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第2話



*✤*✤*✤*✤*✤



「兄さんは一体どうしたんだろう……」


卒業パーティーの会場で、第二王子のアルベルトは公爵令嬢ソフィアとともにテラスにいた。


「分かりません……。意気揚々と私に婚約破棄を告げるまでは、アルベルト様が掴んでいらした情報と同じでしたが……あのとき、なぜだか急に人が変わったように……」


ソフィアは先ほどの光景をもう一度頭の中に呼び起こす。


『貴様との婚約を破棄する!』高らかにそう宣言した婚約者のエヴァン王太子殿下。


事前の調べで、彼が男爵令嬢ロザリアと共謀し婚約の破棄を企てていることはソフィアも聞かされていた。

それでも直接聞くまでは彼を信じてあげたい。そんな気持ちも少なからず残っていた。


しかし案の定、彼は大勢の卒業生の前で企みを実行する。

婚約者以外の女性を傍らに侍らせて……。それが王族としてどれだけ不評を買うか、まるで理解していない様子になかば呆れてしまった。

予想では、幾度かの問答の後に、彼が作った証言記録を持ち出してくると思われていた。

それに対抗するように、アルベルト王子の陣営でも、より正確で公的な記録文書を準備していたのだ。


けれどふたりの予想を裏切り、彼の断罪劇はあっけなく中断された。

何を思ったか、エヴァン王太子は婚約破棄を撤回し、自ら始めた演説を引っ込めてしまったのだ。


「……実はあのとき、」


ソフィアの回想をアルベルトの言葉が遮る。


「あのとき、兄さんと目が合った、気がするんだ」


「アルベルト様が会場にいることに気づいていらした、ということでしょうか?」


「分からない。遠くにいたから僕の気のせいかもしれないけど、一瞬こちらに目を向けたのは間違いない」


「では、エヴァン様がアルベルト様に気づいたと仮定して……、突如ご自分の立場が不利なことを悟って、矛を収めたのかもしれませんね」


だがアルベルトは納得いかないとばかりに、うーんと唸る。


「仮に僕がいることに気づいても、それが自分の不利に繋がるとは思わないんじゃないかなぁ。兄さんは」


控えめに言っても最近のエヴァンは直感的で短慮というのがアルベルトの認識だった。

あの場に自分がいたところで、企みがバレたうえで迎え撃つ準備までされていることにエヴァンが思い至れるとは思えなかった。


「では……体調が優れなかったことが関係しているかもしれません」


「……ああ、先ほど側近に抱えられていたね。あれは……その」


「ええ、仮病ではないと思います。お顔から血の気が引いていましたから。本当に体調が優れなかったご様子でした」


「そうか……」


兄のエヴァンは嫌なことがあるとしょっちゅう言い訳を作って逃げ出していた人だった。

だから今回もその場を離れるために体調を理由にしたのではないかと考えていた。


「……今日は事なきを得たけど、別の機会に再び婚約破棄を伝えてくるかもしれないね」


「そういえば先ほど、後ほど謝罪の場を設けたいとおっしゃってましたわ」


「謝罪? 今日の事で?」


「それも含めて色々だ……と」


アルベルトは右手で顎の先をつまみ、考え込むようにうつむく。


「何を考えているのかは分からないが…、ひょっとすると改めて婚約破棄の意向を伝えるつもりかもしれないね」


「……それも有りえますね」


「王城に君を呼ぶのなら、無理を言って私が同席することも出来るけど、公爵家に出向くならさすがに私は出ていけない」


「わざわざ私の家に足を運ぶとは思えませんが……」


「そうかもね。けど用心にこしたことはないよ。あらぬ冤罪を着せられてはたまらないからね」


「……分かりました。そのときは十分に注意いたしますわ」


「うん。でももし義姉さんに何かあれば、必ず僕が何とかするよ」


