第2話
きらびやかなシャンデリアが視界に映る。
どこだろう、ここは?
僕は屋敷のベッドに横たわっていたはず。
ネズミに齧られた痕がいくつもあった天井の梁が、どこにも見えない。
夢を見ているのか、それとも死後の世界なのか……。
「……様」
誰かの声がする。「……ヴァン様」
眼の前の光景が鮮明になるにつれて、様々な音が近づいてくる。
見覚えのある景色だ。
豪華絢爛な大広間に、礼服を着飾った大勢の人々。
あちこちから聞こえるどよめき。こちらを見る数多くの視線。
「エヴァン様!!?」
ようやく耳元の声がはっきりと聞こえ、僕は声のする方を見た。
「ロザリア……」
かつての伴侶、ロザリア。
記憶しているより若く、その表情に僕への失望は少しも見られない。
ロザリアは腕に縋り付くように身を寄せ、不思議なものを見るように僕の顔を覗き込んでいた。
「どうしたのですか? エヴァン様。……続きを言わなくて良いのですか?」
続き……?
徐々に記憶の底にある光景と今が重なる。
「卒業パーティー……」
ありえないことだ。
もうすでに20年以上前の出来事が、なぜ今ここで起こっている?!
ひとりぼっちで死んでいくあの人生は、一瞬のうちに見た壮大な夢だったのか……。
にしては生々しく、現実だったとしか思えない。
ならば……到底信じられないことだが、時が過去に戻ったということか……?
僕とロザリアは舞台の上から群衆を見下ろしている。
そして人々が開けた空間に、懐かしき女性が佇んでいた。
「ソフィア」
思わず口にしたあと、僕のような者が呼んで良い名だと思えず、右手で口元を押さえた。
この身に何が起こったのか分からないが、僕は過去の世界にいる。
あれほど後悔し、やり直しを願った卒業パーティーの時に。
死を前にした僕へ、神様からの贈り物だろうか……。
逡巡する僕に業を煮やしたのか、ロザリアが腕を引っ張る。
「どうしたんですか、エヴァン様!? 続きはどうなさるんです?」
続き……だと?
ハッとして胸を抑える。そうだ、僕は今どこまで口にしてしまったんだろう……?
「えーと……ロザリア」
「……何でしょう?」
「僕はどこまで話を進めたんだっけ? すまないが教えてもらえないか?」
「……。え?」
ロザリアの顔が強張る。
「一体どうしてしまったんですか?」
僕たちのやり取りを見ている他の卒業生たちの目もだんだん怪訝なものに変わっていく。
その様子を気にしながら、周囲に聞こえないようロザリアが小声で耳打ちする。
「婚約破棄を伝えたばかりでしょう!? これから虐めの証拠とか、色々話す流れじゃないですか!」
「な、なにぃ!?」
すでに婚約破棄は伝えてしまった後なのか?
な、なんというタイミングなんだ。どうせ時間を遡るなら、せめてあと10分前に戻してください……神よ!!
……すがる思いで祈っても、これ以上の変化は起こりそうになかった。
諦めた僕は再びソフィアを見る。
彼女もまた、僕の言葉を待っているようだった。
そして視界の隅に弟のアルベルトを見つけた。何かあればすぐに出ていけるよう、学生たちの背後で様子を見ているらしい。
僕は覚悟を決めた。
……弁明する覚悟をだ。
「ソフィア」
もう一度彼女の名を呼ぶ。
それは自分らしからぬ声だった。凛として辺りに通る、それこそ父である国王が民に向けて語りかけるときのような、心地よい響きの声だ。
偶然の声色に自分自身が驚いたが、それは周囲の者たちも同様だったようだ。
「はい……?」
ソフィアが少しためらったように答える。
僕は、恥を偲んで続けた。
「すまない。今、僕が伝えた婚約破棄の件だが、……撤回する」
「えぇぇ!?」
傍らのロザリアが露骨に驚きを露わにする。
「みんなもだ」
そして会場にいる者たちへも呼びかける。
「楽しんでいるところに水を差してすまなかった。少し手違いがあったのだ。歓談に戻ってかまわない」
皆は戸惑いながらそれぞれに顔を見合わせる。
手違いなどという言葉のどこにも納得できる要素はないが、王太子がそういうのだから、納得するしかない。
ロザリアと側近の二人を伴って舞台を降りると、余興が終わったとばかりにみんな少しずつ、それぞれの時間へと戻ってゆく。
「エヴァン様、一体どういうことですか……?」
納得できないロザリアが僕に詰め寄るが、それには答えず「ロザリアを頼む」と側近の二人に言い残し、今も同じ場所に佇んだままのソフィアに歩み寄った。
ソフィアは僕が近づくと警戒したように半歩下がった。
その姿を見てかすかに胸の奥が傷んだが、自らが招いた結果なのだと改めて思い直す。
「どういうことです? 殿下」
怒るでもなく、率直な疑問をソフィアは投げかけた。
「すまなかった、ソフィア」
「何の謝罪でしょうか?」
「たった今君に投げてしまった言葉への謝罪だ。……それと、これまで君にとってきた態度も。申し訳なかった」
誠意を伝えるため、彼女の前で深々と頭を下げた。
それを見た周囲が再びざわめく。
「お止めください殿下! 王族がこのように簡単に頭を下げるなんて……」
「君だからだ。苦労をかけてしまった君だから」
「…………」
どのように応えたものか、ソフィアは思いあぐねているようだ。
このまま謝罪を続けても彼女の疑問が増えるだけだろう。
「今日のことは別途機会を設けて、改めて謝罪したいんだが。良いだろうか?」
「私は別に構いませんが……」
「私は構いますっ」
僕とソフィアの間にロザリアが割り込む。
その後ろから慌ててやって来た側近のルイが彼女を腕を掴む。「だ、だめですよロザリア嬢! 公女様の前ですって!!」
「今はそれどころじゃないの!」
ダメだ……完全に間が悪い。
「エヴァン様、虐めの件はどうなさるんですか? これまでの準備は?」
「その件だがロザリア。一度改めて話をしないか?」
この場でそんな話をする気にはなれない。何より今日はこれ以上ソフィアに迷惑をかけたくなかった。
「どうしてですか!? 今日じゃなければいつがあるんです!? 私たちはいつ……」
「ロザリア……」
そっと彼女の肩に手を添える。
「実は体調が優れなくてね……。この場にいるのも辛いんだ」
「エヴァン様?」
ふらりと足元を崩す僕に、ソフィアとロザリアが慌てて駆け寄った。
これは、この場を終わらせるための演技ではない。
先程から本当に体調が優れないのだ。
原因はひとつ思い当たる。
ロザリアが身にまとう香水の香りだ。
なぜだか、この香りを嗅ぐと胸の奥底から気持ち悪さが涌いてくる。
以前はそんなことはなかった。むしろ花のように甘く良い香りで、彼女からこの香りがするたびに、どこか頭が痺れるような不思議な心地よさが感じられたのだが。
「ルイ、フェルディ。すまないけど、僕を医務室に連れていってくれないか?」
「も、もちろんです。エヴァン様」
ふたりが彼女たちと代わるようにして僕を両脇から支える。
憐憫の目で見るソフィアに、「すまなかったね」と告げる。そしてロザリアにも。
「君もだ。すまないロザリア、この埋め合わせはするから……」
彼女たちの返事を聞くことはなかった。
ルイとフェルディが速やかに僕を抱えて会場を後にしたから。




