第46話
イスカの選択が正しかったのかは分からない。ならば間違いだったのかと問われたら、それも違うような気がした。恋に正解も不正解もないと思うからだ。
「──公爵令嬢。今更ですが、どうして貴女は私の馬車に?」
夏には似つかわしくない柔らかな声が、イスカの耳を擽る。
イスカは顔を上げ、目の前に座るリュミエールの白磁の仮面を見つめた。
イスカは今、リュミエールと馬車に乗っている。行きはノクスと同じ馬車で来たが、帰りは自らリュミエールの馬車に乗り込んだ。
意外なことに、リュミエールは何の反応も示さなかった。それから向かい合って馬車に揺られること三日目。首都まであと半分といったところで、彼はようやく口を開いた。
「……乗ってみたくなっただけだ」
「嘘を仰らないでください」
「じゃあ、貴殿と話をしてみたかったから」
「じゃあ、とはなんです」
リュミエールがくすくすと笑う。その表情は見えないが、仮面の下ではにっこりと微笑まれているような気がした。
「彼のことが、好きではなかったのですか?」
「大っ嫌いだ」
「私には、好きでしょうがないという顔に見えますが」
イスカはじろりとリュミエールを睨め付ける。
白磁の仮面の目元に穴はない。どうやって世界を見ているのだろうか。
「従弟のセシル殿に、胸の内を曝け出してみては?」
「セシルはまだ子供だ」
「私からしたら、貴女も子供なのですがね」
「一体何歳なんだ、リュミエール殿は」
ふ、と。リュミエールの唇から吐息がこぼれる音を聞いた。
「……さあ。数えるのも億劫になってきましたので」
リュミエールの手がイスカの頭を撫でる。彼の手つきはとても優しく、子供の頃に死んでしまった母のことを思い出させた。
イスカ、と。愛おしむように名を呼ばれ、たくさん抱きしめてもらったものだ。
「ところで公爵令嬢。本当に身体は何ともないのですね?」
明日の予定を尋ねるような口調で、リュミエールが問いかけてくる。三拍置いてから、イスカは首を傾げた。
「見ての通り元気だが。……そういえば、貴方は以前にも同じようなことを訊いてきたな」
ハルメルス領で、魔獣の巣の調査へ向かうローリエの隊を見送りに行った時のことだ。その時、リュミエールは最近の調子はどうか、嗅覚や味覚はおかしくないかと尋ねてきた。味覚がおかしいのは元々だとイスカは答えたが──。
「それは、貴女が私と同じだからです」
リュミエールは髪を後ろに流し、そのまま頭の後ろで手を動かし始めた。何をするつもりなのかと思い眺めていると、シュルリと紐が解けていった。それは仮面と繋がっていた。
白磁の仮面が下ろされていく。
誰も見たことがないと言われている素顔が今、明らかになろうとしている。
イスカはこくりと喉を鳴らした。
「──これが、私です」
初めに目についたのは、不自然なくらいに白い肌だった。雪景色から飛び出てきたようなその色は、窓の向こうに広がる夏空に馴染まない。
次に目線が向いた先は、セシルと同じ色の瞳だった。最北の領を治めるウォルターズ公爵家特有の色で、真昼の空のような色合いをしているそれは、イスカも母方から受け継いでいるものだ。
次に見たものは、鼻筋と唇だった。それから髪と眉を見て、改めて彼のことを上から下まで眺めてみる。
何度眺めても、どこからどう見ても、そっくりである。鏡越しに見る自分の顔と。
「……わたしに、兄弟はいないはずだが」
やっとの思いで吐き出した声は震えていた。それはそうだ。自分と同じ顔が目の前にあるのだから。
「やはり、何もご存知なかったのですね」
「リュミエール殿と私は血が繋がっているのか?」
リュミエールの素顔はイスカと瓜二つであった。ふたりの異なる点を挙げるならば、身長と性別くらいではなかろうか。両親よりも自分に似ている顔を見つめていると、不思議な気持ちになった。
もしや彼は隠し子だったのだろうか、それとも生き別れの兄妹だったのだろうか。
リュミエールは静かな微笑を飾り、ゆっくりとまぶたを下ろす。
「首都に戻ったら、私とハインブルグ領に行きましょう。公爵家の本邸に行けば全てが分かります」
イスカは自分の身体を浅く抱きながら、一度だけ頷いた。
ハインブルグ領にある公爵家の本邸。そこはイスカが生まれた家だが、イスカはほとんどの月日を首都にある別邸で過ごしてきたので、領地での思い出は何もない。本邸には何があるのだろうか。
窓の外を見遣ると、日暮れを告げる鳥が翼を広げながら鳴いている。しかし空は青みがかった灰色だった。
いつの間にか、イスカの目に映る世界から、黄昏色も消えてしまっていたようだ。