アルベルトが優しく力強い笑みを浮かべた。ソフィアもそれに応えるように幸せそうに微笑む。




*✤*✤*✤*✤*✤




ルイとフェルディに付き添われ王城の自室へ戻ってきた。


「ふたりともありがとう。助かったよ」


そう労うと、二人は少し驚いたように顔を見合わせた。


「いえ、気になさらないでください」ルイが答える。


「そういえば、ロザリア嬢はどうしたんだ?」


会場に残した彼女を思い出し、ルイに尋ねた。


「ああ、エヴァン様が医務室に行かれたあと、彼女も帰りましたよ。ダンスパートナーもおらず、一人では退屈だったのでしょう」


「そうか……」


ルイもフェルディと同様、ロザリアを盲信しているわけではなさそうだ。

てっきり以前の僕と同じく、彼女を比護すべき対象だと考えていると思っていたのだが……。


「なあ、二人は……ロザリア嬢をどう思う?」


フェルディの考えは先ほど聞いていたが、改めて二人に問うた。


「そうですね……。身の程知らず、といったところでしょうか」


ルイが少し考えて答えた。


「エヴァン様に取り入る才能だけはピカイチだと思います」


今度はフェルディが答える。


ふたりとも辛辣だな……。

だがそこまで冷静に彼女を見れていたのか。


「こう言うのも何だけど……ふたりにはもう少し僕に対して助言とかしてもらいたかったな……」


もちろん、以前の僕なら助言などされても聞く耳を持たなかっただろうから、

ふたりにそんなことを求めるのは不条理だと分かっているが。

それでも言わずにはいられなかった。


「あれ? エヴァン様、ひょっとしていろいろとお気づきになったのですか?」


意外というようにルイが言った。己の主人に対してこの発言はどうかと思うが、その顔に悪意などまったくない。素の質問だと分かるから余計にタチが悪い……。


「ああ、気づいたよ。自分の行動がおかしいことに。ふたりから見ても僕はどうかしていたんだな?」


「「はい」」


ふたりが声を揃える。


それでも、彼らは今回のずさんな証言集めや断罪劇に付き合ってくれた。

忠臣と言えば聞こえはいいが、もう少し僕を是正してくれても良かったのではないだろうか……。


そう言えば、前回僕が廃位されたとき、このふたりはどうなったのだろう?

卒業パーティーで別々に会場を後にして以来、その後一度も会うことはなかった。


僕の側近をしているが、ふたりともそれなりの格を持つ貴族家の出身だ。

王族である僕が廃位という重い処罰を与えられたなら、中級貴族の彼らも相応……いやもっと重い罰を受けたのかもしれない。


そう考えると、ふたりにはつくづく申し訳ないことしたと改めて自戒の念が湧いた。


「……これまですまなかったな、ふたりとも。もう大丈夫。くだらん断罪劇は終わりだ。後日ロザリア嬢と改めて話をするよ」


ふたりが再び、驚いたように顔を見合わせた。




彼らが帰り、ベッドの上に身を投げる。


学院を卒業した今、本格的に政務に取り掛かる準備が始まる。

やることはどんどん増えていくから、早いうちに身辺を整理した方がいいだろう。


まずはロザリアだ。

僕やソフィアを謀っていたとはいえ、これまで僕が積極的に協力してしまった負い目がある。

一方的に彼女だけに罰を与えて終わりにするわけにはいかない。


それとソフィアとアルベルトのことも。

彼らは僕が断罪を中止したことで拍子抜けしているかもしれないが、まだ気は緩めていないだろう。

僕に本当に害意が無いことを改めて示しておかなければ。


……それに、以前は僕の廃位のあとふたりは結婚していた。


婚約破棄は僕に大きな代償を与えたが、彼らにとっては愛を紡ぐきっかけになったのかもしれない。

だとすれば今さら僕が考えを改めても、ふたりにすでに芽生えた絆は消せないだろう。

……どうしたものか。


ああ、それと、僕がなぜ過去に戻ったのかも考えたほうがいいのか?

