第7話
ロザリアに会った翌日、僕は公爵家へと来ていた。
来賓室でソフィアを待っていると、侍女の一人が紅茶を運んでくる。
断罪劇を中止したとはいえ、これまでソフィアを蔑ろにしていたのだ。
公爵家の使用人たちが僕を冷ややかに見ているように感じるのは、たぶん気のせいじゃないだろう。
しばらくしてソフィアがやってくる。
「お待たせして申し訳ありません、エヴァン殿下」
「ちっとも待ってないよ。むしろこちらこそ……急な訪問ですまなかった」
来訪を告げたのは昨日だ。
彼女も卒業後の準備で慌ただしい中、おそらく迷惑だっただろう。
「……気になさらないでください。婚約者なのですから、エヴァン殿下のお好きなときに来てくださって構いません」
そう言ってソフィアが微笑む。
彼女の口調は、記憶していたより穏やかだった。
以前の僕は、彼女をずっと口うるさい乳母のようだと思っていたのに。
「今日はお父上は不在かい?」
テーブルを挟んだ向かいのソファーに腰掛けるソフィアに尋ねる。
「ええ、所用があって王城におります。父にもご用がありましたか?」
「いや、そうじゃない。おられたなら挨拶をしたいと思っただけだ」
「……そうですか。……何だか意外です」
「え? なぜ?」
「以前は何だか、父に会うのを避けていたようでしたから」
……そうだった。真面目で堅物な印象の公爵を僕はどこか苦手としていた。
王城などで会っても、まともに会話すらしなかったのは、ロザリアとのことが後ろめたかったからだろう。
「……ははは。そんなことないよ」
本当はそんなことあるが。
「まあ、私の気のせいでしたのね。失礼しました」
「いや、いいんだ」
気まずさを隠すように、紅茶を一口含む。
「……それで、今日なんだが」
忙しい彼女の邪魔をしてはいけないので、早速本題に入ることにする。
ソフィアが「はい」と言って姿勢を正した。
「……改めて、君に謝罪したくて来た」
ソフィアは答えず、言葉の続きを待っている。
「まずは卒業パーティーの日、君に……とんでもないことを言ってしまった。
婚約を破棄したいと言ったのは、僕の愚かさが招いた間違いだ。決して本意ではない」
「……私に婚約破棄を告げたときのエヴァン殿下は、本意を口にされているご様子でしたが」
そのときはまだ過去に戻る前の僕だ。彼女の指摘はもっともだと思う。
「それでも信じて欲しい。今の僕に君を害するつもりがないことを。
……君が、愚かな僕を見限り婚約破棄をすることはあっても、その逆はないよ」
「私から婚約をどうこうすることなんてありませんが……」
「もちろん、優しく誠実な君は両家の取り決めが意に沿わなくても役目を全うするだろう。……けど、僕の愚行は卒業パーティーのことだけじゃない。
これまでも……君がいながら他の女性と時間をともにしたり……君の忠言に耳を貸さなかったり。
数えきれないほど君や、君のご両親の顔を潰してきた。本当に申し訳なかったと思う。すまなかった」
改めて彼女に深く頭を下げる。
部屋の隅に控えていた使用人たちが驚いたように息を呑む音が聞こえた。
顔を上げ再びソフィアを見ると、彼女もいくぶん困惑しているようだった。
確かめるような目で、僕の真意を探っているようにも見える。
「……エヴァン様が……」
しばらくしてソフィアが口を開いた。
これまでは「殿下」と呼んでいたのが、より親しみのある「様」に変わったことに気づく。
「エヴァン様がどうして突然、そのようにご自身のことを省みられたのか分かりかねますが……
貴方は私の未来の夫であり、王家に連なるお方です。
たとえいくらか傲慢で、他所に女性がいたとしても、それは王族として非難されるべきことではありません。
……だから、謝罪をなさる必要はないのですよ」
「そのように、お父上から教わったのか?」
「……はい。王妃教育でも」
「そうか……」
以前の僕ならば、ソフィアの返答に何も感じなかっただろう。
むしろ自分に与えられた広量な権利に安堵さえしたかもしれない。けど……。
「ソフィア」
「何ですか?」
「君のお父上や、これまで君が学んだことを否定するつもりはない。
だから、これは僕の個人的な考えとして聞いて欲しいんだ」
「……おっしゃってください」
「僕は、王族は誰よりも公正な存在であるべきだと考えている」
「公正……ですか?」
「そうだ。
統治者の仕事は、経済の発展と善政で国に豊かさをもたらすことだけど、
そのためには法や秩序がとても大切になる。
……公正さはその要だと思うんだ。
僕達は、国を治める者としてそれを体現しないといけない」
ソフィアが無言でうなずく。
「……だから、僕が不誠実な行いをすることを許容しないで欲しい」
ふいにソフィアの目が見開かれる。
「ソフィア。僕は王族としてあってはならない行いをしたんだ……。
すべきことをしない怠惰、将来の伴侶をないがしろにするという不誠実。これを僕は自戒しなければいけなかった」
「エヴァン様……?」
言葉にしながら僕は、自戒の念が一層強く湧いてきた。
王都を追放されてからの日々が思い出されたのだ。孤独な晩年を。
膨大な時間を書物に費やしたことで、あるべき王の姿を知識として見出した。
若い頃の僕ならば思いつきもしなかった考えに、今さら至ったところで無意味だとそのときは思ったけど。
こんなふうに役立てる日が来るとは思わなかった。
気づくと僕は、ふと頬を涙がつたっていた。
