第7話
皇城へと出仕するノクスを見送った後、イスカはセバスチャンと一緒に朝食の後片付けをしていた。真っ黒く焦げたパンはセバスチャンの手によりラスクのような菓子へと生まれ変わり、萎びたサラダは夕食のスープの具に加わった。その様を真横で見ていたイスカは、セバスチャンに賞賛の拍手を送った。
「素晴らしいね。私の失敗がなかったかのように綺麗になった」
「お褒めに預かり光栄にございます」
セバスチャンは「ほほほ」と陽気に笑いながら、拭き終えた食器を棚に仕舞ったり、使いかけの食材を貯蔵庫へ入れたりと、老人とは思えない動きで片付けていった。
この後は邸内の掃除をするのか、掃除用具入れから箒とモップ、大きなバケツを取り出すと、庭先にある井戸から水を汲み上げ始めた。
「私にも何か手伝わせてもらえないだろうか」
そうイスカが声を掛けると、セバスチャンは何度か瞬きをしてから、ふっと顔を綻ばせた。
「では、ノクス様にお届け物をして頂けますかな?」
「忘れ物かい?」
「私が渡し忘れてしまったのです」
セバスチャンは掃除用具をその場に置いて手を洗うと、イスカを連れて厨房へと戻っていく。いつの間に用意していたのか、調理台の隣にある台の上にはバスケットが置かれていた。
「こちらはノクス様の昼食でございます。無理矢理にでも持たせないと、ろくに食べずに働かれてしまうのですよ」
「それは大変だ。よし、私が行ってこよう」
イスカが意気込むように腕捲りしたのを見て、セバスチャンは嬉しそうに笑った。
ノクスは人混みを好まないのだろう。そう思ったのは、彼の邸が城下町の外側の端にあるからだ。
国一の商業区である城下町は、オヴリヴィオ皇城を下に降ったところにある。町と城を繋ぐのは跳ね橋であり、巨大な城門の前には常に見張りの兵がいる。
邸から城までの距離は、徒歩で三十分くらいだっただろうか。日傘に手袋、日除けのタイツと万全の装備で目的地に着いたイスカは、目の前に高く聳える門を見上げた。
「──通行許可証、または身の上を明かすものはお持ちか」
後ろから声をかけられたイスカは、日傘を傾けながら振り返った。声をかけてきたのは常駐している見張り番ではなく、騎士団の制服を纏う男だった。
「……君は騎士団の者か?」
男は頷いた。イスカを警戒しているのか、見定めるような目で上から下まで眺めてくる。
イスカは小さく微笑んでから、凛とした声で告げた。
「私の名はイスカーチェリ・ハインブルグ。婚約者の忘れ物を届けにきたんだ」
「……ハインブルグ? ということは──」
男はイスカの名を聞くなり片眉を跳ね上げ、何かを思い出したような声を上げた。その時、影がひとつイスカへと向かって真っ直ぐに伸びた。
「──イスカッ!」
イスカは声の主を振り返り、そして微笑った。
「──アスラン」
イスカの姿を見つけて声を掛けてきたのは、この帝国の騎士団の団長の息子であるアスランだった。彼は皇帝・ヴィルジールの幼馴染であり、護衛もである騎士だ。デューク侯爵家の次期当主でもある。
アスランはすぐさま門を開けるよう指示すると、イスカと話していた騎士に退席するよう手で追い払った。
「珍しいこともあるんだな。お前が手続きを踏んで入ろうとする姿を見るなんて、何年振りか」
「抜け道や近道を使ってこっそり入るのは好きだが、今日は届け物に来たからね。これをひっくり返すわけにはいかないんだよ」
「届け物?」
イスカは頷いてから、バスケットの上に被せられた布を少しだけ捲った。セバスチャン手製のサンドイッチと、手を汚さずに食べられるおかずが入っている。
アスランは「なるほど」と頷くと、イスカを先導するように歩き出した。
「届け先は婚約者か?」
「勿論。彼は普段どこにいるんだい?」
「エヴァンの執務室か、その隣の部屋だな。そのどちらもいなかったら──」
城の敷地内に入り、帝国民に愛された女帝の肖像画があるホールを抜け、“コ”の字の居館が見えてきた時。アスランが突然足を止め、イスカの腕を引いて柱の裏へと身を隠した。
一体何事かと問う間もなく聞こえてきた声に、イスカは気配を殺した。
「──なぜ君のような下賤の出の者が、彼女の婚約者になったんだ」
恐る恐ると覗いてみると、回廊の先には数時間前に見送った背中と、よく知った人物の姿が見えた。
「さあ。それは一方的に婚約を取り決めたご令嬢、ならびに許可証を発行した皇帝陛下に聞いてください」
「君は彼女に相応しくない」
「同感ですが、私の一存ではどうすることもできません。ご自身の疑問を私に問われるよりも、陛下を訪ねて進言なされた方がよろしいのでは?」
ノクスと向かい合っている──というよりも一方的に絡んできているのであろう男は、魔術師団の団長の次男であるセドリック・オールヴェニスだった。
魔術師団というのは、剣や槍といった武器で戦う騎士団とは違い、魔術が主な攻撃手段である組織のことだ。この国の内部組織は皇帝を頂点に、その下には行政府と軍府の二つの組織がある。
行政府はさらに外務や公務、財務や税務などと六つに分かれ、それを取りまとめているのが宰相であるエヴァン、その補佐がノクスだ。もう一方の軍府は騎士団と魔術師団に分かれており、今現在イスカと共に身を潜めているアスランが騎士団に、ノクスに突っかかっているセドリックが魔術師団に所属している。
「セドリック・オールヴェニスか。オールヴェニス家は帝国貴族で序列三位の公爵家だったな。そしてヤツはその次男坊ともなると……」
「参ったね。諦めてくれたものだと思っていたんだが」
「イスカ?」
イスカは風に遊ばれていた横髪を耳に掛けると、アスランに日傘を預け、颯爽と柱の向こうへ出ていった。




