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第3話


ロザリアに会った翌日、僕は公爵家へと来ていた。


来賓室でソフィアを待っていると、侍女の一人が紅茶を運んでくる。


断罪劇を中止したとはいえ、これまでソフィアを蔑ろにしていたのだ。

公爵家の使用人たちが僕を冷ややかに見ているように感じるのは、たぶん気のせいじゃないだろう。


しばらくしてソフィアがやってくる。


「お待たせして申し訳ありません、エヴァン殿下」


「ちっとも待ってないよ。むしろこちらこそ……急な訪問ですまなかった」


来訪を告げたのは昨日だ。

彼女も卒業後の準備で慌ただしい中、おそらく迷惑だっただろう。


「……気になさらないでください。婚約者なのですから、エヴァン殿下のお好きなときに来てくださって構いません」


そう言ってソフィアが微笑む。


彼女の口調は、記憶していたより穏やかだった。

以前の僕は、彼女をずっと口うるさい乳母のようだと思っていたのに。


「今日はお父上は不在かい?」


テーブルを挟んだ向かいのソファーに腰掛けるソフィアに尋ねる。


「ええ、所用があって王城におります。父にもご用がありましたか?」


「いや、そうじゃない。おられたなら挨拶をしたいと思っただけだ」


「……そうですか。……何だか意外です」


「え? なぜ?」


「以前は何だか、父に会うのを避けていたようでしたから」


……そうだった。真面目で堅物な印象の公爵を僕はどこか苦手としていた。

王城などで会っても、まともに会話すらしなかったのは、ロザリアとのことが後ろめたかったからだろう。


「……ははは。そんなことないよ」


本当はそんなことあるが。


「まあ、私の気のせいでしたのね。失礼しました」


「いや、いいんだ」


気まずさを隠すように、紅茶を一口含む。


「……それで、今日なんだが」


忙しい彼女の邪魔をしてはいけないので、早速本題に入ることにする。


ソフィアが「はい」と言って姿勢を正した。


「……改めて、君に謝罪したくて来た」


ソフィアは答えず、言葉の続きを待っている。


「まずは卒業パーティーの日、君に……とんでもないことを言ってしまった。

婚約を破棄したいと言ったのは、僕の愚かさが招いた間違いだ。決して本意ではない」


「……私に婚約破棄を告げたときのエヴァン殿下は、本意を口にされているご様子でしたが」


そのときはまだ過去に戻る前の僕だ。彼女の指摘はもっともだと思う。


「それでも信じて欲しい。今の僕に君を害するつもりがないことを。

……君が、愚かな僕を見限り婚約破棄をすることはあっても、その逆はないよ」


「私から婚約をどうこうすることなんてありませんが……」


「もちろん、優しく誠実な君は両家の取り決めが意に沿わなくても役目を全うするだろう。……けど、僕の愚行は卒業パーティーのことだけじゃない。

これまでも……君がいながら他の女性と時間をともにしたり……君の忠言に耳を貸さなかったり。

数えきれないほど君や、君のご両親の顔を潰してきた。本当に申し訳なかったと思う。すまなかった」


改めて彼女に深く頭を下げる。

部屋の隅に控えていた使用人たちが驚いたように息を呑む音が聞こえた。


顔を上げ再びソフィアを見ると、彼女もいくぶん困惑しているようだった。

確かめるような目で、僕の真意を探っているようにも見える。


「……エヴァン様が……」


しばらくしてソフィアが口を開いた。

これまでは「殿下」と呼んでいたのが、より親しみのある「様」に変わったことに気づく。


「エヴァン様がどうして突然、そのようにご自身のことを省みられたのか分かりかねますが……

貴方は私の未来の夫であり、王家に連なるお方です。

たとえいくらか傲慢で、他所に女性がいたとしても、それは王族として非難されるべきことではありません。

……だから、謝罪をなさる必要はないのですよ」


「そのように、お父上から教わったのか?」


「……はい。王妃教育でも」


「そうか……」


以前の僕ならば、ソフィアの返答に何も感じなかっただろう。

むしろ自分に与えられた広量な権利に安堵さえしたかもしれない。けど……。


「ソフィア」


「何ですか?」


「君のお父上や、これまで君が学んだことを否定するつもりはない。

だから、これは僕の個人的な考えとして聞いて欲しいんだ」


「……おっしゃってください」


「僕は、王族は誰よりも公正な存在であるべきだと考えている」


「公正……ですか?」


「そうだ。

統治者の仕事は、経済の発展と善政で国に豊かさをもたらすことだけど、

そのためには法や秩序がとても大切になる。

……公正さはその要だと思うんだ。


