第26話
翌日のこと。
世にも珍しい花々が咲いている小さな庭で、イスカはローリエと紅茶を飲んでいた。彼は明日首都を経つ予定だが、その前にイスカに会いに来てくれたのだ。
「よかったわぁ、イスカちゃんが元気そうで」
今日のローリエは独創的な趣向の服ではく、騎士の隊服のようなものを着ていた。装飾品の類は一つも着けていないが、元々の顔立ちが華やかだからか、今の飾り気のない姿の方が格好よく見える。町中の女子たちの目に留まったら、きゃあきゃあと騒がれそうだ。
「ローリエ殿が私を魔術省に運んでくれたと聞いたよ。血で服を汚してしまい、申し訳なかった」
「そんなのいいのよぉ。服ならまた仕立てればいいだけ。アスランにでも買ってもらうわ」
ローリエは茶菓子を頬張り、ずずっと茶を啜る。
イスカは小さく笑った。アスランがローリエに町中で引き摺られる姿を想像してみたが、中々に楽しそうだ。
「それにしても、魔術師って奴は凄いのね。オールヴェニスの次男坊は好かないけど、美貌の長官の魔術は凄かったわ。まるで神のようよ」
「美貌の長官?」
首を傾げたイスカに、ローリエはほう、と夢でも見るようなため息を返した。
「魔術省の長官よ。確か名前は──リュミエール様、だったかしら。仮面で顔を隠している御人でね」
魔術省長官・リュミエール。その名に聞き覚えはないが、仮面と聞いてピンとくるものがあった。父の側近に仮面をつけていた人がいたような気がする。
「仮面の長官、か」
顔を隠さなければならない理由があるのか、それとも一種のお洒落なのか。恐らく前者だと思うが、今もこの先も関わる予定がない人のことを確かめる必要はない。
折を見てお礼を伝えに行かなければとは思っているが。
「ええ、あれはもう絶対凄いわ。素顔は美しいに決まってる!」
ローリエはフンと鼻を鳴らしながらガッツポーズをした。
「……ズバリ仮面の下は見ていないんだね?」
「見なくても分かるわよぉ!」
その根拠はどこから来ているのか不思議に思っていると、セバスチャンが配膳カートを押しながら現れた。台の上にはポットとお菓子が乗っている。
「お二人とも、スコーンが焼き上がりましたぞ」
セバスチャンはにこにこと微笑みながらイスカとローリエの前にお皿を置く。スコーンはイスカにとって馴染みのあるお菓子だ。
「ありがとう、セバスチャン」
「あらあ、とっても美味しそう!」
ローリエは嬉しそうに顔を綻ばせてから、手で横に半分に割り、クリームを塗って食べ始めた。イスカはナイフで赤紫色のジャムを掬い、甘酸っぱい香りを楽しんでから口に運ぶ。
ふと、紅茶のおかわりを淹れてくれていたセバスチャンが、何かを思い出したような声を上げた。
「リュミエール殿といえば、もとは平民だった御方ですな」
「へえ、まだお若いだろうに。凄いのねぇ」
「仮面を着けているのは、顔に消えない傷痕があるからだとか、左右で瞳の色が違うからだとか、色々と噂されていましたのう」
魔術師はほとんどが貴族出身だ。イスカの生家・ハインブルグやオールヴェニス家など、名だたる貴族の人間が所属している中で、無名の人間が長官に就任するとは──リュミエールという人には目を見張る能力があったのだろう。
「詳しいんだね、セバスチャン」
感心するイスカに、セバスチャンは得意げに笑った。
「ほっほ。誰が何と言っても、あのオールヴェニス公爵家の令息を差し置いて、長官の座に就かれた御方ですからのぅ」
令息とは神童と謳われたセドリックのことだろう。まだ年若いが、大貴族に名を連ねる家柄の出であり能力も抜きん出ている。彼のことは好かないが、その才能は認めているのだ。
