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パーティーの夜〈ロザリア編〉

たくさんの方に読んでいただけたので、

ロザリア目線でのラストも書いてみました。


「お荷物はこれだけでございますか?」


古びた旅行カバンをひとつだけ携えたロザリアに、王宮仕えの使用人が少し驚いて尋ねた。


「ええと……、はい……」


ロザリアが顔を赤らめてうなずくと、使用人は気まずそうにロザリアから旅行カバンを受け取り、城の中に歩き出す。

そのうしろを緊張しながら付いていくと、広い応接室に案内された。


「お荷物はお部屋に運び入れておきますので、ロザリア様はこちらでお待ちください」


使用人が礼をして部屋を出ていくと、ロザリアは「ふぅ……」と溜息をついてソファに寄りかかった。


今や王太子妃殿下となったソフィアから手紙をもらったのはつい数週間前だ。





領地が王家直轄になったことで、実質クロウフォード家は取り潰しとなった。

典型的な貴族体質だった両親は王家への恨み言を口にしながらも、今は親類の貴族家に身を寄せてひっそりと暮らしている。もともと親子仲も良くは無かったため、ロザリアはこれを機に両親の元を離れて王都で一人暮らしを始めていた。


侍女も連れず、本当に一人きりで生活するのに不安はあったが、それよりも安堵が(まさ)った。

領民たちの生活や家の財政のこと、使用人たちへの給金支払いなど、領地運営をまともにしない両親に代わって、数多くの仕事が在学中のロザリアに段々とのしかかっていたが、それがきれいさっぱり無くなったのだ。

学院卒業後のことで憂鬱だった心が解放感で満たされただけでなく、さらに王家から多額の慰謝料までもらうことになった。当面の暮らしどころか、数年は贅沢できる金額を。


まるで悪い夢から覚めたように、ある日を境に人生ががらりと変わった。


それもこれも、すべてエヴァン王太子のおかげだった。


前王妃の陰謀に巻き込まれた形ではあったが、エヴァンと出会い、絆を深めたことで、実家の抱える問題に関心を寄せてもらえた。その結果が今である。


もちろん意図したことではない。王家の影たちに拉致されたことはトラウマになっているし、一歩間違えれば証拠隠滅のために処刑されていたかもしれない。

思い返せば、よく無事でいられたものだと思う。


それでも、今の自分は幸せだ。

かつてないほど平穏な時間を1年ばかり過ごし、改めてそれを実感していた。


仕事も見つけていた。

国内にいくつか支店を持つ商社の経理係だ。

給金はそこそこに良く、暮らしも質素だったため、王家からの慰謝料にはほとんど手をつけないままだった。


こんな生活がずっと続くのだろうと思っていた。

穏やかで、静かな時間。


きらきらとした華やかな世界には、貴族だったころからあまり縁がなかったせいで、かつての身分に未練もない。

だから、現状に不満なんてない。


……同時に、心を満たすものもない。


けれどそれが幸せというものなのだろうと思う。

ただ唯一の気がかりは……


「エヴァン様……」


ふとしたときに脳裏をかすめる、かつて愛したこの国の王太子。

愛した、ではない。たぶん今も愛してる。


一人きりの夜、ふいにエヴァンの名をつぶやくことが何度もあった。

寂しさからではない。ただ、エヴァンのことを考えると胸が締め付けられるような気持ちになるのだ。


今、どうしているのだろう。

王の継承権を失い、かつてのクロウフォード領で代理領主をしている事までは知っている。けれど彼がどんな想いで、どのように暮らしているのか、もはや平民となったロザリアがうかがい知ることは出来なかった。


これは庇護欲のようなものかもしれないとロザリアは思った。

どうしてだか分からないが、自分だけはエヴァンを守らなければという衝動に駆られる。不敬かもしれないが、ロザリアにとってエヴァンは、この国の王太子ではなく、生き方に迷う独りぼっちの子どもみたいに思えてしまうのだ。


あくまで自分の勝手な考えだ、とロザリアも割り切ってはいる。

エヴァンは子どもでは無いし、生き方に迷っているかどうか本人から聞いたわけでもない。今だって、王太子たる威厳を持って粛々(しゅくしゅく)と政務に(のぞ)んでいるかもしれない。


