第5話
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アルベルトは王城の自室で思い悩んでいた。
先日の呪いの件でだ。
これまで兄であるエヴァンをあまり良く思っていなかった。
学院に入学してからの評判がすこぶる悪いからだ。
主だったものは、婚約者がいながら男爵家の娘と懇意にしているというもの。
相手の娘の立場などはどうでも良かった。アルベルトは家格で人を判断するほど短慮ではなかった。
しかし、婚約者は王家に次ぐ権力を持つ公爵家の令嬢だ。
結婚してから側室を持つというのならまだしも、清廉さが求められる学院生であるうちから、婚約者を放りだして他の女性にうつつを抜かすなど、政治的な問題になっても決して大げさではないのだ。
何より、聡明で美しいソフィア公爵令嬢と婚約できるという幸運を自ら捨てる愚かさに、嫌悪感すら抱くほどだった。
しかしつい先日、兄は精神系に作用する呪いを受けていたことが判明した。
それが分かったのは偶然だという。
ふとした原因で、呪いの残滓が体の外に見え隠れしたことでそれが分かった。
逆に言えば、その偶然が無ければ永遠に見つけられなかったのだ。
本人はおろか周囲の者さえ、呪いをかけた当人以外誰もエヴァンが呪われていることを知らず、この先も呪われ続けたことだろう。
自分の身に置き換えて見れば、それは何と恐ろしく理不尽なことか。
呪いの効果がどれほどのものか、半信半疑であった。
しかし王城で会った兄は、明らかに以前の兄とは違っていた。
大人びた立ち居振る舞いに、下心のない優しい笑顔。
私がそうであって欲しいと兄に求める、思慮深い理想の姿がそこにあったのだ。
ソフィア令嬢からの懇願で、兄の様子を知るためしばらく前に留学先から戻ってきていた。
そして秘密裏に兄のことを調べ、遠目から様子を見ていたこともある。
だがその姿は噂通りの愚かしいもの。
落胆のなかで兄の企みを知り、ソフィア令嬢に代わって反撃すべく用意を進めていたところだった。
だからこそ、一夜にしてあのように人格が変わるはずがないことはよく分かる。
それまでの愚かさが呪いのせいだというのなら、きっとそうなんだろう。
自分の知る兄の姿は呪いがもたらしたものだった。
呪いをかけた者は早々に突き止めねばならないが、それでも呪いが解けたこと自体は喜ばしい。
……はずだった。
アルベルトは頭を振って「いや、ダメだ。こんなことを考えては…」と一人つぶやいた。
恋に落ちていたのだ。ソフィア公爵令嬢に。
はじめはただ親身になって相談に乗り、兄に憤り、彼女を慰めていただけだった。
もともと好意は持っていたのだろう。兄の婚約者であることから無意識にそれを封じていたのだ。
しかし兄の不義が明らかになるにつれ、想いのフタが外れてくる。
やがて、兄に代わってこの女性を幸せにするのは自分なのだと強く考えるようになっていた。
卒業パーティで兄を撃退し、婚約が白紙になった暁には、改めて自分がプロポーズしよう。
そう思っていた。
そのために、公爵や国王陛下まで卒業パーティに呼んでいたのだ。
兄の愚かさを直接見せつけることで、両家の代表者自らが婚約を破棄するよう働きかけるために。
ソフィアもまんざらではないだろうとアルベルトは思っていた。
彼女の自分を見る目が、愛しい人を想うそれであるように思えた。
けれど、兄のこれまでの愚行がすべて呪いのせいとあれば話は変わる。
呪いが解けた今、公爵側から婚約を破棄する理由は無いし、これまでのことを加味しても、まずはしばらく様子を見るだろう。兄エヴァンもソフィアを手放すことはしないはずだ。
図らずしも望んだ女性と伴侶になるチャンスだったのが、いつの間にか自分が蚊帳の外に追いやられていくような心持ちがして、アルベルトは深い孤独感に苛まれた。
コンコン、と部屋の扉をノックする音がした。
「何だ」
アルベルトが声をかけると、「失礼します」といって執事が扉を開ける。
「王妃様がお呼びです。お部屋へおいでくださいと」
そう言って恭しく礼をした。
「分かった。すぐに行くと伝えてくれ」
母である王妃がいったい何の用事か、思い当たることはなかった。
だが断る理由も無い。
アルベルトは自室を出て王妃のいる部屋へ向かう。
- - -
「お入りなさい」
扉をノックすると、王妃の声がした。
「失礼します」そう言ってアルベルトがそっと扉を開けると、部屋には王妃と、ひとりの男が立っていた。
思わず顔をしかめる。
その男の姿が、およそ王妃の部屋に似つかわしくないからだ。
頭からつま先まで真っ黒な衣服に身を包んでおり、刃物よりも鋭い目つきでアルベルトを見つめる。
一瞬、賊が入り込んだかと思うほどだったが、そうではなかった。
男は跪き、胸に手を添えて礼をする。
「お初にお目にかかります。アルベルト王太子殿下」
「ああ」と言いながらも、この男が誰なのかという疑問を王妃への視線に込める。
それを察した王妃が、何でもないことのように言った。
「ああ、アルベルトはまだ会ったことが無いのね。この者は、王家の影をまとめている男よ。名前はランス」
「王家の影……ですか。確かに直接会うのは初めてですね」
存在は知っていたが、その姿を見たことは無い。
だが初めて会うこの男に、アルベルトはあまり良い印象を抱かなかった。
噂によれば“影”と呼ばれる理由が、闇に潜む、ことではなく、王家が表沙汰にできない後ろ暗い案件を一手に引き受けているからだ。
裏の人間特有の危険な雰囲気が男から漂っていた。
