち去った黒いコートの男は、どこに行ったかわからないらしい。
SIDE:VAN a while ago
見慣れた繁華街のどこに行っても、オレのいる場所はなかった。場所がないのはいつものことだが、今は政府部隊を離れて持ち合わせもなく、どこに行こうと邪魔だと追い返される。立ち止まっていれば袖からはみ出した機械の手首を見られるのではないかと気が気でなく、どこにいるかは関係なくすぐに立ち去った。怒り、逃げ出したことは覚えている。何に怒り、なぜ逃げ出したかは覚えていない。否応なしに自分の目に映る機械の体にいたっては何のことだかわからないが、腹が減れば何かにかじりつきたくなる。見える範囲ですべて金属とセラミックになった体に内臓が残っているとは思えないが、腹には何も感じなくても頭がぼうっとしてくる。職業柄、長期間食べずに低血糖を起こせばこれに似た症状が出ると知っている。多量の糖分を取るにはそれ相応に金がいるのが世の常、手に入れる手段はない。路地に入ってすぐの場所で倒れ込んでいると、何かが聞こえてきた。聞いていたつもりはない、他に頭に入るものが何もないから逆に聞こえたのだ。
「この男を見たか、コートで身を隠している」
誰のことだか知らないが、探し回っているようだ。相手はだいぶ若いようで、見ていないと答えた。大丈夫だろうか。聞き込みをしている相手はいらだつことが多い。知っていることをそのまま話せば、納得しない場合がある。やはりというか何というか、怒りだしたようだ。八つ当たりをされたってない袖は振れないのだから、ここからは悪化の一途だろう。くだらねえ。そう思うと、何かが脳裏をよぎった。いつしたのだろう、オレと誰かのやりとりだ。
「くだらねえよな」
「そうだな」
オレは跳ね起きると、どうやら割って入ったようだ。男の腹に一発決めて沈めたらしい。頭は動いてないからわかっていないが、倒れた男と自分の体勢からまずそうだろう。背後の男は、まだ成人直前といった感じの若者で、すでに一、二発もらって顔を腫らしていた。こいつが持っていたとおぼしき荷物からこぼれた個包装のパンが、誰かに踏み潰されていた。手に取ると袋は破れていない。あの、と口に出しかけた若者だが話をするほど頭が動いていない。
「……もらうぜ……」
オレはパンを持ったまま立ち去った。相手がパンをくれたかどうかは、やはりわかっていない。その辺に座り込んで食べるが、二口目には吐いてしまった。わずかに腹に入った分が、かろうじて頭を動かす。こんな生活を、もう半月も繰り返している。
SIDE:MISORA
「二階堂さん?さあ、何してるのかしら」
レイの所在くらい知っている人がいるだろうと電子設計課の女性に聞いてみたが、神宮司さんが知らないんだから私だって知らない、となんか私が一番知っていると思われている。私が聞きに来た時点でレイのことは誰もわからない。上司に聞いたって個人情報だからと何も教えてくれない。上司が当てにならないのは知っている。表に出せないまずいことがあるときだってこんな話し方だから、口癖になってるのだろう。必要だから表だって探しているのに誰も行方を知らず、私、番号知ってる!という人に個人携帯に電話してもらってやっと見つかると思ったら他の人が出た。誰かと思えば工場の詰め所で休憩していた現場作業のシロタさんが、うるさく鳴っているからとりあえず出たという。たぶん忘れ物だから総務課に届けると言っていたが、レイのものとわかっているのに取りに来るわけない。文句がこぼれて言い合いになり、現場でたまに会う人だから工場で話せばいいのにそのまま電話で話していた。