……けれど、どうしてだかロザリアには、エヴァンの生き方が不器用に思えて仕方ない。


エヴァンはいつだって優しかった。

二人でいるときは、どちらかといえばエヴァンが聞き役に回ることが多く、じっと耳を傾け話を聞いてくれた。そしてどんな些細な部分にも共感してくれた。

王太子という立場でありながら、偉ぶる様子はなく、上から目線で見当違いなアドバイスをしてくることもない。

学院には無駄なプライドばかり持つ上級貴族が大勢いたから、その最上位であるエヴァンが、着飾らず素朴な態度で接してくれることに始めはずいぶん違和感を覚えたものだ。


あるときエヴァンが、生まれ育った環境のことを話してくれたことがあった。

政務に忙しい父親と、弟ばかりを可愛がる母親。幸い弟とは仲良くやれているが、勉強ばかりで一緒に遊べる時間が限られていること、話し相手になってくれる者もおらず、一人ぼっちで過ごすことが多かったこと、など。


だから思わず「私がお話相手になりますよ。いつも、どんなときでも」と言うと、エヴァンはいささか驚いたあと、照れくさそうに「ありがとう」と答えた。


その様子がたまらなく愛しく思えた。誰も知らないエヴァンの素顔を独り占めしたような気持ちになった。王太子には、公爵令嬢という婚約者がすでにいるのに。


エヴァンからの手紙には、直接会うときよりも大胆で、熱烈な言葉がつづられていた。紙の上では饒舌(じょうぜつ)になる人、あるいは筆先に奥底の本音が漏れてしまう人、それがエヴァンなのだろうと思っていた。

学校での優しく穏やかな様子と、手紙につづった情熱的な言葉との間に乖離(かいり)があることも、あまり気にならなかった。


だからエヴァンから、手紙のことなど知らないと告げられたとき、裏切られたような気がしたのだ。

自分との関係を清算したくて、偽りを言っているのだと思った。

けれど話を聞くうちに、エヴァンは偽りではなく本当に手紙のことを知らないのだと気付いた。

あれほど情熱的に囁いた愛の言葉が、すべて見知らぬ誰かによって偽られたものだったのだ。

混乱や悲しみ、恐ろしさなど、いくつもの感情が複雑かつ不規則に胸を襲った。


……しかし、時が経って冷静に考えてみれば、エヴァンは手紙のことなど知らないにも関わらず、男爵位しか持たない自分とあれほど対等に接してくれていた、という事実に改めて驚く。


ロザリアにしてみれば、最初に愛を伝えてきたのはエヴァンの方だ。

『学院で見かける度に胸が踊り、君に会えない日は心に雨雲を抱えているようだ』と書かれた手紙を受け取ったときには、すっかり舞い上がってしまい、早速次の日の学院でエヴァンに話しかけた。

エヴァンは驚きながらも、自分を避けることはしなかった。

戸惑い、それでも自分の言葉に耳を傾け、ほがらかに笑ってくれた。


彼からすれば、誰かも分からない女に突然声をかけられたというのに。ほかの上級貴族であれば、激昂して手を上げることだって有り得たはず。それなのに……。


時が経つほどエヴァンの優しさが身に染みる。

そんなエヴァンに、呪いをかけてしまっていた。利用されていたとはいえ、それとは知らなかったとはいえ。許されることじゃないと思った。


さすがのエヴァンも、自分を見放すと思ったのに。

エヴァンは、ただ申し訳なさそうに謝るだけだった。巻き込んでしまってすまない、と。


あなたは何も悪くないでしょう? ……そう喉から出かかったが、エヴァンの切実な表情を見て思いとどまった。だって、そんな言葉では気休めにもならないはずだから。


前王妃が捕らえられたあと、一度だけエヴァンと話すことが出来た。

慰謝料の手続きで王城へ足を運んだとき、彼が出迎えてくれたのだ。


そのときにも、エヴァンは誠心誠意、謝罪を繰り返した。

君を巻き込んですまなかった、と。


エヴァンが謝ることではない。むしろ自分の方こそ落ち度があるのだ。簡単に王妃の思惑に乗せられ、エヴァンの足を引っ張ったのだから。

……そう伝えたところで彼の心は晴れないと分かっていた。だから、自分の気持ちがもう吹っ切れていることをあえて匂わせた。


「私は大丈夫ですよ、エヴァン様。今回のことは、お互いに悪い夢を見せられていたのです。夢は、覚めれば忘れるもの。どうかこのロザリアのことは忘れ、ソフィア様とお幸せになってください」