僕達は、国を治める者としてそれを体現しないといけない。


……だから、僕が不誠実な行いをすることを許容しないで欲しい。


ソフィア。僕は王族としてあってはならない行いをしたんだ……。

すべきことをしない怠惰、将来の伴侶をないがしろにするという不誠実。これを僕は自戒しなければいけなかった」


「エヴァン様……?」


言葉にしながら僕は、自戒の念が一層強く湧いてきた。


王都を追放されてからの日々が思い出されたのだ。孤独な晩年を。


膨大な時間を書物に費やしたことで、あるべき王の姿を知識として見出した。

若い頃の僕ならば思いつきもしなかった考えに、今さら至ったところで無意味だとそのときは思ったけど。

こんなふうに役立てる日が来るとは思わなかった。


気づくと僕は、ふと頬を涙がつたっていた。


「……だから、君は僕を咎めて良いんだよ。不満を飲み込んで、無理に笑顔をつくる必要なんてない。これまで本当にすまなかった……」


いつの間にかソフィアが僕に駆け寄っていた。

隣に屈み、僕の手を取る。


「謝らないでください。……私もです。エヴァン様にとって良きパートナーではなかった。

貴方のことを理解しようとせず言葉ばかりを押し付けていたのだから、貴方の心が離れてしまったとしても当然です……!」


ソフィアも泣いていた。

張り詰めていたものが解けたように、涙が止めどなく流れ出した。

その姿はまだあどけない少女だ。


高貴な佇まいを見て忘れてしまっていたけど、彼女はまだ十代なのだ。

誰よりも努力して、自分を磨くことで幼さを隠していたけど、

その内側では小さな少女が必死に苦しみを訴えていたのだ。


「君は何も悪くないよ、ソフィア」


彼女の手を取り、しばらく二人で涙を流した。

やがて公爵家の使用人たちがハンカチを持ってきて、涙が落ち着くまでふたりともそれ以上の言葉が出なかった。



それから少しばかり、他愛もない話をした。

ソフィアは、ロザリアのことや卒業パーティーのことには触れない。

まだすべてを水に流すことは出来ないと思うけど、今だけは仲の良い友人のように無意味な会話に花を咲かせたくなった。


気づけばずいぶん時間が経っていたので、お暇することにした。

彼女に見送られながら、馬車を走らせる。


まだ色々と考えることはあるけれど、胸のつかえが一つ、取れたような気がした。





*✤*✤*✤*✤*✤





――その夜、公爵家にて。



「エヴァン殿下がいらしたそうだな」


「はい」


ヒュードリック公爵が娘のソフィアに尋ねる。


ふたりは公爵家の書斎にある、細長い革のソファーに向かい合うようにして座っていた。


「……何か問題でもあったのでしょうか……?」


恐るおそるソフィアが尋ねた。


先ほど帰ってきた公爵は晩餐の卓にもつかず、「食事が終わったら書斎に来るように」と言ってひとりで二階に行ってしまった。

一緒に食事をしていた母や弟たちも、いつも団らんの時間を大切にする父がろくに会話もせず食堂から出ていったため、何かあったのだろうかと皆で顔を合わせていた。


食事を終え父親の書斎を訪ねると、そこには使用人さえ控えていなかったことに驚いた。

今からここで内密の話をされるということが分かったソフィアは、

父の開口一番の言葉がエヴァンのことだったため、いささか驚きと不安を抱いたのだ。


「……問題か。そうだな、大きな問題であるな。もっとも、彼自身に非はないが……」


言っている意味がよく分からず、ソフィアは言葉の続きを待つ。


「今日の殿下のご様子はどうだった?」


ソフィアは少し緊張しながら、今日の出来事を父に話して聞かせた。


「そうか、……これまでの謝罪を。……様子を聞くに、これまでの殿下とはまるで人が変わったようだな」


「……そうですね。まるで憑き物が落ちたかのようです」


「憑き物か……」


思うところがあったのか、公爵が黙り込む。


「ソフィア、これから話すことは他言無用だ。良いな?」


「……はい」


突然放った公爵の言葉に、ソフィアが緊張した顔でうなずく。


「エヴァン殿下が呪われていたことが分かった」


「……呪い?」


「そうだ。しかも精神に作用する呪いだそうだ」


ソフィアが驚愕に目を見開く。


「今日、王に呼ばれたのはその件だ。先日、学院の呪術師によって呪いが発覚し、解呪が行われたと」


公爵が目を伏せながら言った。


「呪いの件は箝口令を敷いている。知っているのは王族や側近たちなどわずかな者だけだ。婚約者であるお前だから特例で伝えたが……」


「その、それは……間違いなく事実なのでしょうか?」


「もちろん私も当初は疑っていた。息子の奔放さを言い訳するために、呪いという筋書きにしたのだとさえ最初は思っていた。……だが、話を聞いてみると、どうやら事実らしい」