レイがいなくなったのは一月ほど前、探すならもっと早く探すだろうに今さら何を慌てているのかと聞かれたが、急に探し始める理由なんて事情が変わった以外にない。サイクロンプロジェクトが前倒しにされて、それが少しどころの話ではなく急遽実戦配備、まだ安全性のテストがいくらでも残っているし電子頭脳の安定性はたぶん大丈夫というレベルで、仕事に就ける程度に真っ当なエンジニアならバカを言うなと誰でも判断できる。過去のメカノイドのソフトモデルで言えば理屈の上では動くが、そこそこ試験的に作られたから絶対大丈夫かというと希望的観測に過ぎない。先方はさらにその先から急かされているらしく、その先もどうやら大元の依頼者が急いでいるらしい。判断を先送りにすればどんどん現場から離れ、最終的に視察にも来たことがない最初の依頼者に委ねることになる。最初の依頼者であるクレイグさんがどんな人か一番知っているのは、レイだ。単独の主張は聞き流されても複数の現場で無茶をしているなら慎重になるべきだと、いくら上役でも会社を潰したくなければ思う。だから急いで探さないといけないのに、どこからたどってもいない。シロタさんは現場で一緒だったでしょ?と聞くが下請けなのでほとんど仕事の話で、プライベートの事情は滅多に話題にも出ない。それでもクレイグさんの人物像なら知っているかと思えば、国家機関のどこかの部署の責任者らしいくらいしか把握していない。まさかそんな無茶をする組織ではないだろうから、たぶん大丈夫じゃないかと不安なことを言っている。そしてシロタさんが引き合いに出したのが。
「ボルトクラウンじゃないんだから」
最近競合他社で大騒ぎを起こした外国の過激派は、繁華街にたくさん紛れて誰かを探しているという。もちろんトラブルを起こしていてケンカになり、一般人がケガをしている。ごく稀にケンカ相手に殴り倒されることもあるらしいが、とにかく危ない。もちろん国家機関がそこまで危ないわけないけど、そんなものを引き合いに出さなければいけない時点で怖くてたまらず、ましてサイクロンは警備システムの要、何かの間違いで誤作動すれば危険極まりない。だから慎重になっているのになんでおじゃんにするのか、と怒っていると、シロタさんはネットニュースで最近の時事を押さえているらしく、噂程度に知っていた。
「政府部隊が全然機能してないっていうじゃないですか。何か別のことに人員を割いているみたいだけど何かわからないって。補強したいんじゃないですか? だから急いでるとか」
マスコミがそこまで言ってるわけじゃないけど、とシロタさんは付け加えたが、私は一人血の気が引いた。政府部隊は表に出せない問題を抱えて、内々に処理しようとしているが隠しきれていない。よほど労力をつぎ込まなければ報道されるような支障は出ないから、きっと緊急事態だ。もしその補強が、他の現場ではなく抱えた問題そのものに当てられるなら、サイクロンは安定性をまったく保証できない状態で即現場に投入されてフル稼働する。短時間でも十分危険な運用なのに、長期間となるとソフトのバグが問題になる可能性は跳ね上がる。現場の実態を外に公表しないから無茶な顧客が出るのだと、今さら上司に嫌みを言っても何も始まらない。窓の外を見ると、工場前に大型トラックが到着した。なんでもいいから出荷を断る理由がほしかったのに、ついに間に合わなかった。
At CYCLON EYE
ソフトウェアチェック正常。
ハード機構に異常なし。
周辺環境の認識。
命令受付の許諾。
思考プログラム始動。
初めて見る世界の風景は、白い実験室のような場所だった。起動した現場の技術者は私から外部電源を切り離している。正面に立っているのはどうやら指示母体の責任者、私の上官だ。データベースと照合して、政府実働部隊の隊長、クレイグ・P・T・ベロキラルと認識した。
「名前は?」
私に聞いているのかと思えば、現場の技術者が相手のようだ。技術者が「サイクロン」という私の識別名を教えると、クレイグ氏はふんと鼻を鳴らした。
「役に立つんだろうな。パワーで上回っているのだから、回収できなければ製造時の方針に原因がありそうだ」
現場の技術者は困っていたが、クレイグ氏に刃向かえないようで機嫌をとり続けていた。ボルトクラウンが無能でなければすぐに済んだものを、と吐き捨てたクレイグ氏は部屋を出て行こうとした。実験室のシャッターが開き、私は外に出た。装甲車から発信される操作命令が、私を吸い寄せた。
