第6話 女王凱旋(黒の亡霊:ソフィア編)
ソフィアとカレンの生まれた星。
惑星リュミエール──
ノクティウスの惑星エルディア襲撃から一年後。
白銀の翼を広げて、艦〈セラフィム号〉は故郷リュミエールへ帰還した。
リュミエールを出発してから、五年の歳月が流れていた。
ソフィア達が不在の間、リュミエール王国では古代文明の研究が続けられ、急速な復興と発展を遂げていた。
当時の惨禍は、すでに遠い昔の出来事のように語られるまでになっていた。
惑星リュミエールの空と海は、鮮やかな青で彩られ、山の木々は深い緑で覆われた。川は清らかに輝き、小鳥達が愛を囁いた。
その中で白銀の翼が光り輝く──
「女王の帰還だ!」
「ソフィア様!」
「ソフィア女王!」
人々の歓声が波のように広がる。
* * *
「お帰りなさいませ、ソフィア女王」
かつてダリウスに仕えた軍の将校、オルディン隊長が赤いカーペットの脇で数十名の兵を率い、敬礼した。
ソフィア、ミレイ、ハヤセ、ユリス、そしてファラン。セラフィム号の乗員たちは、赤いカーペットを踏みしめ、一歩一歩進む。
ソフィアの髪の間から、小さなルゥが外を恐る恐る覗いた。
「すっご!大歓迎じゃん!ってか……ここ、本当にリュミエール!?」
ミレイが感嘆を隠さず、振り返る。
ソフィアも歩みを進めながら、戸惑いを隠せなかった。
ユリスは胸を張り、誇らしげに手を振る。
ハヤセは一歩後ろで周囲を鋭く警戒していた。
群衆の歓声と拍手に包まれながら、一行は城門へと向かう。
かつての王城があった丘の隣──
そこに、新築された白亜のリュミエール城がそびえ立っていた。新しい王国の象徴として、空に向けて塔を伸ばし、陽光を反射して白銀に輝いていた。
* * *
王宮に導かれたセラフィム号のクルーたちは、それぞれの部屋を与えられ、しばしの休息をとった。
柔らかな絹の寝具、香草を焚きしめた空気。侍女たちは甲斐甲斐しく世話をし、湯浴みや衣服を整えた。
中には、ソフィアが幼い頃から仕えていた顔もあった。
「ソフィア様……ご無事で……」
年配の侍女が膝を折り、涙を流した。震える指でソフィアの手を握り、まるで娘の帰りを迎える母のようだった。
ソフィアはその手を包み込みと、たまらずに抱擁した。
「ただいま」
その一言に、侍女の涙はさらにあふれた。
クルー達がサロンで、慣れない手つきでティーカップを震わせ、ミレイがチーズケーキのおかわりをしていた時。
重い扉が開き、甲冑をきらめかせてオルディンが入ってきた。
「ソフィア女王」
軍隊長は一礼し、低い声で告げる。
「戴冠式の明後日、午後からは凱旋パレードを予定しております。皆さま含めて、ご参加いただけますよね」
ソフィアは返答に迷った。あまりに急で、心の準備も追いつかない。だが、隣にいたユリスとミレイが声を弾ませた。
「いいねー! 絶対盛り上がるよ!」
「皆がソフィアの帰還を待ってたんだし!」
なぜかファランまで身を乗り出す。
「軍服はありますか? 小隊長の階級章つきでお願いします!」
部屋の空気が笑いに和らぐ。ソフィアは小さく息を吐き、頷いた。
「……分かったわ。 国のみんなも期待してくれているなら」
* * *
そして迎えた当日。戴冠式は滞りなく執り行われた。午後のパレードに向けてセラフィム号のクルー達は待機していた。
ソフィアは髪に王冠を乗せ、パレード用の白銀のドレスを身にまとった。飾りを施された姿は、戦士ではなく女王そのものだった。
「うーん……自分で言うのも何だけど、筋肉質の腕には似合わないのよね」
照れくさく呟いた瞬間、ユリスとハヤセが、珍しく同じ言葉を同時に洩らした。
「……女神だ……❤」
視線がぶつかり、二人は気まずそうに目を逸らす。ミレイは「ははっ」と笑って肩をすくめた。
ファランは真顔で「私の軍服は?」と呟き、また場が和んだ。
ソフィアはファランに優しく微笑んだ。
「ファラン、ちゃんと準備してもらったわよ。貴方はリュミエール王国の英雄なんだからね」
ファランは、その場でクルクルと回転し、胸のランプを点滅させながら歓喜の電子音を上げた。
「一晩でサイズを合わせてファランの軍服作ってくれた皆様に感謝しなさいよー! 身長1メートル、胸囲1メートルの軍服なんて無いんだからっ!」
ミレイがそう言うと、皆の笑い声がパレード前の部屋に響いた。
* * *
街の広場は、人々の歓声で埋め尽くされていた。花びらが風に舞い、旗が揺れ、鐘が鳴り渡る。