普通はこんな現象ありえないからな。


……でも、これについては考えたところで答えが出るとも思えないな。

ありのまま現状を受け入れて、過去をやり直せる幸運に感謝するだけでいいか。


あれこれ考えているうちに疲れが出たのか、パーティーで着ていた服のまま、いつの間にか眠りに落ちてしまった。




*✤*✤*✤*✤*✤




翌日、呪いに関する報告を受けた国王が、僕を応接室に呼んだ。

朝食を摂ってすぐに向かうと、久々に父と対面することになった。


「……どうしたのだ、エヴァン。私の顔に何かあるか?」


怪訝な顔で父が言う。


「あ、いえ。何でもありません、陛下」


思わず懐かしくて見入っていた、なんて言えばますます怪訝な顔をされるだろう。

けど今の僕にとっては数十年ぶりの父なのだ。

葬儀にも参列できず、こうして再び元気な父親を見れるとは夢にも思っていなかった。


「……そうか。ああ、それとな。アルベルトのことだが……」


父は僕の隣に座るアルベルトにちらりと目をやる。


昨日、出番がなかったせいで、彼は自分が王都に帰ってきていることを知らせる場がなかったのだ。

前触れもなく王城をうろついてるのも変なので、話のついでにここを顔合わせの場にしたのだろう。


僕としては前回の断罪劇でアルベルトが戻ってきていることを知っていたから、まったく驚きはないが。


「久しぶりだね、兄さん」


アルベルトが微笑みを浮かべながら言った。


「ああ、久しぶりだな。元気で何よりだ。留学先から休暇をもらったのか?」


「あ……うん。そうだよ」


「そうか。久しぶりの実家なんだ。ゆっくりしていくといい。今度またチェスでもしよう」


そう話しかけると、アルベルトは幾分戸惑ったようだった。

僕は弟に何の恨みもない。そもそも断罪されたのは自業自得だったし、今は久しぶりに会えたことが素直に嬉しかった。


「オホン……積もる話もあるだろうが、今日は別件で話がある」


このまま昔話に花を咲かせられても困ると思ったのだろう。父が咳払いをして話を戻す。


「エヴァンよ。今日はお前が呪いを受けていたという件だ。……間違いないのか?」


「ええ、昨日僕を診た呪術師はそう言っていました。僕自身はあまり実感が無かったのですが」


「……そうか。実はその者からも話を聞きたいと思い、呼んでいるのだ」


そう言って部屋の隅に控えている執事に目配せすると、執事は隣室の扉を開け、そこにいたふたりを招き入れる。

昨日僕を診てくれた呪術師のノードと、医務室の医師だ。


ふたりはソファに腰掛け、国王からの指示を待った。


「ふたりとも昨日は助かった。おかげですっかり体調が元通りだ」


非公式な場だ。国王が声をかける前に、僕から改めてふたりに感謝を伝えた。

一瞬ふたりは面食らったような顔をしていたが、すぐに「とんでもございません」と頭を下げた。


その様子を、なぜか国王は神妙な面持ちで眺めていた。

そして気を改めて、ふたりに問いかける。


「昨夜報告のあった件だが、間違いないのだな?」


「……まずは私からご説明を」


最初に僕を診た医師が答えた。


「医務室にいらしたエヴァン様は顔色が優れず、症状としては食中毒に近いと思われました。しかし、お体自体はどこにも不調の兆しが見られず、それよりも精神系に作用する魔術の残滓がわずかに見られたのです」


一人で大勢の生徒を請け負うこの医師は、通常の医学だけでなく魔法分野にも一定の知識があるようだった。


「そこで学院の専任講師であるノード博士に助力を願い出て、エヴァン殿下を魔術面から診療してもらいました」


そこで続きをノード博士が話す。


「私の診断で、精神作用系の魔術……つまり呪いがかけられていることが判明しました。普通、呪いは体内に隠れ外から罹患を判別することは困難なのですが、昨日は偶然、呪いが肉体を離れかかっており、その一部が残滓となって肉体の外に漏れ出ていたことで発覚したのです。そうでなければ私が診療しても呪いを見つけることは出来なかったでしょう」


