第22話
「──エヴァン様ッ、大変です!!」
宰相の執務室の扉が勢いよく開け放たれる。転がり込むように現れたのはアスランの部下で、エヴァンやノクスとも懇意にしている騎士の青年だった。
「どうしたのです?」
只事でない様子の青年を見て、エヴァンは驚いた顔をしていたが、穏やかな口調で問いかけた。その傍で書類を手に立っていたノクスも何の報告か気になり、片膝をついている青年へそっと視線を投げる。
青年は何度か口を開閉させてから、泣きそうな声で言った。
「──首都に魔獣が現れました」
「何ですって!?」
エヴァンが音を立てて椅子から腰を上げる。
「状況は? 騎士団は動いているのですか?」
「デューク卿が一隊を率いて現場に向かわれましたが、広場に現れた魔獣は既にハルメルス卿が討伐してくださったと報告が」
「ローリエが!?」
ローリエ・ハルメルス。その名は東の国境を守るハルメルス辺境伯の息子ものだ。当主の代理で式典に出席し、数日間首都に滞在しているのは小耳に挟んでいた。
「そのハルメルス卿ですが、先ほど女性を抱いて魔術省に駆け込んだそうです。酷い怪我だと」
「民間人が襲われたのですか?」
「いえ、その女性は民間人ではなく、ハインブルグ公爵家のお嬢様だそうで──」
ハインブルグと聞いて、エヴァンの顔が青ざめていく。報告はまだ続くようだが、ノクスは執務室を飛び出していた。
ノクスの知る限り、魔獣が首都に出没したことは一度もない。なぜなら魔獣は己より強い相手に近づこうとしないからだ。首都には国と民を守る騎士団と魔術師団があり、その上に立つ皇帝は桁違いの魔力を持っている。奴らが好奇心で近づこうものならば、一瞬で塵と化すだろう。
冬になると食い物を求めて人里に降りてくることがあるが、今は夏だ。奴らの活動時間も夜間だというのに、外はまだ明るい。
(──なぜ、魔獣が)
ノクスは鼓動が早鐘を打っているのを感じながら、魔術省の建物の扉を押し開けた。
魔術省に所属する人は皆ローブを纏っている。魔獣の討伐や魔術の研究をしている魔術師は黒色を、医師とともに人々を治療してまわる治癒師は白色を、どちらにも属さず事務仕事をしている者は緑色を。
魔術師は城を空けていることが多いので、建物内には緑色のローブを纏う者が圧倒的に多かった。
突如現れたノクスを見て、彼らは驚いているようだった。中には奥へと隠れる者もいたが、そんなことはどうでもいい。
ノクスは中をぐるりと見回してから、唯一目が合った白いローブの男に近づいていった。
「──突然失礼する。こちらに公爵令嬢が運び込まれたと聞いたんだが」
「……ええ。奥で治療を受けておりますが」
「案内してくれ」
男はノクスを上から下まで眺めたのちに、渋い顔をした。
「これより奥は限られた者しか立ち入ることが許されておりません。いくら宰相補佐官様と言えど、おいそれとお通しするわけには……」
男はそう言うと、長い袖で口元を覆い隠した。その下では薄ら笑んでいるのか、目は三日月のように細められている。
ノクスは柳眉を顰めた。目の間にいる男は服装からして治癒師だ。おそらくノクスがどうしてここに来たのかも知っている。
この奥にノクスの婚約者がいることも分かっていながら、通せないと言っているのだ。
ノクスは強行突破するか迷った。一介の治癒師よりも宰相補佐官であるノクスの方が立場は上である。適当な仕事を理由に通り抜けることはできるが、今は書状を書く時間さえ惜しい。
イスカは魔術省に運び込まれるほどの怪我を負ったのだ。婚約者だからという理由でここに来たわけではないが、一つ屋根の下で共に暮らしている人間が怪我で運び込まれたと聞けば、同居人として無事を確かめるくらいはする。
そうしなければ、仕事に集中できない気がした。
「僕は彼女の──」
無意識のうちに右の手のひらを握りしめながら、声を振り絞った時。声を妨げるほどの悪寒が背筋を駆け抜けた。
「──貴様は誰の許可を得て、立ち塞がっている」
ノクスの真後ろから聞き知った声が響いた。振り返るとそこには冷然とした無表情のヴィルジールがいる。
「こ、皇帝陛下ッ……」
男は凄い勢いで頭を下げた。床に手をつきながら、怯えたように肩を震わせている。
ヴィルジールは男を一瞥したのちに、ノクスを見てため息を一つ吐いた。
「何をしている。適当な理由をつけてさっさと通ればいいものの。お前らしくもない」
「申し訳ありません」
ノクスは軽く頭を下げてから、床にひれ伏している男の横を通り、奥へ向かって駆け出した。ヴィルジールもイスカの安否を確かめにきたのか、ノクスの後ろに続いている。
大きな扉を四つほど越えたところで、人集りができているのが見えた。開放されている扉の前では治癒師が集まっており、その中には式典の時に見た派手な見た目の男の姿もあった。
ウェーブがかっている髪はヴィルジールのような銀髪だが、耳の辺りから毛先にかけて紫色に染められていた。耳朶には星を模したような宝飾が光っているが、上半身が血だらけだ。だが彼の衣服には傷ひとつない。
だとしたら、それは返り血になるが──誰のものだろうか。
ノクスは肩を上下させながら近づいていった。
「こちらに──ハインブルグ公爵令嬢はいますか」
ノクスの声に一番に反応したのは、派手な男だった。
「奥で治療を受けているわ。貴方は──って、陛下まで来ちゃって、どうしたのよ」
男はノクスの後ろから現れたヴィルジールを見て、艶やかな赤色の唇をぱくぱくとさせた。