女王ソフィア・リュミエールの凱旋パレードは、まさに順調に幕を開けた。
歓声は大地を揺らすほどに高まっていた。王都の広場を抜け、石畳の大通りを行列が進む。子どもたちは肩車されて手を振り、老人は杖を掲げて涙ぐむ。
ソフィアは笑顔を浮かべながらも、胸の奥で不思議な静けさを感じていた。
──これほどの期待を、私は本当に受け止められるのだろうか。暁光の剣は腰で光を反射し、彼女の存在をさらに際立たせていた。
ユリスは誇らしげに手を振り、ミレイは「すごいすごい!」と言いながら、観衆の声援に答えた。
ハヤセは相変わらず表情を変えず、群衆の影を一つひとつ確かめるように鋭い目を走らせていた。
その時だった。
──乾いた破裂音
祝砲とは違う、冷たく短い音が空気を裂いた。
ソフィアの視界の端、掲げられた旗が裂け、布がひるがえりながら舞い落ちた。
歓声が凍りつき、場を包んでいた色と音が一瞬で失われる。
「女王!」
オルディンが声を張り上げ、兵士たちが盾を掲げて取り囲む。
ユリスは咄嗟に剣に手を伸ばし、ハヤセは射線を探るように群衆を睨んだ。
ミレイは息を呑み、ファランは「異常音波検知! 軌道不明!」と甲高い声を上げた。
ソフィアの肩に、冷たい痛みが走る。
布をかすめた弾丸が、肌を薄く裂いただけだったが……血の温もりよりも、胸を締めつける衝撃の方が痛かった。
視線を上げる──
「……ノクティウス……?」
ガラス張りの高層建物、その壁面に影が揺れた。
黒い仮面。隙間から紅に燃える両目。
かつて憎悪と共に対峙した男の横顔が、そこに映っていた。
ソフィアの心臓が凍りつく。
まさか、あの時、倒したはずなのに──
群衆は悲鳴を上げ、押し合いながら逃げ惑う。
衛兵たちが「包囲を固めろ!」と叫び、矢のように広場を駆ける。
オルディンは剣を抜き、ソフィアの前に立ちはだかる。
次の瞬間、その影は煙のように掻き消えた。ガラスの中にはただの空が映り、何も残ってはいなかった。
幻か、それとも……
ソフィアは肩の痛みに耐えながら、暁光の剣の柄を強く握った。
祝賀の喧騒は、もう戻らない。
残ったのは恐怖と動揺、そして「ノクティウスはまだ生きている」という疑念だった。
広場は混乱の渦に包まれ、悲鳴と泣き声が石畳を揺らした。
兵士たちの盾が壁をつくり、ソフィアは守られるようにして王宮へと引き戻された。
王冠は傾き、白銀のドレスには赤い布片と埃がまとわりついている。
人々の歓喜の声が、恐怖と動揺に変わった光景が、ソフィアの瞳に焼きついていた。
* * *
王宮の執務室──
扉が閉じられると、外の喧噪は厚い壁に遮られ、静けさが戻った。
侍女が急ぎ止血を施し、白布でソフィアの肩を包んでいた。
傷は浅い。だが、あの一撃が「平和」を打ち砕いた。
「女王、よろしいですか」
オルディンが低く言った。甲冑の音が部屋の静寂に響く。
「調査隊が現場を封鎖しました。 使用された銃はおそらく旧式のもの。 発射音の波形も、現場に残った火薬の微粒子も、今の軍用銃とは異なっていました。 だが……」
「だが?」
ソフィアが問うと、オルディンは眉を寄せた。
「弾道が途中で消失しています。傷口にも火薬痕が残っていない。
本来なら鉛弾が見つかるはずなのに……映像を確認しましたが、建物の窓に映っていたとおっしゃる “ 影 ” も記録に残っておりません」
「私には、確かに見えました。ノクティウスの……仮面が」
ソフィアは呟き、肩に手を当てる。
ユリスが机を叩いた。
「なら奴は生きている! 俺たちの前から姿を消しただけだ!」
「落ち着け」ハヤセが低く言う。
「目撃は今のところソフィア女王だけだ。証拠はまだ薄い」
ミレイは不安げに目を泳がせた。「もし映像に残っていないなら…… 誰かが細工を?」
沈黙が落ちる──
オルディンは深く息を吐き、剣の柄に手を置いた。
「敵は我らの目と心を狙ったのだ。幻であれ、実像であれ、人々は“ノクティウスは死んでいない”と囁き合うだろう」
「……亡霊が、人々の心を蝕む」
ソフィアの声は震えていた。
窓の外には、祝賀のために飾られた旗が風に揺れていた。
だがその下では、恐怖と疑念の波が確かに広がりつつある。ソフィアは拳を握り、決意を固めるように言った。
「たとえ影でも、亡霊でも……私は負けない。人々の心を守るのも、私の使命だから」
暁光の剣が静かに灯っていた。