そう言うと、エヴァンは少し悲しそうな顔をした。

そして、ソフィアとは結婚しないつもりだ、と言った。


「え……? それは……どうしてですか?」


彼は疲れたように笑った。


「僕のように不誠実な人間はふさわしくないんだと思う。きっと、何もかも」


何のことを言っているのか分からなかった。

ただ、エヴァンがすべての責任を背負っていくつもりだということだけが分かった。


一体どうしてそれほど自分自身を追い込むのだろう。なぜ自ら責任を背負うのだろう。それがどうしても理解できなかった。


城を出るとき、最後にエヴァンは言った。


「ありがとう、ロザリア。君は、どうか幸せになって」


その言葉は、心の奥に小さな波紋を呼んだ。

家路につく馬車で、彼の言葉が幾度となく反芻(はんすう)される。

どこかで聞いた言葉だった。遠い記憶のなかで、これと同じような言葉を聞いた気がする。あるいは、自分自身が口にしたのかもしれない。


気付けば頬を涙が伝い、見かねた御者がハンカチを差し出すまでそれに気付かなかった。


やがて、王太子であったエヴァンが廃位され、公爵令嬢との婚約が解消されたことを新聞で知った。


最後に城で会ったときのエヴァンの横顔が浮かぶ。

すべて手放すことを決意したような顔。

もしかしたら彼は、これらのことを全部自分で決めてしまったのかもしれないとロザリアは思った。



王都での暮らしが1年ほど経った頃、王家の封蝋のついた手紙が自宅に届いた。

エヴァンかもしれない。そう淡い期待を抱いたが、封を開けるとソフィアからだった。

かつての公爵令嬢であり、今は王太子妃となった彼女が一体何の用事だろう。そういぶかしみながら手紙を読むと、そこには自分を秘書官として雇い入れたいと書かれていた。


つい先日、アルベルト殿下とソフィア令嬢の結婚式が執り行われたばかりだ。街中がお祭り騒ぎだった様子も記憶に新しい。


王太子妃になり本格的に政務にも携わることになったため、優秀な文官や秘書を探している、とのことだが、どうして自分なのだろうと首をかしげる。


手紙には、もし承諾してもらえるなら王宮付きとして城に住んで欲しいと書かれていた。気持ちが向かないのであれば断って構わないとも。


王宮暮らしともなれば、気を遣うことも多いだろう。

今の仕事も辞める必要がある。


色々と迷った末、ロザリアは誘いを受けることにした。


せっかくソフィアから誘ってくれたのに断るのは忍びなかったし、何より……

王宮付きであれば再びエヴァンに会えるかもしれない、という期待があった。

会って今さらどうなるとも思えなかったが、それでも、彼の元気な姿を一目でいいから見たいと思った。


承諾の手紙を送ると、ソフィアから感謝の言葉とともに、出仕日を記した手紙が送られてきた。

それに合わせて引っ越しの荷物を準備し、務めていた商会も退職の手続きを済ませた。そして当日迎えに来た王家の馬車に乗せられ、今、城の応接室でソフィアを待っているのだ。



やがてソフィアがやってくると、ロザリアは立ち上がって礼をする。


「お久しぶりでございます、エルフェイン王太子妃殿下」


ロザリアの記憶よりもさらに気品の増したソフィアが微笑む。


「よして、ロザリアさん。せっかく同級生なんですから、非公式の場ではソフィアと呼んで?」


「えぇ……? ……で、ではソフィア様。この度は名誉ある職務へのお誘い、誠にありがとうございます」


「ええ、お誘いを受けてくれて嬉しいわ。これからよろしくお願いしますね、ロザリアさん」


そしてソフィアから具体的な仕事内容の説明を受ける。


「……というのを、ロザリアさんにお願いしたいのよ。いいかしら?」


「ちょっ……と待ってください。ソフィア様。このようなお役目……若輩者の私ではとても務まるとは思えないのですが」


仕事の内容は確かにソフィアの秘書のようなものであり、事前に手紙で伝えられていたものと大差はない。

しかし驚いたのは、秘書官となるロザリアに複数人の部下が付けられていることだった。つまり筆頭秘書官としてソフィアに従属しつつ、細かな実務はロザリア付きの秘書たちにやらせ、その分、ソフィアとともに王国に浮上する様々な問題の解決策を考え、示していくのだ。


