第14話
皇城の門を潜ってすぐ目の前にあるホールで、貴族の娘たちが喧嘩をしている。その報告があったのは、ノクスが出仕してからすぐのことだった。
エヴァンと今日の日程について軽く打ち合わせている時に、騎士のアスランが血相を変えて報告に来たのだ。ホールで喧嘩が起きている、と。
『誰と誰が喧嘩をしているのです?』
『どっかの貴族の娘と同じく貴族の娘だが、女同士の争いに騎士団が止めに入るわけにもいかなくてだな……』
『何のための騎士団ですか』
『女同士の喧嘩を止めるためではない!』
たかが女同士の喧嘩すら止められないアスランと、今日も眠そうな顔をしているエヴァンの痴話喧嘩を聞きながら、ノクスはがっくりと肩を落とした。くだらないことを見聞きするのは疲れる為、すぐに二人の間に割って入り、アスランは現場に戻らせ、エヴァンは自分とともに皇帝の執務室へ報告に行くことにしたのだ。
喧嘩の要因が“皇帝のパートナーを務めるのは誰か”という論争であるのなら、皇帝本人を引っ張り出してくるのが早い。全力で拒否られるのは目に見えているが、女同士の諍いに騎士と政官が使われるなんて馬鹿げている。
石造りの回廊を、ノクスはイスカと速足で歩いていた。彼女が城に来ている理由は知らないが、邸で留守番をさせている間に変なことが起こるよりはいい。
ノクスがイスカと婚約してから今日で五日目となる。初日の夕方から彼女は邸に居座るようになり、二日目の朝にはとんでもない朝食が、三日目には彼女の願いごとの一つを叶えるために、共に城下町を歩いた。
四日目はノクスが仕事から帰ると、邸の花壇に不思議な花が増えていた。彼女が自ら植えたらしいが、東方から取り寄せられたというその花は色も造形も香りも独特なもので、セバスチャンが植えた薔薇の存在が薄くなっていた。
そして五日目。今日こそ平和な一日を過ごしたかったが、どうやらそれは叶わなさそうだ。
「──婚約者殿。一体どうしてそんなことになったんだい?」
「どこぞの馬鹿な伯爵が“我が娘を是非式典のパートナーに”と娘を連れてきて、それを見た馬鹿な侯爵が“私の娘の方が”と言い出し、今度は馬鹿娘同士で言い合っているらしい」
「馬鹿ばかり言い過ぎだよ、婚約者殿」
「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い」
そうは言ってもねぇ、とイスカは苦笑を浮かべる。
現場へ急ぐノクスとイスカの後ろからは、エヴァンが騒ぐ声が聞こえる。ちらりと後ろを見ると、エヴァンに引き摺られるようにして歩くヴィルジールの姿もあった。執務室から連れ出すことに成功したのはいいが、後が怖そうだ。
「……ご令嬢。陛下を現場に連れていくことで、事は収まると思うか?」
「パートナーの座を巡って喧嘩が起きるだなんて、モテる男は大変だね」
イスカはくっくと笑い、ノクスを肘で突く。彼女が何を言いたいのか理解できなかったノクスは、突かれたところを摩りながら息を吐いた。
現場に到着すると、言い争う声が聞こえた。一体何事かと見物に来ていた人たちの間から覗いてみると、派手なドレスを着ている女性が取っ組み合いをしながら騒いでいる。あれが例のご令嬢たちなのだろう。
「これが女の争いというやつか」
イスカは感心したように頷き、人混みの中を突き進んでいく。ノクスは後ろにいるエヴァンとヴィルジールに先を譲り、自分は少し距離を空けてついて行った。
ヴィルジールの来訪に気づいたのは騎士のひとりだった。彼が「陛下」と呼び敬礼をした事で、その場にいる人間が次々と振り返る。
アスランだけが軽く頭を下げてから、此方に近寄ってきた。
「やっと来たか! ジルまでいるとは!」