「では、これまでエヴァン様は呪いの作用によって自分の意思と異なる行動をさせられていたと……?」


「そこまでは言わん。精神系の呪いとはいえ、実際どこまで彼の人格に影響を及ぼしていたのかは調査が終わるまで分からない」


「可能性の話ならばどうですか?」


「……。人格に深く作用していた可能性は高いだろうな」


「そんな……」


ソフィアが愕然と頬を震わせる。ソファーに座っていなければそのまま崩れ落ちるような勢いだ。


「エヴァン殿下は、そのことには触れなかったのか? 何か呪いを匂わせることは……」


「いいえ」


はっきりとソフィアが首を横に降る。


「エヴァン様は、……言い訳めいたことなど一言もおっしゃっていませんでした。ただ、ご自分が悪いのだと……そればかりでした」


「そうか……」


「誰がそのような呪いをかけたのでしょうか?」


「それもまだ分かっていない。これから秘密裏に調査されるだろう。……おそらく我々にも何らかの事情聴取があるはずだ」


それは仕方のないことだとソフィアは思った。

王族に害をなす者がいるという重大な事態だ。関係者がすべて容疑者なのは当然だろう。


「王は、殿下とのご結婚に向けて本格的に動き出す前に片付けるつもりだ。要請があったときはお前も協力してやってくれ」


「もちろんです、お父様」




*✤*✤*✤*✤*✤




ロザリアが捕縛されたという知らせを聞いたのは、公爵家から帰ったその日の夜だった。

ルイが慌てたように部屋にやって来て教えてくれた。


「念の為ロザリア嬢にフェルディを付けていたんですが、先程知らせが入ったんです」


「それで今、ロザリアはどこにいるんだ?」


急いで着替えながら尋ねる。


「男爵領の牢獄です。エヴァン様に言われた手紙の件で実家に戻っていたところを、影たちに捕らえられたようです」


『影たち』というのは、王家専属の隠密集団だ。

護衛もするし、今回のように容疑者の捕縛に動くこともある。


これは僕の失態だ。


王族が呪いにかかるという最悪の事態に、身近にいたロザリアが真っ先に重要参考人となることまでは予想できた。

しかし証拠もなく、また箝口令を敷いている状態で貴族籍の者をすぐに捕縛することはないだろうと考えていた。


「なぜ王都まで連れてこない?」


「分かりません。そもそもなぜロザリア嬢が捕らえられたかも分からないのですが……、エヴァン様が呪われていた件と関係あるのですか?」


彼女の香水に呪いが含まれているというのはあくまで仮説だったので、側近のふたり含め誰にも伝えていなかった。


「おそらく彼女がつけていた香水が呪いの原因だ。確証がなかったからお前たちにも言ってなかったが、王家の影が動いたとなると間違いないだろう」


もちろん、香水は関係なく彼女の持つほかの何かに証拠が見つかったという可能性もある。

けど僕の直感はあの香水が呪いをもたらしたと告げている。


「なるほど、甘ったるくて嫌な臭いでしたからね」


そ、そうだったのか。……僕はそこまで嫌な臭いじゃなかったが……。きっと彼らが呪いの対象ではなかったから、異物として嗅覚が正常な反応をしたのだろう。


「ですがあの香水はエヴァン様が送ったものだと彼女は言ってましたよね?」


着替えを終え、急ぎ廊下へ歩き出す私にルイが尋ねる。


「ああ。それが本当なら彼女も()められたんだ。けど影たちがそれを信じるとは思えない。僕が贈ったとされる手紙もほとんど燃やしてしまったらしいし」


一部の手紙は残されているというが、それがどんな内容なのか分からない。

僕が香水を贈ったと明言される言葉が綴られていれば、少なくとも呪いに関しては彼女は無罪であるという証明になるだろう。


その場合は僕の自作自演ということになってしまうが、時間さえかければ手紙が偽物であることに辿り着く。

父にもきちんと説明すれば、少なくとも聞く耳は持ってくれる。


「エヴァン様、もしかしてこれから馬で男爵領に向かうつもりですか!?」


僕が乗馬用のブールを履いていることに気づき、ルイが驚いたように言った。


「そうだけど」


「ちょ、ちょっと待ってください、すぐに馬車を手配しますから」


「しなくていい。御者たちも休んでいる時間だ。彼らの準備を待っているヒマはない」


時計の針は夜の10時を回っている。