とても平民の小娘が担うような職務ではないと思えた。


「ロザリアさんなら出来ると思うわ。……学院に在籍していたときには、ご両親に代わって領地の様々な問題に取り組んでいらしたんでしょう?」


「それでも、小さな男爵領と王国全土では規模が違いすぎます……」


「大丈夫、最初から完璧にできる必要なんてないの。私は次期王妃としての仕事を、ロザリアさんは私を支えていただくための仕事を、お互いにゆっくり慣れていけばいいじゃない?」


「……ソフィア様はどうしてこれほど私を評価してくださるのですか? 学生の頃の私は、ソフィア様にとって決して良き友人ではなかったというのに……」


するとソフィアがほがらかに笑う。


「あの頃のことはもういいのよ、気にしてないから。本当よ?」


「でも私はエヴァン様と……」


「エヴァン殿下は、……いえ、エヴァンのことは……幼なじみとして大切に思っていたけど、男女の愛情はどうしても芽生えなかった。たぶんエヴァンもそうよ。だから、あなたがエヴァンと仲良くしていたからって、それに対して思うところはあまり無かったの。もちろんエヴァンには幻滅していたけれど、それは嫉妬なんかじゃなくて、ご自分の立場を忘れた行いを非難していただけ。……もっとも今では、それが呪いによる影響のせいだったと知っているけれど」


「でも、ご婚約を破棄されたのは……」


「ロザリアさんが原因ではないわ。エヴァンは、彼なりの責任を取っただけだと思う」


ソフィアは一瞬だけ遠い目をしたあとに、再びロザリアを見る。


「いつかロザリアさんにお伝えしたように、私、あなたのお友達になりたいの。だから、良き友として、良きビジネスパートナーとして、私を支えてください。お願いします」


そこまでソフィアに言わせたのなら、自分も覚悟を決めないと、とロザリアは思った。

もっとも、部屋を引き払い、仕事も辞めたあとなのだ。

今さら後戻りするつもりなんてないことに気づき、苦笑する。


「私の方こそ光栄です。ソフィア様。これからぜひ、よろしくお願いいたします」




ふたりが王城で手を取り合った日からおよそ1年半。


ロザリアはソフィアの秘書官としてめきめき頭角を現し、今では王家の執務には欠かせない存在となっていた。


ソフィアの配慮もあってか、ロザリアが身分の違いを理由に理不尽な思いをすることは一度もなく、ロザリアの部下となった者たちも年若な娘だからといって侮ってくることもなかった。


王太子妃の執務ともなれば、王太子アルベルトに勝るとも劣らない激務だ。

領地の視察に付いて長期間王都を離れることもあったし、他国の交渉の場に同席することもあった。

外交、国家運営、経済政策、目の回る忙しさだったが、不思議と辛くはなかった。


ソフィアはいつも自分を気遣ってくれたし、またロザリア自身も心からソフィアを支えた。ソフィアの言葉通り、二人は良きビジネスパートナーであり、良き友人となり、共に充実して職務に臨むことが出来た。


そしてあるとき、ソフィアが待望の第一子を妊娠した。


「おめでとうございます! ソフィア様」


ロザリアは自分ごとのように喜ぶ。


「ありがとう、ロザリアさん。でもしばらくの間、ロザリアさんの仕事の負担が増えてしまうわね……」


「問題ありません、優秀な秘書たちをお与えいただきましたから。ソフィア様は何も心配なさらず、ゆっくりとご静養なさってくださいね」


「ふふ。頼もしいわね。そうは言っても、もう少しだけ仕事を続けるつもりだから、ロザリアさんが引き継ぎで困らないよう準備しておくわ」


「分かりました。……でも決してご無理はなさらず」


「ありがとう」


そんな二人のやり取りを横で聞きながら、アルベルトが問いかける。


「そういえばロザリア嬢。君には、誰かいい人はいないのかい? 君だってそういったことを考える年頃だろう?」


「アルベルト……。レディにそういったことを尋ねるのは良くないわよ」


「あ……ごめん」


姉と弟のようなやり取りに、ロザリアがくすりと笑う。


「そうですね。今はお仕事が充実していますから、結婚などはあまり考えていません」


「あら? でも先月のパーティーで、求婚されたのではなくて? ほら……ルーナイン伯爵家のご子息だったかしら」


ソフィアが思い出すように言った。


「そういえば、そうだったね。彼は先日家督を継いだばかりで、共に領地運営をしてくれる婦人を探しているみたいだよ。年上だけど、条件だけ見ればロザリア嬢の結婚相手としては申し分ない」


