第13話
「え? ちょ、ちょっと待てロザリア」
慌てて止めようとすると、彼女は落ち着いた口調で答える。
「手紙を取り出すだけですよ。……エヴァン様、後ろを向いていてもらえますか?」
「あ、分かった」
服を脱ぐ前に言って欲しいのだが、という言葉を飲み込んで後ろを向く。
しばらくゴソゴソと音がしていたが、
「もう良いですよ」という彼女の言葉を聞いて再びロザリアの方へ向き直る。
彼女の手にはよれよれになった封筒があった。
「捕まえられたとき、服を脱がされていなかったことが幸いしました」
そう言いながら彼女がその封筒を差し出す。
「この封筒は?」
「エヴァン様から頂いた……と私が思っていたものです。唯一、手元に置いていた手紙ですが、万が一を考えてコルセットの中にしまっておりました」
微かに温かい封筒を受け取ると、そこには『ロザリアへ』と僕の筆跡に寄せた字が書かれていた。
封筒を開き、収まっていた便箋を開く。
そのとき、あの香水の臭いが微かに臭って思わず顔をしかめた。
そこに書かれていたのは、恋文だった。
ロザリアの家庭の状況を憐れむ言葉、王族の力で彼女を支えるという言葉、
そのためにも今の婚約は破棄しロザリアと結ばれる必要がある、などといった言葉や、
贈った香水を君が付けていることで僕は愛を実感できるといった言葉。
ロザリアの心にするりと入り込むであろう甘い言葉が並べられ、
最後には『愛するロザリア、君との結婚が待ち遠しい。エヴァンより』という言葉で締めくくられていた。
思わず頭を抱える。
こんな手紙は知らない。……知らないが、ロザリアはこれを僕からの手紙だと思って受け取ったのだ。
……彼女は被害者ではないか……。
「ロザリア……」
「分かってます……。これはエヴァン様が書かれたものでは無いんですよね……?」
彼女の目にホロリと涙が溢れる。
「愛されていると思ったんです。私を愛する人がいて、
しかもその人がこの国の王太子だってことが嬉しくて、深く考えることもせず、
舞い上がってしまったんです……」
何と声をかけたら良いのか分からない。
心苦しいが、それでもいくつかの質問を投げかける。
「手紙はこれだけじゃないんだね?」
「……はい。月に一度、香水と一緒に送られてきました。
季節の休暇のときは私の実家に。それ以外は学院の寮に」
「君から手紙のことを聞いたことは一度もないけど、それはどうして?」
「……手紙を送っていることを口にしてはいけないと書かれていたのです。
これは秘密のやり取りだから、万が一にも他人に知られてはいけない、
だから二人きりのときでも手紙のことには絶対触れないように、と。
私にはそれが蜜実の約束に思えたのです。ふたりだけの特別な隠し事が出来たのだと……」
……手紙の送り主は用意周到だ。僕のふりをして甘い言葉を囁いておきながら、ロザリアの心を利用してうまく手紙のことが僕にバレないようにしている……。
「ほかの手紙にはどんなことが書かれていたんだろう? 今は持っていないんだよね?」
「はい、今持っているお手紙はそれだけです。屋敷に戻ればいくつかあったのですが……」
ルイの話だと彼女の部屋は荒らされていた。
手紙を探していたという確証は無いが、おそらくもう残されていないだろう。
「手紙には、婚約破棄するために協力をして欲しいということも書かれておりました。
……もうお分かりだと思いますが……ソフィア様のいじめを捏造して婚約破棄の理由にするという……」
心苦しそうに彼女が目を伏せる。
「いくら僕の依頼とはいえ、公爵家の令嬢を相手にさすがに危険だと思うんだが……」
公爵は王家に次ぐ地位の高さだ。下位貴族の男爵家とは大きな格差がある。
「不安はありましたが、エヴァン様の後ろ盾があれば大丈夫だと自分に言い聞かせました……。
……でも、手紙を書いたのがエヴァン様じゃないということは、……私は……」
改めて恐怖を感じたのか、自分の肩を抱きかかえるようにして震えた。
そうだ、僕の指示でない以上、彼女が単独で公爵家の娘を陥れようとしたことになる。
証拠となる手紙も無いのだから。
けどそれではあまりにもロザリアが不憫だ。
「幸い、卒業パーティーではイジメの罪を言及するような発言はしなかったから、ギリギリ大丈夫だろう」
前回と違い、今回は婚約破棄を告げたところで断罪劇は中断している。
破棄を告げたことはどうしようもないが、罪の捏造については大事にはならないはずだ。
証人役をする者たちにもあとで改めて説明と謝罪をしておこう。
「……とはいえ、僕が君とこれ見よがしに恋人のようなやり取りをしていたのは事実だ。
これについては改めてふたりで公爵家に謝罪に行こう……」
すでに一度ソフィアに謝罪はしているものの、
ロザリアとの関係についてはうやむやにしたままだ。改めてふたりで出向くのが筋だろう。
「……エヴァン様も一緒に謝っていただけるのですか?」
「当然だよ。婚約者がいながら君の好意に応えていたんだから……。むしろ僕の方が愚かだろう? だって手紙も何も受け取っていないのに、君に気持ちを傾けてしまったんだから……」
「エヴァン様は愚かなんかではありません。……でも、一緒に謝罪に出向いてくれるなら嬉しいです。ありがとうございます……」
ロザリアが深々と頭を下げる。