「……だから、君は僕を咎めて良いんだよ。不満を飲み込んで、無理に笑顔をつくる必要なんてない。これまで本当にすまなかった……」
いつの間にかソフィアが僕に駆け寄っていた。
隣に屈み、僕の手を取る。
「謝らないでください。……私もです。エヴァン様にとって良きパートナーではなかった。
貴方のことを理解しようとせず言葉ばかりを押し付けていたのだから、貴方の心が離れてしまったとしても当然です……!」
ソフィアも泣いていた。
張り詰めていたものが解けたように、涙が止めどなく流れ出した。
その姿はまだあどけない少女だ。
高貴な佇まいを見て忘れてしまっていたけれど、彼女はまだ十代の少女なのだ。
誰よりも努力して、自分を磨くことで幼さを隠していたけれど、
その内側では小さな少女が必死に苦しみを訴えていた。
「君は何も悪くないよ、ソフィア」
彼女の手を取り、しばらく二人で涙を流した。
やがて公爵家の使用人たちがハンカチを持ってきて、涙が落ち着くまでふたりともそれ以上の言葉が出なかった。
それから少しばかり、他愛もない話をした。
ソフィアは、ロザリアのことや卒業パーティーのことには触れない。
まだすべてを水に流すことは出来ないと思うけど、今だけは仲の良い友人のように無意味な会話に花を咲かせたくなった。
気づけばずいぶん時間が経っていたので、お暇することにした。
彼女に見送られながら、馬車を走らせる。
まだ色々と考えることはあるけれど、胸のつかえが一つ、取れたような気がした。
*✤*✤*✤*✤*✤
――その夜、公爵家にて。
「エヴァン殿下がいらしたそうだな」
「はい」
ヒュードリック公爵が娘のソフィアに尋ねる。
ふたりは公爵家の書斎にある、細長い革のソファーに向かい合うようにして座っていた。
「……何か問題でもあったのでしょうか……?」
恐るおそるソフィアが尋ねた。
先ほど帰ってきた公爵は晩餐の卓にもつかず、「食事が終わったら書斎に来るように」と言ってひとりで二階に行ってしまった。
一緒に食事をしていた母や弟たちも、いつも団らんの時間を大切にする父がろくに会話もせず食堂から出ていったため、何かあったのだろうかと皆で顔を合わせていた。
食事を終え父親の書斎を訪ねると、そこには使用人さえ控えていなかったことに驚いた。
今からここで内密の話をされるということが分かったソフィアは、
父の開口一番の言葉がエヴァンのことだったため、いささか驚きと不安を抱いたのだ。
「……問題か。そうだな、大きな問題であるな。もっとも、彼自身に非はないが……」
言っている意味がよく分からず、ソフィアは言葉の続きを待つ。
「今日の殿下のご様子はどうだった?」
ソフィアは少し緊張しながら、今日の出来事を父に話して聞かせた。
「そうか、……これまでの謝罪を。……様子を聞くに、これまでの殿下とはまるで人が変わったようだな」
「……そうですね。まるで憑き物が落ちたかのようです」
「憑き物か……」
思うところがあったのか、公爵が黙り込む。
「ソフィア、これから話すことは他言無用だ。良いな?」
「……はい」
突然放った公爵の言葉に、ソフィアが緊張した顔でうなずく。
「エヴァン殿下が呪われていたことが分かった」
「……今なんと?」
「殿下が呪われていたと言ったのだ。……しかも精神に作用する呪いだそうだ」
ソフィアが驚愕に目を見開く。
「今日、王に呼ばれたのはその件だ。先日、学院の呪術師によって呪いが発覚し、解呪が行われたと」
公爵が目を伏せながら言った。
「呪いの件は箝口令を敷いている。知っているのは王族や側近たちなどわずかな者だけだ。婚約者であるお前だから特例で伝えたが……」
「その、それは……間違いなく事実なのでしょうか?」
「もちろん私も当初は疑っていた。息子の奔放さを言い訳するために、呪いという筋書きにしたのだとさえ最初は思っていた。……だが、話を聞いてみると、どうやら事実らしい」
「では、これまでエヴァン様は呪いの作用によって自分の意思と異なる行動をさせられていたと……?」
「そこまでは言わん。精神系の呪いとはいえ、実際どこまで彼の人格に影響を及ぼしていたのかは調査が終わるまで分からない」
「可能性の話ならばどうですか?」
「……。人格に深く作用していた可能性は高いだろうな」
「そんな……」
ソフィアが愕然と頬を震わせる。ソファーに座っていなければそのまま崩れ落ちるような勢いだ。
「エヴァン殿下は、そのことには触れなかったのか? 何か呪いを匂わせることは……」
「いいえ」
はっきりとソフィアが首を横に降る。
「エヴァン様は、……言い訳めいたことなど一言もおっしゃっていませんでした。ただ、ご自分が悪いのだと……そればかりでした」
「そうか……」
「誰がそのような呪いをかけたのでしょうか?」
「それもまだ分かっていない。これから秘密裏に調査されるだろう。……おそらく我々にも何らかの事情聴取があるはずだ」
それは仕方のないことだとソフィアは思った。
王族に害をなす者がいるという重大な事態だ。関係者がすべて容疑者なのは当然だろう。
「王は、殿下とのご結婚に向けて本格的に動き出す前に片付けるつもりだ。要請があったときはお前も協力してやってくれ」
「もちろんです、お父様」
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