「でもあの方……、キザったらしくて私はあまり良い印象はないわ」


ソフィアが少しだけ顔をしかめる。


「あの、ご心配いただけるお気持ちは嬉しいのですが、今はどなたともお付き合いする気になれないので……本当に大丈夫です」


ロザリアの言葉に、ソフィアとアルベルトが顔を見合わせた。


「ええと、」


そしてアルベルトが遠慮がちに言った。


「もしかして君は、兄をまだ……」


「え………?」


アルベルトの言葉に不意をつかれたように、ロザリアが視線を泳がす。

その様子を見て、ソフィアが優しく言った。


「ロザリアさんは……今も想っているのね?」


「いえ!……あの! そ、そういうことではなくて……ですね」


しどろもどろになって言い訳しようするロザリアを見て、ふたりは再び顔を見合わせ、くすりと微笑む。


「そうだ、ソフィア。今度、君の懐妊祝いにパーティーを開こうよ」


アルベルトが言った。


「あら、それは嬉しいわ。だったら、この子の叔父になるエヴァンもぜひ招待しなくちゃね」


嬉しそうにソフィアが答える。


「もちろんあなたも出席してくれるわよね? ロザリアさん」


「でも……」


「エヴァンに会いたくない?」


するとロザリアはうつむき、小さな声で呟く。


「……会いたいです」


「ロザリア嬢。私たちに気兼ねする必要はないんだよ? 君が今も兄を想っていてくれるなら、弟としてすごく嬉しい」


「そうよ、ロザリアさん。それに私、あなたの一途なところを知れて嬉しいわ」


ふたりの言葉に、思わず溢れ出た気持ちが喉につかえた。


「すみません……、きっとエヴァン様はもう私のことは……でも……私、今でも会いたいんです」


「兄の気持ちは本人じゃないと分からないけど、側近のルイとフェルディの話では浮いた話のひとつも無いみたいだよ? 誰か良い人を王都で見繕ってくれないかと、つい先日もらった報告の手紙にも書かれていたからね」


苦笑しながらアルベルトが言う。


「パーティーではうんとおめかししないとね? ロザリアさん。エヴァンを射止めるのに、ほかのご令嬢に遅れをとってはダメよ?」


ソフィアが、子どもをあやすようにロザリアの髪を撫で、そしてそっと肩を抱き寄せる。


「うぅ……ソフィア様ぁ」


抱き返すロザリアを、ソフィアとアルベルトは優しく見つめた。




——そしてパーティーの夜。



会場の遠くの片隅に、ワイングラスを持ち、憂いを帯びた顔で窓の外を見るエヴァンを見つける。


あの頃と変わらない、優しく穏やかな雰囲気は健在だった。


どうやって声をかけようか迷った。

不自然ではないように「お久しぶりです」とでも言えばいいだろうか。


逡巡していると、誰かがロザリアの手を取った。


「ああ、探したよ、ロザリア嬢」


そこにいたのは、先日ロザリアに求婚したルーナイン伯爵家の男だった。


「君にダンスを申し込みに来たよ」


白い歯をニッと輝かせ、ロザリアの手に額を寄せる。

ロザリアは目を瞬き、ちらりと遠くにいるエヴァンの方を見た。


「ルーナイン伯爵、大変ご無沙汰しております。あの……お気持ちは嬉しいのですが今はご遠慮させていただきたく……」


「そんなつれないことを言わないでくれたまえ。それに、先日のプロポーズの返事もまだ聞かせてもらってないのだが?」


「あの、本当に今は……」


ロザリアが困っていると、周囲にいた令嬢の幾人かが囁いた。


「ねえ、あそこにいらっしゃる方、ルーナイン伯爵じゃなくて?」


「そうよ、あのハンサムなお顔。お美しい金の髪。……でもお相手の女性は誰かしら? お見かけしたことないのだけれど」


「ほら、学院にいたじゃない。 取り潰しになった男爵家の令嬢よ」


「あら? じゃあ今はただの平民ってこと? どうして王宮のパーティーにいらっしゃるの?」


心ない噂に、ロザリアの胸がズキリと痛む。


ルーナイン伯爵にもそれらの声は聞こえていたようだ。


「心配ないさ、ロザリア嬢。君のご実家が取り潰しになったことは私も聞いているからね。でもそんな君だからこそ良いんだ。薄幸の美しいご令嬢、それを迎え入れる麗しい伯爵。まるで物語のようじゃないか?」


