第6話
「急に同席を頼んですまなかったな」
国王がアルベルトに言った。
「いえ。王族全体に関わる話ですから。当然のことです」
「うむ……」
アルベルトの言葉に小さく答え、国王は黙り込む。
少しの間、部屋に沈黙が流れた。
「……私に用事があったのでは?」
アルベルトがそれとなく急かす。
「それは建前だ。……エヴァンのことを話しておきたかった」
「なるほど」
「ここ最近お前が調べたとおり、エヴァンの行いは目に余るものがあった。王にとって必要な勉強にも身が入らず、婚約者以外の女にうつつを抜かしていた」
「……おっしゃる通りです」
「だが……。それらは全て呪いによるものだったのだろうか……?」
国王の言葉に、アルベルトは何と答えたら良いか考えあぐねた。
「……正直なところ、分かりません。そう判断するためには、もっと多くの情報が必要です」
「だがな、アルベルト。今日のエヴァンの目をお前も見たはずだ」
「……はい」
アルベルトは先ほどの兄の様子を思い出す。
呪いが解かれたとされる兄は、明らかにいつもとは雰囲気が違っていたのだ。
どこが違うかと訊かれれば、はっきりとは答えられない。
ただ何となく、兄の醸す雰囲気や、受け答えの仕方、目に宿る光。
気のせい程度の小さな違いがいくつも重なり、それまでの兄とはまったく違う印象を与えていた。
「私は、あやつに失望していた。正しき判断すらまともにできないあやつに。王たる器ではなかったことに、心底がっかりしていたのだ。……だがそれが呪いのせいだったとあれば、正しき判断が出来ていなかったのは私の方になる……」
「父さん、それは……」
「分かっている。すべて呪いのせいだったと断ずるのは早いと。……だからこそ、この件については徹底的に調べなければならない。……アルベルト、お前にも協力してもらうぞ」
「……もちろんです」
*✤*✤*✤*✤*✤
王城で父と会話をした翌日、僕は側近のふたりとともに学院寮の談話室にいた。
ロザリアと話をするため、ここで待っているのだ。
彼女には、使用人を通じてあるお願いをしておいた。
それは、いつも使っている香水を今日は付けずに来てくれ、というお願いだ。
また呪いにかけられては困るからね。
けど香水の件に触れたことで、彼女が何かを察した可能性は高い。
もしかしたら今日の約束を無視してどこかに身を隠したかもしれないが、そうなれば王家の正式な調査が始まるだけだ。彼女にとって良い結末にはならない。
そんなことを考えていたのだが、意外にもロザリアは時間通りに談話室に訪れた。
「やあ、ロザリア、すまない急に……」
だが彼女の様子はいつもと少し違った。
うっすらと泣き腫らしたような目をしており、髪も少し振り乱れている。
いつも僕と会うときのような完璧な身なりではなかったのだ。
「エヴァン様。……どうしてですか?」
こちらに歩み寄るロザリアの目から、一粒の涙がこぼれる。
……なぜ泣きだすんだ?
意味が分からず困っていると、彼女は僕の前に来て、いささか強めに僕を睨んだ。
「あれから……忙しかったのだと思います。ご卒業されたのですから、身の回りの片付けや、政務のご準備などもあったでしょう。……でも、どうして今の今まで私にご連絡をいただけなかったのですか!?」
卒業パーティーからだいぶ時間が経っている。断罪劇を中途半端に終わらせたことの弁明もまだだった。
「……すまない」
それは素直に謝るしかない。悪事の片棒を担いでいたとはいえ、僕からハシゴを外した形だ。
まずは速やかに彼女に説明責任を果たすべきだったとは思う……。
「……それにエヴァン様」
ロザリアの目からさらに涙がこぼれた。
「香水をつけてくるな、というのはどういうことでしょう……? あれは、エヴァン様が贈ってくださったものでしょ? 私と縁を切りたいと、遠回しにそうおっしゃっているのでしょうか?」
「いや、別にそのような深い意味では…………。って、ちょっと待て?」
彼女の圧に押され弁明をしかけたが、その言葉の中に聞き捨てならない一言があった。
「……僕が贈った香水?」
「昨年の誕生日から毎月、エヴァン様のお名前で実家にお送りいただいてるじゃないですか!……まさかそれすら忘れていたのですか……?」
「いや……待て待て」
混乱して、思わず後ろに控えたルイとフェルディを見る。
ふたりも初めて聞いたのか、知らないとばかりに首を横にふっている。
「……ロザリア。僕は、君に香水を贈ったことは一度もないよ?」
改めてロザリアを見て、そう言った。
「……でも、いつもお手紙と一緒に実家に届いているのは確かですよ……? 便箋にしたためてくださったあの甘い言葉もすべて、無かったことになさりたいのでしょうか?」
「違う。無かったことにしたいとか、そういう話じゃない。本当に僕は……」
思わず言葉に詰まり、頭を抱える。
……これは一体何だ?
おそらく彼女の纏っていた香水には、僕を対象とする呪いが込められている。
だから、彼女が害意をもって近づいているのだと思った。
……だが、その香水は僕が彼女に贈ったものだという。
その香水を付けてくるのを禁じたから、ロザリアは僕に突き放されたように感じたのだろう。
泣いていたのはそれが理由か。
彼女の様子を見ても、嘘をついているようには見えない。
……見えないが、手放しで彼女を信じてしまっても良いのだろうか。
……どうすればいいんだ?
