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忘却の蝶は夜に恋う  作者: 北畠 逢希
3章 眠らない夢

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第23話


「イスカが運び込まれたと聞いた。容体は?」 


 ヴィルジールが口を開いた途端、治癒師たちの態度ががらりと変わった。今の今までちらちらと目配せをしながら密やかな声で話していたというのに、ヴィルジールを見るなり次々とひれ伏している。


「分からないわ。とにかく出血が酷くて。町の医者には無理だと判断したから、ここへ連れてきたの」


「魔獣はお前が討伐したと聞いているが」


「したわよ。だけどもう一匹いたのよ。──人に化けていたのがね」


 男の眉がぎゅうっと寄る。


「アタシがついていながら、こんなことになって……本当に申し訳ないわ。イスカちゃん、婚約者のために素敵なタイピンを選んで、すっごく嬉しそうにしていたのに」


 どうやらこの派手な男はイスカと出掛けていたらしい。ヴィルジールの話からすると、目の前にいるこの男こそローリエ・ハルメルスに違いないだろう。辺境伯の嫡男とは思えない風貌をしているが、この世でヴィルジールと気さくに話せる人間は限られている。


(──タイピンを買いに出掛けていたのか?)


 ノクスはイスカが治療を受けている部屋に目を向けた。入ってすぐのところに白い衝立がある為、中の様子を伺うことができない。彼女は無事でいるのだろうか。


 しばらくすると、部屋の中から二人の男が出てきた。一人はイスカの元婚約者であるセドリックで、ノクスの姿を見るなり苦虫を噛み潰したような顔をしている。その隣には仮面で顔を隠している人がいた。


 セドリックは魔術師だから黒色のローブを纏っているが、隣にいる仮面の御人は金の刺繍が入った白色のローブを着ている。髪はイスカよりも濃い、綺麗な黄金色だ。


「これはこれは、帝国の太陽。おいでになっていたとは知らず、ご無礼を」


 口を開いたのは仮面の男だった。柔らかな口調で挨拶を述べると、流れるような所作でヴィルジールに敬礼をしている。彼に倣うようにセドリックも頭を下げていたが、側から見ても嫌々やっているのが丸わかりだ。


「魔術省長官が自ら治療を?」


 ヴィルジールの問いに、仮面の男──魔術省長官は肯首した。


「生きていたのが不思議なくらいだったものですから」


 それ即ち、魔術省長官でなければ救えなかったということだろう。彼女はとても酷い怪我を負っていたようだ。


「今の容態は?」


「傷は全て癒しました。術で眠らせていますが、日が落ちる頃には目を覚まされるかと」


 ヴィルジールが頷くと、セドリックと魔術省長官は廊下の先へと消えた。床に手をついて頭を下げていた治癒師たちも、慌てた様子でその後に続いている。これから会合でもするのかもしれない。


 顔を見に行くか迷っていると、ローリエが迷いのない足取りで部屋に入っていった。隣にいるヴィルジールはどうするのか伺っているうちに、ローリエが戻ってくる。彼は血まみれの上着を脱ぎながら「よく眠っているわ」と安堵したように言った。


 ヴィルジールが歩き出した。どこへ向かうのかと眺めていると、イスカの眠る部屋の隣室を開けた。そこはテーブルとソファがセッティングされている応接室のような空間だった。


「ローリエ、詳しい話を。ノクスも来い」


「アタシ、どこもかしこも血だらけだから着替えたいんですけどぉ」


「それくらい我慢をしろ。お前の血じゃないだろう」


 ローリエは「むぅ」と口を尖らせながらも隣室に入った。ノクスも二人の後に続き、分厚い扉を閉める。その時、扉全体が青く光った。魔術省の建物だからか、この扉には何らかの術が掛けられているようだが、ノクスには全く分からなかった。