「……ふむ。それで呪いをどのように解いたのだ?」


「ここに」


ノード博士は昨日の特製ガラス瓶を見せる。

白く濁った煙がわずかだが瓶の底でたゆんでいた。


「呪いは、そこに“憑いている”ことさえ見つけられれば、取り出すのは簡単なのです。解呪を用いて殿下から取り出した呪いを、今はこの容器に封じ込めています」


国王も、隣にいるアルベルトも、ノード博士の掲げるガラス瓶を凝視している。


「呪いのほとんどは霧散して消えてしまいましたが……わずかに容器の底に沈殿しています」


「……情報は取れたのか?」


「呪いの成分と作用は分かりました」


「どのような作用なのです?」


国王の代わりにアルベルトが尋ねる。


「意識混濁と精神支配です。例えるなら、酒に酔わせてフラフラにしたところへ、何らかの命令を吹き込んでいる状態です」


……僕はそんな状態になっていたのか?


「それほど強い作用ではないものの、エヴァン殿下は継続的に呪いを受けていた痕跡が見られますので、ここしばらくは頭がぼんやりしていることが多かったんじゃないでしょうか?」


「自覚は無かったが……、言われてみればそうかもしれないな」


思い出してみれば学生の頃や男爵領に婿入りした頃など、物事がうまく考えられず無気力な時間が多かったように思う。


「呪いの恐ろしいところは、病と違って本人に自覚が現れないところです。このまま呪いを受け続けていれば、論理的な思考力が消え失せ廃人のようになっていたでしょう」


ノードの言葉に室内が静まり返る。


「……一体誰がそんな恐ろしい呪いをかけたのだ……?」


間をおいて、国王が苦悶を顔に浮かべながら尋ねた。

しかしノード博士は首を横にふる。


「残念ながらそこまでは分かりませんでした。また、呪いがどのような形でかけられていたのかも不明です」


「そうか……」


国王が悔しげに拳を握る。


「ちなみにだけど……」


僕が声を上げると、みんなが一斉にこちらを見る。


「呪いがかけられるとしたら、どのような方法が一般的なんだろう?」


「そうですね……。よくあるのは相手の肉体の一部を用いて、離れた場所から呪いを飛ばすというものです。

肉体といっても毛髪や爪のかけらで十分で、呪われた方に一切気づかれずに行えるのが利点でしょう。

しかしその分効果は薄く、せいぜい相手が体の不調をわずかに感じる程度です。

また精神の強い者が相手ならばほとんど効果はありません。

よって、今回の呪いの手段ではないと予想しています」


「ほかには?」


「直接、相手の肉体に呪印を刻むというものです。非常に効果が高く、場合によっては相手を意のままにあやつることも可能ですが、相手に気づかれずに呪印を刻むことは困難なため一般的とは言えないかもしれません。