「エヴァン様……?」
「すまない。香水の件は……深い意味はないんだ。卒業パーティーの日に体調を崩しただろ? まだ万全じゃなくてね、香りの強いものを避けていたんだ」
「そうなんですか? ……でも、あれはエヴァン様の贈り物ではなかったのですか?」
「……それについては、一旦保留にしてもらえないか? 申し訳ないけど」
「……分かりました」
香水の件は、この場で解決する話じゃない。
早急に調べる必要があるし、呪いについても思ったより根深い思惑があるかもしれない。
だから、僕はロザリアとすべきもうひとつの話をすることにした。
「それとロザリア。……ソフィアに虐めを受けたという話だが……僕がそれを立証することは出来ない」
「……え?」
ここまで彼女と共謀した形になるが、この先は味方でいることは出来ないとはっきり伝える必要があった。
あの断罪劇が起きなかった今なら、まだ引き返すことが出来る。
ロザリアにも、公爵令嬢を陥れてまで王妃の座を目指すような行いはやめさせたい。
「君が受けたとされる様々な虐めや暴力だが……、本当は何もされていないんだろう……?」
責めていると思われないよう、慎重にロザリアに問いかける。
ロザリアは僕の言葉を受けて、探るような目を向けた。
「えっと、じゃあ……計画は変更……ということでしょうか? それとも中止ですか?」
「…………。は?」
ロザリアは、後ろにいる側近のふたりを気にするように声を潜めて言った。
だが、僕はまたも混乱を覚えた。
「変更じゃないんですか?」
「んん……? んー……どういうことだい?」
ちょっと意味が分からなすぎるんだが。
「香水と一緒に贈っていただいたお手紙にエヴァン様からのご指示があったのですが……。ソフィア様が有責であるようにして婚約破棄すれば、私と結婚してくださると……。そうすれば私の実家も助けてくれると……」
また香水の件に戻るのか……そうか。
「……つまり、ソフィアからの虐めというのは、僕からの指示なのか?」
念押しのように問いかける。
「……。はい」
思わず、ふうぅ、とため息を吐く。
「虐めの証人たちは? 君が連れてきた人たちじゃないのか?」
「それは……そうですが、誰を証人にするかのご指示もエヴァン様のお手紙に……」
「ぐぅっ……」
さすがにおかしいだろ。僕の知らないところで一体何が起きているのだ……?
「……もしかして、エヴァン様のご指示じゃないのですか……?」
ロザリアの顔に不安が張り付いていた。
彼女にすれば、僕の後ろ盾があったからあのような凶事に及ぶつもりだったのだろう。
手紙の差出人が僕の名を騙る見ず知らずの者だとしたら、ひどく恐ろしい話だ。
「……ああ、悪いけど身に覚えがない」
「いや……そんな。じゃあ私の実家は……」
実家? そういえばさっきも実家を助けるとか何とか言っていたな。
「ご実家に何か支援が必要なのか?」
「いえ……その」
ロザリアが口をつぐむ。
「……君のもとに届いた手紙だが、見せてもらうことは出来るかな?」
「一部ならお見せできますが……ほとんどは燃やしてしまいました。そうせよと書かれておりましたので」
「なるほど。あるものだけで構わない。それと君の持っている香水瓶も提供してもらえないか?」
「香水もですか?」
「ああ。その香水にちょっと問題があるかもしれないんだ。調べてみたい」
「わ、分かりました」
よし。これで彼女のもとにある手紙と香水を分析すれば何か分かるかもしれない。
しかし問題は思ったよりも大きいな。
誰かが僕のふりをしてロザリアを利用した。そして前回は、王となるはずだった僕を転落させた。
ロザリアの話を信じるならば……、これは陰謀だ。
「あの……これが、エヴァン様がしたかったというお話でしょうか?」
ロザリアがためらいがちに言った。
「ん? あ、ああ、そうだ」
本当は少し違うが、謎が謎を呼んでしまったので、今これ以上の話は難しい。
「……では、これで失礼します。届いたお手紙は、昨日、寮を引き払う際の荷物と一緒に実家へ送ってしまいましたので……後日お届けしますね」
「助かるよ。ありがとう」
ロザリアに関しては手紙と香水が手に入ったときに真偽も含めて改めて調査しよう。
それと、次はソフィアか……。
謝罪の場を設けるといったものの、まだ日程を決めていない。早速明日にでも……
「エヴァン様」
思考に耽りつつあった僕に、ロザリアが声をかけた。
「? どうした?」
「……あの手紙がエヴァン様のものでないとしたら……、エヴァン様は私を……その……」
言葉の続きを待ったが、彼女はそこでやめてしまった。
「いえ……何でもありません。……失礼します」
- - -
ロザリアが談話室を出ていったあと、側近のルイが言った。
「ロザリア嬢が愚者を演じていたのは、エヴァン様の指示だったのですか?」
隣のフェルディも同様の疑問を持っているようで、うんうんと頷きながら私を見た。
「彼女に伝えた通り、本当に身に覚えが無いんだ。彼女が嘘を言っていないなら、誰かが僕の名前を使って何か企んでいることになる」
「……それって結構まずいことじゃないですか?」
そう。とてもまずいことだ。
「分かってる。手紙を預かったら、早急に差出人を探せるよう手配してくれないか?」
「分かりました。筆跡鑑定人を手配しましょう。それと紙とインクの取り扱い業者もあたってみます」
「俺は手紙の配達人を探します。男爵領なら宿駅に使者の出入りが記録されているはずなので。念のため商人もあたってみます」
僕の側近にはもったいないくらい優秀だな。
「ありがとう。それと次はソフィアとの面会を設けたい。その準備も頼めるか?」
「「おまかせを」」