御者たちのほとんどが酒を呑んで騒いでいるか眠っている頃だろう。


「明日ではダメなんですか? 審問会に間に合えば良いのでは?」


「……嫌な予感がするんだ」


男爵領に捕らえられている、というのが気になる。

今回は王家が直接動いて見つけた容疑者だ。なら尋問するにしてもまずは王都に連行するはず。


男爵領に留まっているのがおかしいのだ。

影は、もう夜だから更迭は明日にする、と言い出すような連中ではない。


もしかしたら……、王族が呪いにかけられていたという不名誉な事実を隠蔽するために、

ろくに調査もせず容疑者を片っ端から秘密裏に処刑する、なんて可能性もゼロではないのだ。


父である国王がそのような命令をするとは思えないけれど、王の周りには様々な思惑を持つ者たちがいる。

すべてを父が把握しているわけではない。


「分かりました……。でも夜道で馬を手繰るのは危険ですから、私が先導するので十分注意して付いてきてください」


「ああ、頼む」




*✤*✤*✤*✤*✤




ロザリアがいるクロウフォード男爵領に入ったのは夜中の3時を回った頃だった。

僕らは、先に現地で待っていたフェルディの案内で街外れの監獄までやって来た。


「地下の一室に収監されているようです。王家の影が数人で見張りをしているので間違いないでしょう」


フェルディが双眼鏡を手渡しながら言った。

もはや側近というより諜報員のようだ。


「分かった。僕が行こう」


「我々も同行しますよ」


「そうだな……フェルディは僕と一緒に。ルイは、男爵家に行って僕が贈ったとされる香水と手紙を探してきてくれないか?」


「レディの部屋を漁るのは気が引けますけどね」


「男爵夫妻にも協力を頼むんだ。娘が突然捕まったのだから、きっとまだ眠ってはいないだろう?」


「分かりました。手紙と香水がもし証拠として押収されていたらどうしましょう?」


「そのときは仕方ない。影の者たちに僕から話してみるよ」


それで証拠品を返してくれるかどうかは分からないが。


「それとフェルディ、影の者たちが誰の命令で動いているかは分かるだろうか?」


「いえ……ただ、国王陛下の命令では無いようです」


「どうしてだ?」


「彼らは王家の紋章を掲げておりませんでした」


……なるほど。

影たちは普段、目立たない姿で隠密に動くが、貴族に連なる者を捕らえる場合には、王命の証として正式な紋章を掲げる決まりになっている。


「……もしかして、王家はこのことを知らないのか?」


「その可能性もあるかと。王家に近しい権力を持つ誰かが、単独で影たちを動かしているのかもしれません」


だとするとまずい。これが、呪いに関しての口封じである可能性が高まるからだ。


それどころか、影を動かしている者がロザリアを利用していた可能性だって浮上してくる。

自分につながる証拠をなくすため強引に彼女を処刑する、という見方も出来るからだ。


「エヴァン様とはいえ、直接影の者たちに会うのは危険じゃないですか?」


ルイが心配そうに言った。


「けど秘密裏にロザリアを救出できるほど影たちは無能じゃない……。多少危険でも、正面から彼らと話すしか今は方法が無いんだ」


「……分かりました。……しかし準備だけはしておきますね」


何の準備かは知らないが、ルイが、任せてくださいとばかりに力強く頷く。


それから二手に分かれ、僕とフェルディは牢の門番のもとに行く。


「……ここはクロウフォードの監獄だ。用の無い者は近づくな」


人が寝静まっている時間ということもあり、門番は警戒したように言った。


「用があるから来たのだ。中に入れてもらうぞ」


僕はふところから王家の紋章が刻まれたペンダントを取り出す。

門番はそれを見るとぎょっと目を見開いた。


「王家の関係者ですか?……失礼しました。しかしなぜこんな時間に……」


「今日収監された男爵家の娘に用がある。案内できるか?」


「は、はい」


門番は自分の持ち場よりも僕たちの方が優先だと考えたのだろう。

代わりを呼ぶこともなく自ら率先して案内役になった。


「王家の影たちも来ているだろう。彼らはどこにいる?」


監獄塔の冷たい石畳を歩きながら、門番に尋ねる。


「先ほどまでロザリア様の牢獄の前におりましたが、今は一人を除いて仮眠を取られているようです」


「そうか」