ほかに考えられる方法は……呪いを物質化して相手に摂取させるというものです」


「物質化というのは?」


「昨日私がお見せしたように、呪術師のなかには呪いを気体や液体に変えられる者もいます。

たとえば液体に変えて飲み物に混ぜ合わせたり、あるいは気体に変えて香水の臭いに紛れ込ませたり……」


「香水……」


「女性が魅了の呪いを香水に込めて男を誘惑する、というのは割とある話のようです。

もっとも、これもそこまで効果は高くないため、継続して呪いを摂取させる必要がありますが」


思い当たることはある。


ロザリアが(まと)う甘い香りの香水。

昨日はなぜだかそれが気持ち悪くて仕方なかったが、いつもなら彼女からふわりと香るたびに心地よくなって、深く考えることを放棄してしまっていたように思う。

前回の未来で彼女が亡くなってから頭が妙に冴えたのは、香水の効き目が切れたからか……。


「エヴァンよ。思い当たることがあるのか?」


国王が何か感じたのか、そう尋ねた。


「いえ……特には」


どう答えるべきか迷ったが、ロザリアのことはまだ伝えないことにした。


万が一違う可能性もあるし、たとえ彼女が原因でもまずは直接話を聞いてみたいと思ったからだ。

ここで彼女のことを伝え、父が怒りのままに彼女を捕らえてしまったら、弁明さえ出来ず処刑されるかもしれない。


本当にロザリアが原因ならばそれほど重い罪なのだが、それでは彼女があまりに不憫に思えた。


国王は何か言いたげな顔をしていたが、僕がそれ以上答えない様子をみて「そうか」と引き下がった。


「早急に調査隊を編成した方が良いかもしれません。

兄さんだけでなく、陛下や私もすでに被害を受けている可能性もある」


アルベルトが言った。さすが頭の回転が早い我が弟。

自覚が無い以上、自分が呪いにかかってないとはこの場の誰も断言できないのだ。アルベルトの言葉はもっともだ。


「うむ。急ぎそうしよう。エヴァン、アルベルト。各々油断するなよ」


「「はい」」



こうして話はひとまず終わったが、部屋を出ようとするとアルベルトだけが国王に呼び止められた。

僕はお呼びでないので、何の話か少し気になりながらも部屋をあとにした。



*✤*✤*✤*✤*✤



「急に同席を頼んですまなかったな」


国王がアルベルトに言った。


「いえ。王族全体に関わる話ですから。当然のことです」


「うむ……」


アルベルトの言葉に小さく答え、国王は黙り込む。

少しの間、部屋に沈黙が流れた。


「……私に用事があったのでは?」


アルベルトがそれとなく急かす。


「それは建前だ。……エヴァンのことを話しておきたかった」


「なるほど」


「ここ最近お前が調べたとおり、エヴァンの行いは目に余るものがあった。王にとって必要な勉強にも身が入らず、婚約者以外の女にうつつを抜かしていた」


「……おっしゃる通りです」


「だが……。それらは全て呪いによるものだったのだろうか……?」


国王の言葉に、アルベルトは何と答えたら良いか考えあぐねた。


「……正直なところ、分かりません。そう判断するためには、もっと多くの情報が必要です」


「だがな、アルベルト。今日のエヴァンの目をお前も見たはずだ」


「……はい」


アルベルトは先ほどの兄の様子を思い出す。

呪いが解かれたとされる兄は、明らかにいつもとは雰囲気が違っていたのだ。


どこが違うかと訊かれれば、はっきりとは答えられない。

ただ何となく、兄の醸す雰囲気や、受け答えの仕方、目に宿る光。

気のせい程度の小さな違いがいくつも重なり、それまでの兄とはまったく違う印象を与えていた。


「私は、あやつに失望していた。正しき判断すらまともにできないあやつに。王たる器ではなかったことに、心底がっかりしていたのだ。……だがそれが呪いのせいだったとあれば、正しき判断が出来ていなかったのは私の方になる……」


「父さん、それは……」


「分かっている。すべて呪いのせいだったと断ずるのは早いと。……だからこそ、この件については徹底的に調べなければならない。……アルベルト、お前にも協力してもらうぞ」


「……もちろんです」



*✤*✤*✤*✤*✤



王城で父と会話をした翌日、僕は側近のふたりとともに学院寮の談話室にいた。

ロザリアと話をするため、ここで待っているのだ。


彼女には、使用人を通じてあるお願いをしておいた。

それは、いつも使っている香水を今日は付けずに来てくれ、というお願いだ。


また呪いにかけられては困るからね。

けど香水の件に触れたことで、彼女が何かを察した可能性は高い。

もしかしたら今日の約束を無視してどこかに身を隠したかもしれないが、そうなれば王家の正式な調査が始まるだけだ。彼女にとって良い結末にはならない。


そんなことを考えていたのだが、意外にもロザリアは時間通りに談話室に訪れた。


「やあ、ロザリア、すまない急に……」


だが彼女の様子はいつもと少し違った。

うっすらと泣き腫らしたような目をしており、髪も少し振り乱れている。

いつも僕と会うときのような完璧な身なりではなかったのだ。


「エヴァン様。……どうしてですか?」


こちらに歩み寄るロザリアの目から、一粒の涙がこぼれる。

……なぜ泣きだすんだ? 