「……ちょっと何を言ってるか分かりませんね」


思わず本音で返事をしてしまう。


というか幸が薄いと言われるのは納得がいかない。確かに学生時代まではそうだったかもしれないが、今は違う。仮に事実だったとしても、出会ったばかりのお前に言われる筋合いはない。……というのがありありとロザリアの表情に出てしまっていた。


「そんな悲しい顔をしなくても大丈夫さ、ロザリア嬢。君を守るのは私の役目。今がどれほど不幸せでも、私が君の太陽になってみせるよ」


半ば呆れていたのだが、それがどういうわけか不幸に嘆き悲しむ表情に見えたらしい伯爵が、力を込めてロザリアの手を握る。


「いえ……結構です。それと手を離していただけますか?」


「怯えなくていいんだ、ロザリア嬢。私は、君を蔑んだりしない」


「本当に離してください。伯爵様とダンスを踊ることは出来ませんので、どうか」


この勘違いした伯爵にどう対処したら良いのか。

しかもこんな所をエヴァンに見られたらどう思われるか、と考えると気が気ではなかった。

だからつい、力まかせに伯爵の手を振りほどいてしまう。


「ちょっとあの女、何様なのよ? ルーナイン伯爵があれほど親身になってあげてるのに……」


「礼がなっていないわね。これだから平民は。さっさと帰ってもらえないかしら」


周囲の声もあってか、伯爵がムッとした表情を浮かべる。


「……君は救いようがないな。せっかく、平民の君に私が声をかけてやったというのに。いくら見た目が良くても中身がこれではね。失望したよ」


失望したのはロザリアの方だった。

学院でよく目にした、プライドの高い上級貴族たち。

目の前にいる伯爵はそれを思い出させた。


「大変、失礼いたしました……」


それでも相手は貴族だ。いくらロザリアが王太子妃付きの秘書官とて、それは職務上のことであり、身分が平民であることに変わりはない。機嫌を損ねるのは得策ではないと分かっているからこそ、感情を抑えて事務的に謝罪する。


