第31話 熱殺の罠(捜索者たち : ハヤセ編)
惑星マーノス――
セラフィム号の偵察機、シルフィード号が着陸した地点から、西の海岸線。
白い波頭が砕け、潮と光が細い霧になって宙に漂う。
ハヤセは浮遊装置『ミズグモ』を足首に固定した。重力フィールドが淡く水色の呼吸を放ち、足元の砂が静かに沈む。
「……また海か。まさか鮫は岸まで来ないよな」
ブラスターの安全装置を外す。腰のベルトバックには《グレネード型》の小型カートリッジ――《マキビシ》《シュリケン》《エンマク》が並ぶ。
ファランの操作するドローンが前方を飛行する。海と空の境目が曖昧で、風だけが静かに通り抜けていった。
最初に“匂い”が来た。
海風に混じる、鉄でも血でもない、湿った酸のような匂い。
次に音──
耳の奥の神経を爪で掻くような高周波。波音がかき消え、風が止まる。世界のざわめきが“羽音”に塗り替えられていく。
『ハヤセ様、前方に単体反応。距離三十メートル。』
ファランの声。
ハヤセが顔を上げると、遠くで何かが光った。
それは、鋼の外殻を持ち、黒と琥珀の装甲が幾何学的に組まれている。
機械式の翅はねの飛行音が近づにく。
20cmほどの蜂型兵器だった……
眼のような赤いセンサーが閃くと、体を折り曲げ腹部をこちらに向けた。
「――来る!」
針が放たれた。
音もなく、空気を切り裂く。小型ミサイルのように軌道を描き、一直線に突き進む。
ハヤセは反射的にブラスターを引いた。
乾いた一閃 ──
ミサイルはブラスターに撃ち抜かれ、上空で爆発した。
続いて、ブラスターを放つ。
蜂型兵器の本体が爆ぜて、白い煙が漂う。
その煙の中から、霧のような粒子が立ち上がった。
ファラン『フェロモン反応! 警報信号のようです!』
「蜂……なるほど……仲間を呼ぶ仕組みか……単体でも脅威だが、群れとなると手がつけられない……」
先を急ぐハヤセ。
数分後、空が唸った。
黒と琥珀の三角片が雲のように集まり、立体的な群れを形成する。
蜂型が十、二十、三十……。羽音が重なり、海岸線の空気が震えた。
まるで空が一つの巨大な生物になったかのようだった。
ミレイ「ハヤセ先輩! 蜂型のスウォームよ!」
ミズグモの重力場を強め、ハヤセは水上を滑った。波が弾け、足裏で海が鳴る。
群れが弧を描き、彼を包囲した。
次の瞬間、小型ミサイルが一斉に放たれた。
軌跡が光の糸となって四方から迫る。
「っ……!」
ハヤセは《マキビシ》を取り出して投げた。
菱形の爆片が輝き、空にフレアの光と熱を放つ。
ミサイルが反応し、軌道を外れて爆ぜた。
しかし残りがすり抜けてくる。
素早くブラスターを構え、呼吸を止めた。
「――くっ!」
指が閃く。
連射音が空を裂き、飛来するミサイルを次々と撃ち落とす。爆風が砂を叩き、波が逆巻く。
だが、蜂群の動きは止まらない。
ミサイルを打ちはなった蜂型は空中で、その形を変えた。
ハヤセの上空で、ドームを形成する。
「……囲む気か?」
次の瞬間、周囲の光が消えた。
無数の羽が同じリズムで震え、空気が圧縮されていく。
ファラン『ハヤセ隊長! 熱反応が急上昇! 周囲五メートル圏、百度を超えています!』
ミレイ「ドローンからの攻撃はハヤセに当たる! 逃げて!」
『……熱殺って訳か』
ファラン『温度、百五十度超えました。 スーツの冷却層が飽和します!』
ヘルメットのHUD『ヘッドアップディスプレイ』が戦闘服の温度警告を表示する。皮膚の裏側で空気が焼けるような痛み。
「戦闘服もたないか……」
息が白くなり、ヘルメットの内側に蒸気が広がる。呼吸一つごとに酸素が薄くなっていく。
一瞬、目の前が暗くなりソフィア達の笑顔が浮かんだ……
ミレイの叫び声が遠のく……
ハヤセはもうろうとする意識の中で、腰へ手を伸ばした。
「《エンマク》!」
指先で起動紋が走り、円筒が低く唸る。
ドッ――
煙筒が弾け、白い霧が渦の内側から爆ぜた。
熱気と煙が反発し合い、蜂の羽音が乱れる。
その一瞬の隙に、ミズグモを最大出力に切り替えた。
海面が割れ、彼の体は蒸気の中へ沈み込む。
海が彼を飲み込んだ。
水の冷たさが皮膚の痛みを洗い流す。
ヘルメットのHUD、温度警告の数値がみるみる下がっていった。
「はぁ……危なかった」
上を見上げると、水面の向こうで光がうごめいている。蜂群が熱で空気を歪ませ、まるで燃える空のようだった。
数秒後、ハヤセは水面を破った。
濃い煙の中、群れが再び形を整えようとしている。
「こっちの番だ!」
彼は《ミズグモ》を展開し、海面を蹴った。
重力場が白波を押し下げ、体がふわりと持ち上がる。
海霧を背に、腰のホルスターから、シュリケン型の 《グレネード》を十枚抜いた。
右手が空を薙ぐたび、光の弧が生まれる。十枚の金属の刃が風を裂きながら上昇し、蜂群の中心で光の渦を描いた。
投げ終わるより早く、ハヤセはブラスターを構えた。
―― 二秒、十発
引き金が鳴る。
乾いた十の閃光が連続して走り、空中の十枚の刃を正確に射抜く。
瞬間、空に赤が咲いた。
十の爆花が同時に膨張し、蜂型の群れを包み込む。空気が焼けて、一瞬、耳が聞こえなくなった。
圧縮空気が弾けるような轟音が海を揺らしていた。
爆風に巻き上げられた蜂の装甲片が、陽光を反射して雨のように降る。
煙の向こうで、ハヤセはブラスターを下ろした。
風が戻る。
「……群れの動きが止まった。これで、終わりだ」
通信の向こうでミレイが息を呑む音がした。
『命中率、百パーセント……さすがね、ハヤセ先輩』
「訓練の賜物だよ」
軽く笑って、空を仰ぐ。
蜂型の残骸は静かに海へ落ち、波に飲まれていった。
焦げた金属の匂いと潮の香りが混ざり合い、風の中で薄れていく。
ミズグモの重力場を解除すると、足元の海面が柔らかく沈んだ。
ハヤセは短く息を吐いた。
青く光る水平線が、彼の瞳を照らしていた。