「一体何事だ?」
「夜会のパートナーの座を巡って喧嘩しているんだ。ジルが人前に出るのは即位式以来だから、夜会で踊る相手がジルのファーストダンスになるだろう?」
ファーストダンスという単語でヴィルジールの眉がピクリと上がる。
「くだらない。怪我人が出る前に早く止めさせろ」
「おいジル、まさか騎士団に止めろって言うんじゃないだろうな」
「それ以外に誰がいる」
ヴィルジールはそう冷たく吐き捨てると、自分の腕に絡みついているエヴァンを振り払い、来た道を戻ろうとしている。
「ちょっと、陛下! 私を置いてどこに行くんです!?」
「仕事だ。くだらないことに付き合っている暇はない」
「くだらない!? 貴方を巡って、壮絶なバトルが起きているというのに!?」
ノクスはヴィルジールとエヴァンを交互に見てから、疲れたようにため息をこぼした。ふたりの痴話喧嘩は見慣れているが、何もここで披露しなくても。イスカだけが楽しそうに笑っている。
「ああ、皇帝陛下! ご機嫌麗しゅうっ!」
甲高い声がホールに響いた。喧嘩はもう終わったのか、取っ組み合いをしていた令嬢が血相を変えて駆け寄ってきた。
「ちょっと、伯爵家の人間が侯爵家の娘であるわたくしよりも先にご挨拶するなんて無礼ですわよ!」
「格下の家の私に暴力を振るっておいて、よくそんなことが言えますわね!」
「貴女だってわたくしの腕を掴んだじゃない! 見なさいよ、このシワシワ!」
二人の令嬢はヴィルジールが目の前にいるというのに、再びぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた。無論、ヴィルジールのこめかみには青筋が浮かんできている。
辺りの空気が冷えていくのを感じたその時、今の今まで面白そうに眺めていたイスカが前に進み出た。
「二人とも、陛下の前で喧嘩はやめたまえ」
イスカの声で、二人の令嬢はピタリと動きを止めた。目が痛くなるくらい派手なドレスを着ている侯爵令嬢が、くるりと身を翻しイスカと向き合う。
「誰ですの? 貴女は」
「私かい? 私はイスカーチェリ・ハインブルグだ」
ハインブルグの名を聞いて、侯爵令嬢は居心地が悪くなったのか、咳払いを一つしてからヴィルジールとイスカに向かって一礼した。
「申し遅れましたわ、わたくしはアネット・ガルシア。ガルシア侯爵家の者です」
ガルシア侯爵家はヴィルジールの即位に反対していた、反皇帝派に属する家だ。帝国の北東に広大な領地を持ち、その真下にはハルメルス領がある。
「ではガルシア侯爵令嬢、いいことを教えてあげよう。君たちが議論していた皇帝陛下のパートナーの件だが、既に決まっている」
「なんですって!?」
ノクスはエヴァンへ視線を送った。一体どういうことかと訴えるように。ノクスの視線に気づいたエヴァンは、ぱちくりと目を瞬きながら首を左右に振る。
どうやら既にパートナーが決まっているというのはイスカのでっち上げのようだ。だが令嬢たちには効果抜群の一言だったようで、彼女たちはわなわなと唇を震わせていた。そこへ父親らしき人が近寄り、家に帰りなさいと促したことで、彼女たちは渋々といったふうに下がっていくのだった。
令嬢たちがいなくなり、見物人も散っていき、騎士たちも所定の配置に戻り、その場に残ったのがノクス、イスカ、ヴィルジール、エヴァンとアスランの五人になると、ヴィルジールがくしゃりと前髪を掻き上げた。
「────イスカ」
絶対零度の声と眼差しに、ごくりと喉を鳴らしたのはノクスだけではないはずだ。
「いやあ、一体誰なのかなぁ。ヴィルジールのパートナー」
イスカはにぱっと笑うと、脱兎の如き速さで走り去っていった。