「いいんだよ。……君の実家の状況については分かった。それと僕からもひとつ、君に伝えないといけないことがある。……香水のことだ」
「香水ですか……?」
不思議そうな顔を浮かべるロザリアに、先日医務室で呪術師の講師に言われたこと、その後の国王とのやり取りをかいつまんで伝える。おそらく箝口令を敷かれている話だが、当事者である彼女は知っておく必要がある。
「……つ、つまり、エヴァン様からいただいたと思っていたあの香水には呪いが込められていたということ、ですか……?」
ロザリアの顔が青ざめていた。
王家を害したとなれば、それは処刑されて当然のことだからだ。
「絶対そうだとは言い切れないけど、香水が原因の可能性は高いね」
「だからその……影の方たちが私を捕らえたんですね……エヴァン様を呪った容疑者だから」
「それは……少し違うと思ってる」
「え?」
「王家の影が動くのは、容疑者が逃げたときや、抵抗できるだけの武力を持っているときなんだ。
もちろん、秘密裏に容疑者を捕らえることもあるけど、
それは十分な証拠があって、かつ公に出来ない場合のみ。
今回のことは確かに公にできないけど、十分な証拠が揃っているとはとても言えない。
そもそも君が、僕を騙る相手から贈られた香水を使っていただけ、ということは調べれば判ることだと思うんだ」
「なら、なぜ……?」
答えに少し詰まる。憶測で彼女に恐怖を与えたくないから。
でもきちんと話しておかないと、彼女も心構えができないだろう……。
「これは憶測だけど……、影たちに指示を出した者が、その手紙の本当の差出人かもしれない」
「……え? でも影の方たちを動かしているのは……」
「そう、王族の誰かだ」
ロザリアは混乱したようにまばたきする
王族がわざわざ僕の名を騙って自分に手紙を送る理由がまるで分からないといった様子だ。
「理由はまだ分からないけど、その王族の誰かは、君に証言されたくないんだと思う。
手紙のことや香水のことを。だから、秘密裏に君を捕らえて、ひょっとするとそのまま処刑するつもりだったかもしれない……」
ぞくり、とロザリアが身を震わせた。
「もちろん憶測だし、君が捕らえられたのは呪いの件とは無関係かもしれない。
けど、あまりにもタイミングが合いすぎてる。
僕の呪いが解呪されたことを知っていて、かつ影たちを動かせる者がいるとすれば王族だけだし、
それが真っ先に君を捕まえる理由になるのなら、
そいつが呪いの香水を送りつけた本人である可能性はとても高いと思うんだ」
「あー……、そう言われると、もうそれが真実のように思えます……」
青ざめた表情のままロザリアが納得したように頷く。
「僕たちが君を連れ出し、この宿に匿う理由が分かってもらえたかな」
「……はい。……でも、これからどうすれば良いんでしょう?」
「まずは影たちに指示を出した王族を特定しようと思う。……それほど人数が多いわけじゃないから、案外すぐに見つかると思うんだ」
「王族の方はどのくらいいらっしゃるのですか?」
「10人くらいかな。僕の家族のほかに血縁者を含めるとね」
家族、と言ったあとに、両親や弟の顔が浮かぶ。……正直彼らを疑いたくないし彼らであって欲しくもない。
「……ともかく香水の送り主が特定するまでは君はここから出ない方がいい。窮屈だと思うけど、食料や生活に必要な品はすべて準備するから」
「ありがとうございます……。……あの、その王族の方はどうして私に呪いの香水を送ったのでしょう。というよりなぜエヴァン様を害そうと……?」
「……たぶん、僕を国王にしたくないんじゃないかな」
前回の人生を思い出す。
卒業パーティのあと、廃位され男爵領に婿へ出された。
婚約破棄騒動を巻き起こしたとはいえ、若者の過ちに対する処分としては重すぎると今では分かる。
おそらく誰かの意向が働いたのだ。
ただ僕を排除したかっただけか、あるいは意図的に弟のアルベルトを王にさせたかったのか。
政治には様々な人間と思惑が絡んでいる。
それぞれの利害を紐解けば、自然と真相に辿り着けるだろう。
ロザリアは思い詰めたような顔をして、僕の手に自分の手を重ねた。
それはあまりにも自然な仕草だったので、本当は避けなければいけないのに、それも忘れてしまった。
「あなたが国王じゃなくても、私は構いませんよ」
ロザリアがそう言った。
それがどんな想いからの言葉なのか分からなかった。
僕の記憶ではロザリアは権力やお金を欲していたように見えた。王でなくなった僕に心底落胆して見えた。
それを踏まえれば、今の彼女は聞こえの良い言葉で僕を慰めて、実際は王妃になることを望んでいるのだと思う。
でも彼女の表情に浮かぶのは悲しさと優しさだった。
僕のことを想っているように見えた。権力争いの中心にいる僕に、精一杯の励ましを投げかけているように思えた。
「あ、ああ」
うまく答えられず、言葉に詰まる。
あの頃から精神的に一回りも二周りも大人になったと思っていたけど、
実は僕はまだ何も見えておらず、何も判っていないんじゃないだろうか。
ロザリアが見せた表情は、あまりにもかつて知る彼女とは違っていたから。
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