第9話
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アルベルトはふいに目を覚ました。
見慣れない部屋の雰囲気に、かすかに漂う異臭。
どこかで水の落ちる音がする。
体を起こし、直前の記憶を確かめるように額に手を当てる。
「父さん、兄上……」
母であるアデライードが暴走している。
止めなければ父が、そして兄が……。
立ち上がり、扉の上部につけられた小窓から外をのぞく。
薄暗くて分からないが、牢獄になっているようだ。
格子が嵌められ、藁を敷かれたただけの簡素な部屋がいくつも並んでいる。
自分のいる一部屋だけが床にカーペットを敷かれ、天井には明かりもある。
貴族用の収監室。それがあるということは、ここは王城の地下牢だろう。
「ここまでするなんて……」
アルベルトは、王妃の部屋で起こった出来事を思い返していた。
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「ソフィアさんと結ばれるとしても?」
すべてを見透かしたように王妃は言った。
まさか隠していたこの感情を母に気づかれているとは思わなかった。
たしかに自分はソフィア嬢にのっぴきならない想いを抱いている。
そしてそれはすでに誰かの婚約者となった者に向けて良いものではなかった。
周囲に失望されていた兄の姿は、呪いによるものだった可能性が高い。
とすれば婚約破棄はなくなり、元通り兄とソフィア嬢が結婚することになるだろう。
それは耐え難い事実だったが、王族である以上は感情よりも優先すべきことがある。
まして、それを引き合いにして父上である国王や兄への呪いを肯定するなど絶対に許されない。
しばし逡巡したあと、アルベルトは王妃に向けて毅然とした態度をとった。
「やっぱりダメです。母上。これは……良くないことだ。国王陛下に相談します」
相談、と言ったのはせめてもの情けだ。告発でも進言でもない、あくまで温情を引き出すための相談をしにいくのだと、母を慮る気持ちを見せたつもりだった。
「あら、そう」
だが王妃は冷たくそっぽを向く。
「やっぱりまだ幼いわね」
ふうっとため息をつく。「……いいわ、今回は。ことの成り行きを見て学んでちょうだい。政争がどんなものか」
そう言って目配せすると、ランスが小さく頷いた。
そして瞬く間にアルベルトの背後に回り込み、薬品を染み込ませた布を口元に押し付ける。
「このっ……」
わずかな抵抗も虚しく、アルベルトの体からぐったりと力が抜け落ちた。
「しばらく外に出ないように地下牢へ運んで。この子の部屋にも鍵をかけておくのよ。体調を崩して部屋で療養させていることにするわ」
「承知しました」
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まさか地下牢に閉じ込められるとは。
アルベルトは体についた薬品の匂いを取り除くように服をぱんぱんと払った。
おそらく事が済むまで自分は閉じ込められたままだろう。
しかし母のことだからそんなに長い時間、息子である自分を拘束するとは思えない。
……今日、明日で一気にカタをつけるつもりだ。
歯がゆい思いで扉を叩く。
そのときだった。
「アルベルト殿下」
と、ささやくような声が聞こえた。
じっと小窓の向こうをのぞくと、牢屋の奥で誰かが手を振っているのが見えた。
「誰だ?」
「ルイです。エヴァン殿下の側近をしております。フェルディも一緒です」
いつも兄のそばに控えている二人の姿を思い出した。
「……なぜ君たちがここにいる?」
「国王陛下をお救いするため、アルベルト殿下に協力を仰ぎに向かうところでした。王家の影に捕まり、今はこのような状況です」
「陛下を……? 父は今どんな状況なのだ?」
「エヴァン様のお話では影たちに捕まりどこかに幽閉されているようです。エヴァン様ご自身も捕らえられておりましたが、今はご無事です」
ルイが、エヴァンから聞いた話を伝える。
「兄上にまで手をくだすなんて……どうかしてる。けど、無事で良かった……」
「殿下は、陛下の居場所に心当たりはありますか?」
「王城には使用人も多いから、幽閉できる場所は限られてる。この地下牢にいないとなれば、たぶん王の自室だろう。許可がなければ誰も入れないし、案外良い幽閉場所だと思う」