装甲車の反重力ユニットが起動し、空を飛んだ。私も反重力ユニットを起動、高反発重力壁がその一部を推進力に変える。急加速のために搭載されたジェットエンジンを使わずとも、必要なスピードに到達する。装甲車の後を追った。
やってきたのは繁華街の一つだった。標的を確認次第投入する予定で、常について回るものではないので装甲車の横で待機していた。記録から、情報戦略室の指示でここを捜索していると知った。一度訪れた場所は優先順位が下がり来なくなる。ここにはすでに一度現れたが、なぜ捜索しているかは記録されていない。私は指示に従うだけで、私の行動に対する決定権はない。待機中、近隣で何かのトラブルがあったようだ。大型トラックが迫ってくる。特殊車両の一つなので重量がありパワーが強い。運転席では人がハンドルに寄りかかって動かず、どうやら意識がない。脳出血の症状と確認。待機中の判断は一定の範囲を任されている。道路に踏み出すと、トラックを止めた。衝撃を与えないようにしたため出力は出せないが、この排気量一台分なら大した労力ではない。周りに集まった通行人が騒いでおり、ドアを剥がした後は周囲の人間に対応を引き継いだ。そのとき、政府部隊の装甲車からクレイグ氏が下りてきた。
「何をしている?」
市政法条項34の2に従った危険回避行動、と答えるがそんなことは聞いていないという。命令の内容を精査するが自己判断の範疇、自分では理解できなかった。
「貴様は目立ってはいけないんだ。わからないか?」
先ほど起動された私は、経験値が皆無に等しい。実践の中で補正していくのが基礎方針、前提となるデータが想定よりも少ないが学ばざるを得ない。クレイグ氏は、上着の内ポケットから何かの機械を取り出して、私に見せた。
「緊急停止ボタンを押せば即停止、問題行動があったとなれば電子頭脳のデータは上書きされる。よく覚えておくんだな」
生殺与奪を握られたことにより一切の判断権をなくす。学習により補正し、自分の行動にフィードバックした。ここから提携先と合流、ボルトクラウンの管理責任者との情報交換の後捜索を再開する。私はそこに立ち会い、自分で情報を入力する。しかし。
「ボルトクラウンは検挙対象では?」
昨日の敵は、とクレイグ氏は笑った。学習による補正を継続。プログラムの更新を続けた。
CYCLON on the junction
ボルトクラウンの幹部との会談のために、郊外のビルの一室が使われた。公式の行程ではないため相手の事情に合わせたという。データでは、先日組織の別働隊が政府部隊と銃撃戦になり、鎮圧されている。その場にいた構成員は逮捕され、現在は組織全体を追っているはずだ。相手の幹部はクレイグ氏に葉巻を勧めた。見る限り、険悪な様子はない。
「現場の駒に振り回されるのは、どこも同じのようで」
「まったく」
データ及び政府部隊の行動原理との乖離を発見し、プログラムを補正。優先されるべき事実を元に、新たに構築する。政府部隊とボルトクラウンの類似点、共有思想。データを上書き。感情の要素にわずかな乱れを感知するが、指令の実行を優先。政府部隊、ボルトクラウン、この二つは同質のもので異なる存在。最も基礎になる条件に重大な欠陥を発見。思考プログラムの欠陥を修正、上書き。政府部隊、ボルトクラウン、私は同質にして異物。思考プログラムを再構築、適用。
「わかったか?サイクロン」
更新が終わると、クレイグ氏が聞いてきた。理解しました、と答えるとクレイグ氏が立ち去ろうとした。目の前にはボルトクラウンの幹部が残り、国内のことは任せます、と言っていた。私は反重力ユニットを起動すると、ジェットエンジンを吹かした。
SIDE:MISORA
最近は仕事がつらくなってきたので、むしろ工場にずっといるようになった。好きなもののことの方が幾ばくかマシだ。それでも自分であきれるようなイージーミスをするようになって、きっとそのうち怒られるだろう。今のところ目くじらを立てようという感じはないみたいで、これ以上やめられると困ると上司が慌てている。やめる人はたまにいるからそこまで必死にならなくてもよさそうなのに引き留めてくる。だったら負荷を減らしてほしい。いい人が見つかったら寿退社します、と嫌みを言ったあたりから男性社員の食事の誘いが増えた。いそがしいんだからほっといてほしい。
