第16話
皇帝の即位一年を祝う式典の当日は、連日の雨が嘘だったかのような青天に恵まれた。城下町は首都の外からやって来る客を迎えるために、戦後一年とは思えないくらいに飾り立てられ、出店や催し物で賑わっている。
城では庭園が開放され、今日だけは身分を問わず誰でも入ることが許された。中央にある巨大な噴水には白い花がたくさん浮かんでおり、ヴィルジールが手向けるのを見た誰かが真似をし、次々と水面に浮かべられているようだ。
「ウィンクルムの花だね」
「根から花びらまで食べられる、有り難いお花ですのう」
セバスチャンと共に城を訪れたイスカは、彼と共に噴水に花を一輪ずつ手向けた。既に水面は沢山の花で埋め尽くされており、近くを流れる人工の細い川にも繋がっているようで、花が流れて込んでいる。何とも不思議な光景だ。
「それではイスカーチェリ様、私はここで失礼いたします。ノクス様のこと、よろしくお願いいたします」
「ああ、任せてくれたまえよ」
ホールの手前でイスカはセバスチャンと別れた。イスカは式典に参列するためにホールへ、セバスチャンは昔の知り合いと会うらしくどこかへ行ってしまった。
会場であるホールの受付にはエヴァンが立っていた。イスカの姿を認めると、焦げ茶色の垂れ目をふんわりと和らげ、中に入るよう眼差しで促される。他の参加者は身元の確認をするために、招待状を見せているようだ。
ホール内は貴族で溢れかえっていた。皇帝派と反皇帝派は派閥で固まって談笑しているが、中立派は気にせず話したい人と話しているようだ。その殆どは男性で、女性の参列者はイスカだけのようだった。
ノクスはどこにいるのだろうか。主催側のため、エヴァンのように仕事をしているのかもしれない。彼を探して歩いていると、イスカの存在に気づいたセドリックが近づいてきた。
「やあ、イスカ。ご機嫌はいかがかな?」
「……セドリック・オールヴェニスか」
「つれないね、昔は名前で呼んでくれたのに」
セドリックは右手を顎に添えながら優雅に微笑んだ。長く艶のある髪はさらりと肩をすべり落ち、硝子の照明の光を浴びてきらきらと輝いている。
「君と私はもう他人だ。用がないのなら話しかけないでくれないか?」
「話したいことがあるから、声をかけたんだよ」
そっと耳打ちをするように、セドリックは続ける。イスカは反射的に耳を塞ぎながら、セドリックの菫色の双眸を見上げた。
セドリックがイスカの耳元に顔を近づけてくる時は、人に聞かれてはいけない話をしたい時だ。その内容はまだ出回っていない貴族間で起こった出来事や国内情勢に関することが多く、好奇心が旺盛なイスカの心を揺らしてくる。
彼との婚約を解消する前は、よく色々な話をしていたものだが。
丁重にお断りするために、一歩後ろに下がろうとしたその時。ヒールの踵で、誰かの足を思いきり踏みつけてしまった。
「──も、申し訳ないっ!」
慌てて後ろを向くと、先ず目に入ったのはイスカのようなヒールを履いている足元だった。光沢のある赤色のそれには、薔薇の飾りが付いている。
「あらぁ、気にしなくていいのよ。アタシなら大丈夫だから」
女性にしては低めだが、艶やかで耳に心地よい声だ。そろりそろりと顔を上げていくと、緩やかに巻かれている髪と赤い唇が目に入った。髪の地毛は銀色だろうか。耳くらいから毛先にかけて紫色に染められている。
ぱっちりと開かれた目に映り込むイスカは、唇を開けたまま固まっていた。
「……あら、アナタ女の子なのね。名前を聞いても良いかしら?」
イスカが掠れた声で「イスカーチェリ」と名乗ると、目の前にいるド派手な美人は「アナタなのね」ときゃっきゃと喜びだした。手まで叩かれている。
これほどの美人は一度会ったら忘れなさそうだが、首都育ちのイスカの記憶には残っていない。だがここにいるということは、式典の参加者であるということ。式典に参加できるのは、要職に就いている者と貴族の当主とその後継者だけだ。
つまりこの美人は──。
「あらぁ、セドリック・オールヴェニスじゃない。相変わらず寒い色ばっかり着てるのねぇ」
ド派手な美人は軽くウィンクをするなり、イスカを背に庇うように立った。セドリックがどんな反応をするのか気になり、後ろからそっと覗いてみると、彼は微笑みを浮かべたまま眉をピクピクと動かしている。
「……ローリエ・ハルメルス」
「やだぁ、何か言った? 男ならもう少しハッキリ喋りなさいよ。女の耳元にヒソヒソ話しかけるなんて、破廉恥な男がすることだわぁ」
オホホ、とド派手な美人は高らかに笑う。見た目も所作も女性そのものだが、イスカの目の前にいるこの人物こそ、ヴィルジールと手紙のやり取りをしていたハルメルス家のローリエで間違いないようだ。
男性でありながら堂々とヒールを履き、凛と顔を上げている姿には思わず見惚れてしまうものがあった。すらりと長身なうえ細いので、タイトなロングスカートもよく似合っている。
「……皇帝の犬が」
そう吐き捨てたセドリックに、ド派手な美人──ローリエはべっと下瞼を下ろし、舌も出していた。
セドリックは立ち去っていった。その姿が人混みに紛れたのを見届け、ローリエはイスカと向き直る。
「改めまして、アタシはローリエよ。会うのは初めましてよね、イスカちゃん」
ローリエから手が差し出される。イスカもそれに倣って手を出すとぶんぶんと元気な握手をされた。
「イスカーチェリ・ハインブルグだ。失礼なことをしてしまったのに、助けてくれてありがとう」
「いいのよぉ。アタシ、あの男キライだもの」
元婚約者なのにごめんなさいねぇ、とローリエはころころと笑いながらイスカの手を離した。
よく見てみると、ローリエは耳や首だけでなく手首や指の先にまでアクセサリーを着けている。どこぞの公爵夫人よりも煌びやかだ。
「ふふ、ローリエ殿は正直なんだね」
「だってねぇ。何を考えているのか分からない人よりいいと思わない? どこかの次男坊の何ちゃらリックさんのように、笑顔で嘘を吐く人よりもずっといいと思うの」
イスカはほろほろと笑った。飾らないローリエの言葉と態度は貴族らしくないが、とても好感が持てるのだ。一度会ったら忘れられない、と言っていたヴィルジールの気持ちがよく分かる。
「確かに、それは私も同感だ。ここにいる人たちは皆、取り繕った笑顔の下で何を考えているのか分からないからね」
「ね、ね、そうよね! アナタとも気が合いそうで嬉しいわぁ」
何日か首都に滞在するから、明日はお茶でも──と、ローリエがイスカを誘った時。会場がしんと静まり返った。
「──皆様、お待たせいたしました」
ホールの二階からエヴァンが現れ、凛とした佇まいで声を張っている。その傍にはノクスの姿もあった。セバスチャンと一緒に密かに式典用の礼服を用意したというのに、彼は相も変わらず黒一色の礼服を着ていた。あれではまるで喪服である。
式典の開催の挨拶をするエヴァンの姿を近くで見るために、イスカはローリエと共に前方へ移動した。