意味が分からず困っていると、彼女は僕の前に来て、いささか強めに僕を睨んだ。


「あれから……忙しかったのだと思います。ご卒業されたのですから、身の回りの片付けや、政務のご準備などもあったでしょう。……でも、どうして今の今まで私にご連絡をいただけなかったのですか!?」


卒業パーティーからだいぶ時間が経っている。断罪劇を中途半端に終わらせたことの弁明もまだだった。


「……すまない」


それは素直に謝るしかない。悪事の片棒を担いでいたとはいえ、僕からハシゴを外した形だ。

まずは速やかに彼女に説明責任を果たすべきだったとは思う……。


「……それにエヴァン様」


ロザリアの目からさらに涙がこぼれた。


「香水をつけてくるな、というのはどういうことでしょう……? あれは、エヴァン様が贈ってくださったものでしょ? 私と縁を切りたいと、遠回しにそうおっしゃっているのでしょうか?」


「いや、別にそのような深い意味では…………。って、ちょっと待て?」


彼女の圧に押され弁明をしかけたが、その言葉の中に聞き捨てならない一言があった。


「……僕が贈った香水?」


「昨年の誕生日から毎月、エヴァン様のお名前で実家にお送りいただいてるじゃないですか!……まさかそれすら忘れていたのですか……?」


「いや……待て待て」


混乱して、思わず後ろに控えたルイとフェルディを見る。

ふたりも初めて聞いたのか、知らないとばかりに首を横にふっている。


「……ロザリア。僕は、君に香水を贈ったことは一度もないよ?」


改めてロザリアを見て、そう言った。


「……でも、いつもお手紙と一緒に実家に届いているのは確かですよ……? 便箋にしたためてくださったあの甘い言葉もすべて、無かったことになさりたいのでしょうか?」


「違う。無かったことにしたいとか、そういう話じゃない。本当に僕は……」


思わず言葉に詰まり、頭を抱える。

……これは一体何だ? 


おそらく彼女の纏っていた香水には、僕を対象とする呪いが込められている。


だから、彼女が害意をもって近づいているのだと思った。

……だが、その香水は僕が彼女に贈ったものだという。


その香水を付けてくるのを禁じたから、ロザリアは僕に突き放されたように感じたのだろう。

泣いていたのはそれが理由か。


彼女の様子を見ても、嘘をついているようには見えない。

……見えないが、手放しで彼女を信じてしまっても良いのだろうか。


……どうすればいいんだ?


「エヴァン様……?」


「すまない。香水の件は……深い意味はないんだ。卒業パーティーの日に体調を崩しただろ? まだ万全じゃなくてね、香りの強いものを避けていたんだ」


「そうなんですか? ……でも、あれはエヴァン様の贈り物ではなかったのですか?」


「……それについては、一旦保留にしてもらえないか? 申し訳ないけど」


「……分かりました」


香水の件は、この場で解決する話じゃない。

早急に調べる必要があるし、呪いについても思ったより根深い思惑があるかもしれない。


だから、僕はロザリアとすべきもうひとつの話をすることにした。


「それとロザリア。……ソフィアに虐めを受けたという話だが……僕がそれを立証することは出来ない」


「……え?」


ここまで彼女と共謀した形になるが、この先は味方でいることは出来ないとはっきり伝える必要があった。


あの断罪劇が起きなかった今なら、まだ引き返すことが出来る。

ロザリアにも、今の婚約者を陥れてまで王妃の座を目指すような行いはやめさせたい。


「君が受けたとされる様々な虐めや暴力だが……、本当は何もされていないんだろう……?」


責めていると思われないよう、慎重にロザリアに問いかける。

ロザリアは僕の言葉を受けて、探るような目を向けた。


「えっと、じゃあ……計画は中止……ということでしょうか? それとも変更ですか?」


「…………。は?」


ロザリアは、後ろにいる側近のふたりを気にするように声を潜めて言った。

だが、僕はまたも混乱を覚えた。


「変更じゃないんですか?」


「んん……? んー……どういうことだい?」


ちょっと意味が分からなすぎるんだが。


「香水と一緒に贈っていただいたお手紙にエヴァン様からのご指示があったのですが……。ソフィア様が有責であるようにして婚約破棄すれば、私と結婚してくださると……。そうすれば私の実家も助けてくれると……」


また香水の件に戻るのか……そうか。


「……つまり、ソフィアからの虐めというのは、僕からの指示なのか?」


念押しのように問いかける。


「……。はい」


思わず、ふうぅ、とため息を吐く。


「虐めの証人たちは? 君が連れてきた人たちじゃないのか?」


「それは……そうですが、誰を証人にするかのご指示もエヴァン様のお手紙に……」


「ぐぅっ……」


さすがにおかしいだろ。僕の知らないところで一体何が起きているのだ……?