なにせサイクロンプロジェクトの後始末が大変だ。実機がなくてもマニュアルとか各種資料とか、実践運用のデータを受け取って多少なり動作を修正する段取りとか、手元でやる。実機が手元にある前提で考えていた作業が相当数あっていくらがんばっても机上の空論、確認が取れない。今しなくても良さそうなのに納期は変わってないから間に合わせないといけない。次にサイクロンの実機を見れるタイミングがいつになるかわからないから何も見ずにやるつもりで進めないといけなくて、そういうのはもっと前例のある新技術でやってほしい。サイクロンに搭載したたくさんの新技術は新技術というくらいなので前例がない。新技術ってそういうものだ。
資料を作る手が遅いのは、嫌になっている以外に心配だからというのも否定できない。何かトラブルを起こせば責任は一番末端に来るかもしれない。たまたま上手くいきますように、なんて言っていたらエンジニアどころか専門学校の面接試験も通らない。上手くいくケースがないわけではないが、望むべくもないことは現場でデバッグしてプログラムを直したことがあればみんな知っている。責任問題になって離職したらお金がいるから、食費を節約した方がいいだろうか。今のうちに片っ端から男性社員のお誘いに乗ってバランスよくローテーションを組めば、しばらく夕飯がいらないかもしれない。綿密なプランを慎重に立てる。0.02秒もかけて。法則性を作ると何人か余るのはどうしたらいいだろう。
就業中なのでこれ以上時間を使えず、手元のコンピュータに目を落として作業を続行した。そのとき、上司が私を呼んだ。なんか慌ててるけど、なんだろう。
「神宮司君!……サイクロンの現場を見てくれるか?」
実機を見れるのだろうか。現物さえあればこんな仕事は瞬殺だ。助かった、今日は行きつけのカフェでピンク色のオムライスにイチゴオレをつけてちょっと贅沢しよう。私の頭はさっきの数十倍のスピードで計画を立てたが、残念だがそれどころではなかった。あらゆる制御を振り切ってサイクロンが暴走、町のど真ん中で暴れているというのだ。
どこかの現場で突然暴れ出したサイクロンはその場の一般人を攻撃、おそらく意図的にジェットエンジンを点火して吹き飛ばしたという。飛び去った後は政府部隊の装甲車を数台撃墜して市街地を訪れた。ある雑居ビルに押し入りテナントを壊滅させ、政府部隊と交戦、今現在破壊活動は続いている。死傷者自体はまだ少なく、壊滅させられたテナントはガサ入れが進んでいた過激派ボルトクラウンの拠点だったらしいのだが、止めに入った政府部隊相手に大暴れ、周囲の被害はどんどん拡大中だ。何してるの、緊急停止しなさい! と上司相手に命令したが、何か言いづらそうだった。今こうなっている、と今さら図面を見せられて、だいたい頭に入ってるわよ! と怒りかけたのに、私は、え? と目を疑った。
緊急停止装置はいつでも使えないと意味がない。だから動力機構のエネルギー源自体を遮断するようにしていた。電子頭脳にまで影響はないが、ハード機構は完全にストップする。緊急停止なんだからそれくらいしないといけない。なのに、なんだか配線が記憶と違う。信号が一度電子頭脳に入り、動力を切るようになっている。要は電子頭脳ごと停止するように変えられているのだが、暴走した電子頭脳が止まれなんて信号を許諾するわけない。これじゃ緊急停止の意味をなさず、そんなものを作った覚えはない。どうして、と聞くと極秘情報の流出を懸念して現場で変えたという。結果緊急停止装置は使い物にならず、トラブルどころか大暴れ。止める手段がないときているらしい。あきれて物も言えないが、蓋を開ければ関係各社のロゴの入った部品がゴロゴロ出てきて全員袋だたき、製造元のサムズアップなんてもう言い訳もできない。それ以前に電子頭脳が意図的に暴れているとなれば、戦闘になったときの強度は軍事用に放り込んだって一線を張る一級品。壊せないし止めれないから蓋を開けようにもまず蓋が開かないだろう。そっちの方がよっぽどまずい。とにもかくにも放置していいはずがなく、反重力仕様の社用車に飛び乗って現場に向かった。