地下に続く頑丈な鉄の扉を、門番が腰から下げた鍵で開く。

中にいた看守が驚いたようにこちらを見たが、門番が何か説明すると「ご苦労さまです」と言って、僕たちが通り過ぎる間ずっと敬礼をしていた。


「あちらの奥です……」


門番が指した場所は、地下の最奥だった。まともな灯りもなく、湿気に満ちた場所だ。


視界の端では数匹のネズミが走り抜ける。

てっきり、監獄の中でも上等な部屋に収監されていると思っていた。

高貴な血筋の者や訳ありの囚人などを入れておく特別な部屋はどの監獄にも1つくらいは設けられている。


「領主の令嬢をなぜこんな所に?」


疑問を口にすると、門番は困ったように顔をしかめる。


「我々もそのように訴えたのですが、王家の命令だと言っておりましたので……」


「王家の命令……?」


少なくとも僕は国王からこんな話は聞いていない。


地下牢を進むと、突き当りに誰か佇んでいるのが見えた。

その視線の先には見覚えある女性の顔が灯りに照らされている。


ロザリアは両腕を鎖に繋がれたまま壁に吊るされていた。

ぐったり目を閉じているが、衣服に乱れはなく、露出する肌に暴力を受けた形跡もなかった。


牢獄の前に立つ者に話しかける。


「影の者か?」


全身に黒い服をまとい、目深くフードをかぶっている。

性別は分からないけれど体格からして男のように思う。


彼は影の人間特有の冷たい空気をまとったまま、こちらへ振り向いた。

そしていささか驚いたようだ。


「エヴァン王太子殿下……? なにゆえこのような所に……」


影の者が低い声でそう呟いた。


「エ、エヴァン王太子……」


門番の男は、紋章を見せたことで僕が王家の関係者だと気付いていたが、第一王子だとは知らなかったようだ。

名乗っていないから仕方ないのだが、不敬を詫びるように慌ててその場に跪いた。


「……ロザリア令嬢が捕縛されたという報告を受けたのでな」


僕は男の呟きに対してそう答える。


「報告……?」


影の者は、僕の後ろに立つフェルディにちらりと視線を向けた。


「そうだとしても、王太子殿下自らがおいでになるような場所ではありません。それにまだ夜も明けぬ時間では?」


「ああ、急ぎ馬を飛ばしてきた」


直接馬を駆けてきたと聞いて影の者はいささか驚いたようだった。


「そこにいるロザリア嬢はどのような罪状でここにいるのだ?」


「……国家転覆罪でございます」


「大きく出たな。何をもってそのような罪に問われている?」


「調査中ですので、殿下と言えどお答え出来ません」


多くを語るつもりがないことは、その様子から見て取れた。

あまり良い状況ではない。王太子が相手であっても決して従うつもりがない様子だ。


「なら調査が済むまでこの令嬢の身柄は僕が預かる。即刻彼女を開放するんだ。これは王家としての命令だ」


「……出来ません」


男は少し沈黙したあと静かに答えた。


「王家の命令に背くということか?」


「エヴァン殿下のご命令にはお応えすることが出来ない、ということです」


僕個人の命令には応えられないが、王家の命令に背いているわけではない……。

すわなちそれは、この男の主が確実に王家の誰かであるということだ。

僕の命令を拒否できるだけの権力を持つ人物……。


「主の名は?」


「……お答えできません」


取り付く島もないな。

けどここで声を荒げても意味はない。

男は影として命令に機械的に従っているだけなのだ。


「……ロザリア嬢と話しをしたい」


「それも出来ません。眠らせておりますので」


「……非人道的な方法を使ったわけではあるまいな?」


「一般的な睡眠薬です。市販に出回っているものですから害はありません。

不当に暴れる容疑者を薬で大人しくさせることは王国法で認められていますから」


あくまで法に準じた行動を取っているということか。ならそこに付け入る隙はないだろうか……。

かつて晩年に読み漁った本の中に、助けとなるような知識がないか記憶をたぐる。


「……王国法では、罪人の処遇を最終的に判断するのは国王陛下だとされている。それは知っているな?」


「ええ、存じております」


「今回のロザリア男爵令嬢の捕縛に関しては、すでに陛下にご報告済みだ。

そして、取り急ぎこちらに来ることになった僕は、陛下から罪人の処遇を一任されている。

