第4話
「──一体どうなっているんだ」
予期せぬ夕食会を終えた後、ノクスはセバスチャンと厨房に立っていた。仏頂面で皿洗いをしているノクスの隣で明日の仕込みをしているセバスチャンは、何を企んでいるのか愉しげな顔をしている。
「ほっほ。元気のいいご令嬢ですのう」
「僕の質問に答えてくれ」
「これを見てくだされ。私に贈ってくださったのですよ」
セバスチャンは切りかけの野菜をまな板の上に置くと、今着ているエプロンを見せびらかすようにその場で回る。彼が前掛け付きのエプロンを着ているのは珍しいとは思っていたが、まさか彼女からの贈り物だったとは。
ノクスはため息を吐きながら、軽く頭を押さえた。
「僕は彼女がこの家の中にいる理由を聞いているんだが」
「私が玄関を開け、お通ししたからでございます」
ノクスはまたため息を吐いた。
「……それ以外に入る方法なんてないだろう」
「あるのですよ。ご令嬢には」
「言っている意味が分からないんだが」
セバスチャンは軽やかに笑うと、切り終えた野菜を鍋の中へと放り込む。そこに水を入れていくつかの調味料も投入すると、着けていたエプロンの紐をほどいた。
「よいですかな、ノクス様」
「何も良くない」
ノクスはセバスチャンに背を向け、出口へと向かって歩き出す。
「どこへ行かれます、年寄りの話を聞いてくだされ」
「都合のいい時だけ年寄りになるな」
僕よりも足が速いくせに、とノクスは言い捨てながら厨房を後にした。
イスカーチェリ・ハインブルグ。誰もが恐れる皇帝を味方にし、ノクスとの婚約を押し進めたかと思いきや、自宅にまで現れた彼女は何者なのだろうか。
イスカ自身のことは全く知らないが、彼女の生家であるハインブルグ家の名は知っていた。
ハインブルグ家はこのオヴリヴィオ帝国の公爵家の一つだ。生まれた子が娘ならば妃に、息子は皇族の忠臣に、そして数代おきに皇女が降嫁している。
初代当主が臣籍に降った皇子であり、その数代後の当主が帝国史上でひとりしかいない女帝の伴侶になった頃から、皇族と深い縁で結ばれている一族だ。
そんな高貴な家のご令嬢であるイスカをノクスは知らなかった。いくら女に興味がないとはいえ、大貴族の出の人間ならば名前くらいは頭の片隅に残っているものだが、不思議なことに彼女を知っているのは皇帝派と呼ばれている派閥に属する人間だけだった。
オヴリヴィオ帝国の中枢である皇宮は今、二つの勢力に分かれている。一つ目はひとりの弟皇子を除いた皇族を皆殺しにし、玉座に就いた現皇帝・ヴィルジールに従う皇帝派。二つ目は現皇帝のやり方が気に入らない反皇帝派だ。
ノクスは宰相補佐官という立場上、皇帝派の人間であるが、実のところはどちらでもいいというのが本音だった。
反皇帝派は父親を手にかけて玉座に就いたヴィルジールを非難しているが、先代の皇帝は無意味な戦に明け暮れ、夜は女に溺れていた。民は重い税と戦火に苦しめられていたというのに、自分は城の奥で贅沢を尽くしていたのだ。ヴィルジールが皇帝となっていなければ、この国はさらに傾いていたことだろう。
私室で書類と向かい合っていたノクスは、ふと顔を上げた。壁にかけてある古時計を見遣ると、針は真上を指している。喧しいイスカとセバスチャンの小言から逃げるように私室に篭っていたが、彼女はともかくセバスチャンが訪ねてこないなど珍しい。
セバスチャンは夜が深まる頃、必ずノクスの部屋を訪ねてくる。自分はもう寝るが要り用の物はあるか、と。
(……まさかこんな時間まで彼女と話しているのか? それとも──)
いくらセバスチャンが病気ひとつしない人とはいえ、彼はもうおじいさんだ。どこかで倒れて動けなくなっているのではないかと思ったノクスは、椅子の背に掛けていたカーディガンを羽織り、急いで部屋の出入り口へと向かった。
ノクスがドアノブに手を掛け、回そうとしたその時。
「──開けてくれないか。婚約者殿」
爽やかな声が背後から聞こえた。部屋の扉はノクスの目の前にあるというのに。
恐る恐る後ろを振り向くと、窓の外にはイスカの姿があった。




