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第4話 氷柱の矢(逡巡の女神:カレン編)


 惑星エルディア―― 


 干ばつの危機を、カレンが古代装置を稼働させ乗り越えた――その年の秋。

 

 今年も、木々の枝先は力強くその腕を広げていた。

 果樹園では、枝からこぼれ落ちそうに実がぶら下がる。畑の穂はこうべを垂れ、風に揺れるたび黄金の波が広がる。干ばつで割れた土はしっとりと息を吹き返し、新しい苔が石の影に小さな緑の地図を描いた。


 子どもたちは笑い声で朝を綴った。

 昔は、その笑い声の中央にカレンはいたのに…。

 いつしか、カレンは居心地の悪い場所に気づくようになった。彼女は、賛美の輪から僅かに身を外すのが癖になっていた。


 「ねぇねぇ、カレン姉さま」 果樹園を走ってきた少女が袖をつかむ。

 「見て、こんなに!」と籠いっぱいの実を掲げる。

 カレンは微笑む。頬に温かな秋光が差す。

 ──よかった。本当に、よかった。

 けれど胸の奥では、薄氷のような不安が溶けずに張ったままだった。


 ──私は、正しいことをしたのだろうか。

 ──これは、私の祈りの結果なのか。それとも、装置の冷たい論理の産物なのか。

 

 収穫祭の日、広場は焼きたての甘い匂いと笑いで満ちた。

 レオンは人々と言葉を交わし、子らの頭を撫で、年寄りの肩を支える。夜になると焚き火のそばで静かに杯を受けた。


 「うまくいったな」レオンがカレンに囁く。

 「……うん」

 カレンは焚き火の炎に手をかざし、少し袖を引いた。揺れる火が、彼女の瞳に小さな王冠のような光をいくつも乗せる。

 「でも、レオン。私、時々思うの。 もしも、私たちが自然の順番を、ねじ曲げてしまっていたらって……」


 レオンは炎を見つめながら答える。

 「順番は、もともともろい。 人の命も、収穫も。 俺たちは “守るために ” 手を伸ばした。 何のためにやったのか?それは間違っていなかったと思う」


 カレンは頷いた。頷くという行為が、安堵と不安の両方を呼ぶのだと知りながら。


 * * *

 

 秋はやがて色を失い、空は薄く、風は頰を切るように走り抜けた。


 初雪は、思いのほか早かった。乾いた粉雪が牧柵(ぼくさく)の上で白い線を引き、灰色の雲が山裾に低く腰を下ろした。


 冬は、ここ数年で経験したことのない早さで村を噛んだ。

 朝になると川は縁から厚く凍り、桶の水は夜のうちに石のように固まっている。薪棚(まきだな)の底は早々に現れ、炭は湿り、息は家の中でも白い。


 そんな折、村の柱が静かに倒れた。

 ゲノン村長は老衰で床に伏し、やがて、何も告げずに冬の真昼に旅立った。

 その翌日には、ゲノンの妻マーニャが後を追うように冬の夜空の星となった。

 村に、ふたつの悲しみが同時に訪れた。

 

 葬儀の日、空は凍った布のように重く、雪は音を立てずに落ちた。

 ふたつの棺が雪の上に置かれ、村人は黙礼する。

 息子のバロックは涙を堪え、唇を噛み、妻エレーナの肩に手を置いた。


 カレンは、頭の中で幼少期からの思い出を辿っていた。

 村長ゲノンは、家に訪れては、カレンが狩りで使う弓矢の弦の擦り切れが無いか?握りの部分のささくれが無いか?蜜蝋を塗ったり弦の張りを調整したりと、何も言わずにメンテナンスをしてくれていた事を知っている。

 それは、カレンが狩りでケガなどしないように祈りながらやっていた事も……。

 その妻マーニャは、料理を通じて命の尊さや自然への感謝の気持ちを教えてくれた。実の祖父母のように……。

 カレンの子供、オーロラを抱いたもらった時。ふたりは自分の孫のように涙を流して喜んでくれた。

 ふたりの優しさと教えは、今もカレンの心の礎となっている。


 カレンは、祈りの言葉を胸の内で結び、レオン達と共に棺の縄を握る。

 土は固く、鍬は甲高い音を立てた。

 