よって、僕の命令は陛下の命令と同義である」


「……しかし書状がなければ……」


「公爵以下の貴族であれば陛下からの委任を証するものが必要となるが、僕は王の後継者たる王太子だ。

書状がなくともこの言葉が証明になる」


「…………」


本当は嘘だ。

王太子といえど国王陛下の代理をするなら何らかの証明が必要になる。

でも王太子の僕が自信満々に言えばそれらしく聞こえるだろうというハッタリだ。


「疑うのなら確認するが良い。君は影の者たちの責任者ではないのだろう? 

今すぐ問い合わせるんだ」


「……分かりました。確認してまいりますので……すみませんがご同行願えますか?」


「この確認は君の無知によって行われるもの。

僕がわざわざ労力を割いて君に同行する理由は何だい?」


「いえ……。それでは……ここでお待ちください。決して牢には近づかぬようお願いします」


「分かった」


男は早足でその場を離れる。

この牢獄のどこかで休息を取っている統率者に確認をしに行ったのだ。


「エヴァン殿下、あのわずかな時間に国王から委任を授かっていたのですか?」


フェルディルが言った。


「そんなわけないだろう。父は僕がここにいることさえ知らないさ」


「……さすがです」


「それより今のうちにロザリアを出すぞ。……門番、この牢の鍵はあるか?」


「は、はい? ですが……」


門番の男は驚いたように僕を見る。


「影の者たちなら構わなくていい。なんなら、家族を引き合いに出されて脅された、とでも言えばいい」


「そ、そんな滅相もない……」


「時間が無いんだ。君も領主の娘がこんなところにいるのは変だと思うだろう? ……これは陰謀だ。彼女を救い出さないと」


「うう…………」


それでも決心がつかないようだ。

僕と影の男のやり取りを見ていたので、どちらに従えば良いのか判断がつかないのだろう。


「これは王家の命令だ。それに君は牢の鍵を差し出すだけで良い。もしそれで職を失うことがあれば王都に来い。僕がもっと良い仕事を斡旋するよ」


「…………わ、分かりました」


観念したように唸ると、門番は先ほどすれ違った牢番のもとへ行き一束の鍵を持って戻ってきた。

そのうちの一本をロザリアの牢の鍵穴に差し込む。

カチャリ、と音がしてゆっくり扉が開いた。


ロザリアのもとに駆け寄る。


「彼女の腕に繋いでいる鎖も外してくれ」


「え、えっとちょっとお待ちを……」


門番は鍵束から急いで探すが、なかなか見つからないようだ。

こうしている間にも先ほどの男が戻ってきてしまう。


「フェルディ、通路に出て見張っていてくれ」


「分かりました」


そのときようやくロザリアの腕にかけられていた鎖が外された。


「助かったよ。君の名前は?」


「は、はい、ニールと申します」


門番がおずおずと答えた。


「ニール、何かあれば王城へ。この借りは必ず返す」


「とんでもございません……」


僕は眠っているロザリアを抱えると、すぐさま牢を後にした。

しかしここに来るまで牢獄の中をずいぶん歩いた。さすがに影の者と鉢合わせせずに外に出るのは難しいかもしれない。

そう思っていた時、にわかに牢獄の中が騒がしくなった。


牢番が慌てたように走り回り、収監されていた囚人がざわついている。


そこへフェルディが戻ってきた。


「エヴァン様、ルイが陽動のために牢獄に火をつけました。この隙に外へ出ましょう」


「は!? あ、ああ……分かった!」


過激な報告に一瞬驚いたが、確かに外へ出るなら今がチャンスだ。

フェルディとともに通路を駆け抜け、速やかに外へ出る。


そのまま暗がりに停めていた馬のところまで一気に走ると、そこにはすでに陽動を終えたルイがいた。


「おかえりなさいエヴァン様」


「ハァ、ハァ。助かったよルイ」


彼の手には弓が握られており、馬の背にかけた鞍に数本の矢がしまわれている。

油の臭いが微かにするので、火を付けた矢を牢の周囲の木々に放ったようだ。

牢獄自体は石造りのため燃えていないが、あちこちに煙が充満しており今では前も見えない。


「しかし牢獄にいる者たちを避難させないと……」


「もうすぐ雨が降りますから、じきに火も消えますよ」


ルイの言葉通り、ポツポツと冷たい雫が空から降ってくる。

天気まで分かるのか?