「なるほど。……殿下、ここから出るためにお願いがあります」
「出来ることなら何でもする。出たいのは私も同じだからね」
「ありがとうございます」
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しばらくして、コツコツと地下牢の石畳を歩く音があたりに響いた。
ロウソクの明かりが不規則に揺れ、何者かがアルベルトの牢の前で立ち止まる。
「アルベルト殿下、そろぞろお目覚めでしょうか? お食事をお持ちしました」
全身に黒い衣服をまとい、顔にもフードで覆っている。
王家の影の男だ。
アルベルトが返事をしないので、扉の小窓から中を覗き込む。
「なっ……!!」
男が慌てて鍵の束を取り出した。
牢の中ではアルベルトが泡を吹き、びくびくと体を揺らし苦しんでいたからだ。
男はアルベルトが薬で眠らされたことは知っている。
眠くなる以外は無害な薬だが、まれに人によって重篤な副作用を発症することもある。
その稀有な例がいま目の前で起こっている可能性が高いと判断した。
王子に何かあればまずいことになる、そう考えた男が牢に立ち入りアルベルトに駆け寄ったところで、彼を鈍い衝撃が襲う。
アルベルトの膝が男の後頭部に直撃したのだ。
男はぐうっと小さく息をもらし、そのまま意識を失った。
王族は命を狙われることもあるため、それなりに護身術を学んでいる。
それでも、戦いや捕縛を専門とする王家の影に戦闘で勝ることは無いが、相手は混乱し油断していた。
わずかな隙をつけば一人くらいならアルベルトでも制圧することが出来た。
男の持つ鍵束を奪い取ると、ルイとフェルディのいる牢へ駆け寄る。
「……さすがですね。こうも上手くいくとは」
「僕の演技力をなめちゃいけないよ。これでも小さな頃は兄とふたりでよく仮病をつかっていたものさ。ふたりとも勉強嫌いだったからね」
「お二人はよく似ているんですね」
「まあね……」
牢の扉がかちゃりと開いた。
「おそらく牢の外にも影たちがいると思います。戦闘になったら私とフェルディで食い止めるので、殿下は国王のもとへ」
「分かった」
そうして三人は地下牢を出て王の寝室へと向かった。
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夜明けの太陽が細く差し込む王都の中を、6頭引きの巨大な馬車に乗って王城へ駆けていた。
前後にはものものしい兵たちを乗せた数十頭の馬が我々を囲むようにして駆けている。
「……彼らは王国の騎士団ですか? 見慣れない顔もいるようですが……」
広々としたキャビンの中で、僕は向いの席に腰掛けるヒュードリック公爵に問いかける。
「公爵家の私兵も混じっているよ。向こうは王家の影以外に王妃直属の近衛兵団もいるからね。数で劣らないよう最大限の兵を揃えたつもりだ」
公爵は鋭い眼光で外の兵士たちに目をやりながら答えた。
その横には公爵夫人とソフィア、彼女の弟たちもいる。
「お父様、どうして私たちまで王城へ?」
ソフィアが不安そうな顔でたずねた。
「……ソフィア、言ってみればこれはクーデターなんだ。王妃が第二王子派閥を抱きかかえて王権を乗っ取ろうとしている。我々公爵家は国王陛下をはじめとしたエヴァン王太子の派閥だ。どちらに転ぶか分からない一触即発の今、屋敷の中だって安全じゃない」
公爵が父親の顔で優しくソフィアに答える。
「そういうことですか……」
「ありがとうございます、公爵。ロザリア嬢まで連れてきていただいて……」
改めて私がお礼を言うと、隣に座るロザリアも「感謝いたします」と頭を下げる。
公爵は、はあっとため息を付きながら礼の言葉を受け止める。「いつ影の者たちが現れるか分からない場所に、若い令嬢をひとり置いていけるわけがないからね……」
そしてちらりとソフィアを見る。
「私としては複雑な気持ちだよ。娘の婚約者に粉をかけるどこぞの令嬢を庇護しなければならないというのは、父親として納得しがたい思いではあるが……」
気まずそうにロザリアが顔を伏せた。僕も小さく「申し訳ありません」と答えることしかできない。
「お父様、ロザリアさんを責めないであげてください。きちんとした事情があるんです」
ソフィアがかばうように言った。
「……事情ね。まあこの件に巻き込まれているわけだから、何かしら彼女にも情状酌量の余地があるのだろう。落ち着いてからゆっくり聞かせてもらうよ」