腰を折って礼をし、顔を上げると、ルーナイン伯爵の視線が自分の胸元にあったことに気付く。

伯爵はごくりとつばを飲み込み、そして慌てて視線をロザリアの顔へ移動させた。


「ま、まあいいさ……。ダンスパートナーとして埋め合わせしてくれれば、ね」


下心に満ちた伯爵の顔にうんざりしながら、どう断ればいいのか考えあぐねているときだった。


「どうかしたのかな?」


「……っ、これはこれは、王太子殿下と王太子妃殿下……ご機嫌麗しゅう」


アルベルトがソフィアを連れ立ってやって来たのだ。


「楽しんでいるようだね」


アルベルトがルーナインに問いかける。


「は、もちろんでございます。今、そちらの令嬢とダンスをするところでしたので、よろしければ殿下にもご照覧いただきたく……」


「ああ、それは結構だ」


冷たく言い放つアルベルトに、伯爵が「え?」とつぶやく。


同時にソフィアがロザリアの手を取り、にっこりと笑って言った。


「こちらのロザリアさんは、私の秘書官としてパーティーに参加いただいたの。それに、彼女は私と夫の大切な友人なんですのよ?」


それを聞いてルーナインがさっと顔を青くする。

先程までひそひそと噂話に勤しんでいた令嬢たちも同様だ。


「王太子妃様付きの秘書官……? それって宮廷伯と同等のお立場を持つと言われる……? 平民の娘が?……」


「それよりも王太子妃殿下のご友人だと言ってなかった? どういうことよ……!?」


「ちょっ……まずいわよ、全部聞こえてらっしゃる! い、行くわよ」


波が引くようにサァッと会場を去る淑女たち。

それをいささか軽蔑したように見送ったあと、アルベルトが言った。


「ルーナイン伯爵。年頃の令嬢を無理矢理ダンスに誘うのは良くないな」


「いえ……あの、決して無理矢理では……。そ、そうだろ? ロザリア嬢」


「伯爵とダンスは踊れないと何度も申し上げておりましたけど」


「くっ……君は私に恥をかかせるつもりで……あぁ、いえ、失礼しました」


アルベルトの威光が視界に入り、ルーナインが押し黙る。


「今日は妻ソフィアの懐妊を祝うパーティーなんだ。だから、あまり羽目を外しすぎては困るな、ルーナイン伯爵」


「……申し訳ありません」


「アルベルト、あまり伯爵を責めないであげて。先程からお顔の色が優れませんし、伯爵はお疲れなのでは?」


「王太子妃殿下……」


ルーナインがすがるような目をソフィアに向ける。


「ですから」ソフィアがにっこりと微笑む。「今日はもうお帰りいただいた方がよろしいのではなくて?」


「え? ……あ、いえ。問題ありません。せっかくのパーティーですから、引き続き参加させていただきたく……」


「そうだな、ソフィア。伯爵はお疲れのようだし、お帰りいただいた方が良いな」


「いえ、私なら……」


「「どうぞ、お帰りください」」


アルベルトとソフィアが息を合わせて言うと、さすがの伯爵も、帰れと言われていることに気づき、ますます顔色を悪くする。


「し、失礼します!」


そそくさと会場を後にする伯爵に向けて、もう来るなと言わんばかりにニコニコ手を振るふたり。それにつられ、周囲のまともな貴族たちからはクスクスと笑い声がこぼれた。


「気付くのが遅くなってごめんなさい、ロザリアさん」


ソフィアが心配した顔をロザリアに向ける。


「いえ、私こそ、お二人に助けていただかなければ対処できないなんて……」


「ロザリア嬢の立場を考えれば仕方ないよ。思うところはあっただろうが、事を荒立てなくて正解だ」


アルベルトが慰めるように言う。


「……。それにしても、ロザリアさんがこんな目に遭っているのに、エヴァンたらちっともこちらに気付いていないわね」


ソフィアが目を向けた先には、相変わらずぼんやりと窓辺に目をやったままのエヴァンがいた。


「すまない……、あの人は昔からああなんだ」


アルベルトが頭をかきながら申し訳なさそうに言った。


エヴァン様らしい、とロザリアは苦笑する。


「あの様子じゃあ、永遠にロザリアさんがいることに気付かなそうだから……私、ちょっと言ってくるわ」


困った子どもを見るような様子でソフィアが言った。


「え? な、何をですか?」


戸惑うロザリアをよそに、アルベルトもうんうんと頷く。


「そうした方がいいね。兄さんはこういうとき本当に鈍感だから」


「ロザリアさん」


ソフィアがぐいっと顔を寄せる。


「は、はい?」


「エヴァンをしっかり捕まえてちょうだい。これは、王太子妃命令よ!」


それを聞いたロザリアが思わず、くすりと微笑む。


「はい……仰せのままに」




------


シャンデリアに照らされたホールで、ロザリアは、辺りを見回しながら歩いてくるエヴァンをじっと見つめる。


距離が近づくにつれ、次第に胸の鼓動が高鳴った。

ずっと会いたいと思っていた人がすぐそばにいる。


ああ……こんなにも愛おしかったのだ、とロザリアは改めて思う。


自分を見つけられなくて困っている顔も、ダンスを楽しむ人々にぶつかりそうになり、少しよろけるその仕草も、大好きでたまらない。


途方に暮れたように、遠くのアルベルトとソフィアに目を向けるエヴァンのもとに、たまらずそっと駆け寄る。


触れあえるほど近くに来て、懐かしさがこみ上げた。

まるで何十年も会えなかったような寂しさと嬉しさ。


ためらいながら肩に触れると、エヴァンがゆっくりとこちらを振り向いた。


カーテシーをし、立ち尽くすエヴァンの手を取って、精一杯微笑む。




「素敵な王子さま。……どうか私と一曲、踊っていただけませんか?」








お読みいただきありがとうございました。


ひとまず完結しようと思いますが、

ほかにも、こんなエピソードが見たい、ふたりの続きが見たい、

など、もしリクエストがあれば教えてください。

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