「急ぎましょう。すぐに追っ手が出るはずです」


フェルディが牢獄の方を見ながら言った。

側近のふたりに支えられ、ロザリアを抱えたまま馬にまたがる。


「ひとまず王都へ!」ルイが自分も馬に乗りながら言った。


「男爵家ではないのか?」


「道すがら説明しますので、今はここから離れることが先決です!」


「……分かった!」


うっすらと空が白んでくるなか、我々はもと来た道を全速力で駆け抜けた。


そして王族領に入ってしばらくした頃、ようやくルイが馬の速度を緩め、僕とフェルディもそれに合わせる。


「ここまで来れば大丈夫でしょう。影たちもさすがに人目のつく場所で王太子殿下を襲うことはしないはずです」


「襲うとは……ずいぶんと不穏なことを言うな。男爵家で何があったんだ?」


フェルディも気になるのかルイの方へ目を向ける。


「それが…誰もいなかったのです」


ルイは困ったように俯いた。


「男爵家の衛兵を探しましたが警護室にはおらず、それに屋敷のどこにも灯りがついておりませんでした」


夜中とはいえ衛兵は仕事をしている。たとえ夫妻が寝ていようとも屋敷に灯りがないのは不自然だった。


「人の気配もなく気になりましたので、侵入を試みました」


不法侵入は思いきり犯罪……と言いかけたが、まあこの場合は仕方ないのか……。


「使用人たちの部屋はもとより、男爵夫妻の寝室にも人はおらず、唯一ロザリア嬢のお部屋と思われる所にだけ人がいた痕跡がありました」


「もしや男爵夫妻も牢にいたのか?」


そう尋ねると、隣のフェルディが否定する。


「お屋敷から連れ出されたのはロザリア嬢のみです。私が見た限りでも他の男爵家の者の姿はありませんでした」


「男爵の留守を狙って捕縛に及んだということか……」


「いえ……」ルイが考えるようにして答える。「屋敷の雰囲気からして、そもそも人が住んでいる形跡がほとんど無いのです。……それこそロザリア嬢のお部屋と思われる場所以外、ホコリが積もっておりましたし、まるで長い間空き家になっていたような有り様でした」