現場で向かえてくれたのはクレイグ氏。なんだ、この人か。何度か見た。そんなことを言っている場合ではなく、数ブロック先から聞こえる轟音、ビルの合間に見える爆煙に身震いした。警備用なので多少なり遠隔攻撃の手段を持っていたが、リミッターを外さなければこんな威力にならない。なぜこんなことになっているのか、聞くのも恐かったのでクレイグ氏から緊急停止装置をひったくってどうすれば止まるか考えた。
考えたといっても私は機械のエンジニア、無線とか信号処理はそんなに知らない。それ相応に押さえているし他の人よりはできるみたいだけど、自分が関わっていない制御装置が一見でわかるような人は専門でもまずいないのに、私だってわからない。政府部隊は信号強度を上げてなんとかしようとしていたけど、そんなの上げたって無視しているのだから意味がない。止まれ! と声を張り上げるのと同じだ。電子頭脳の入出力と、通信のプラットフォームと……専門外の知識を必死に組み立てて当たりをつけるが、正直デタラメに近い。止まる可能性があるだけで、止まらなくてもおかしくない。でも私にだってそれ以上はできない。ビルの向こうに上がる爆煙の中から何かが飛び出した。ジェットエンジンを吹かしたサイクロンは、私たちに興味を持たずに飛び去ろうとした。逃げられる、とクレイグ氏が慌てていて、私も立ち尽くすしかなかった。
「何してんのよ」
私はその声を聞いて、すごく安心した。一瞬誰かわからなかったけど、ようやく一人じゃなくなったと思って、嬉しくすら思った。思わず笑顔になって振り向くと、少し前に姿を消した元同僚。大騒ぎだと思ったら、あれはあなたのメカノイドね?と、レイが歩み寄って緊急停止装置を手に取った。
「これじゃダメね。泳がされてるのよ」
何を言うか、と怒ったクレイグ氏だけど、私が制止して話を聞いた。サイクロンは、わざと緊急停止装置を放置している。警戒すらせず信号自体はシャットアウトすることもなく受け取り続けているのははなぜか、と聞かれて、ようやく気がついた。私もパニックだったらしい。
電子頭脳に信号を送る緊急停止装置は、かなりの専門家でなければ何をしているかわからなくなっている。裏を返せば、この装置の信号をサイクロンが受け取っている間は装置でなんとかしようとする。判断は決定的に遅れて、現場の指揮も手薄になり混乱。倒せるものも倒せない。あっちの方が一枚上手ね、とレイはあきれていた。でもサイクロンは、真っ当に対処したとしても力尽くでは止められない。だったら解決策はない。そう思ったけど。
レイは手首のシーバーに何か指示を出した。シーバーが薄緑色に光り、何かが始まったらしい。レイが何か手を打ったようだ。
「あいつは政府部隊を踊らせるために信号を受け取っている。ネットワークも使えるみたいね。一泡吹かせてやるわ」
空中に浮かぶ反重力車用信号機や現場作業用の浮遊型の足場が移動して、サイクロンの行く手を塞ごうとしている。あんなものぶつかったって跳ね飛ばされるだけだ。せいぜい加速の邪魔をする程度、避けられればそれすらできない。こんなことしてもしかたがない、と主張したけど、レイには考えがあるみたいだった。
「あれは妨害じゃないの。囮と誘導」
加速を優先したサイクロンはなだらかなカーブを描いて障害物を避け、すでに破壊されたビル街に向かっている。あっちに誘導しているようだが、囮というのは何だろう。そう思っていると、突然サイクロンのジェットエンジンが止まった。エンジンというより機能が停止したらしく、その体勢のまま墜落、瓦礫になったビル街に落ちた。もう一度鳴り響いた轟音が、私たちにそれを告げていた。レイが私たちを先導して現場に向かい、その間に何が起きたか聞いてみた。