「その王家の影となぜ母上が一緒におられるのですか?」
アルベルトがたずねると、王妃が大きなため息をつく。
「それがね、アルベルト。ちょっと面倒なことになってしまったのよ。
本当ならあなたの知らないところで事を進めたかったのだけれど、そうも行かなくなってしまったの。
だから協力を頼みたくて、ここへ呼んだのよ」
協力とは何か、アルベルトは言葉の続きを待つことにした。
「一時的に影たちを貸すわ。
だから、これも王になるための訓練だと思って欲しいの。あまり時間も無くて申し訳ないのだけれど。
……しばらくアルベルトの下につけるけど、いいわよね? ランス」
「もちろんでございます。仰せのままに」
「あの……」
アルベルトが身を乗り出す。
「事態が飲み込めないのですが……?」
「ああ、そうね。あなたにはイチから説明しないといけなかったわね」
疑問符を浮かべるアルベルトに対し母である王妃が語り始める。
「――エヴァンにかけていた呪いがね、なぜだか外れてしまったのよ。
あの男爵領の娘を使って、せっかく回りくどいことまでして呪ったのに、どうしてかしらね?」
一瞬、王妃が何を言っているのか分からず、アルベルトが目を瞬かせる。
「もちろん、それを言ったところで始まらないのだけれど。
呪いのことが陛下に知られたらさすがの私でも立場が悪くなってしまうから、
早速証拠になる娘を捕らえたところまでは良かったのに、
まさかエヴァンが来るだなんて思わないじゃない。
影たちが油断した隙に娘を連れていってしまったみたいで、居場所が分からないのよ。
――エヴァンに問い詰めても教えてくれないだろうし、かといって王太子に強引な手段も取れないでしょ?
そうこうしているうちに、陛下のところにいる間諜たちが呪いを撒いたルートを嗅ぎつけちゃったら私に辿り着くのは時間の問題だわ。だからね、あなたからエヴァンに接触して……」
「ちょ、ちょっと待って……!」
淀みなく話つづける王妃の話をアルベルトが遮る。
「じゃあ……兄さんが呪われていたのは母上のせいってこと!? ど、どうしてそんなことを?」
「ランスが呪いに詳しいのよ。だから私がアイデアを伝えて彼が実際に……」
「そういうことじゃなくて!」
「ああ、理由が知りたいってこと? そんなの、あなたを国王にするために決まってるでしょう?」
何をおかしなことをといった様子で王妃が首をかしげる。
「……い、いや変だよ。母上。……僕は第二王子だからもともと王位継承権は無いんだよ?」
「エヴァンがいなければ継承権はあなたに渡るじゃない」
「それはそうだけど、兄さんを呪いで蹴落としてまで玉座につきたいなんて僕は思ってない」
「そんな悲しいことを言わないでよアルベルト。私に、息子が王になる姿を見せないつもり?」
「……兄さんだってあなたの息子でしょ?」
途端に王妃の顔が険しくなる。
「……あらあら、これもアルベルトには教えてなかったかしら?
エヴァンは私の息子じゃないわよ……想像するだけで気分が悪い。あれは王の前妻の子供。
私が生んだのはあなただけ。かわいい息子はたった一人なのよ」
「!! ……それは、兄さんは知ってることなの?」
「さあ? あなたが知らないならあの子も知らないんじゃなくて?
母親は生まれてすぐに亡くなったみたいだし」
アルベルトの脳裏にエヴァンの顔がよぎる。優しく笑う兄の姿だ。
「僕だけ血のつながった息子だから王にしたい、ということ?
兄は邪魔だから、呪いを使って継承権を奪うと?」
「ええ、そうよ。でも……あまり気に入らないのかしら?
血なまぐさいこともせず、平和的な方法を選んだつもりなのだけど」
「……っ!! 手段の問題じゃないよ。
今回発覚しなければ、兄さんはずっと精神系の呪いを受け続けていたってこと?」
「ずっとじゃないわよ。あの子がうまく問題を起こして、それをネタに廃位させられたら……うーん、でもそうね、あなたの立場が盤石になるまでの間は呪い続けたかもしれないわ。
あと10年くらいかしら。呪いが解けて万が一、第一王子派の連中に養護されてクーデターなんて起こされたらたまらないもの」
アルベルトがうつむき、頭を抱える。
「……僕はそんなこと望んでない!!」
「私が望んでるのよ。いい?
あなたは王になってこの国に君臨するの。私は王の母としてそれを支える。
ずうっとそうしたかったのよ」
「……兄さんがいなくなってもすぐに王になるわけじゃないんだよ? 父上だってまだ現役で……」
「それなら大丈夫。扱える呪いは一種類じゃないのよ?」
アルベルトは絶句する。
「……まさか……父上にも呪いを……!?」
「大丈夫よ。小さな呪いだから見つかる心配はないわ。
せいぜい病気しやすくなるだけで、自然の病と見分けはつかないわ」
「……僕は、そんな方法で王になりたくないし、誰かを陥れることなんて絶対したくない……!」
「ソフィアさんと結ばれるとしても?」
ハッと顔を上げる。
「母親だもの。気づかないはずないでしょう?
エヴァンの婚約者として王城に連れてきたとき、あなた見惚れてたわよ。
今も愛しているんでしょう?」
「そ、それは……」
「いいから協力なさいな。あなたはまだ幼いわ。
物事の善悪が分かったつもりでも、実際は何も分かっていないの。
だから今は私の言う通りにしなさい。ね?」
「くっ……」
アルベルトは拳を握りしめ、逡巡するように天を仰いだ。
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