ヴィルジールは貴族だからと贔屓するような人ではない。だが、長官の席に平民が──それもセドリックを差し置いて据えるとはすごいことだ。
話をしているうちに嫌な顔を思い出したイスカは、気を紛らわせるために紅茶を口に含んだ。そして二つ目のスコーンに手を伸ばそうとした時、誰かが背後に立つ気配がして、イスカは後ろを振り返った。
なんとそこには、城へ出仕したはずのノクスが仏頂面で立っていた。
「──こんなところで何をしているんだ」
不機嫌に問われ、イスカは焦りながらも説明しようとしたが、向かい側にいるローリエが立ち上がったので口を閉じた。
「あらあ、ノクスじゃなーい。おかえりなさい。今日は早いのねぇ」
ローリエは両手を広げながらノクスに近寄る。
ノクスは眉間の皺を深くしながら、呆れたようにため息を吐いた。
「どうしてハルメルス卿が僕の家にいるのですか」
「イスカちゃんが心配で、顔を見に来たのよぅ」
「ならどうして呑気に人の家の庭で茶を飲んでいるのです」
「馬を飛ばしてやって来たアタシのために、セバスチャンが淹れてくれたのよぉ。イスカちゃんが丹精込めて植えた花々を眺めながら頂くお茶、美味しかったわぁ」
ローリエはオホホと高らかに笑うと、ノクスの肩に腕を乗せた。ノクスは変わらず不機嫌なままだが、黙って腕を組んでいる。
イスカは苦笑を漏らしながらも、ノクスの綺麗な顔を見上げ、毎日恒例となっている言葉を掛ける。
きっと、今日も返事は返ってこないだろうけれど。
「おかえり、婚約者殿。お勤めご苦労様だね」
ノクスは閉ざしていたまぶたを持ち上げる。冴え冴えとした青色の瞳は首に回されている腕を一瞥したのち、真っ直ぐにイスカへと向けられた。
「……ただいま」
吐息のような声だった。耳を澄まさなければ、聞こえないくらいに。けれどイスカの耳にははっきりと聞こえていた。
ローリエがすかさず「もっと大きい声で言いなさいよ」と彼の脇を突く。戯れ合う二人を他所に、イスカは嬉しそうに破顔した。
「おかえりなさいませ、ノクス様。今日はお早いご帰宅で」
セバスチャンがいつものようにノクスの鞄を受け取り、目尻の皺を深くさせると、ノクスは疲れたような顔をローリエに向けた。
「抜けてきたんだ。ハルメルス卿がウチに向かったと聞いて」
「やあねぇ、人を悪者みたいに」
「こんなところでお茶を飲んでいる場合なのですか? 辺境伯から早馬で文が届いたというのに」
「わかってるわよぉ」
「分かっていらっしゃるのなら、城にお戻りください。陛下とデューク卿がお待ちです」
ローリエはぷぅと頬を膨らませながら、襟元を正し、立て掛けていた剣を腰に佩いた。
「忙しないね、ローリエ殿は」
「んふふ、落ち着いたらまたお茶でもしましょうね」
ローリエはぱちんと片目でウィンクをし、イスカの手を取る。改めて別れの挨拶をするのだろうと待っていると、見慣れた黒い鞄がローリエの後頭部に直撃した。
「痛っ! 何をするのよぅ」
「そういうことはやるべきことを終えてから仰ってください」
セバスチャンに預けていたはずの鞄が、何故かノクスの手に戻っている。どういうことかとセバスチャンを見ると、彼は自慢の髭を触りながら笑っていた。
「心が狭い男は嫌われるわよぉ?」
「ところ構わず女性に軽々しく触れるのもどうかと思いますが」
ノクスは困ったように溜め息を吐いてから、邸の門へと向かって歩き出した。その後を着いていくローリエは途中でイスカを振り返り、またねと大きく手を振ってくれた。