 三人で向かい合うように座ると、ヴィルジールが長い脚を組みながら薄い唇を開けた。


「ローリエ。一体何があったのか、お前の口から細やかに話せ」


「ええと……そもそもアタシは今日イスカちゃんと城下へ出掛けてて、ショッピングをしていたの。そろそろ帰ろうかって話しながら荷物を積んでいたら、大通りの方から悲鳴が上がって、酷い臭気も漂ってきて」


「それで?」


「それで、何事かしらねーって、一緒に確かめに行ったのよ。そうしたらそこには魔獣がいて、近くから民間人が出てきたから、そっちをイスカちゃんに頼んでアタシは魔獣をやったんだけど……振り向いた時には、イスカちゃんは血の海に沈んでた」


 ローリエは脱いだ上着を指先でそっと撫でると、くしゃりと顔を歪めた。



 そもそもの話だ。イスカは女性で、魔獣とやり合うような騎士でなければ魔術師でもない。そんな彼女がなぜ、ローリエと共に現場を確認しに向かったのだろうか。安全なところに逃げ隠れしていれば、このような目に遭わずに済んだかもしれないのに。


 そんなノクスの心中を察したのだろうか。ヴィルジールからの視線を感じて慌てて顔を上げると、宝石のような深い青色の瞳と視線がぶつかった。


「……何でしょうか」


 ヴィルジールはノクスのことをしげしげと見つめながら口を開いた。


「イスカの父親が魔術省長官だったことは知っているか」


 ノクスは浅く頷いた。魔術省長官が代わったのは一年前──ノクスが政官となった時期だ。前任者の名はハインブルグだったような気がする。それがイスカの父親だったとは知らなかったが。


「……それがどうかなさったのですか」


「イスカには魔術の才能があった。一種の兵器として使われてもおかしくないくらいに」


「それが今回の事件とどのような関係が?」


「お前は馬鹿か? 猿顔負けの木登りをするあのお転婆が、じっとしていられるわけがないだろう。目先で何かが起こっていると分かったら、ローリエを張り倒してでも行くに決まっている」


 確かにそうだ。知り合ってひと月余りのノクスでさえ、彼女は好奇心が旺盛で、それでいて何事にも立ち向かっていく人だということは知っている。


 それ以上に、ヴィルジールは彼女のことを知っている。それは幼馴染だからだろうが──それにしては、よき理解者と呼ぶのは似つかわしくないくらい、知り過ぎているようにも思う。


 以前、イスカはこう言っていた。ノクスと恋がしたいから、ノクスを選んだのだ、と。だがそんな理由で、由緒正しい公爵家の跡継ぎの婚約が認められていいはずがない。たとえお遊びの期間限定のものであったとしても。


 なぜヴィルジールはイスカの願いを叶えたのだろうか。


「……不躾と承知の上でお伺いします。陛下にとって何なのですか? イスカーチェリという少女は」


 ノクスの問いに、ヴィルジールは視線を外しながら答えた。


「幼馴染であり、俺が犯した罪に巻き込まれた女だ」


「それは、どういう……」


「イスカの父親は俺が殺した。お前がここに来る半年前のことだ」


 とても静かな声音だった。ノクスが息を呑んだ音が聞こえてしまったのではないかと思うほどに。


 ノクスが政官となったのは、ヴィルジールが即位して直ぐのことだ。その年の試験を首席で突破したノクスは、当時宰相だったエヴァンの祖父に声をかけられ、新しい皇帝と宰相とともに不正を働く政官を一掃した。


 半年前──今から一年半前は、先の皇帝が崩御した頃だ。


「当時イスカの父親は魔術省長官で、あの日は俺の父と共にいた。暴走した俺を止めようと、父を守ろうとして……氷となって砕け散った」


「────」


「俺はイスカから父親を奪った男だ。イスカは気にしていないと言って笑っていたが、父親を殺されて何も感じないわけがない」


 だからなのだろうか。ノクスとイスカの婚姻が取り決められたのは。


 ノクスはテーブルの下で指を組みながら、ゆっくりと息を吐き出していった。


 どうやら自分は、他人の罪滅ぼしに巻き込まれていたらしい。

 

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