「……もしかして、エヴァン様のご指示じゃないのですか……?」


ロザリアの顔に不安が張り付いていた。


彼女にすれば、僕の後ろ盾があったからあのような凶事に及ぶつもりだったのだろう。

手紙の差出人が僕の名を騙る見ず知らずの者だとしたら、ひどく恐ろしい話だ。


「……ああ、悪いけど身に覚えがない」


「いや……そんな。じゃあ私の実家は……」


実家? そういえばさっきも実家を助けるとか何とか言っていたな。


「ご実家に何か支援が必要なのか?」


「いえ……その」


ロザリアが口をつぐむ。


「……君のもとに届いた手紙だが、見せてもらうことは出来るかな?」


「一部ならお見せできますが……ほとんどは燃やしてしまいました。そうせよと書かれておりましたので」


「なるほど。あるものだけで構わない。それと君の持っている香水瓶も提供してもらえないか?」


「香水もですか?」


「ああ。その香水にちょっと問題があるかもしれないんだ。調べてみたい」


「わ、分かりました」


よし。これで彼女のもとにある手紙と香水を分析すれば何か分かるかもしれない。


しかし問題は思ったよりも大きいな。

誰かが僕のふりをしてロザリアを利用した。そして前回は、王となるはずだった僕を転落させた。


ロザリアの話を信じるならば……、これは陰謀だ。


「あの……これが、エヴァン様がしたかったというお話でしょうか?」


ロザリアがためらいがちに言った。


「ん? あ、ああ、そうだ」


本当は少し違うが、謎が謎を呼んでしまったので、今これ以上の話は難しい。


「……では、これで失礼します。届いたお手紙は、昨日、寮を引き払う際の荷物と一緒に実家へ送ってしまいましたので……後日お届けしますね」


「助かるよ。ありがとう」


ロザリアに関しては手紙と香水が手に入ったときに真偽も含めて改めて調査しよう。

それと、次はソフィアか……。

謝罪の場を設けるといったものの、まだ日程を決めていない。早速明日にでも……


「エヴァン様」


思考に(ふけ)りつつあった僕に、ロザリアが声をかけた。


「? どうした?」


「……あの手紙がエヴァン様のものでないとしたら……、エヴァン様は私を……その……」


言葉の続きを待ったが、彼女はそこでやめてしまった。


「いえ……何でもありません。……失礼します」



- - -



ロザリアが談話室を出ていったあと、側近のルイが言った。


「ロザリア嬢が愚者を演じていたのは、エヴァン様の指示だったのですか?」


隣のフェルディも同様の疑問を持っているようで、うんうんと頷きながら私を見た。


「彼女に伝えた通り、本当に身に覚えが無いんだ。彼女が嘘を言っていないなら、誰かが僕の名前を使って何か企んでいることになる」


「……それって結構まずいことじゃないですか?」


そう。とてもまずいことだ。


「分かってる。手紙を預かったら、早急に差出人を探せるよう手配してくれないか?」


「分かりました。筆跡鑑定人を手配しましょう。それと紙とインクの取り扱い業者もあたってみます」


「俺は手紙の配達人を探します。男爵領なら宿駅に使者の出入りが記録されているはずなので。念のため商人もあたってみます」


僕の側近にはもったいないくらい優秀だな。


「ありがとう。それと次はソフィアとの面会を設けたい。その準備も頼めるか?」


「「おまかせを」」



*✤*✤*✤*✤*✤



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毎日19時頃に更新予定です*

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