第27話
その日の夕食の時間、ノクスはいつになく無口だった。元々口数は少ないが、セバスチャンに対しては何でも話す人だというのに。お味はどうかと尋ねられても、気のない返事をしていた。
ノクスの様子が気になったイスカは、セバスチャンに夕食の後片付けを代わってもらった。二人はいつも片付けをしながら、色々な話をしている。その時間ならば、ノクスも話してくれるのではないかと思ったのだ。
厨房の洗い場でイスカはノクスと並び立ち、彼が洗い流した皿を布で拭いていた。ちらりと隣を見遣ると、彼は何やら考え込んでいるような顔をしている。
仕事で何かあったのだろうか。だとして、そのことを尋ねるのはよくないだろう。彼の眉間の皺が増えるだけだ。
イスカは拭き終えたお皿を両手に持って眺めながら、そっと口角を上げていった。
「いつも思っていたのだが、君はよく皿洗いをしているね。セバスチャンのお手伝いかい?」
「結果として手伝いであることに間違いはないが……食事を作ってくれた礼のようなものだ」
セバスチャンも一緒にやっているが、とノクスは呟く。
ノクスは濡れた手を拭きながら、イスカに顔を向けた。
「でも、セバスチャンは使用人なのだろう?」
「本人はそう言っているが、僕にとっては生まれた時から傍にいたじいさんだ。何から何まで心を込めてやってくれている人のことを、使用人だと思いたくない」
ノクスの長い睫毛が伏せられる。それ以上は語りたくないという意思表示のように見えたイスカは、持っていたお皿を重ねた。
「素敵だね。私が暮らしていた家にも多くの使用人がいたが、彼らはお給金のために働いていたから、そこに君たちのような想いはなかったと思う。顔と名前だって、ほんの数人しか覚えていなかったよ」
イスカが生まれたハインブルグ公爵家は、由緒正しい家柄で広大な土地と莫大な財産を持っている。領地は首都の真上にあり、公爵家の本邸へは馬を飛ばせば一日で行ける距離だが、イスカは首都にある別邸で暮らしていた。
使用人の数は両手では数えられないどころか、大部屋に入りきらないくらいいた。身の回りの世話をしてくれていた侍女の顔しか覚えられないくらいだ。
「……貴女は記憶力がなさそうだな」
「失敬な。猿やじゃじゃ馬と言われている私だけれどね、これでも図鑑に載っている花の名は全て言えるんだよ」
「花の名が何の役に立つんだ」
ノクスがハァ、と呆れたように溜め息を吐く。
イスカはピンと人差し指を立てて、ノクスを睨めつけるように見た。
「花を馬鹿にするんじゃない。どの花にも花言葉というものがあって、文字を使わずに花で想いを伝えることだってできるんだよ」
「それくらい、僕も知っているが」
ぴくりとも表情筋を動かさずに、ノクスが見返してくる。
イスカは頬を膨らませた。頭の良いノクスにその方面で勝てることがあるとしたら、花に関することくらいだろうと思っていたのに。
なんだか悔しくなったイスカは、十数秒考え込んだのちにノクスの美貌を見上げた。良いことを閃いたのだ。
「ならば、私が庭に植えた花が咲いたら、花束にして贈ってくれないか?」
「それが三つ目の願いか?」
「残念だが、ただのおねだりさ。来月は夏至の祭りがあるだろう?」
夏至の祭りというのは、国を挙げて開かれる伝統的な行事だ。年に一度、その日の夜は職人たちの手によって空に光が灯り、その光景を家族や恋人、大切な人たちと眺めたり、男性が女性に花を贈ったりするのだ。
イスカの提案に、ノクスは腕を組んで考え込んでいた。
「……まさかだが、危険な植物を植えたりしていないだろうな」
危険な植物とは何だろうか。毒性のあるものも強烈な臭いをするものも植えてはいない。中には他国から取り寄せられた珍しいものもあるが。
「あはは、何を想像しているのかは分からないが、普通の花だよ。どこにでも咲いているような」
「わざわざ植えたものを引っこ抜くのか」
ノクスは眉を顰める。根はどのように処理を……と呟く声も聞こえた。どうやらノクスは手ずから花束を作ってくれるようだ。そんな彼が花壇の花をぶちぶちと引き抜く姿を想像してみたが、あまりにも似合わない。
「ねぇ、婚約者殿。誰かに花を贈ったことは?」
「あるわけがないだろう。貰ったことならあるが」
「その花に根はあったかい?」
「隅々まで確認する前に、セバスチャンの手に渡った」
イスカはくすくすと笑った。
「まったくもう。それではとんでもない花束が出来上がりそうだ」
「僕は下調べくらいはする人間だが」
下調べとは具体的に何をするのだろうか。首を傾げていると、ノクスが呆れたように溜息を吐いた。
「……何も、花屋を見て回ったりするわけじゃない。僕がそんなことをしたら不審がられるだろう」
それは全身黒ずくめだからなのではと思ったが、イスカは笑みを浮かべたまま頷いた。
「となると?」
「その手の本を読めばいい」
「なるほど。貴殿の部屋には本が沢山あったね」
以前、ノクスの部屋を訪問した時、彼の部屋には沢山の本が並んでいた。ありとあらゆる種類の本がある中で、彼らしくないものがあったのを覚えている。
「そういえば婚約者殿。貴殿は童話も読むのかい?」
「全く読まないが」
「でも、本棚に一冊だけあった気がして」
ノクスの目がゆっくりと逸らされる。その一瞬で、言ってはいけないことを口にしてしまったのだと知った。
「あの本は──」
焦るイスカに、ノクスは静かな声音で告げた。
「あの本は、あの子が持っていたものなんだ」




