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忘却の蝶は夜に恋う  作者: 北畠 逢希
終章 あの日の約束

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第49話


 まぶたを開けると、セバスチャンが大きめのタオルを頭から被せてきた。


「早く拭かないと、風邪を召されますぞ」


 ノクスはこくりと頷いて、タオルに指を這わせた。ふんわりとした白いタオルに顔を埋め、肺の中の空気を出し切るように息を吐くと、胸がすうっと軽くなっていった。


 嫌な態度を取ったというのに、セバスチャンもエヴァンも顔色一つ変えていない。待っていたと言わんばかりに微笑みを浮かべている。


「……宰相。先ほどの答えですが、答えは否です」

「と、言いますと?」

「立場上、おとなしく聞き入れなければなりませんが、納得できません。僕と恋がしたいからという理由で陛下と結託して婚約してきたくせに、今度は解消してくれと言われ……僕は分からなくなりました」

「分からないというのは?」


 ノクスはタオルをセバスチャンに渡し、黒地のタイを緩めた。彼女からの贈り物であるタイピンが照明具の光を受け、存在を主張するように煌めいている。

 ノクスはそれを指先で軽く撫でてから、拳をぎゅっと握った。


「分からないのです。イスカーチェリ・ハインブルグというひとりの少女のことが」

「…………」

「だから、知りたいと思うのです。どうして僕と恋がしたかったのか。なぜ婚約を解消するのか」


 婚約を延長し、婚姻関係になることはできない意思を伝えた身である自分に、婚約解消の理由を訊ねる権利はないだろう。でもそれでも、知りたいのだ。


 あの時、イスカは泣いていた。いつだって勝気で、時に悪戯に微笑み、まるで無邪気な子供のようだと思っていれば、年頃の少女のような恥じらいを見せていた彼女が、かなしそうに泣いていたのだ。


 その理由が知りたいと思うのは、元婚約者だからではない。

 イスカのことだから知りたいと思うのだ。


 今のノクスの言葉に思うことがあったのか、エヴァンはほんの少しだけ頬を緩めると、手を差し出してきた。


「──では、城に戻りましょうか。私たちが知るイスカの話を、貴方にいたしましょう」


 ノクスはエヴァンの手を握り、硬く頷き返した。



 それからノクスはエヴァンと共に城へ向かった。

 時計の針は真下を指している。エヴァンを除いた政官たちの業務の終了時刻だ。この時間帯、ヴィルジールは仕事を離れ、プライベートなことをしていると聞くが、エヴァンから報せを受けていたのか、いつものように執務室の奥にいた。応接用のソファにはアスランの姿もある。


 ノクスは執務室の扉が閉まってから、ヴィルジールへと向かって軽く一礼した。


「只今戻りました。皇帝陛下」

「ご苦労だった」

「さあさあ、堅苦しいことは後にして座りましょうか。今お茶を淹れますね」


 エヴァンがいつもの調子で茶葉を手に取り、鼻歌を歌いながらお茶を淹れ始めた。これからする話は堅苦しいものではなかったのだろうか。あまりにいつも通りなエヴァンの姿を眺めているうちに、ふっと肩の力が抜けていった。


 執務机の前に座っていたヴィルジールが腰を上げ、アスランの隣に座った。この四人で一つのテーブルを囲む日が来るなんて、珍しいこともあるものだ。


「ノクス。実は今日の昼間、イスカが当主代理としてハインブルグの名を返上しにきた」

「……返上?」


 ノクスは驚きのあまりに二の句を告げられなかった。

 家の名を返上──それはつまり、爵位を返上するということだ。建国から続いてきたハインブルグ家は、高貴な血が流れる公爵家だというのに。


「その理由を、イスカは何と?」


 言葉を失ったノクスの代わりに口を開いたのはアスランだ。


 ヴィルジールは首を左右に振ってから、エヴァンが淹れたお茶に口をつけた。


「建国から続いてきた血筋を、自分の代で途絶えさせるのは心苦しい──と、貴族らしいことを言っていた。それと、所有する全てを国に返還し、その一部はお前に慰謝料として渡して欲しいとも」


「そんなもの、要らないのですが」


「貰えるものは貰っておきましょうよ。ハインブルグ家は莫大な資産と領地を持っていますよ。城の一つや二つ、受け取っておいては?」


 冗談めかした口調で言ったエヴァンを、一同は揃って睨みつける。半分は本気で言ったのだろうが、笑い話をするためにここに来たわけではないのだ。


「それからイスカはどこに行ったんだ?」


「分からないが、首都の北門を出たことは明らかだ」


 首都の東西南北には関門がある。皇帝のお膝元であるこの地には身元が不明な人間は立ち入ることができない。その北門を出たとなると、行き先は北方にある領──ハインブルグか、反皇帝派である中小貴族の領、もしくは最北の地であるウォルターズ領だろうか。


 領地に戻ったと考えるのが妥当だが、今日の昼間の出来事からそうだとは思えない。


 俯き、必死に頭を働かせるノクスの肩を、真正面に座るアスランが軽く叩いてきた。


「そんな顔をするな、ノクス。エヴァンの鳥を飛ばせば、国中どこにいたって見つけ出せる」


「あのぅ、私の鳥、夜は飛べないんですよ?」


「安心しろ。一匹ずつ明かりを括り付けてやる」


 ヴィルジールが不敵に口の両端を上げると、エヴァンの肩に乗っていた鳥が聞いたこともない声を上げ、慌てたようにぽんっと姿を消した。


「ちょっと陛下。何てことを仰るのです!」


「宰相は皇帝の下僕、つまり貴様は俺の下僕だ。その手下である鳥も俺の下僕同然だろう」


「私の可愛い小鳥たちは、貴方と雇用契約を交わしていませんッ!」


「冗談を真に受けるな。馬鹿が」


 ノクスは唖然とした。イスカのことを訊こうとした矢先に、ヴィルジールの冗談を聞かされることになるとは。


 エヴァンはフンと鼻を鳴らし、ヴィルジールはしれっとした顔でお茶を啜っている。助けを乞うように向かいにいるアスランに視線を向けると、苦く笑われた。


「二人とも、イスカの話をしてやるんじゃなかったのか?」


「そういえばそうでしたね」


 エヴァンがぱんっと手を叩き、改まったように姿勢を正す。んんっと咳払いをして、体ごとノクスに向き直った。


「ではノクス、質問をどうぞ。私たちの知ることでしたら、何でも答えましょう」


 ノクスはエヴァンが淹れてくれたお茶で喉を潤してから、意を決して口を開いた。

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