「信号の受け取りのために、他の通信も生かしてある。そこからもっと強力な信号を送ったのよ」
クレイグ氏はなるほど! と言っていたが、可能なのだろうか。仮に障害物で注意をそらして信号を送り込んだとして、緊急停止信号よりすごい停止信号なんて普通はない。まして検索端末ではないサイクロンに搭載された通信機能は知れていて、たいしたものは送れない。いくらレイだってサイクロンの制御系には関わってないんだから、できるはずない。墜落現場で政府部隊がサイクロンを囲む間に人目を忍んで聞いてみた。そしたら、レイが私に耳打ちした。
「……私じゃないわよ。できるヤツがいるの」
誰なのかは後で聞くけど、これで事態は収拾した、と安心していた。そしたら、サイクロンから電子音がし始めた。
「再起動。ネットワークプラットフォームを切断。ローカル制御に移ります」
立ち上がったサイクロンを見て、さすがにレイも驚いた。私は、あちゃあ、そうだった、と頭を抱えて説明した。
「サイクロンの制御機構は、外部要因で停止しても一度だけ立ち上がり直すの。コンティニューして、残機がもう一個あったと思ってもらえればいいわ」
電子頭脳にそこそこ負担がかかるので何度でもとは行かないが、ハード機構に異常がなければ一回だけ復活する。この手段に出るのだから追い詰められたのは確か、逆に言えば元々暴走していたのでここからヤケクソだ。さっきまでの大暴れがかわいく思えるだろう、と悪い冗談のような推論を教えた。なんでそんなもの作るのよ!と怒られたけど、味方のいい子にする予定だったから強くしたのだ。結構普通の結論なのでこれ以上論争もなく、サイクロンはそんなことお構いなしにビルを砕いて瓦礫を増やし始めた。
私とレイ、ついでにクレイグさんとその取り巻きは、現場が見えるビルの屋上に移動した。幸い墜落させたときに飛行能力は完全に停止しているようで、逃げはしない。逃げはしないのに暴れるから現場の人たちがどんどん追い詰められていく。何があったか知らないけどどうやら敵愾心の塊になっていて、相手が政府部隊だからとか考えている様子がない。事実、避難できていない人がいたら巻き添えを食らっているのが自然な暴れ方で、政府部隊が全滅したからってそれを理由に止まるとは思えない。ネットワークを切られたから信号自体受け付けず、同じ手も通用しない。私もレイも打つ手がない中、最悪の展開。一般人がサイクロンの前に現れた。足取りがおぼつかず、服装もボロボロでもしかしたら浮浪者かもしれない。誰であろうと今サイクロンの目の前を通ったら叩き潰されるのが自然、もちろん自然な推移をたどり、サイクロンは一般人を政府部隊と区別をせずに拳を振り上げた。
ドカン、と大きな音がして私とレイは目を背けた。無惨な死体は原型も残さないだろうと恐る恐る見てみると、黒いコートの一般人は片腕でサイクロンの拳を受け止めていた。さらに鋭い踏み込みで、掌底というのだろうか、手のひらの付け根でサイクロンを跳ね飛ばした。乗用車を遙かに上回る重量を持つサイクロンを相手に人間ができることではない。何が起きたかわかったのは、レイとクレイグさんだった。二人とも言葉をなくしている。もう一度コートの男に目を向けると、力なく立っているように見えた。でもなぜだろう、鬼神のようなという古めかしい言葉がふさわしい、鬼気迫る様子だった。
「悪いが、気が立っている」
サイクロンが、黒いコートの男に飛びかかった。クレイグさんが顔をぐちゃぐちゃに歪めて叫んだ。
「ヴァン!」
いったい何者かはわからない。私は固唾を飲んで、そのヴァンという人を見つめていた。
飛びかかるサイクロンの腕を避け潜り込むと、ヴァンというその人は腕の付け根を肘で押し上げた。有り余ったパワーが行き場をなくして大きく体勢を崩し、立て直す前に放った蹴りが、今度はサイクロンの頭を打ち抜いた。よろめくサイクロンは力任せに踏み切って拳を振るったけど、懐に飛び込まれて喉元を押し上げられ、腕が大きく上にそれた。自分の突進の力で地面から足が離れ、近くの瓦礫にたたきつけられた。
