第53話
空は青く澄んでいるというのに、なぜ雷が落ちたのか。答えは目の前にあった。イスカが手のひらに炎を浮かべていたように、びりびりと光る線を宙に走らせている男の姿があるからだ。
「──全く、お転婆にも程があるだろう」
セドリックが片手に小さな雷を纏わせながら近づいてくる。
すると、今の今まで虚ろな目をしていたイスカがぱっと目を見開き、みるみるうちに顔を青くさせていた。
ノクスはイスカの視界を覆うように抱きしめ、自分を見下ろすセドリックのことを下から睨みつけた。
「その手の中にあるものを鎮めてくださいませんか。セドリック・オールヴェニス殿」
「そこを退け、ノクス・プルヴィア。お前が庇っているその女は、魔術省の建物を燃やした下手人だ。皇帝が住まう城を守る我ら魔術省の本拠地を燃やすとは、国家反逆罪に値する!」
セドリックが声を張り上げ、合図するように片手を上げる。すると、黒いローブを纏った男たちが続々とセドリックの下に集い、ノクスとイスカを囲うように並び立った。
彼らは手を前に突き出し、何か呪文のようなものを唱え始めた。それが魔術だと気づいた時、目に見えない何かがノクスの身体の自由を奪っていく。
イスカを抱きしてる腕がほどかれていく。彼女との間に隙間が生まれるたびに、自分の中にある何かがひび割れていく音を聞いた。
言うことを聞かない指先が彼女の頬を掠めて、離れた時。目の前の彼女が瞳を揺らし、ぐにゃりと顔を歪めた。
「やめてくれッ!!」
凄まじい突風が巻き起こる。彼女の声に反応するように吹き荒れたその風は、周囲にいた男たちを吹っ飛ばした。
セドリックは咄嗟に防御魔術のようなものを使って防いだようだが、よろめき膝をついている。まるで嵐の前兆のようだった風がいずこへと消え去ると、イスカは膝から崩れ落ちていった。
「イスカッ!」
ノクスは自由になった腕を伸ばし、彼女の身体を受け止めた。
イスカは小刻みに震えていたが、瞳に強い意志を宿したまま、ノクスを見つめている。その唇がふにゃりと綻んだのを、ノクスは見逃さなかった。
「──お前はまた、殺すのか?」
セドリックが地面を這うようにして近寄ってくる。
意味深な言葉の意味を尋ねるべきか、今すぐここから彼女を連れ出し、信頼できる人たちの元に連れてゆくべきか迷っていると、腕の中にいるイスカが咳き込んだ。
火事の煙に肺をやられたのかと思い彼女に目を落とすと、その口元からは赤い血がこぼれ出ていた。
けほけほと苦しそうに咳を出すたびに、溢れている。
「……イスカ?」
「駄目じゃないか、イスカ。太陽の下で魔術を使っては。君の身体は君のものじゃないんだよ」
ふらりと立ち上がったセドリックが、歪な微笑みを浮かべながら足を進めてくる。何をするつもりなのか、その手はまた雷のかけらを纏っている。
「君は陽の光に弱いんだろう? イザーク・ハインブルグの手によって奇跡的に生き長らえたとはいえ、所詮は失敗作といったところか」
「陽の光に弱い……? 生きながらえた?」
失敗作とは何だろうか。ぎりぎりと、イスカを抱きしめる腕に力が入る。先ほどからセドリックが何を言っているのか、まるで分からない。
ゆらゆらと歩み寄ってきたセドリックはノクスの目の前で足を止めると、侮蔑の視線をイスカに注いだ。
「おや、まだ彼に話していなかったのかい?」
「……セド、リック……」
「ふははっ、それはそうか。だって君は、彼に殺されたようなものなのだからね」
「────」
ころされた、という一言にノクスの身体は固まった。
ノクスは誰かを殺したことなどないが、一つだけ、自分自身もそう認識している出来事がある。
それは、目の前でひとりの少女が殺されてしまった時のことだ。
言葉を失くしたノクスを見て、セドリックは満足げに微笑み、勝ち誇ったように唇の端をつり上げた。
ノクスはイスカに視線を落とした。
イスカはまっすぐにノクスのことを見上げていた。空色の瞳はきらきらと光を散らしている。彼女が息をするたびに、口から空気がこぼれる音を聞いた。
「……イスカ」
どういうことなのかと、尋ねる必要はなさそうだった。
記憶の中のあの子とは何もかもが似ても似つかないのに、今この瞬間、別々の人間が描いた同じ絵がぴたりと重なるように、ふたりが重なって見えたのだ。
大きくなったらお嫁さんにしてほしい、と言っていた少女と、ノクスと恋がしたいからノクスを選んだ、と言って笑っていたイスカ、ふたりの姿が。
あの子はノクスの目の前でころりと死んでしまったはずだった。だけど、先ほどのセドリックの話が本当ならば──彼女は公爵の手によって生きながらえたということになる。
パズルのピースは、自分の知らないところに落ちていた。けれどノクスはひとかけらも見つけることができなかったようだ。
「……元々、限界は近かったんだ」
ぽつりぽつりと、イスカは語り出した。耳を澄ませているノクスにしか聞こえないくらい、とても小さな声で。
「あの日……私は、目の前で母を殺された。必死になって逃げ出した先で、君に出逢った」
ふ、と。イスカは唇を緩々と綻ばせていく。
「こわくて、さびしくて、泣いていた私に……君は、傘を……」
言葉の続きは声にならなかった。
一雫の涙となって、彼女の頬を転がり落ちていく。
ノクスはイスカの手を取り、手繰り寄せるように頬に当てた。その手は相も変わらず冷たく、ノクスの熱では温められそうにない。
「……貴女は、ルーネなのか?」
確かめるような、縋るような声音で。長く捜していたものが見つかったような表情で問うたノクスに、イスカは柔らかな微笑みで応えた。
それが答えだった。
「……もしも、またいつか、どこかで逢えたら……私のこと、お嫁さんにしてくれるかい?」
「────っ……」
ふわりと、イスカはまぶたを下ろした。
同時に、何かに触れようとしていたのであろう彼女の左手が、ぱしゃりと水溜りに落ちる。薔薇色だった彼女の唇は青紫へと変わり、口の端から溢れていた血は固まっていた。
「…………イス、カ?」
ノクスはイスカの身体を揺らした。頬に触れ、耳に触れ、唇に指先を押し当てる。何をしても彼女は目を開けてくれなかった。
動かなくなった彼女の身体を抱きしめたまま茫然としていると、突如として彼女の身体がさらさらと崩れていった。砂の山と化したそこから、明らかに人のものではない変な形状をした骨が出てきた。
ノクスがそれに手を伸ばすよりも先に、空から一頭の魔獣が舞い降り、砂の山を散らした。
魔獣は一度だけ哀しそうな鳴き声を響かせると、その骨に喰らいつき、大空へ飛び去っていく。
人は死した後砂にはならないはずだ。けれども彼女は砂となり散り、中にあった骨は魔獣が持って行った。これはどういうことだろうか。
ふと、いつかどこかで読んだ文献の一節が頭を過ぎる。
──魔獣は己の番が死した時、その骨の一部を喰らい、後を追うように亡くなる習性がある、と。
それはつまり、どういうことだろうか。