 ──エルディア村の柱が無くなった

 風が、村の芯を冷たく通り抜ける音がした。


 寒波は弱まるどころか、牙を研いだ。燃料は底をつき、古い家の壁は夜になるときしみ、隙間風が子ども達の寝床にまで這ってくる。


 春は暦の上では近いはずなのに、川は厚く凍り、雪は積もるばかり。

 古代の技術を応用した発電機は開発が進んでいたが、まだ試験段階で実用への道のりは長く、村の人々皆を温める事は出来なかった。


 人々は集会所に集まり、焚き火に身を寄せる。炎の光が顔を赤く白く、交互に塗り替えた。


 「カレンさま……もう一度だけ、どうか」

 初老の女が両手を合わせる。

 「冬を越せません。川が、動かないのです」

 「家畜が……凍えて」

 若者の声は乾いてひび割れ、指先にはあかぎれが走っていた。

 「装置を。どうか、装置を」

 言葉は祈りになり、祈りは圧力になり、圧力はやがて避けようのない道をつくった。

 

 「待ってくれ!」

 レオンが間に入る。

 「装置は力だ。 代償を伴う。 安易に繰り返すものじゃない。 夏に装置を使用した代償が今なのかもしれない」


 しかし、人々の目はカレンから離れなかった。

 カレンはうつむき、手を組み、指を固く結んだ。


 ──私がやらなければ、誰がやるの?

 ──私がやれば、何かを変えてしまうのでは?


 胸の内の声は互いに相殺し、残ったのは、凍える子どもらの頬の赤と、燃え尽きかけた焚き火の白だけだった。


 「……分かりました」

 カレンは顔を上げる。

 「もう一度だけ。天の気を、整えます」


 * * *


 教会の奥、石段を下り、地下の中枢へ。


 半球状のドームが吐息のような霜を纏い、中央の結晶体は、冬の夜明けの月を閉じ込めたように、冷たい光を湛えていた。


 操作盤の縁には、古代文字が帯のように巡る。風向、上昇流、氷晶核、飽和比、電荷バランス。 

 文明の研究者と学者、そしてレオンが立ち会った。

 カレンは指を浮かせる。儀式のように見えながら、指先は正確な流れをなぞる。

 ソフィアやリヴェリアが教えた祈りの言葉と、古い文献から読み解いた手順が、彼女の内でぴたりと重なる。


 ──祈りと論理、そのハーモニーを奏でるように。

 「気圧差、三%引き上げ。上空のシード域、北東へ二十度。電荷、微増。飽和点はここ」

 彼女の呟きに応じ、結晶体が低く脈打つ。


 そしてカレンは祈りの言葉を捧げた。

 「北より来る氷の息吹よ 白き雪を纏いし聖霊よ 凍てつく大地に春の兆しを 震える人々に暖かな光を 慈悲深き穏やかな風をもたらしたまえ LUMIÈRE ELDIA ZOĒ AURORA(リュミエール・エルディア・ゾーエ・アウローラ)」


 ドームの壁に刻まれた管路が淡く光り、外気へ通じるバルブが開く音が響く。

 量子場の発振が立ち上がり、空気の分子が姿を変える。氷晶の核が “生まれるべき場所” に誘導され、乱れていた寒冷の縄が静かに振動しながら、ほぐれてゆく。


 地下室の端で、レオンが彼女を見守る。

 「カレン……」その一言は、唯一の支えでもあった。

 彼女は頷き、最後の操作に指を置く。

 結晶体が大きく光を吐く。

 外では風が向きを変え、雲は重なり直し、空の骨組みが、きしみを止める。

 隠れていた日差しがにわかに顔を出し、村の隅々まで強く照らす。

 氷は解け始め、雪は密度を変えた。数刻の後、村の屋根から、長く張った氷柱つららが矢のように音をたてて落ちた。

 川の表面に、最初の揺らぎが生まれる。


 ──春の気配。

 その芽は確かに、装置の手の届くところにあった。

 「……やった……」

 カレンの膝が、少しだけ抜ける。

 レオンが支える腕は温かいが、彼女の背筋は冷たい。

 喜びと、責任と、恐れが、氷の層のように重なっている。


 地上へ戻ると、人々は歓声を上げた。

 空には暖かい日の光がそそぐ。屋根に積もった雪は脇へ流れ、柵の間の雪は薄く透け、氷の川はわずかに帯の色を取り戻す。


 「カレンさまが、また天を整えてくださった!」

 誰かが叫び、誰かが涙を流し、誰かが膝をついて祈った。

 その視線の束が、彼女の肩に重くのしかかる。

 

 避けたくても避けられない視線が、静かな雪のように積み上がっていった。



 

 こんにちわ!カレンです。

 いつも、読んでくださり、本当にありがとうございます。


 干ばつを越えても、わたくしたちの前には新しい試練が訪れました。人々を救いたいという気持ちと、そのために背負う重さ……どちらも、わたしの胸から消えることはありません。

 でも、皆さまの応援で、わたしは勇気を得られます。

 引き続き、よろしくお願いしますねっ!


 ……けれど心のどこかで、ふと考えてしまうのです。

 リュシアは、どこに行ってしまったのかしら……



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