レイとクレイグさんはあまりわかっていないようで、あっちが強いとかこっちが弱いとかそう思っているらしい。私はもっと物理寄りだからだいたいわかる。こんなに理にかなった力の流れは、計算では作れない。少なくとも現代人の持つ常識はいくら推し進めてもこの領域に届かない。発想が違う。見ているものが違うのだ。力や速さは定量化できても、入り乱れる動きの空間的変化に時間変化、もしかしたら相手の体内の変化まで読まないとできないかもしれない。私だってなんとなくわかるだけで、自分でそんなことは考えない。単に強いという話なら、いくらなんでもあのサイズの何かがサイクロンに敵うわけがない。そんな柔なメカノイドじゃない。いったい何者かと聞いたら、クレイグさんが言葉を濁した。でも、レイが知っているみたい。
「やるときはやるヤツよ」
よく知っているわけではないけど、信用できる相手はすぐわかるの。そう言うレイは安心しているみたいで、私も落ち着くことができた。でも、その人とサイクロンの戦いは終わらない。どうやらダメージが通っておらず、いくら攻撃をいなして打撃をたたき込んでも決定打にならない。自分で設計した装甲だからこれでは倒せないのはわかる。持久戦になったらさすがに分が悪く、いずれはやられる。私の予測を聞いても、レイは自信ありげだった。
「大丈夫。とっておきがあるから」
ヴァンという人が後ろに回り込んで、サイクロンが一瞬相手を見失った。今よ! とレイが叫んだけど、攻撃も何もせずに距離を取り戦いがまた続けられた。あれ?と目を丸くするレイにも、なぜかわからないらしい。その後も似たような機会は再三訪れたが、何かをする様子はない。レイの顔が青ざめた。
「まさかあいつ……あるのを知らないんじゃ!」
SIDE:VAN
くだらねえケンカだ。相手が何かもよくわからない。向こうだってわかっていないだろうに、殴りつけてくるんだからくだらねえヤツだ。たぶん低血糖状態、意識がだんだんはっきりしなくなってきた。幸い体が反応するから意識を半分切っていてもこれくらいはわけない。だが、しつこい。やれどもやれども諦める様子がなく、バカの一つ覚えみたいに飛びかかってくる。そろそろオレも意識が飛びそうだ。急に目の前が見えなくなり、視界が戻ったときにはすぐそこにいたはずのメカノイドを見失った。まずいな、いなくなるわけない。これでオレも終わりだろう、と思ったそのとき。
「上だ!」
ハッと意識を取り戻して横に飛ぶと、爆音が上がり今いた場所はクレーターになった。メカノイドの拳が地面をえぐり、更に追撃を仕掛けてくる。さっきまで飛びかけていた意識は、いつのまにかはっきりしていた。どこからか聞こえてくる声が、オレの意識をつなぎ止めた。
「相手の胴体に、右手のひらをつけろ!オレが補助する!」
声だろうか。耳で聞いているわけではない。だが確かにオレの頭に入る言葉は、もしかしたら音ではないのかもしれない。ならいったい何なのか、そんなことはわからない。オレは不安すら感じずにその声を聞いていた。
「手のひらをつけたら、腕を伸ばせ!両肩までまっすぐに、腰を落として奥歯を食いしばれば安全装置が外れる!」
飛びかかってくるメカノイドの腕を内側に払い横に飛ぶ。相手が振り返ったときには間合いを詰め、腰を落として踏み込んで手のひらをつけた。がちりと歯を食いしばると頭の中に声がした。
「行くぞ!『クラッシュ』!」
ドン、と右腕から響いた衝撃は手のひらを介してメカノイドにたたき込まれ、その胴体を破壊した。半壊したメカノイドは機能を停止して倒れ込み、ついに動かなくなった。声は依然として聞こえていて、オレに話しかけた。
「やったな、ヴァン」
ああ、と生返事を返す。名乗りもしないその声の主が誰なのか、特に根拠はないがなんとなくわかっていた。
SIDE:MISORA
「肩に仕掛けられた高磁力加速装置の生む衝撃は、腕の伝導素材から半完全弾性衝突で相手に与えられて……本当は工業用なんだけどね」