ソフィアの声もあってか、公爵はロザリアをあまり責めるつもりはないようだ。
無理もない。彼からすればソフィアもロザリアもほんの子どもだ。
立場があるとはいえ、あまり子ども同士のことに大人が口を挟むべきじゃないとも考えているのだろう。
公爵がやってきたのは、今後の進退に悩み行き詰まっていたときだった。
来賓室の扉をノックする音がしたと思ったら、現れたのは公爵その人だったのだ。
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「無事だったのだな、エヴァン殿下!」
安堵する公爵の後ろでは、公爵夫人が優しそうな微笑みを浮かべている。
「え、ええ、何とか……。すみません、このような時間に、しかもご不在のときにお邪魔してしまって……」
「何を言うんだ、君までテオドールと一緒に捕まったのかと思ったのだぞ? 一体どうやって逃げおおせた?」
テオドールは父である国王の名だ。幼い頃から友人だった彼らは、身内が相手のときは父を名前で呼ぶ。
「……ルイとフェルディのおかげです。幽閉塔にいましたが彼らに救われました。……しかしなぜ父が捕らわれたことを?」
「公爵家の諜報部からだよ。今回、君にかけられていた呪いの件、私とテオドールは事態をとても重く見ているんだ。君が精神的なハンデを背負うことで得をするのは第二王子派閥の人間たち。だが偶然にも君の呪いは解呪された。もし、呪いを与えた本人がそれを知ったら、おそらく強硬手段に出るだろうと思ったんだ。案の定、秘密裏に幽閉されたと連絡が来た」
「……呪いを使った者が強硬手段に出るとなぜ分かったんです?……いや、そうか僕がソフィアと結ばれる前に……」
「そうだ。君が公爵家の娘と結ばれれば、体制が盤石になってしまうからだ。結婚式まであと半年もないからね。呪いの存在が明るみに出た以上、第二王子を擁立するには今しかないんだ」
「……お願いです、ヒュードリック公爵。国王を助けるために協力してください。いや、父だけじゃない、ルイもフェルディも、弟のアルベルトも捕まっているんです!」
「まずは城へ急ごう。話は道すがら聞かせてもらうよ」
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城に向かう馬車のなかで、僕が知る限りの大まかなあらましを伝えると、伯爵はうーむと唸る。
まさかアルベルトまで幽閉されているとは思っていなかったようだ。
ソフィアも同様に、驚きと不安を表情に浮かべていた。
カラスがルイの手紙を届けたのは彼女が眠りについたあとだから、彼女も初めて聞く話だった。
「第二王子まで幽閉するとは、彼女のやり方はいささか強引すぎるな……」
「ええ。アルベルトは誠実な男ですから、おそらく王妃が差し出した手を振り払ったのでしょう」
「ふむ。……正直なところ第二王子の考えは測りかねていた。もしも自分を擁立するために王妃に与しているとなれば、最悪処刑もあり得たが、その心配はないようだな……」
「処刑!?」
さすがに大げさすぎないか……? いや、だが意図的に王の後継を引きずり降ろそうとする者がいれば、単なる処罰では済まないのか……。
「ダ、ダメですっ! お父様! アルベルト様を処刑するなど……!!」
「だからその心配がなくなったと言ったのだ。彼も幽閉されている時点で協力者の容疑から外れるからな。だが……なぜお前がそんなに心配する?」
「いえ……その……」
気まずい空気が室内に流れる。
「そういえば公爵、領地の視察にお出かけという話でしたが、なぜこれほど早く王都に戻ってこれたのです?」
話題を変える目的もあったが、気になっていたことを尋ねる。
「ん? ああ、それはソフィアたちを心配させないための方便だよ。本当は他の貴族たちの根回しのために夫婦で王都の周辺を駆け回っていたんだ。
王妃殿下がもし呪いの犯人だとしたら、今日、明日には動くと睨んでいたからね。いざというとき多勢に無勢とならぬよう、味方の貴族を確保していたんだ」
さすが公爵として国家の中枢を担うだけあり、政争における行動力は見習うべきものがある。
そうこうしているうち、僕たちの乗る馬車は、大勢の兵士たちとともに城門を勢いよく通り抜けた。
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