「……そこは間違いなくクロウフォード男爵の屋敷なのか?」


「ほかにめぼしい屋敷はありませんからね」


以前、クロウフォードの屋敷に住んでいた私の記憶でも、周囲に領主の館と間違うような建物は無かった。


「ひょっとしたら屋敷はあくまで来客用で、実際には町のどこかに生活用の家があるのかもしれません」


屋敷の維持や管理にも少なくない費用がかかる。

財政難にあえぐ領主が、屋敷をあくまで公務の場と割り切り、生活の拠点をひっそりと小さな家に移しているというのも聞かない話ではない。


だが、男爵領が金に困っているという話は聞かないし、以前僕が婿入りしたときにもそんな話は聞かなかった。

もっとも僕が知らなかっただけなのかもしれないが。


「そうだとしてもロザリア嬢だけが屋敷を使っているのもおかしな話だな」


男爵夫妻がいないのならば、ルイが男爵家に比護を求めず王都までやってきたのは理解できる。


「僕が送ったとされる手紙は見つかったのか?」


「探したのですが、室内がかなり荒らされていましたので……」


「……影たちの仕業か」


「おそらく。あれらも手紙を探したのかもしれませんし、あるいは別の何か。手紙だけじゃなく香水瓶も見当たりませんでした」


「そうか……」


呪いの証拠に繋がるものがすべて消えているということか。


「彼女は……いや僕たちは、一体何に巻き込まれているんだろう」


「分かりませんが……昨夜起こったことの詳しい話は彼女に聞くしかなさそうですね」


ルイがそう言って僕にしだれかかって眠るロザリア嬢を見る。

馬を飛ばしたのでだいぶ揺れたと思うのだが、薬で眠っているせいか未だに起きる様子はなかった。


やがて王都にたどり着いたが、僕たちはしばらく外壁の外で待つことになった。

こんな朝早くに王太子が女性を抱きかかえて馬に乗る姿を見られたら一大事だからだ。


フェルディが先に行き、王都から馬車を呼んでくることになった。


それまでの間、馬を降りて休憩していると、ロザリアが「うーん……」と声を上げる。

ようやく目覚めたようだ。


「え……っと、ここは……?」


眩しそうに目を開き、しばらくぼんやりしていたが、僕の顔を見てハッと体を起こす。


「エヴァン様……! あれ? 何で?」


「ああ、その……説明するよ」


草むらに腰をおろし、先ほどの出来事を彼女に伝える。

ロザリアは驚きつつも、牢から出られたことに安堵していたようだった。


「あ、ありがとうございました……。裁判も無しいきなり牢に入れられて、私もうダメかと……」


確かにあそこは拘置所というレベルではなかったな。刑が確定した者がいれられる場所だ。


「いくつか聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」


彼女の身を案じながら、慎重に尋ねる。


「……もちろんです」


ロザリアが答えたとき、ちょうどフェルディが馬車を率いて戻ってきた。

王家の馬車では問題があると思ったのか、市井で運行している一般の馬車のようだ。

御者はおらずフェルディ自らが駆っている。


「乗ってきた馬は適当な場所に繋いでおきましょう。引き取りに来るよう頼んであります」


「分かった」


気が利く側近に感謝しながら、馬たちを近くの木につなぎ、ルイ、ロザリアと三人で馬車に乗り込んだ。


「どちらに行きましょうか?」


フェルディが尋ねる。


「そうだな。……どこかの宿にしよう。あまり目立たない場所がいいな」


彼女を連れて王城に向かうのはおそらく問題だろうし、学院の寮も卒業した今となってはあまり滞在できない。


無計画のままロザリアを連れてきてしまったが、これが立派な犯罪であることは自覚していた。

脱獄と脱獄幇助。牢獄への放火。


もし彼女の投獄が正規の手続きを踏まない不正なものだったとしても、それを証明できない限り分が悪いのはこちらだ。

僕は王族なので多少は弁明の余地があるが、彼女が次に捕まればより厳重な牢に入れられる。

何としても匿わなければいけない。広い王都の宿屋の一室なら案外見つかりにくいし、それでいてこちらの目も届きやすい。


「でしたら、東地区にポプラ亭という宿屋があります。旅人が使う安宿なので男爵令嬢がいるとはまず思わないかと」


こちらの意図を理解し、フェルディが答えた。


「それはいいな。けど……」


ロザリアが何と言うだろう。

今の状況は分かっていると思うが、ロザリアが旅人が使うような安宿で納得するだろうか……。


「ロザリアはいいかな……? ひょっとしたらしばらくそこに滞在することになるけど……」


「? は、はい、ポプラ亭というところでかいませんよ?」


何でもないかのように彼女が答える。


「そ、そうか。じゃあそこへ行こう」


……意外だった。僕の知る彼女はもっとワガママで、散財を好むイメージが強かったから。

安宿がどんなものか分かっていない可能性もあるけど、これほどすんなり了承するとは思わなかった。


馬車は早朝の街をゆるやかに通り抜け、30分ほどでポプラ亭へと辿り着いた。

建物は古いが清潔感はあり、穏やかな気配のする小さな宿だった。


フェルディが宿屋の主人と何やら話したあと、「こちらです」と言って我々を案内する。

二階に部屋を確保したようだが、幸い建物の外から二階に上がれるらしい。


いかにも貴族といった格好でぞろぞろと連れ立って歩けば嫌でも注目されてしまう場所だ。

早朝で誰も通りにおらず、また宿の主人にも会うことなく部屋に行けるのはありがたかった。


「ひとまず一週間分の宿代を先払いしています」


部屋に案内したあと、フェルディはそう言って宿を出た。

馬車を通りに停めたままに出来ないため、広場まで馬車を移動させるらしい。


「私はロザリア嬢の服を調達してきます。さすがにそんな格好の旅人がいれば目立つので」


ルイもそう言って部屋を出る。教会にツテがあるらしく、ロザリアが着れる修道着を探してくるそうだ。

巡礼中のシスターという設定にするのだろう。


ふたりとも、僕が何をするにしても徹底的にサポートしてくれるのが本当にありがたかった。


- - -


ロザリアが部屋にふたりきりになる。

あれから香水をつけていないのか、ロザリアから不快な香りはまったくしない。


「それで、一体なにがあったのか教えてもらえるかい?」


椅子に腰掛けロザリアに尋ねた。


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