レイが胸を張って言っていた。力仕事で社会復帰をする計画と聞いていた強化骨格は、人間どころか工業機械でもできないような破砕作業を一人でできる。鉱山にでも行ったら引っ張りだこ、仕事が俄然進むだろうとのこと。どちらかというとレイより私の領分なので、やり過ぎじゃない?と聞いたが、依頼元が最高のものを要求した、と言っていた。クレイグさんをチラリと見たので私も視線を追いかけると、とても怒っている様子だった。でも何も言えなくて、やけになっているように見えた。
「ヤツの管理は政府部隊の管轄だ。我々が回収する」
ヤツというのはサイクロンではないらしい。じゃあ何のことかというと、あのヴァンという人しかいなさそうだ。でもレイが、いいのかしら、と言っていた。
「強権に任せれば露見しやすいわ。そういうの苦手でしょ?探せばいくらでも出てきそうだしね」
クレイグさんは何も言えなくなって、レイはビルを下りていった。私もついて行ってサイクロンの回収を手伝わないといけない。それに、あの人が誰かまだ気になっていた。
ビルを下りると、ヴァンという人が倒れていた。シーバーから声が聞こえて、現れたときにはすでに極限状態だったという。通信強度が弱いからポートのあたりをつけて無理やりこじ開けないと会話できず、姿が見えてようやくつながったらしい。レイが取り出したのは、子どもが朝ご飯に飲むようなちっちゃい紙パックのジュース。とりあえずこれで十分だからしのぎなさい、と言って手渡すと半分くらい飲んで元気になったようだ。
たぶんつらいだろうけどちゃんと説明するわね、と言うレイをヴァンさんが止めた。何が起きているか、だいたいわかっているという。
「ろくでもないことだろ?」
知ってるみたいね、とレイはそれ以上何も言わなかった。そして、ヴァンさんは聞いた。イズミ屋はなぜこうなった?って。通信先はどこかの端末というわけではないのはなんとなくわかるが、人間は端末を通さないと通信できないから不思議だという。それに……たぶん無事ではないだろう、って。レイは気を遣いながら、その顛末を話した。
サムズアップの工場内にあったファントムシステムの専用素体は、それ自体は重要ではない。この素体は、サイバー空間を活動領域とする人格、ナビゲーターを生成するのだという。人工的に人格を合成するのは少々手間だが、倫理面から考えて誰かの人格をコピーするわけにはいかない。もし確定的に死にかけている人がいるとすれば話は別だけど、とのことだ。ただのコピーか?と聞き返されて、連続性を保っているから本人と言えば本人だけど、考え方によるところの大きいグレーゾーンらしい。今はサイバー空間に意識だけが残っていて、でもこれ以上はできなくて、どんな強硬手段でもこれ以上の方法がなかったという。そうか、と肩を落とすヴァンさんの、内蔵シーバーだろうか。誰かの声が聞こえた。
「気にすんな、そんなに変わんねえよ」
レイもヴァンさんもビックリしていたが、声の主はケラケラ笑っていた。音を出さなくてもいいでしょ、ってレイは言ってたけど「声ってのは耳で聞くもんだ」とあまり気にしていない。そうだな、とつぶやくヴァンさんは、なんだか満足げだった。レイは手元のシーバーに向かって、小さな声で言った。ヴァンさんに聞こえないようにだろう。
「無理しちゃダメよ」
シーバーの向こうから、これも小さな声で「いざとなったら言うよ」って言ってるのが聞こえた。誰もその話を続けず、ようやくみんな落ち着いた。そしたら、背後から誰かが怒鳴ってきた。クレイグさんだ。
「ヴァン! このあとどうすればいいか、わかっているな!」
眉をひそめたヴァンさんだけど、反対側でレイが聞いた。
「来てくれないかしら。おもしろい話があるの」
ヴァンさんは、あんまり悩んだ様子もなくレイについて行った。クレイグさんがいくら声を張り上げても、何の力もなくて。おのれ、おのれ! と叫ぶのを尻目に、立ち去っていった。もしかしたら、解き放たれたのかもしれない。私には、そう思えたのだ。




