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忘却の蝶は夜に恋う  作者: 北畠 逢希
2章 波乱の幕開け

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第10話

 普通の令嬢とは何だろうか。生まれも育ちも平凡なノクスがその特徴を挙げるならば、真っ先に浮かぶのは淑やかで慎ましいことだ。間違っても大口を開けて笑ったり、男のような言葉遣いをしたり、扉があるのに窓から入ってくるどこぞの誰かのようではないだろう。


 ほんの数日前にノクスの婚約者になったイスカは、普通の令嬢とは何もかもが異なっている。そんな彼女は貴族の社交界で“変わり者令嬢”と呼ばれているそうだが、当の本人は気にも留めてなさそうだ。


「──待たせたね、婚約者殿」


 時刻は正午。休日であるというのに、出掛ける羽目になってしまったノクスは、目の前にいる婚約者と嫌なくらいに青い空を交互に見てから、小さな溜め息を吐いた。


「……なんだその格好は」


「この格好かい? いつも通りだけれど、変だろうか」


 イスカがその場でくるりと回る。紺色のスカートがふわりと揺れ、なめらかな光沢を放つ革靴が顔を見せた。上にはシンプルなブラウスを合わせており、華美なものを好まないノクスの目には好印象に映ったが──気になったのはそこではない。


 ノクスはイスカの手元を覆う手袋を見つめながら、眉を顰めた。


「そんなに着込んで暑くはないのか」


「おや、私の心配をしてくれているのかい?」


 何が嬉しいのか、イスカはぱあっと笑った。彼女の装備はそれだけではなかったらしく、手首に掛けていた日傘も広げている。


「肌を日に焼かれたくないからね。乙女の嗜みというやつだよ、婚約者殿」


「…………乙女の嗜みか」


 ノクスは改めてイスカを上から下まで眺める。彼女の瞳と同じ色の傘に、ブルーのリボンが掛けられた白い帽子、レースの手袋、ロングスカートと革靴の隙間から見えた黒いタイツ。肌を守るためにそんなに着込まなければならないのなら、外へ出掛けなければいいのに。貴族らしく、邸に仕立て屋の人を呼べばいい。


(そうまでして出掛けたいのか)


 乙女のこともイスカという一人の少女のことも、全く分からない。分かろうとも思わないが、イスカが今日を楽しみにしていたことだけは理解できたノクスは、ふっと息を吐いてから歩き出した。



 国一の商業区である城下町の中心には、生活に欠かせないものから変わった施設まで入っている。中でも仕立て屋は庶民でも手が届くリーズナブルなものから、貴族が好むような華美で色とりどりなものなど、様々なお店がある。


 寝間着を除いて、黒色の服しか着ないノクスは、仕立て屋に入っても採寸をするだけで、あとはセバスチャンが対応してくれる。そんなノクスに、誰かの──ましてやよく分からない異性の衣装を選ぶことなんて出来るのだろうか。


 目的地に着いたノクスは、嬉々とした表情をしているイスカと建物を交互に見てから、ゆっくりと息を吐いた。


 ノクスとイスカが入った仕立て屋は、庶民から貴族のものまで取り扱う有名店だ。店内には最近流行りのデザインや新作の衣装が飾られていて、見るだけで目が疲れてしまいそうなくらい煌びやかだった。


 イスカは仕立て屋に来たことがないのか、興味津々に見て回っていた。既製品のコーナーを楽しそうに見ているが、彼女は貴族の令嬢だ。布から選んでデザインを決めた方がいいだろう。


「……ご令嬢。好きな色はあるのか」


「特にないかな。私に似合っていれば何でも構わないよ」


 ノクスは眉根を寄せた。さらりと難しいことを言ってくれる。


「では、よく着ている色は?」


「それも特にないよ。赤も黄も緑も、貴殿のような黒でも、何でも着ている」


 イスカは爽やかに笑うと、既製品の中から薄紫色のデイドレスを手に取り、これはどうかと尋ねてきた。女物の衣服に関してさっぱりなノクスでも、彼女が着るには可愛らしいように思えたので、黙って首を左右に振った。


「ならこれは?」


 次に手に取って見せてきたのは、綺麗な赤色の派手なドレスだ。くっきりとした目鼻立ちの彼女に似合っているとは思うが、体に合わせた姿を見るとしっくりこなかった。


 イスカは「難しいね」と苦笑する。それはこちらの台詞だ、とノクスは返し、広い店内の奥へと向かった。


「いらっしゃいませ、プルヴィア様。ご注文ですか?」


「ああ。夜会用のドレスを仕立てたい」


 店内の奥にあるカウンターでは、衣装のオーダーを承っている。ここでは好きな布を選んで店主とデザインを決め、一から作ってもらうことができるのだ。


 ノクスは贅沢を好まないが、一般には並ばない黒色の衣服を好んで着るため、いつもこちらで購入している。……品を選ぶのはセバスチャンだが。


「おや、いいのかい? 一から仕立ててもらうなんて」


 馴染みの店員と話をしているノクスの後ろから、イスカがひょっこりと顔を出す。

 店員はイスカの顔を見るとにこやかに微笑んだ。


「これはこれは、お綺麗な方ですね。恋人ですか?」


「……いや」


 何が気に入らなかったのか、イスカがムッとした顔をする。


「いや、とは何だ。私は貴殿の婚約者だろう」


「婚約者と恋人は違うだろう」


「別物ということかい? それじゃあ君は、婚約者がいる身でありながら恋人を作るということか?」


「どうしてそうなるんだ」


 ノクスはがっくりと項垂れた。ならばどうなるんだ、とイスカが責め立てるように顔を近づけてくる。空色の瞳は力強く、吸い込まれそうな輝きを放っていた。


 ノクスは慌てて目を逸らし、変な咳払いを一つ吐き出す。そうしてぐるりと目を動かし、どうしたものかと思考を巡らせたその時、ある物が目に入った。


(────あれは)


 ノクスの目に留まったのは、星空のような色合いの生地だった。それは店員の後方にずらりと並んでいる棚の一角で、存在を主張するように煌めいている。


「──右から十一番目の布を見せてくれないか」


「婚約者殿?」


 突然棚を指差したノクスを、イスカが不思議そうに見てくる。


「こちらですね」


 店員は踏み台に乗って、ノクスが指定した生地を取り出すと、目の前のカウンターに広げてみせた。木板に巻かれた生地は、曇り一つない夜空に無数の星が浮かんでいるかのように美しい。


 ノクスはそれをイスカの白い肌に合わせてみた。ワインのような赤色も夏の花のような黄色も草木のような緑も、どれもこれもイスカは似合っていたが、一番しっくりきたのはこの色だ。


 限りなく黒に近い、けれどノクスのものとは違う。小さな光がたくさん散りばめられている。


「この布で仕立ててくれ」


「かしこまりました。デザインは如何いたしましょう?」


「そういうのはよく分からないから、彼女に似合いそうなものを決めてくれ」


 布だけ決めて後のことは丸投げなノクスに、店員は緩やかに笑った。注文用紙を取り出し、ノクスに羽根ペンを差し出す。


 ノクスは流れるような字で自分の名前を記し、採寸室に向かうイスカの背を見送った。


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